表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白雪姫は眠らない。  作者: ヒロカワ
第一章
2/7

2.愛するが故の豹変

 目が覚めたエシルは辺りを見渡す。知らない天井。知らない場所だった。起き上がろうとした所でこちらに近づいてくる足音に気が付く。

「目は覚めた?」

 男は柔らかく笑む。見知った顔にエシルは安堵した。男の手には食事の乗ったトレイが持たれていた。それをベッドサイドにある机の上に置いてエシルに食べるように促した。トレイにはそれぞれ暖かいコーンスープにロールパン、サラダが乗せられていた。簡単な料理だがどれも美味しそうに見えた。エシルはベッドから起き上がり、スプーンを手に取る。が、スプーンを上手く掴めず床に落としてしまう。そこで初めてエシルは自分の手が震えている事に気が付いた。

「は、早く家に帰らなきゃ…! お母さんに怒られちゃう…!」

 急くエシルに、アイスブルーの瞳を持つ男がやんわりと言ってのけた。

「帰らなくても大丈夫だよ」

 その言葉にエシルは動きを止めた。帰らなくていい。そんな筈はない。母親はきっと今頃、虫の居所が悪くて部屋中のものを引っ繰り返しているに違いない。そう思っただけでエシルは背筋が冷たくなるのを感じた。

「大丈夫だ。ここは絶対に見つかる事はない」

「どうしてそう言い切れるんですか?」

「お前を拉致ったから。ここは森の中にある小屋だ。俺しか場所を知らない」

 エシルは開いた口が塞がらなかった。何故、彼――ジャンスがそんな事をするのかが理解出来なかった。手の震えはもう止まっている。しかし今度は思考が停止した。自分の名前を呼ばれてようやく動けるようになる。エシルはゆっくりと話し出した。

「拉致ってどうしてそんな事を…」

「お前が虐待受け取るの、見てられなかった。ちょっと強引な手を使ったけどどうしてもおばさんから離してやりたかった。お前が傷つくのは見たくない」

「ジャンスさん……どうしてそこまでしてくれるんですか」

 自分にそこまでの事をする義理はジャンスにはない筈だとエシルは思った。だから素直にそう聞いていた。するとジャンスから思いも寄らない言葉が飛び出した。

「お前が好きだから」

 エシルはまた思考停止した。ジャンスは今自分に何と言った? 好き? そんな事ある筈がない。ただのお隣さん、しかも自分もジャンスも見てのとおり男だ。いや、性別はこの際無視しても、あまり顔を合わす事が今までなかったのに急に好き、とはどういう事なのだろう。

「急にごめん。でも俺ずっと小さい頃からお前を見てたんだ。一生懸命で真っすぐで努力家で。そんなお前を見てたらいつの間にか好きになってた」

「あ、あの、僕…どうすればいいのか、解りません……」

「解ってる。すぐに返事が欲しいわけじゃない。ゆっくりでいい」

 そう言われてエシルは頷いた。ジャンスは落ちたスプーンを拾い上げ、簡易的な台所でスプーンを洗い、戻って来てエシルにそれを手渡す。スプーンを受け取ったエシルはおとなしく食事を開始する。その間ジャンスは別の部屋でやる事があるからと、この部屋を出て行った。

 一人になってエシルは正直ほっとしていた。告白された後にその張本人と食事を取るのはなんだか気恥ずかしかった。食事を終え、台所でそれらを水に浸し、スポンジに洗剤をつけて食器を洗う。あかぎれが洗剤で染みたがいつもの事なので気にせず洗っているとジャンスがやって来て慌てて制止した。エシルがきょとんとしていると、ジャンスは自分がやるからエシルは何もしなくていいと言った。

「今まで頑張って来たんだ。今日からは休んでいいんだよ」

「でも……」

「大人の言う事は聞く。いいね?」

「はい……」

 エシルはそう言われ、仕方なく自室へと戻った。家事をやらないと言うのはなんだか変な心境だった。これで良いのだろうかとそわそわしてしまう。何もすることがなくなったエシルは風呂に入り寝ることにした。ジャンスに風呂の場所を聞き、シャワーを浴びてフカフカの布団で眠りにつくのだった。


*****


 翌日、朝日の眩しさと腕の痛みで目が覚めた。見ると昨日と同じ部屋、違いは布団で眠った筈が何故か椅子に座らされている事と、腕を鎖で椅子に固定されている事だった。エシルはこの状況が飲み込めず一気に不安になる。まさか母親にこの場所が見つかってしまったのか、だからこんな事になっているのだろうか、そう思った。しかし、目の前の人物の顔を見てその考えは違うのだと理解する。ニヤニヤとエシルを見つめ楽しそうにしていた。

「これは一体どういう事ですか…ジャンスさん……」

 エシルが不安げに質問する。ジャンスはニヤニヤしながらその質問に答えた。

「エシル、鎖でつながれたお前は凄く魅力的だな。あぁ、やっとお前は俺のものになったんだ…」

 うっとりとした表情でエシルを見つめるジャンス。その瞳は深い海の底のように暗い色をしていた。恐怖に肌が粟立つ。この人は危険だと本能が伝えている。しかし、動く事が出来ない。母親の怖さとは別次元の何かを感じエシルは恐怖に涙を流した。

「ははっはははははっ! やっぱりお前は泣いてる顔の方がそそられる。なぁ、俺の事でもっと泣けよ。おばさんの事なんて忘れるくらい怖い思いさせてやるからさぁ、俺の事を考えて泣けよ」

