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ル・ブランの陰謀

 婚礼衣装も完成し、後は挙式の日を待つだけとなったある日、クロエのもとには思わぬ人からの招待状が届いた。

 グリフォン公爵エドワード殿下である。

 先日の会食に欠席してしまったので改めて挨拶をしたいということで、グリフォンの迎賓館で食事会を催して頂けるらしい。大変有難い申し出で断る理由も無く、急遽外出の予定が組まれた。

 ただ招待状には侍女を同行させても構わないとわざわざ記してあって、クロエを不安にさせた。ジルが一緒なら言わないだろうから、呼ばれているのはクロエだけなのかもしれない。その証のようにジルからは何の連絡も無く、顔を合わせる機会も無いまま当日を迎えた。

 

 またもや堅苦しい余所行きの恰好になったクロエは、カミラと伴に馬車の待つ前庭へと向かう。皇太子のもとへ行くというのにカミラに緊張している様子は無く、頼もしいような寂しいような、複雑な気分だった。

 

「あ…!」


 前庭に出た瞬間、クロエは馬車のところにジルの姿を認めて、小さな呟きを漏らした。ジルも一緒なのだと安堵しかけたが、彼はいつもの軍服姿でまた不安になる。クロエに気付いたジルは、出迎えるようにこちらに歩いてきた。彼が傍に来ると、カミラは侍女らしく数歩後ろで控える。

 久し振りに顔を合わせると、変に意識してしまう。そんな自分の動揺を悟られまいと、クロエは笑顔で片手を挙げた。

  

「お、おはよ!」

「……おはよう」


 会うのは、あの会食の日以来だった。なんだか避けられている気がして、クロエはあの日を思い出しては繰り返し後悔していた。少しだけ気まずい空気の中、ジルが口を開く。

 

「…ごめん、クロエがグリフォンに行くって聞いて…。エドワード様から呼び出されたの?」

「あ…、うん、そうなの。この前会えなかったからって招んで頂いて…。これから行ってくるの」

「そっか。………全然知らなかったな」

 

 ジルは不満気にそう呟く。慌てて「あ、ごめん!ジルも招待されてると思ってて…」と弁解すると、「いや、クロエを責めてるわけじゃなくて…」と返された。

 

「なんでクロエだけなんだろうと思って」

「ジルは招ばれてないんだね」

「うん。…まぁ俺を接待する必要が無いのは確かだけど…。泊まって来るの?」

「ううん。そんなことは言われてないから帰って来ると思う」


 ジルは安堵したように「そっか」と呟いた。迎えに行こうかと提案されたが、カミラも居るので遠慮した。3人で竜に乗るのも、ちょっと気まずい。

 

「気を付けて」

「うん」

「じゃぁ、俺は訓練に戻る。…何しに来たんだって感じだけど」

「ううん。お見送り有難う」


 お陰で気持ちが楽になった。頑張ってくるねと気合いを見せると、ジルはいつもの優しい微笑みで応えてくれる。

 別れの挨拶をして背を向け――ふと、振り返った。

 

「あ、あとどうでもいい情報をひとつ」


 眉を上げたクロエに、彼が告げる。

 

「16になったよ、俺」


 立ち尽くすクロエに笑みを残して、ジルは今度こそ走り去る。

 それは全然……どうでもよくない…。

 内心でそう呟いて、自分の胸に手を当てる。掌に伝わる鼓動を感じながら、彼を見送るクロエの頬は自然と緩んでいた。

 

 ◆

 

 グリフォンの迎賓館に着いたのは予定通りの時間だったが、エドワード殿下は先に到着していた。

 黒い礼服がしっくりと似合った精悍な顔立ちの男性が、クロエ達を迎えてくれる。

 ジョシュアとは違い、彼の面立ちはあまり皇帝とは似ていなかった。皇帝陛下は垂れ目だけど、エドワード殿下は釣り目だからかもしれない。目から受ける印象というのは大きくて、少しだけ怖そうに映る。

