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公爵の望み

 ヒルトン公爵とフランシアの顔合わせは、カーライルが挨拶に訪れてから3日後に実現した。

 公爵はカーライルの婚約者を笑顔で歓迎し、一緒に昼食をとりながら談笑した。和やかなひと時を過ごした後、食後のお茶は応接室へと移る。先日のようにさり気なく人払いを済ませたヒルトン公爵は、漸く長い前置きを終えたことに安堵しながら口を開いた。

 

「さて…、では改めて先日の話の続きを聞かせて貰おうかな」


 向かいの2人に対して徐に切り出すと、フランシアが菫色の大きな瞳を瞬く。カーライルから何も聞かされていないらしい。公爵は回りくどい話を省略し、単刀直入に訊いた。

 

「お嬢さん、あなたが魔道士ジェラールのご令嬢だというのは本当かな?」


 フランシアは明らかな動揺を見せた。息を呑み、とっさにカーライルの方を見る。彼は妻の問うような目に応えて、のんびりと言った。

 

「驚かせてごめん、シア。ヒルトン公爵にはありのままをお話ししたんだ。僕たちのこれからのために」

「……これからのために…?」

「そうだよ、シア。僕たちはこの先この国で生きていくけれど、事情を全て承知していて下さる方には、居て頂いた方がいい。きみも慣れない人の地だからね。気を付けていても、何をきっかけに魔導士として疑いをかけられる事態に陥るか分からない。そんな時に閣下ほど頼りになる方はいらっしゃらないからね」

「カーライルとは古い付き合いでね。こいつがル・ブランに行かされた時には護ってやれなくて悔しい思いをしたんだ。戻ってくれてこんなに嬉しいことはない。今度こそ力になりたいと思っているんだよ」


 公爵も笑顔で言い添える。護るもなにも送り込んだのは公爵自身なのだが、何も知らないフランシアは2人の絆を感じ取ったらしい。ほっと表情を和ませて言った。

 

「有難うございます。とても心強いです」


 さて、ここからが本題だ。ヒルトン公爵は逸る思いを悟られまいと、あえてゆっくりと問う。

 

「では……きみは本当に…?」

「はい。私の本当の名はフランシア・エンバリーと申します。ル・ブランの上級魔道士ジェラール・エンバリーの娘です」


 そうはっきりと告げる横で、カーライルも何故か胸を張る。

 

「それは……、つまり、君自身も魔道士ということになるのだろうか…?」

「はい。私も父ほどではありませんが、上級魔道士の端くれです」

「本当かね。…いや、信じがたいな。見た目では全く普通の少女と変わらないというのに。…あぁ勿論、人並みはずれて美しいというのは確かだがね」


 芝居がかった調子でそう言って片目を閉じれば、フランシアは嬉しそうにふふっと笑みを零す。

 

「有難う御座います。でも、本当なんですよ?」

「いや、疑っているわけではないんだ。カーライルは信用できる男だからね。ただ私は魔道というものを目の当たりにしたことは一度も無くてね…。それがどういうものなのか、想像もつかないというのが正直なところかな」


 例えばどんな――と続ける前に、公爵の前に置いてあったカップがふわっと浮き上がった。思わず身を退いた公爵の目の高さまで上がると、ぴたりと止まる。フランシア姫はにっこりと笑い、「どうぞ」と片手を差し出した。

 どうやら彼女の仕業らしい。「これはどうも」とぎこちない笑みを作り、公爵は空中のカップを受け取る。

 折角なので一口飲んで、また皿に戻した。

 

「……つまりは、手を使わずに物を動かせる力というのが魔道力というものなのかな?」

「いえ、それに限りませんが…」

「では他にも何かできるのかい?…あぁ、例えば…未来を見るとか…?」

「”先読み”ですね。それは…可能ではありますが、基本的には禁忌とされています。未来というのは、見ても良いことが無いので」

「……ほぉ…」


 白けた思いが声に出たのか、フランシアは「もちろん、内容にもよりますが」と付け足した。カーライルの手前、公爵の気分を損ねてはならないと感じているのだろう。それに乗じて更に畳み掛ける。

 

「内容とは、つまり明日の天気程度なら問題無いということかな」

「そうですね…。変えられないと分かっていて、変えたいという気も起きないものであれば、見てしまっても問題は無いかと…」

「では私の娘の結婚相手などはどうだろうか」


 とっさに公爵の口からは今一番の関心事が零れ出た。訊かれたフランシアは、逡巡をみせる。

 

