4.ボクとクジラ
次の日は、食器の割れる音で目が覚めた。エシルは飛び起きて何事かとキッチンを確認する。ピートが割れた皿を素手で拾おうとしているところだった。急いで制止して、どうしたのかと尋ねる。
「いやー、朝食作ろうと思ったんだけどさ。よく考えたらボク、キッチンにも入った事なかったから」
照れくさそうにピートがそう言った。エシルは、とにかく危ないからキッチンから出てくれとピートに伝える。後片付けと、家事は自分がやるしかないとエシルは思った。
「うわぁ、エシルの料理すっごく美味しいね!!」
「あ、ありがとう……」
普段褒められ慣れていない分、物凄く嬉しかった。ピートはエシルの作った料理をパクパクと平らげ、おかわりもしている。
「あ、今日はエシルに街を案内するから。食べ終わったら一緒に出ような」
「うん、解った」
*****
エシルとピートはそれぞれ準備を済ませ集合した。向かう先はピートの頭の中にある。エシルはピートに着いて行くだけだ。ピートに手を差しだされる。何かと思い手を握ると、そのままピートとエシルの体がふわりと宙に浮いた。
「え? う、わ何!? 浮いてるよ!?」
「フフッビックリした?」
いたずらっ子の様にケラケラと笑うピート。繋いだ手にどちらとともなく力を入れる。暫くの間空中散歩を楽しみ、ピートは目的の場所で着地した。
「お疲れ様。怖くなかった?」
「ビックリしたけど大丈夫。ピートは空を飛べるんだね! 凄いや」
「えへへ、ありがとう。まず、キミに紹介したかったのはこの『White Land』の中心部さ」
町はガヤガヤと賑わいを見せていた。活気溢れるその情景に思わず目を奪われる。しかし、一つ気になる事を発見した。エシルはピートに質問する。
「この町は、少年しかいないの?」
「あれ? 昨日話さなかったっけ? この国自体が少年だけの国なんだよ」
「え? そうなの?」
「そう。あ。そっか。じゃあこれもまだ渡してなかったね」
そう言ってピートはエシルに腕時計を手渡す。受け取ったエシルはまた不思議に思った。秒針が動いていない、時計自体が動いていないのだ。ピートにその事を聞くと、それで問題ないと言った。よく解らないまま左腕に時計を付ける。
「ここで、大体のものは揃うよ」
「でも、僕お金持ってないよ」
「そもそもこの国ではお金の概念はないよ。ボールの中に大体の物は入ってるし、足りないならここへ来れば手に入る。皆優しいからね。分けてくれるんだ」
今まで食料を自給し、節約して生活してきたエシルにとってそれはとても衝撃的だった。そして、それで良いのかと疑問に思う。しかし、郷に入っては郷に従えとある。エシルはどうにか受け入れることにした。
「さ、ここはこれくらいでいいかな。エシルは来る機会も多いだろうし…。次へ行こうか」
ニッコリと微笑んで、ピートはまたエシルに手を差し出す。エシルは先ほどと同様に手を取り、二人は次の場所へと移動するために地面を蹴り上げた。
次の目的地はどうやら森の奥――洞窟らしい。洞窟の入り口まで着くと、そこでピートとエシルは着地した。
「この洞窟の奥にはすっごいお宝が眠っているんだ。ボクは今、それを探していてエシルにも見せたいと思って」
そう言ってピートは古びた地図を取り出す。地図にはこの森と洞窟、洞窟の上に赤いインクで×マークが描かれていた。
「あと少しで辿り着けるはずなんだ。エシル、手伝ってくれない?」
「う、うん。僕で良ければ…」
「行こう!」
二人は洞窟内部へと足を進めた。ピートはどこから取り出したのか、ランタンを手にしている。段々進むにつれて外からの明かりがなくなり暗くなってくる。エシルはピートの準備の良さに感心するのみだった。
奥に進むにつれ、足場もぬかるみ進み辛くなる。ピートは慣れているのか余裕が見て取れるが、エシルの方は明らかに疲れの色が見えた。
「少し休憩しようか」
そう言って、ピートは地面に胡坐をかく。エシルもそれに倣い、腰を落とした。座り心地は良くないが今は仕方ない。二人が座ったすぐ脇には、湖が広がっている。予想していたより広い洞窟にエシルは根を上げそうになった。
「大丈夫だよ。ボクがちゃんとエシルの事守るから」
ピートは、水の入ったスキットルをエシルに渡す。それを受け取り、エシルは水を飲んだ。正直、喉がカラカラだった。
「ありがとう」
スキットルをピートに返し、エシルは礼を言った。二人して立ち上がった所で地鳴りのような大きな音がした。エシルは洞窟が壊れるのではないかと不安に顔を歪める。
「とにかく進もう。大丈夫。エシルはボクが守るよ」
その力強い言葉に、エシルはピートに任せれば何もかも上手くいくのではないかという思いが込み上げてきた。二人して洞窟の先を目指す。
しかし、そこに一匹の大き蜂が現れて彼らの行く手を阻んだ。
「ヤバい奴とご対面しちゃった……」