 クロエが例によってひどくぎこちない挨拶を終えると、早速食事の席へと案内された。一緒だと思ったカミラは別室で待機という形になり、クロエだけが連行されていく。まさか2人きりになるとは思わず、豪勢な食事を前にしてもまるで食欲は湧かなかった。

 食事が始まると、気まずさは最高潮に達した。

 クロエと会話をしているのは、最早シェフだけだった。

 料理の説明を細かくされるので、ふむふむと相槌を打つ。その間、向かいのエドワードはクロエなど居ないかのように黙々と食事を進めていく。何か話題を振るべきだろうかと思っても、何も浮かばない。食器の音を立ててしまうといつも以上にビクつき、気が気ではなかった。

 その拷問のような時間も、全ての食事を終えたところで一旦落ち着く。

 気付けば2人きりになった食堂で、エドワードが久し振りの声を発した。

 

「フランシア姫」

「――は、はい!!」


 不意打ちに肩を跳ねさせたクロエに、皇太子は笑みを見せる。

 

「…実は私はあなたの祖国に大変興味を持っていてね。いい機会だ。ル・ブランについて幾つか質問させて頂いても構わないかな」


 何を訊かれるのかと不安になって、一瞬返事が遅れた。ぎこちなくはいと応えると、彼は徐に切り出す。

 

「あなたの父上はル・ブランで一番魔道力が強い魔道士であるということだが、それはどのようにして判定されるのだ?」


 クロエは内心で安堵した。知っていることで良かった。

 

「それは…。毎年、上級魔道士達の集まりがあって、そこで誰が一番かが判定されるんです。魔道力が強い人は、自分より弱い人の魔道を、一時的にですが封じることが出来ます。ここ数十年、ジェ…父が力を封じることの出来ない程の魔道士は現れませんでした」

「なるほど。では人の地からル・ブランに送られた魔道士候補は、どのようにして判定を受けるのかな?」

「それはやはり父が行います。その人に触れて、魔道力を測ります。魔道士でも、自分より魔道力の大きな人が相手だと正確には測り切れません。父は現在誰よりも魔道力が強いので…」

「つまり、ル・ブランに送られた者は皆、ジェラール殿と対面するのだな。…その上で、魔導士なのに人間だという誤った判定をする可能性は?」


 思い掛けないことを訊かれた。流石に断言は出来ず、クロエは「無いと…思いますが…」と曖昧に濁した。エドワードは「ほぉ」と呟きながらテーブルに両肘をつき、指を組み合わせた格好で身を乗り出した。威圧感が増し、クロエの方は本能的に身を退いてしまう。が、背中が背凭れについただけで、距離はなんら変わらない。

 

「ではル・ブランの司法制度はどのようになっているのかね。あなたの父上の立場というのは?」


 思わずごくりと固唾を呑んだ。

 

 その後色々と質問をされ、その度にクロエは必死に答えを返した。魔道士はその力の程度によって下級、中級、上級とクラス分けされていること。魔道力の種類や、その効果、それを使っている時に魔道士に現れる変化にも、エドワードは興味を持った。

 

「魔道力の発揮は、瞳に一番顕著に現れます。色が赤く変わるんです。でもその魔道士にとって慣れた魔道を扱っている時には、集中する必要も無くなりますので、目に見える変化も無いことが多いです。あと、こう、集中力が高まるとオーラのようなものが見えることもあって…」


 学校の試験を受けているような気分だ。クロエの答えを聞くたびにエドワードは「ほぉ」とか「ふむ」とか呟くけれど、そこから話が盛り上がるわけでもない。エドワードの目はまるで観察するようにクロエを見据え、それもまたクロエを委縮させていた。

 何個目かの質問で、エドワードは思い出したように言う。

 

「ちなみに、あなた自身は上級魔道士だと聞いているが」

「え、あ、…はい」


 その情報は届いているのか。クロエはぎこちなく頷く。するとエドワードは、次にとんでもない要求を口にした。

 