「娘が選ぶ相手だ。私が変えることなど無いし、変えたいとも思わない。実は近頃縁談が消えてしまったばかりでね。新しい相手と上手く出会えるものかと、心配でならないのだよ」

「そうなのですか…」

「シア、力になって差し上げられないかな?僕からもお願いするよ」


 横からカーライルが背を押した。その効果は覿面で、フランシアは「それじゃぁ、結婚相手のことだけ…」とはにかみながら応じる。そして令嬢の愛用品が必要だと言われた公爵は、彼女の装飾品を召使いに運ばせた。

 

 娘の私物を手に目を閉じたフランシアは、暫く微動だにしなかった。魔道を使っているのだと知らなければ、起きているのかと訝るところである。じっと待っていた公爵は、やがて目を開いたフランシアを見て息を呑んだ。

 その瞳は深紅に色を変えていた。

 

「……大丈夫です。ご結婚されます」


 フランシアが呟いた言葉に、公爵は身を乗り出す。

 

「誰とだね?!」

「……現在、彼女の傍にいらっしゃる、騎士様です」


 我が耳を疑った。絶句する公爵をよそに、フランシアは夢見るように語る。

 

「ブラウンの髪に、…琥珀色の瞳の…。あぁ、とても幸せそう…。2人ともお互いに打ち明けられないまま、ずっと愛し合っていたのね。…素敵…」


 ――何が素敵なものか…!

 公爵はそう叫びたいのを、寸でのところで堪えた。フランシアが言う男にはもちろん覚えがあった。信頼して娘を任せていたのに、裏切られた気分だった。

 騎士が相手などと冗談ではない。手塩にかけて育てた娘を、その程度の身分の男へ嫁に出す気など毛頭ない。フランシアはそんな公爵の気も知らず、不意に夢から醒めたような顔になった。同時に瞳も菫色に戻る。

 

「良うございましたね」


 にっこりと微笑まれ、公爵は頬を引き攣らせる。

 

「……安心したよ」


 ぎこちない笑みで、そう返した。直ぐにあの騎士と娘を引き離さなくてはと思いながら。

 カーライルの気遣わし気な目が、神経を逆撫でする。

 

「閣下。彼女は竜も呼べるのですよ」


 不意にカーライルがそう言った。どうやら先読みの結果が公爵の希望通りでなかったため、何か他の件で満足してもらわなくてはならないと感じたらしい。

 

「私は橋の国からここまで、彼女の呼んだ竜に乗ってきたのです。船なら数日の距離を、あっという間に…」

「竜は、人間にも呼べる」


 カーライルの演説を遮り、公爵はそう返した。声に虚脱感が滲む。

 

「それは笛を使ってですよね?彼女はそのようなものは使いません」

「いや。笛を使わないで竜を呼べる人間も居る。…というか、居たんだ。以前、このラフレシアにな」


 思い掛けない答えだったのだろう、カーライルは流石に絶句した。隣のフランシアも驚いたようで「本当ですか?!」と声を上げる。

 

「本当だ。子供だが、笛を使わずに竜に乗っていたと聞いている。結果的にル・ブランに送られたが、魔道力は持っていないとして戻って来た。ならば一体どのような手で竜を扱っているのかと、当時は議会を騒がせていたが…」

「何者なのですか?その者は」

「さぁな。教会暮らしの孤児だということしか分からなかった。直接本人を訪ねた騎士団の話では、竜笛の音を自分の声で真似ているだけだと答えたらしいが…」

「…そんなことが可能なのですか?」

「知らん。実際やっているところを見た者は居ないからな。もう少し育ったら臣下として城へ招くという案も検討されたがな。実現する前に、姿を消したらしい」

「何処へ行ったのですか?」

「…さぁな」


 もう何年も前のことだと、公爵は付け足す。

 その後、特に捜索は行われていない。法を犯しているわけではないため、追う大義名分も無かったのだ。


「あの…では、試しに遠見でその者の行方を追ってみましょうか?」


 不意にフランシアがそう提案した。”遠見”という新しい技の名に、公爵の眉が上がる。

 

「そのようなことも可能なのか?」

「はい。遠見は単純に遠くを見るというだけではなく、ある目的の人やものを辿る場合にも有効なんです。その者が住んでいた教会の場所を教えて頂ければ、気配を追えると思います。名前や容姿などは分かりますか?」

