賢者の試し〜ラスト〜
「…」
疲れた。
もう、動きたくない。
私は四股を投げ出して、ぐにょぐにょとした地面に寝転んだ。
念のため、先ほどの【老いる命】の早送り現象についてゼウスに聞いたところ、私が最初に見た若々しい夫婦の方が虚像…つまり映像で、醜い老夫婦の方が現実なんだそうで…。
つまり、最初から私は幻覚を見せられていて、空中に浮かんだ時計が進むにつれ、現実を捉えることができるということらしい。
いずれにせよ、寿命が大分縮んだことには変わりない。いや、元から生きてるか微妙な存在ではあるけれど。
チュンチュン、チュンチュン。
バサバサバサッ。
「あ、また」
鳥の羽音と、今度は鳴き声まで聞こえてきた。
四股を投げ出して仰向けになっているわけだから、木々の隙間から鳥が見えたっておかしくないのに。
そう。ここに来てから、全く動物に合わない。それが謎だった。
私が今まで見た人は皆「生身の人間」であることに間違いない。いやっていうほど、その人たちが死にゆくのを見てきたのだから。
なのに、この森…。ゴムのように曲がる木や、方位を示すために用意した果物たち。そしてガラスでできた葉っぱ。
果物は触った時の感触は本物だったのに、先程中身を割ったら、中に何も入っていなかった。つまり、本物の果物ではなかったのだ。
これ、どういうことなんだろう。
ここはゼウスの結界なのに、ところどころ完璧ではないところがある。
何か意味があるのかな?
意味があったところで、今回の試験には直接関わらないけどさ…。
でも、何だか気持ち悪い。
この、違和感がとても重要な何かを示している気がして。
私はかぶりを振ると、渾身の力で立ち上がった。歩き回った脚はガクガクと笑っていて、口からは荒い呼吸が出ている。
それでも、制限時間があるし、まだ私は解を見つけてはいないから。だから、進まないといけない。
歩く…というより、引きずると言った方が正しいのかもしれない。
私はズルズルと、だけど確かな意思を持って、最後のエリアへと向かった。
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「…あともう少し!ほら、頭見えました!いきんでください!頑張ってください!」
ハッと目が覚めると、私は真っ白な空間の中に立っていた。
いや、真っ白というほどでもないか。
白い空間だけど、ところどころ銀色や、クリーム色が見える。すぐにそれが、医療器具や、カーテンであることに気づいた。
北エリアに足を踏み入れた途端、何故か意識が飛んでしまったが、なんとなくどのような場面かは理解できる。
ここは病院で、そして、今まさに分娩の真っ最中らしい。
後ろ姿しか見えないが、分娩台に黒髪の女性が座っていて、助産師が慌ただしく動いていた。顔はよく見えないけど、女性の夫らしき人が、ぎゅっと祈るように手を組んでいるのが、印象的だった。
ここも、東エリア同様、誰も私には気づかないらしい。
こんな汚らしい格好の人が分娩中に入るなんて、医療現場からしたら絶許モノだろうに、誰も私を見ないし目も合わない。
まぁ。今更突っ込む気にもならないよ。
今まで荒地、路地裏、砂漠、庭ときて、いきなり現代的な病院に場所が変わったとしても、ね。時間も空間も、ゼウスのフィールド内では何の意味も持たない。
【生まれる命】っていうくらいだから、てっきり、生きているから死ぬのが怖い…生死は常に隣り合わせ…のようなことを説かれると思った。
だけど素直に【生まれる命】を取り上げるなんて、ゼウスにしては捻くれていないのだなあと。そんなことを思っていた。
しかし、何気なく分娩台に近づくと、私は絶句した。
足から力が抜け、へたり込んでしまう。
なんとか足腰を立たせようと、咄嗟に分娩台の手すりに捕まるが、女性の手をすり抜けて手すりに捕まることにわずかに戸惑いがあった。
だって。
分娩台の上の人物は、一生会えないはずの人物なんだから。
賢く聡明だったけれど、体が弱く、私が中学生に上がる前に短い生涯を終えた…。
「母さん…」
私は、母と死別している。
と、今なら冷静に言えるけれど、当時はそれはそれは悲嘆に暮れた。
母は突然死だったのだ。
優秀ゆえに仕事を押し付けられ、弱い体に鞭打って働き、心臓に異常をきたして一晩で亡くなった。
母親は、誰にだって亡くなったら悲しいものだとは思うけれど、私はとりわけ母に構ってもらったし、母のおかげで生きているようなものだから、彼女が死んだ時は生きた心地がしなかった。
いけない。辛いことを思い出したところで何も生まない。
干渉もできないのなら、私にできることは見守るだけ。それでも、苦しそうに叫ぶ母を見られなくて、目を逸らした。
早く終わって、お願い。
手に汗を握った。
