表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星天師〜星空の湊〜  作者: 下村美世
第1章 宇宙へやってきた
21/34

賢者の試し②


私はずんずんとリンゴを置いた方向へと歩いていく。目視だと、私が横たわっていた場所から出口までそんなに遠くなかったように思えたが、やはり少々誤差があったらしい。


…あの、結構歩くんですけど。


まあいいよ?道はガラスのような素材でできているから凹凸なくて歩きやすいし。


けれどなんだか距離感がつかめない。


歩き続けること10分にして、ようやく出口が見えてきた。

歩いてきて思ったことがある。

…ここに、動物はいない。



でもさっき確かに聞いたのだ、鳥が羽ばたくような音を。


あれは、なんなんだ?


この先に、誰もいなかったら。

この試験自体、フェイクだったら?


…キッツイよ、それは。


私が神々から歓迎されてないのは見て取れるけど、それでも、それなりの理由すら教えてもらえないのは流石にひどくない?


私は怯えつつも、足を踏み出した。


「…っ、眩し…!」


つんざくような白光に包まれ、そして景色がパアッと広がった。


「…え?」


とんでもない汚臭が私を襲った。


森の外に広がっていたのは、市場らしい場所だった。

…ん?でもこれ、市場?…市場、なのかな?


ゴミが排水溝につまり、水がマンホールから溢れていた。

コンクリートで出来た道路は、一度も掃除されていないかのように、泥と得体の知れない液体で汚れていた。


…なんだか活気がない。

パッと見た感じは市場だけど、私の知ってる市場とはかけ離れている。


薄汚いテントが陳列していて、泥まみれの野菜やら干し肉やら売っているみたいだけど、テント主はダルそうに横たわり、道を歩く人もたった数人。みんなマントを深く被っていて、顔がよく見えない。


でも共通して言えるのは、みんな俯いているということと、売り物に誰も目をやらないこと。


肌がゾワゾワした。

なにこの光景…気色悪い。まるで世紀末のような。


パッと空を見上げてみる。

そこには青い青い空と、とてつもなく大きな目が。


タイムリミットは10時間。

単純に考えても、東西南北行かなければならないから、ここには2.5時間いられるはずだけど、こんなところさっさと退出したい。


風が吹いて、先ほどより汚臭が濃くなっていく。


…正直、もう心が折れそうだ。



「お姉ちゃん…」


「え?」


呼ばれて振り返ると、赤いワンピースを着たおかっぱの女の子が立っていた。

毛色は茶で、東洋人の顔立ちをしていた。

あれ?この子はマントを着ていないのね?


どうしたの。すごく顔が青ざめているけど。


「助けて、お姉ちゃん!お母さんが…っ、お母さんが大変なのっ!」


私はグイッと腕を引っ張られる。


「ちょ、ちょっと!?困るんだけど!」


口ではそう言うけど、この腕を振りほどけない。

だってこの子、凄い悲しそうな顔で、か細い力で私を引っ張るんだよ?


…いつもの私ならガン無視するかもしれないけど、これも試練に関係があることだと思うし、何よりこんなに弱ってる人を流石に無視できない。そこまで人間として終わってはいない。



女の子は私を市場の路地裏につれてくると、小さな小さな民家の前に立った。

腐りかけた木造の住居で平屋、扉付近にはゴミが散乱していた。この子の家の人が掃除していないのか、はたまた誰かがポイ捨てしたのかは知らないけれど。

路地裏には、民家が連なっているようだ。

この女の子の家以外にも、同じようにボロボロの小さな家が肩身狭そうに並んでいた。

おそらく、この世界のスラム街といったところか。



「ここ、あたしのお家なの…お母さんが待ってる」


それにしても…。

匂いが一段とひどくなる。

道路には糞尿が垂れ流されていて、蝿がものすごくうるさい。


思わず吐き気を催したが、なんとか胃に力を込める。


「お母さん!人を連れてきたよ!」


女の子が扉を勢いよく開けると、私に入るように促した。


う…あんまり乗り気ではないけど。


私は仕方なく屈みながら小さな扉に入った。


「あ、あのー、おじゃましま…」


そこまで言いかけて息が詰まった。


床に寝そべっている干からびたように細い老女は、白髪はボサボサ、体のいたるところに青アザができていて、正直言って人間の形をしていなかった。肌の色もなんだか黒くくすんで見える。

顔は髪の毛に覆われて見えない。そもそも、…生きてるの?