「ジルと名乗っていたそうだ。黒髪で…あの当時はまだ子供だったが…」


 子供の行方自体より、その力のほどに興味が湧き、公爵は召使いに地図を取りに向かわせた。それをフランシアの前に広げて示し、教会のある場所を指して言う。

 

「教会はこの辺りだ。辺鄙なところなんだが」

「有難うございます。カーライル。連れて行ってくれる?」

「もちろんだとも!」


 カーライルは快く応じる。だが張り切る彼に反し、当の公爵は肩透かしを食らった気分だった。教会の場所を伝えるだけでは済まず、実際に行く必要があるとは…なんと面倒な…。

 

「では閣下、早速…!」

「あぁ、そうだな。何か分かったら報せてくれたまえ」


 地図を手に腰を上げたカーライルにそう言ってやると、意外そうな顔になる。こちらも喜び勇んで一緒に出掛けると思っていたらしい。めでたい奴だと、公爵は内心で嘲笑した。

 

 送り出す際に、カーライルは公爵に対し、フランシアには聞こえないようにして囁いた。

 

「またご報告に参りますが、他にも何かあればなんなりと仰ってください。善処致します」


 しつこい売り込みに辟易する。面白い芸ではあるが、今のところはそれ止まりだ。公爵は苦笑を滲ませて言った。

 

「私の一番の望みは、ヴィンス家のエヴァンゼリンがクローディアの皇妃の座から退くことだな。それが魔道とやらで出来そうであれば言ってくれ」


 どうせ出来るわけが無いが、とは内心だけで付け足す。

 

「…成程。…考えてみます」


 調子のいい男の、困った顔は見ていて愉快だ。カーライルは難しい顔で、ヒルトン公爵邸を後にして行った。

 

 ◆

 

 ヒルトン家を出たカーライルとフランシアは、その足で目的の場所へと向かった。

 確かに辺鄙なところで民家は少なく、教会はすぐに見つかる。黒い屋根に白い壁の、そう大きくはない建物だった。シスターは何人か居たが、祈りを捧げる時間ではないようで、掃除に励んでいる。隣接している建物が彼女達の住む家なのだろう。かつてジルという子供が居たのもそこだろうと思われたが、今は子供の姿は見えなかった。

 カーライルとフランシアは信者を装い、お祈りさせてくださいと言って、祭壇に一番近い長椅子に腰掛けた。

 

「……ここで出来る?」

「うん。…ちょっと見てみるわね」


 ここに来るまでの道中、カーライルはずっとフランシアを賛美しまくった。お陰で今や、やる気満々である。「有難う。頼むよ」と極上の笑みを返してやれば、頬を染めて頷いた。

 フランシアが目を閉じる。

 ヒルトン邸で先読みをした時と同じように、そのまま動かなくなる。近くに居ると、彼女の周りの空気が陽炎のように微かに揺らめくのが分かった。魔道力が具現化している。見ているだけで気分が高揚し、カーライルは無意識のうちに笑みを浮かべていた。


「……この子かな…」

 

 ふと、フランシアが小さく呟いた。そして俯けていた顔を、ついと上げる。

 

「黒髪だし…ジルって呼ばれてる…。……可愛い…」


 目を閉じたまま、フランシアはふっと微笑した。声を掛けていいものか分からず、カーライルは息を呑んで見守る。また暫く間を置いて、フランシアの唇が動いた。

 

「……お母さんと一緒に、…出て行ったんだ…」

「”お母さん”?」


 意外な人物の登場に、カーライルは思わず声を出していた。フランシアは気を乱す様子も無く、「うん」と頷く。

 目的の子供には母親が居たらしい。公爵の言い方では両親ともに居ない孤児のようだったが…。また口を噤んだフランシアに向き直り、カーライルは慎重に問い掛ける。

 

「…それで…、その後…何処に…?」


 返事は直ぐには返らなかった。聞こえていなかったのかと訝るほどの間を置いて、漸く答える。

 

「……遠くに行ったみたい…」

「と、おく…」


 フランシアの片手が動き、空を指す。

 

「この方角。……海を越えて……」


 外国だと理解して、カーライルはフランシアの指す方角を見た。当然ながら、そこには教会の壁しか無い。カーライルはとっさに、公爵から借りてきた地図を開いた。今の場所から見てその方向は――。


「……クローディア…?」

「立派なお屋敷が見える…」


 カーライルの呟きに、フランシアの声が重なった。

 