母が何故【生まれる命】エリアに選出されているのか。その理由は知らない。
けれど、生きている母をまた見ることができるなんて。そう、きっとこれは夢なんだって。
そう言い聞かせないと、私はここから動けない。母が恋しくて、少しでもいいから話してみたくて。
だけど多分私がまだ生まれてない時の母なんだろうから、驚かせちゃうかな、とか。
そんな、浮ついたことばかりを考えて、頭がこんがらがっていた。
そんな私の耳に、突如弱々しい赤ん坊の泣き声が入った。そのあと、すぐに助産師の嬉しそうな弾むような声が。
「おめでとうございます、風間さん!女の子ですよ」
「……あ、は、はい」
母の髪の毛はボサボサで、顔も真っ赤。助産師に声をかけられても、しばらく惚けたように宙を見て呼吸を整えていた。
そのあとすぐ、私の父が入ってきて、母の髪の毛を手櫛で直してやりながら、何度も感謝の言葉を母に述べた。
「ありがとう、千花。本当に、ありがとう」
いつも冷静な父が、顔を大きく歪ませて、肩を震わせて泣いている。
そんな父を見ていると、なんだか、胸の奥が締め付けられるような感じがした。
なんだろう、この気持ち。
父の新たな一面を見たというか。それとも、私が見てこようとしなかっただけで、本当は結構涙もろかったりするのかな。
モヤモヤはしたけれど、決して嫌な気分ではない。むしろ、なんだか胸が暖かくなるような。そんな気がした。
そして、もう気づいた。
私には兄がいるけれど、今生まれた子が女の子っていうことは、これは私の生まれた記憶なのだろう。
私。今、どういう扱いになっているんだろう。
宇宙にやってからもうそろそろ2日経とうとしている。
非行どころか、外泊すらしたことのない私が無断で家を空けていることに、さぞかし家族は心配しているかも。
父のことも、兄のことも、好きでも嫌いでもなく、どちらかといえば苦手だった。
そして、父も兄も、私のことを快く思っていないと感じていた。
気持ちはわかる。生意気で偉そうで、可愛げのかけらもない娘や妹を、好いてくれるなんてよほど物好きだ。
だから、私は母が恋しかった。
女親がいてほしいという、思春期らしい思いもあるけれど、母は多分私のことを好いてくれていたから。だから、私はきっと、私のことを理解して愛してくれる人が、欲しかったんだ。
母に赤ん坊の私が手渡される。
母は疲れた目に光を灯して、生前も見たことないような、満面の笑みを浮かべた。
母がしばらくして父に赤ん坊を手渡すと、父は、恐る恐る赤ん坊を抱いた。
その不器用で、けれど壊れ物を扱うように優しく優しく包み込むように私を抱いて、また涙を流す。
笑う母と泣く父。
対照的だけど、私の誕生を心から歓喜しているのは共通していた。
「千早くん。その子の名前、決めないと。呼びにくいもの」
「えっ」
「ふふ。私知ってるんだから。千早くん、めちゃくちゃ名前考えてたでしょ。生まれた子の雰囲気に合わせて名付けようと決めていたけど、でも、あなたが考えた名前を聞きたいわ」
母が目を細めて父を見た。
父は戸惑っていたけれど、すぐに微笑んでこう言った。
「千鶴、かな」
「へえ…ちづる、か」
「うん」
何度か口ずさんで、母は満足したように頷いた。
「…うん。上品だし、響きもいいし、鶴は縁起もいいわね。お兄ちゃんも千が付く名前だし、兄妹で揃えるのもアリね。でも、何故千鶴にしたの?」
それは不満からくる疑問ではなく、純粋に名前の由来を知りたいといった風だった。
父は母の反応にホッと息をつくと、語り出した。
「それはー…」
私の瞳から、ひとすじの涙が流れた。
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「ゼウス。終わりました」
私はそう呟くと、森はユラユラと揺れ、そして弾けて消えた。
ここに来た時のような眩しいフラッシュはなく、穏やかな気持ちで先ほどの会議所に戻った。
「ご苦労だった、千鶴。だいたい8時間くらいだったか」
「8時間と10分だ。時を司るくせに、曖昧な時間感覚だな」
サターンがジロリとゼウスを睨むと、マーキュリーが慌てたように止めた。
「まあまあ。あたし達は休み休みだったけれど、ゼウスはずっと千鶴ちゃんを監視してたのよぉ?」
「ふふ。でも結構楽しめたわ。マーキュリーだって、楽しかったでしょ?」
「楽しくなかったとは言わないわぁ。でも、千鶴ちゃんのご両親の記憶を最後に見せたのはどんな意図があるの?」
ゼウスに注目が集まる。
ゼウスはニヤリと笑うと私に言い放った。
「人間はなんだかんだ“自分”に興味があるんだよ。赤の他人が生まれることに、感動はしても実感は湧かないだろうからな」
私はジッと黙っていた。
「千鶴。答えはもう出ているのか?」
「はい」