「ひとつその魔道力というものを見せてもらえないかな」

「え…」


 全身の血が、一気に足まで降りていくようだった。

 まさかこんな展開になるなんて思っていなかった。

 カミラは傍に居ない。ディバプールの時のように、誤魔化しては貰えない。

 クローディアに来てから魔道力を見せて欲しいと言われたことが一度も無かったせいで、今の今まですっかり油断していた自分に気付かされる。

 上級魔道士だと認めてしまった後では、もう魔道力が弱いという嘘も吐けない状態だった。

 

「…ち…父からみだりに…魔道力をひけらかすことのないよう言い付かっておりまして…」


 声が震えないよう、抑えるので精一杯だった。以前も言ったような台詞を口にすると、エドワードの目がすっと細められる。

 

「この場には私しか居ない。もちろん大袈裟なものではなく、例えばそうだな。この花瓶を持ち上げる程度で構わないが」


 そう言って、彼はテーブルの上の花瓶を指差した。「大きすぎるならば、花一本でもいい」とまで言われてしまい、逃げ場を失う。そういう力は無いと言って逃げれば、ならば何が出来るのかと訊かれるに決まっている。

 硬直するクロエに、エドワードは声を和らげて言う。

 

「……一度だけだ。家族になるよしみで、どうか我儘を聞いては貰えないだろうか」


 背中に嫌な汗が伝った。膝の上で握った手は、指先まで冷たい。

 家族になるとまで言って貰ったのに、フランシアではないクロエには何も出来ない。それでも再度断りの言葉を口にすることも出来ず、クロエはひたすら俯いていた。

 やがてエドワードの嘆息が耳に届く。

 

「聞いては貰えないようだな」


 ぞっとするような低い声だった。不興を買ったのだと思い知らされて、クロエは深く頭を下げた。

 

「も、も、申し訳ありません…!」

「いや、こちらこそ失礼した。あなたを不快にさせるつもりではなかったのだが」

「いいえ!不快だなんて決してそんな…そんなことは…!」


 動転するクロエに、エドワードの眼差しはどこまでも冷ややかで――。

 

「…いいんだ。忘れてくれ。……あなたにとって私は、所詮は敵国の皇族。気を許せないのは無理もない」


 絶望感が襲う。

 その言葉で、もう手の届かないところまで突き放された気がした。

 

 

 最悪の空気で、食事会は幕を下ろした。エドワードは見送りには出ず、クロエとカミラは用意された馬車で再びレディオンまで送られることとなった。

 別室ではあるが、カミラはクロエと同じくおもてなしをされたようだった。美味しい料理をたらふく食べて上機嫌だったが、クロエの悲壮な顔を見て何かを察したらしい、2人になった途端「どうしたの?!」と問われた。

 クロエは項垂れて答える。

 

「……失敗、しました」

「え、えぇ?!どういうこと?!」


 耐え切れず、クロエは顔を覆って泣き出した。焦るカミラに、説明する余裕も無かった。

 ジルに頑張ってくるなどと言ったのに、惨憺たる結果になった。

 彼の名誉まで傷つけたような気がして、ただ悲しかった。

 

 ◆

 

 フランシアの一行が発ったという報せを聞くと、エドワードは迎賓館のある一室に向かった。

 そこで客人として待機していた2人の男が、長椅子から立ち上がる。ラフレシアのヒルトン公爵と、カーライルだった。

 

「…殿下…」


 ヒルトン公爵の気遣わし気な声に、エドワードは深く溜息を漏らす。

 

「あなた方の話は、真実だったようだ」

「では、あのフランシア姫は…」

「あぁ……魔道力を使えないただの人間だ」

「……そうでしょうね…」


 そう答えながら、カーライルはクローディア帝国第一皇子の辿り着いた結論に、内心でほくそ笑んでいた。

 

 フランシアからあの重大な情報を得た後、カーライルはヒルトン公爵のもとへ、今度は1人で向かった。

 そして全てを話すと、今回の計画を提案した。

 つまりはエヴァンゼリンを皇妃の座から退かせるための計画である。

 まずヒルトン公爵に繋がりのある、クローディアの皇子に対して手紙を送らせた。その内容は、ラフレシアがル・ブランに送り込んでいた密使が得た重大な情報を共有したいというものだ。