ピートは目を閉じて何か呟く。すると何もない空間から大剣が現れた。エシルがビックリして動けないでいる間にもピートは巨大蜂を勇猛果敢に攻め立てる。
数分の闘争の後、勝利したのはピートだった。ピートはまた何か呟くと今度は持っていた大剣が跡形もなく姿を消した。
「ど、どこから剣を出したの!?」
「うーんと、エシルにも出来ると思うよ。やってみて。思い描けばいいんだ」
エシルは先ほどのピートの大剣を思い出す。そして、心の中で出て来い! と唱えた。すると両手にずっしりとした重みを感じてエシルは目を開ける。そこには先程と似たような大剣があった。
「初めてにしては上出来だね。ちょっと不格好だけど」
「わ、笑わないでよ~…」
「ごめんごめん。さ、行こう」
エシルは次に消えろ! と念じ、大剣を消した。魔法が使えたようでとても興奮してドキドキしている。こんなに楽しい事は生まれて初めてだ。エシルはピートに気付かれないように小さく笑う。そしてピートの横に並んで進んだ。
数十分程歩いた頃だろうか、道が開けて大きな空間にたどり着いた。目の前には池が広がり、その池の地面が反射して色とりどりの光が水を反射して光っている。エシルはその光景に目を奪われた。こんなに綺麗な風景をエシルは知らない。
「良かった。喜んでもらえて」
「え?」
「お宝は、この空間。綺麗な場所だろ? 嘘をついてごめんね。ボクはこの場所を知ってた。ここにキミを連れてきたかったんだ」
「すごく綺麗な場所だね。ありがとう、ピート!」
「フフッやっと笑ったね、エシル。ボクはキミの笑顔が見たかったんだ。この世界では毎日楽しい事が待ってるよ。もう、辛い思いをしないでいいんだ」
ニッコリと笑ってそう告げるピートの優しさに思わずエシルは涙を流す。オロオロとするピートをよそに、エシルはこの景色を絶対に忘れないでおこうと誓った。
「ねぇ、ボクはね、エシル。冒険家なんだ。今まで色んな場所を冒険して怖い思いも辛い思いもしてきた。でもね、お宝に出会えた瞬間そういうの全部吹っ飛んじゃうんだ。キミにもそういう体験をしてほしかった」
「え…?」
「辛い事や悲しい事はあるけれどそれよりも、楽しい事や嬉しい事がいっぱいあるんだ。その事に気付いてほしかった。ねぇ、今どんな気持ち? 辛い? 悲しい?」
「……ううん、すごく、嬉しい」
「良かった。……じゃあその涙は嬉し泣きだね」
「うん……こんなに綺麗な景色を見たの初めてだよ。ここに連れて来てくれてありがとう。ピート」
その景色は感動的で暫く涙は止まらなかったが、ピートが今まで行った冒険の話を沢山してくれたからその間にエシルの涙は引っ込んでいた。
*****
洞窟を出たのは夕暮れ時だった。ピートが手を差し出してエシルの手を握る。
「さぁ、最後のとっておきの場所へ案内するよ。行こう」
ふわりと体が宙に浮く。ピートは今度は南に進路を変えて飛んだ。ぐんぐんと空が近くなる。ピートは陽気に鳥たちとお喋りをしていた。エシルはその光景を目にして、ピートはやんちゃなのかお兄さんのようなのか解らなくなって思わず笑ってしまった。それに気付いたピートがエシルにちょっかいを出す。ふざけ合いながらもピートはエシルの手だけはしっかりと握ってくれていた。
「さぁ着いたよ」
最南端、海が見える砂浜へやって来た。エシルは海というものを見た事がない。初めて見るその広大さに目を奪われた。
「お、来た来た!! おーい!」
大きな波を立てて、クジラが近付いてくる。エシルはビックリしてピートの後ろへと隠れた。
「やぁピート。久しぶりだね」
「ク、クジラが喋ってる……」
「おや、新しい友達かい? 初めまして。わたしはウォール」
「エシル。彼はウォール。この海の監視役さ。ウォール、彼はエシル。昨日この国へやって来たばかりだよ」
「は、初めまして。ウォールさん」
「初めまして」
ウォールが大きな音を出して潮を噴き上げる。それがエシルたちに掛かり服を濡らした。エシルは海の水がしょっぱいものだとこの時初めて知った。
「帰ったらシャワーを浴びなきゃ。…また一緒に入る?」
「あ、あれは不可抗力だよ!!」
「あははっ冗談だよ。ウォール、君の背中に乗せてくれる? この海を見せてあげたいんだ」
「あぁ、もちろんさ」
二人はウォールの背中へと飛び移った。ぐんぐんと海を泳ぎ沖合まで出る。周りにはなにもなく、ただ広い海が広がっている。夕日に照らされて、海はオレンジ色に光っていた。
「ピート、今日はありがとう。たくさん綺麗な景色を見せてくれて」
「うん、気に入ったでしょ……って、また泣いてる! エシルは泣き虫だなぁ」
そう言てピートはポケットから布を出してエシルに手渡す。それを受け取って、エシルは涙をぬぐった。
「初めて見るものばかりで感動したんだ。ワクワクした。こんな気持ち初めてだよ」
「…そっか」
どこまでも続く海を見つめて、エシルはここに来られて本当に良かったと思った――…。