「なら、聞かせてもらおうか。東西南北…生老病死。千鶴は何が一番怖いと感じた?」
私は大きく息を吸い込んだ。
ここで認められなければ、私は終わる。
今まで受けたどの試験より緊張する。お腹が痛いし、冷や汗が気持ち悪い。
でも、言わないとダメだ。
私がずっと考えて、そして導き出した結論。
「私は、生老病死のどれもが恐ろしく、そして怖いものだと感じました」
「…ふん。こりゃ、期待はずれだな」
「うーん。結局千鶴は結論が出なかったってことかな?」
アレスが鼻で笑い、アポロンは苦笑いした。
でもそんなの気にしない。
「…けれど。生老病死はどれも怖いけれど、最も怖いものは人の価値観でした」
ウラノスがほぉ、と息をついた。
「ゼウスは、こう言いましたよね?何が一番恐ろしいかを考えろ、と。つまり、方角を1つに決めろとは仰っていません」
ゼウスの唇が愉快そうに弧を描いた。
「東では、容姿が醜くなることで、人間性を失ってまで美しくなりたいと願う人がいました。そして、私はその人が理解できませんでした。だって、私は老いることを恐れてはいない。…まだ私は子どもだし、老いることたは無縁です。でも、人を襲ってまで自分が美しくなろうとするその価値観は理解ができない!到底…!」
忘れられない。
私を襲ってきたあの老夫婦の、恐ろしい形相。あんなに若々しく穏やかな若夫婦が、かつての容姿を取り戻すために、殺人未遂をしたこと。
あの2人にとっては、老いることとは害でしかなくて、マイナスにしか捉えていないのだ。
あの時はそんな余裕なかったけど、あの2人は少なくとも老いることを恐れていた。
老父にシューズをぶつけたため、靴下だけの左足が、ずくりと痛んだ。
「西は、生きることへの執着を一切捨て、来世にしか希望を見出せていない人達がいました。彼らの要求は実に様々でしたが、どれも他力本願でした。私はそんな彼らに呆れて、哀れだとも思いました。……だけど、来世に希望を見出すことの何が悪いと問われると、私は何も答えられません。だって、悪くはないんですから。……まぁ、良くもないのかもしれませんが、特に死に際の人なんて、現世に希望を見出せなくても、全然おかしくないのに。なのに私はあの時彼らの気持ちが理解できず、苦しみました。私が彼らの価値観を欠片でも持っていたなら。そうしたら、彼らの来世でも幸せを、心から願えたのにと、思いました」
生きている限り、人間に必ずやってくるのは死である。
それを回避できない立場にある人の気持ちを、私は知っていてもおかしくはない立場なのに、なのに理解が及んでいなかった。
私の場合、交通事故だったので、何が起こったか理解するのに精一杯だったのに対し、病者などは時間がある。だからこそ、恐怖も強いものだと思う。
「南は、流行病が蔓延していました。原因は良くわからず、また医療知識があまり無い私にとって、無力感を感じさせました。……そこでも、価値観の相違を感じました。とても不潔でジメジメとした場所であったのに、そうは思っていない少女がいました。私は彼女に、『汚い』と伝えました。でも、彼女は先述した通り、汚いとは思っておらず、病の蔓延したその地に、母親と残ろうとしました。
もし彼女と、その母親が、もっと良い環境にいたのなら。衛生観念の水準が高かったら。もしかしたらあの病は流行らなかったのかなぁと。私は、汚い場所を汚いと思えるほど、今まで綺麗な環境に生きてきたのだと、そう思いました」
概念の相違が、あの病を生み出して流行らせたのだとしたら、それは地球に居た頃にも良くあったことだと思う。
例えば貧困国では流行るのに、富国では流行らない病があるのはどうしてなのか。
もちろん、地理的環境的要因が強いけれど、私たち日本人には考えられない習慣や価値観ゆえに引き起こされたものも多いんじゃないかなって。
そして……。
「私は、今まで正直父が苦手でした。なんというか、合わない感じがしました。……母が死んでからというもの、父は仕事ばかりで、あまり構って貰えなかったというのもあるし、社交的で明るい人でしたから、私よりも兄の方が父に好かれているように感じていました。……でも、北エリアで見た私の両親の姿を見て、私は望まれて、生まれてきたのだなと実感しました」
「……それは、貴様の言う『価値観の相違』とやらに関係のある話か?」
ネプチューンが、深い海のような色の瞳で私を見つめる。
「はい。……だって、あの映像だけで、私は今、家族に会いたくて、仕方がないですから……っ」
瞳から涙が溢れた。
自分でも戸惑ってしまう。私は事故の時、誰よりも由梨のことを考えていた。
それは由梨の方が、あの時は誰よりも好きだったからだ。私は、家族の気持ちを考えなかった。
それどころか、私がいなくなっても、そこまで悲しまないだろうと考えていた。
なんでそう考えていた?
