ゼウス様のお力
ゼウスは、悠々とした態度で、こちらを見た。
「ああ、何でも聞いていいよ」
「ならば、遠慮なく。……私は、不自然に感じていました。というのも、あの試練場の森には、生き物の姿がなかったからです。森からまっすぐ伸びた4本道に、東西南北それぞれのブロックが展開されていて、西エリアには死にかけた人間に、ハエなどもたかっていました」
鮮明に思い出す。西エリアは、とにかく衛生状態が悪くて、ハエ以外にも虫はいた。人に寄生するような虫ばかりで、犬などの大きな動物はいなかったと思うけれど。
「ですが、あの森は、全てが作り物のようでした。床はぐにゃぐにゃ曲がるゴムのようなものでしたし、樹木や土なども全部偽物。でも、どうしてだろうと思っていました。他のエリアの草木も土も、そして人もすべて本物だったのに、どうして4本道の中心部だけ偽物でできた森だったのかなって」
言っていて、内心嘘であってほしいと祈っていた。
だってそうでしょ。ゼウスの作り出した空間だから、人もみんな偽物だと思っていたのに、見れば見るほど本物なんだから。……私は、たくさんの人を見捨ててきけれど、それは偽物だからと自分に言い聞かせて何とか精神を保っていたんだよ。なのに、本物の人間を見捨ててきましたー、何もできませんでしたー、なんて、笑えない。
「そして、あと一つ、不可解なことが」
「なんだね?」
「羽音が、聞こえたんです。それも2回。鳥の羽ばたくような音」
偽物だらけの森で、私は確かに聞いた。
幻聴なんかじゃない。あれは、たしかに鳥が羽ばたく音だった。だけど鳥の姿は無くって。
それが何を意味しているのか考えた時、一つの結論にたどり着いた。
「間違っていたらどうか笑ってください。いや、むしろそうであってほしい。……私のいたあの森こそが、ゼウス様の作った空間で、その他のエリアは、どこかの世界と繋がっていた。しかも、空間に限らず、あなたは時間まで遡ることができて、東エリアと、北エリアにそれを適用していた。でも、それは本来の自然の摂理を大きく曲げることになるから、どこかに必ず歪みが生じる。それがあの大きな目。私は最初、あの目はゼウス様が私を監視するのが目的だと思っていました。でも、途中で私が着替えを要求したとき、空の上から着替えが降ってきました。私はたまたま見ていなかったけれど、あれは、あの大きな目……もとい、空間の歪みから出したのではありませんか?あなたは透明な鳥かなにかでずっと私のことを監視ていた。私が地面に座って休憩しようとしたとき、羽音が聞こえましたから、あれは私に座られそうになって、慌てて飛び立ったのでは?」
余暉さんは、口をあけてポカーンとしていた。無理もない。余暉さんは試練を見ていないのだから、何のことやらサッパリなのも当然なわけで。
ゼウスも段々と顔を歪め、首をかしげた。
「そうだとして、一体何の問題がある?」
「俺はちんぷんかんぷんだヨ……」
「ゼウス様のお力は、完全なものでは無いということを、顕著に示しているではないですか」
ゼウスの瞳孔が、はっきりと揺れたのを、私は見逃さなかった。
「……え?」
余暉さんは、ゼウスをバッと振り返ると、心底驚いていた。
「どういうこと?どうして、そうなるノ……?」
「だって、そうじゃないですか。あたかも試験場を全て用意して、全部ゼウス様が取り仕切っていたように思えましたけど、実際に用意したのは偽物の森の空間だけで、東西南北エリアはどこかから引っ張ってきた土地や私の両親の記憶だった。それらを無理に連結したせいで空間に歪みが生じ、それを私の監視網に仕立て上げるために大きな目を入れ込んだ。実際の監視は透明な鳥か何かを使って、それを通じて私を見ていた。何故鳥かというと、監視の目が空にあったから、空高く舞い上がれる鳥のほうが都合がよかったのしょう」
「……面白いことをいうなぁ、千鶴。でも、何故そんなことしないとしないといけないのだ?」
「簡単です。お力が完全でないのを、他の神様方に知られたくなかったからでしょう」
ゼウスという、圧倒的な神様がいるおかげで、バラバラで険悪な太陽系の神々はまとまっている。
みんなゼウスにひれ伏し、崇め、尊敬の目で見なければ、途端にまとまりがなくなる。実際、ゼウスが来てから、サターンとアフロディーテの喧嘩も収まったわけだし。
私の試験をあんなに大層なものにしたのも、ゼウスの力のパフォーマンスだという側面が強いのだと思う。時間空間を自在に操り、生み出していく。私の試験は空間のひずみを隠すための張りぼての「目」で見ていることになっていたから、視点を目と同一にするために鳥のようなものを使って、その映像を他の神々にも見せた。
すごい、さすがゼウスだ。ゼウスには勝てない。時間も空間も全てゼウスのもの!などとみんな思っているのだろうし、そう思わせないと秩序がぐちゃぐちゃになってしまう。
「生意気な小娘だ。せっかく星天師の資格を与えてやったというのに」
「……どうですか。図星でしたか?