 密使の件は基本的にはラフレシアの重要機密だ。それを明かすことにヒルトン公爵は最初抵抗を示したが、カーライルは必要なことだと強く訴えた。

 国の機密を教えた上で、クローディアに関係があることを掴んだので伝えたいと言えば、無視はされないだろうし、結果的に恩も売れる。

 その上で伝えることはひとつ。クローディアの皇妃エヴァンゼリンが、ル・ブランのジェラール・エンバリーと繋がっているという事実である。

 エドワードはその話に、相当な衝撃を受けたようだった。

 証拠はあるのかと訊かれ、カーライルはまず自分が密使であったことを証明した。ル・ブランについての情報を事細かに伝えたのだ。それは先程、エドワードが自分でクロエに質問した件と内容としては同じである。

 密使であった事実を分からせた上で、カーライルはエヴァンゼリンの息子の父親がジェラールであること、その息子を人間と偽ってエヴァンゼリンと伴に人の地に送り込んでいる現状を説明した。

 

 ”勿論、ラフレシアはこの件に関与しておりません。ヴィンス家も知らぬことです。エヴァンゼリン様は実は何年も前に既に人の地に戻っておりましたが、ラフレシアの辺境のラシェルという地で身を隠しておりました”

 

 何の目的でとエドワードは訊いた。息子の行動にその答えが表れているとカーライルは答えた。

 

 ”全てが計画の上だったのです。人の地に戻ったふりをして時期を伺い、竜に乗れる子供の存在を公にする。ル・ブランでジェラールが人間だという嘘の判定をするところまでが予定通りでした。結果として思惑通り、各国は子供に興味を示しました。上手い手だとは思われませんか?実際、私のような苦労も無く、彼は権力の中枢にまで潜り込んでしまっています”

 

 エドワードは神妙な顔で押し黙った。

 その現状をル・ブランで知り、私はなんとか脱出して参りましたと、カーライルは話を締めた。

 更にダメ押しのつもりで、カーライルは、

 

 ”クローディアとル・ブランの婚姻の話は問題なく進んでおりますか”

 

 と訊いた。自分がフランシアを連れ去ったのだから、当然何かしらの問題が生じている筈だった。だが答えは意外なもので、何の問題も無く、フランシアはクローディアに着いているという。

 一瞬、どういうことかと訝ったカーライルだったが、答えは直ぐに出た。あの状況で誤魔化すには、誰かがフランシアの代役となるしかない。あの時の人員を考えてその役を担っているのはクロエしか居ないだろう。

 カーライルは、その事実を更に利用することにした。

 

 ”実は、その婚姻にも罠が仕掛けられております。クローディアに送られたのはフランシア姫ではなく、ジェラールの奴隷、ただの人間なのです。つまり平和条約の証である婚姻は既に破綻しております。まずはその事実を確認して頂ければ、私の言葉が嘘でないことを分かって頂けると思うのですが…”

 

 自信に満ちたカーライルの口調に心動かされたエドワードは、半信半疑ながら今日、それを確認するに至った。

 そして陰からクロエとカミラの姿を認めたカーライルは、自分の仮説が正しいことを事前に知り、勝利を確信していた。

 

「……だからあのような得体の知れない子供を易々と受け入れるなと言ったのだ…」


 エドワードは頭を抱え、誰に対してかは分からない文句を呟いた。そしてまた嘆息する。

 

「……どうしたものか…」

「私が証言できれば良いのですが、恐らくは言い逃れされて終わることでしょう。または私自身が消されるか…。一番効果的なのは、証人の居るところでジェラールの息子に魔道力を発揮させることなのですが…」


 カーライルが苦し気な顔を作って呟くと、エドワードは「そうだな」と頷いた。

 

「ヒルトン公爵、この件をラフレシアの国王にではなく、直接私に伝えてくれたことに感謝している。後はこちらに任せて頂きたい。貴国に類が及ばぬよう処理させて貰う」

 

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