今まで虐待も拘束もなく、比較的自由にさせてもらっていたのに、私は文句ばかりだった。私は勉強ができるから。何を言ってもそれで差し引きゼロでしょ?なんて、考えていた。
でも、両親の祝福を確かに受けて生を受けた私は、誰よりも幸せだった。
どうしてそんなことに気づかなかったんだろ。
「千鶴ちゃん……」
「……すみません、取り乱してしまって。……でも、あの映像だけで、今までの頑なな価値観はあっという間に壊されました。私自身、こんなわずかな出来事であっても、心を大きく揺さぶられました。……私はそんな自分が怖い。自分は、簡単に影響されるし、考え方も簡単に変わってしまう。…だから、昔と、今の自分の価値観の相違は、怖いと感じました」
前を向いた。生暖かい風が、耳を撫でてすり抜けた。
涙を拭き取りながら、私は多分、イレギュラーな答えを出してしまったのだろうと思った。
優等生な解答をするつもりだったのに。なのに、頭ではなくて、心で考えてしまった節がある。
でも、それでも精一杯出した答えだ。
「私からは以上です。…ジャッジ、お願いします」
ゼウスの表情からは、感情は読み取れない。ただ少しだけ、目を見開いているように感じた。
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ふわりと、後ろから毛布がかかった。
緊張で冷え切った体には、その毛布の暖かさが沁みた。
「…余暉さん」
「チヅル!お疲れ様!」
満面の笑みで私の手を取ると、余暉さんはブンブンと振り回す。
「凄かったヨ、チヅル!これから、よろしく!」
よろしく、と言った余暉さんの瞳に、どこか悲しさが見えたのは、言わない方がいいか。
多分彼は私を歓迎してくれている。彼が少しだけ悲しげに見えるのは、私ではない誰かに想いを向けていると感じた。
「あ、ありがとうございます」
そう。私は、星天師になった。
今は神々の集会が終わり、談笑をし合っていたり、帰ったりと、神様も自由にしている。
足が強張って動けなくなってしまったので、床にへたり込んでいたら、後ろから余暉さんが声をかけて今に至る。
ジャッジはというと、ゼウスが30の、他の神様が10点ずつで、ゼウスが28点、マーキュリーが10点、アフロディーテが9点、アレスが6点、サターンが8点、ウラノスが10点、ネプチューンが9点、アポロン10点の、合計90点でギリギリだった。
特に講評などはされなかったけれど、私がこれから仕えるウラノスが満点をくれた事は、かなり嬉しい。
反対に、アレスはあまり私のことを評価していなかった。抽象的だ、とか、逃げの解答だとか。まぁ、気持ちは分からなくもないんだけど。そのあとでマーキュリーが、「気にしないでね。アレスちゃんっていつも新しい子に厳しいのよぉ」とフォローしてくれたけど。
「でも私、かなりギリギリでしたよ」
「90点って、普通に考えたら、めちゃくちゃ厳しいネ」
「そうなんですか?」
「うん!チヅルみたいに、実力で認められる人って、結構珍しいんだヨ!」
「そういうもんですか」
気がつけば、神様たちはゼウスを残していなくなっていた。
「…ねえ、余暉さん」
「ん?」
「…雲中白鶴というお言葉、ご存知ですか?」
「…ごめん、分からないヤ」
「世俗を遠く超えた、心が清らかな人を指す言葉みたいです。気高く、立派な人を指すとも」
「…すごい、素敵だネ」
余暉さんは双眸を優しく細めて、前を見た。
「ええ。私もそう思います」
私もまた、前を見る。
『雲中白鶴…。この子は、気高く、清らかに、立派な人になってほしい』
なるよ。
なるように頑張る。
だからどうか、またいつか、会いたいな。
ギュッと拳を握ると、私はゼウスに向かって言い放つ。
「ゼウス様。お話があります」