 ジャンスは壊れた人形の様に笑い続けた。一頻り笑った所でエシルの前までやって来てポケットから果物ナイフを取り出す。刃先をエシルの喉元へ衝き付けてエシルの恐怖する表情を見て満足そうにした。切っ先を突き付けた箇所からは少しだけ血が滲んでいる。エシルは言葉が出なかった。恐怖に支配されて身体が震え、歯はガチガチと鳴った。泣く事も出来なかった。この男は誰だ、と自分の知っている男なのかとその事だけが頭の中をぐるぐるしている。

「昨日、僕を好きだって言ってくれたじゃないんですか……あれは何だったんですか」

 消え入りそうな声でエシルはジャンスに質問した。そんな事か、とでもいう様にジャンスはケロッとした顔をして衝撃の事実を話し始める。

「あぁ、好きだ。……お前を殺したいくらいには、な」

 ゾクリとした。背中に嫌な汗が流れる。エシルの頭の中はパニック状態だった。もう訳が分からない。身体は相変わらず震えている。エシルに出来る事といえば、この鎖を解いてくれるのを待つ事だけだ。いや、待っていたらそれこそ殺されるに違いない。どうにかして逃げなくては、とエシルは思い直した。

 その後も暫くの時間ナイフで脅され続けたが、飽きてしまったのかジャンスは部屋から出て行った。今がチャンスだとばかりにエシルは鎖で縛られている両手をどうにか動かせないかと試みるもやはりびくともしなかった。足と腰にもロープを巻かれているため、身動きも取れない。逃げることは出来ないのか―諦め掛けたとき、ポケットに小さめの裁縫道具を持っている事を思い出した。小さいがその中にハサミもあった筈だ。エシルはどうにかしてズボンのポケットを確認する。……あった。どうやら没収されずに済んだようだ。

 どうにかしてそれを取ろうとするが、うまくいかない。そこでジャンスが部屋へ戻って来た。エシルは怪しまれぬよう、肩を落とし項垂れた。

「食事だ。手の鎖だけ解いてやる。自分で食え」

 遅めの朝食が机に並べられた。昨日と同じくパンとサラダとスープ、それにオムレツが付いていた。ジャンスが作る料理はどれも美味しく、今まで母親に食べさせて貰えなかった分を取り返すかのようにエシルは勢いよく食事した。

「殺そうとしてる奴が作った料理なんて、良く食えるな」

 何か仕込まれているとか、思わないのか。そう問われエシルはしばらく考えてから答えた。

「満腹で死ねるなら、それはそれで満足すると思う。今まで空腹の事が多かったから何が出ても僕はそれを食べると思うよ」

 ジャンスはつまらなさそうな顔をしたが、エシルは気にせずに食事の続きをした。


*****


 それから数日間、ナイフで脅されたり、斬り付けられたりしたがジャンスは必ず食事だけは出してくれた。その際には手の鎖だけ解いてくれる。その時間を狙ってなんとかハサミを取れないかエシルは思考を巡らせた。食事の時は必ずジャンスが隣についている。下手な真似をすればそれこそ何をされるか解ったものじゃない。そしてある事に気付く。ジャンスはエシルの事が好きなのだ。それを逆手に取れないだろうか、と。

 食事時、エシルはジャンスに話しかけてみた。

「ねぇ、ジャンスさん。ジャンスさんは僕の事が好きなんだよね?」

「そうだな」

「じゃあ……僕にしてほしい事、とかあったりするの?」

「俺はお前の苦痛の表情や泣き顔が見たい。それだけだ。狂ってるだろ」

「……ずっと、そう思ってたんですか?」

「そうだ。だから近づいた。もう自分の中だけじゃどうしようも出来なかった」

 そう言って、ジャンスは少しだけ辛そうな顔をした。これはまだ付け入る隙があるのではないか、エシルはそう思った。どんなに卑怯な手を使ってでも、ここから逃げ出して生き延びたいと思った。母親に会いたい。あの日々も辛かったが、今より断然ましだ。自分が我慢すれば母親はエシルを怒鳴る事はなかった。それに、上手く出来たら母親はエシルを褒めてくれた。今は戻りたいと思う気持ちが強かった。

「ねぇ、ジャンスさん取引をしませんか」

 エシルは提案を持ちかけた。それは、ジャンスにとっては好条件に違いない。

「僕はあなたの言いなりになります。どんな事でも受け入れます。けれど、あなたの気が済んだら僕を開放して欲しい」

「それは無理だ。俺はお前を殺す」

「お願いです! 僕を見逃してください!!」

 エシルはジャンスにしがみ付いた。それと同時にジャンスのポケットに入っている果物ナイフを抜き取り、自分の喉元へと刃先を向けた。

「おい! 何してる!」

「ここで僕が、自分で死ぬのと、生きて貴方が僕を殺すの、どちらがいいですか」

 ジャンスは驚いた顔をして動きを止める。まさか、エシルがこんな事をするとは到底思わなかったのだろう。ひとまず落ち着け、とエシルに話しかける。エシルはそれを無視して、更に喉元へと刃先を食い込ませる。赤い血が喉元から鎖骨にかけて流れ落ちた。

「解った。お前に死なれたら俺が困る。今回は失敗したが次回は必ずお前を捕まえて俺の手で殺す…」

 悔しそうに歯を食いしばりジャンスはエシルの足と腰に巻かれたロープをほどく。それを見計らって、エシルは全速力で小屋から飛び出し森の中へと逃げた。

 方向なんてわからない。とにかく遠くへ逃げよう。そう思いながら。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