 ――唐突に襲ったのは、得体の知れない不快感だった。

 ジルはその瞬間、弾かれたように背後を振り返った。

 銃に装弾していた手が、完全に止まる。一緒に訓練に参加していた仲間が、そのただならぬ様子に目を丸くした。

 辺りを見廻すジルに、「どうした?」と声を掛けてくる。

 

「…分からない」

「ん?」

「…なんだ…?今の…」

「なんかあったか?」

「………分からない…」


 当惑顔のジルに、仲間は首を傾げる。だがジルとしては、他に答えようがなかった。

 正体は分からない。…分からないが、背後から忍び寄る何かの気配を感じた。あまり気持ちの良くない類の…。

 ジルは消えた気配を追うように、空を見詰めた。だが目に見える景色からは何も掴めない。隣から「おい、どうした?」と心配そうに窺われ、ジルは漸く目線を手元に戻した。

 

「………何でもない」


 気のせいだと無理に結論付けたが、肌は不快感を引き摺っていた。

 

 

 

 フランシアは目を見開いて硬直していた。

 たった今起きたことが、信じられなくて声が出ない。そんな彼女の横から、カーライルは噛みつく勢いで訊いた。


「――見付かったかい?」

「…跳ね返された…!」


 フランシアの瞳に紅が揺らめいて、徐々に消えていく。その顔は驚きに強張っていた。

 

「…シア…?」

「そんなまさか…。探してる人は人間だって……閣下は仰っていたわよね…?」


 フランシアは自分の両手を見詰めながら、うわ言のように呟く。その言葉が自分への問い掛けであることに気付き、カーライルは「そうだよ」と返す。

 途端、フランシアはこちらを振り返った。

 

「違う…!」


 周りを気にして声を落としてはいるものの、焦燥の滲む叫びだった。

 

「え…?」

「だって私の遠見を跳ね返したもの…!人間じゃないわ。魔道士よ!それも上級の…!」 

「……嘘だろ?」

「絶対よ。絶対!――人間にこんな真似は不可能だし、私が中級以下の魔道士を相手に跳ね返されることなんて無いもの!」


 誇りを傷つけられたと感じているのか、カーライルに幻滅されたくない一心か、フランシアの弁には熱が籠る。

 

「……つまり……居場所は辿れない…?」

「…待って!母親のほうを追ってみるから」


 名誉挽回とばかりに、フランシアは座り直すと再び目を閉じた。先程より気合いが入っているのが、顰められた眉から伝わる。

 確かに母親の居場所が分かれば、本人にも行き着けるだろう。カーライルは黙って結果を待った。

 その間に、フランシアが言ったことについて考える。竜に乗れる子供は、実は人の地に潜んだ魔道士だった――?

 それが事実なら、つまりはどういうことだろうか。その者はカーライルと同じようにル・ブランが派遣した密使だということか…?密使にしては子供だという点と、目立ちすぎている点が腑に落ちないが。

 どちらにしろ、母親が子供の魔道力を知らない筈は無い。分かった上で隠しているならば、その目的は――。

 カーライルはふと、フランシアが目を開いていることに気付いた。

 

「…どうした?シア。何か分かった?」

「……どういうこと…?」


 彼女は不可解だという様子で呟く。

 

「どうした?母親も魔道士だった?」

「ううん、ただの人間。……だけど……今の彼女は、凄く立派なお城に住んでるの」

「お城?」


 それはつまり、クローディアの牙城を意味しているのだろうか。いやまさかと、カーライルは内心で打ち消しかける。その思考に、フランシアの声が割り込んだ。

 

「しかも、皆に”皇妃様”って呼ばれてるの。…どういうこと??」


 あまりの衝撃に、カーライルは声を失った。

 クローディアで皇妃と呼ばれる女性を、カーライルは1人しか知らない。

 ラフレシアで暮らしていた母と子。ル・ブランから戻った令嬢。――そして、フランシアと同等の魔道力を持つ子供。

 全てが頭の中で繋がった瞬間、カーライルは弾かれたように立ち上がった。

 

「…カーライル…?」


 謎が解ければ、武者震いとともに笑みが漏れる。皇帝はこれを知っているのか――当然、知っているのだ。だからこそエヴァンゼリンが選ばれたのだ。だが事実が明らかになった時、彼が承知の上だったなどと認めることはないだろう。エヴァンゼリンだけを切り捨てて、――終わりだ。

 

「……有難う、シア。閣下が、お喜びになるよ」


 運は確実に、自分に味方をしていた。

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