「お前に応える義務はない」
「何でも聞いてと、仰っていたではないですか」
「何でも応えるとも言っていない」
「……はあ、そうですか」
やれやれ、これではらちが明かない。
「いいですよ。言及は控えます。あ、そうだもう一つ」
「言及するんだネ……」
「……あなたに時を操る能力はないはず。一体、どこから借りたのですか」
余暉さんが、サッと青ざめるのが分かった。
さっきから、黒いマスクをしきりなしに触っているし、そわそわとしている。
「これは、余暉さんに聞いた方がいいですか?大体、余暉さんは試験のとき何をしていたのですか」
「え、……と、それは……」
「もうよい。千鶴、やめろ」
パンパン、と乾いた拍手のようなものが聞こえた。
私が顔を上げると、そこにはウラノスがいた。
「あれ、戻られたのでは」
「いや。厠に行っていただけ。歳を取ると、どうも近くてな」
ずりずりと、草履を引きずるように歩いてくると、ウラノスは私の手をむぎゅッと掴んだ。
……この爺さん、さっきトイレ行っていたんだよね。手とか洗ってるんでしょうね……。
手をジイィッと見ると、ウラノスはにっこり笑った。
「そう身構えるではない。これからどうか、よろしくな」
いやまあ、神様と握手っていうのは緊張しているけど、それ以上に手を洗っているのが気になって……。まあ、いっか。減るもんじゃないし。
「あ、……はい。よろしくお願いします」
「それとな、千鶴。今のことは他の神には言うでないぞ」
「……存じています」
そう。私が懸念しているのはこのこと。
この私の戯言が真実でなければいいのに。
何もかも勘違いならよかったのに。
でも、ゼウスは肯定も否定もしなかった。だから、真実か嘘かも結局分からなくて、私の仮説を語るのみだった。
どうしても好奇心に勝てず、聞いてしまった。ゼウスの力が完全なものでないということは、果たしてあり得るのだろうか。全ての神の頂点で、絶対の存在の彼に、欠けているものなんてあるのだろうか。
もし欠けていたとしたら、神々の頂点の座を奪うため、おそろしい戦が起きるような気がしてならないのだ。神話ではゼウスだって、頂点を取るためにおびただしい数の戦をして、たくさんの人が犠牲になった。神話の中での話だと思っていたけど、今私は現実で神様たちがいることを知ってしまったのだから、油断なんてできない。
手が震える。
私のこの気付きが、戦のトリガーになるかもしれない。最高に興奮する。やばい、なんだこれ。
私はウラノスの顔をチラッと見やる。
静かな瞳をしているけれど、さっきの制止を聞く限り、ゼウスを倒そうという野心はなさそうだ。
少し安心して、私は指越しに伝わるウラノスの体温を感じていた。
しわだらけの手は、ひんやりとして気持ちいいけれど、確かに血が通っている。
神様にも血が通っているのだと感じると、ほのかに安心感に包まれる。
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「……風間千鶴、か」
「……やっぱり、気になりますカ?」
「お前もか、余暉」
余暉は少しだけ困り顔になった。
「ええ。賢いですよネ……。そして、鋭い」
「鋭さならお前もなかなかだと思うがな」
「そんなことないですヨ!俺は、馬鹿だかラ」
「ちがうちがう。人間的な本質の話だよ」
ゼウスはけらけらと笑って、8つの空いた席を見つめる。
序列ごとに前後に配置しているので、横から見たらバラバラで、当然ゼウスは一番前に出ている。
「今まで前を見ていてから、後ろの神々がどんな顔をしているのか見てこなかったんだ」
「それでよいのですヨ。ゼウス様は、一番なんですかラ!」
「一番、か」
ゼウスは静かに目を閉じる。
「……今日はなんだか、疲れた」
「神力をたくさんお使いになりましたからネ。当然ですヨ」
「でもなあ。むかぁし、これくらいなら、全然余裕だったんだが……」
そこまで言うと、ゼウスの声が途切れた。
「……ゼウス様?」
「すまんな余暉。少し参っているみたいだ」
「ご心配なくですヨ!俺がゼウス様を木星にお返しします!」
「ああ、頼むわ」
余暉は、千鶴の着ていたドロドロのドレスとハイヒールをそっとカバンに詰め込むと、火をつけて燃やした。
(ごめんねチヅル……。本当はこのドレス、あげたかったんだけド、俺が裏で試験を手伝っていた証拠は消さないといけないんダ……。それに、あの子の件もあるかラ、ウラノス様にもお力を借りてしまったシ……)
新しい仲間が増えたのはうれしいけど、なんだか千鶴は、今まで当たり前だったことを全て壊してしまいそうな危うさがあるのだと、余暉は感じていた。
それが吉と出るか凶と出るかがわからないのが、とても怖い。彼女の勘の良さと頭の良さ、そして好奇心はただものではない。
「……また、癖の強い子が来ましたネ……」
「本当にな……」
ゼウスは心底呆れたように笑った。