死体を見るなんて久しぶりだし、私も少し前までは平成生まれの平和な日本にいた女子なわけだから、流石に手が震えてしまう。



「…お母さん、まだ、生きてるよ」


私の反応から悟ったのか、女の子はポツリと言った。


…生きてる?これで?

どちらかといえば、死にかけと言った方が正しいような。


でも、ここで死にかけですね、さようならって去って行ったらダメなんだろうな。多少何か学び取らないと。


天の上から神様が見てるし。あ、これは物理的にね。


「…しっかりしてください!」


私は心を決めて老女の心臓のあたりにソッと触れる。

ドクン…ドクン…と鼓動が手を伝わった。

皮膚が薄くて薄くて、もう少し力を込めたら肋骨が折れるかもしれない。


「貴女のお母さん、なにがあったの?」


女の子は目を潤ませ、そしてエグエグと嗚咽交じりに話し始めた。


「昨日…ごはん食べた後、急に…」


ごはん食べた後?


「え?ちょっと待って。…じゃあ、昨日までは普通だったの?」


「うん。一晩中お母さん魘されてて、朝になったら体がボロボロになっちゃってたの」


食中毒…にしては程度がひどい。

私は理系だけどどちらかと言えばロボティクスや物理に興味があって、生物は専門外だし履修すらしてない。


「町の人たちには相談したの?」

「みんな、いなくなっちゃった」

「へ?」

「この辺りに残ってるの、あたしとお母さんだけ…」

「そりゃまた、どうして」


女の子は涙ぐみながらポツポツと喋り出す。


「みんな、死んじゃったの。お母さんと同じみたいになって、死んじゃった!」


足元がふらっとした。

え?じゃあ待って。お母さんが死んじゃったら、この子孤独になるってわけ?

…孤独になりながらも、生きねばならないなんて、普通の女の子ならたまったもんじゃないよ。


これで大体は絞れた。

このリンゴエリア(と呼ぶことにする)は、恐らく西“死ぬ命”か、南“病んだ命”のどちらかだろう。

方向感覚が掴めてないけれど、この二方向であることは間違いない。


私がすべきことは治療ではなく(というか、治療したくても知識も器具もない)生老病死の何が一番恐ろしいか見極めることだ。


「…あんたは、どうしたいの?」

「えっ?」

「お母さんを救ってここで2人きりで過ごすのか、それとも移動でもする?」

「…お母さんと、ずっとここにいたい」

「こんな劣悪な…ひどい環境なのに?」


女の子は目をパチクリとさせた。


「え?」


その瞳は、困惑をにじませていた。

彼女は、何に対して困惑している?


「流行病か何かは知らない。でも、市場に活気がないのもここがものすごく汚いのも、流行病で街が退廃としているなら納得。店を構えていた人たちも実は死んでるとか余所者の可能性あるしね」


「ここって、…汚いの?」


はい?

そりゃ、汚いよ。不潔だよ。

しかも、度を超えて不潔だよ?


「汚いよ、すごく」


ストレートに伝えてやった。


「…あたし、そんな風に思ったことなかった」


あ、と思った。

退廃した街というわけではなく、元からこんなに汚いのだ。

ならば流行病は外部からもたらされたか、あるいはこの不潔さゆえか。

どちらにしろ、この子にとってこの環境は当たり前なわけで。



今、私は“恐い”と感じた。


この子にはこの街が半端なく汚いという概念はない。だから、病気が不潔さゆえに引き起こされたという考えを捨てているのだ。


ここに残りたいというのは、そういうことなのだろう。



ここまで病気をテーマにしているんだから、りんご方角は“病んだ命”…つまり南となるとは思うけど、私は病気が怖いというより、自分とこの子の育った場所の差異に肝を冷やす。



…私は、恵まれていたのだな。



器具も検査機器もないから、この子の母親を助けることなどできないし、ここはゼウスが管轄している空間だから、彼女も創造物なのだろう。助ける必要はないのかも知らないけど、私にしてはお節介な一言を放つ。



「…ここから逃げな」


「え?」


「ここの環境が、病気の原因である可能性は高いよ。それに、もっと外の世界を見たほうが…」



口をつぐんだ。


…私が言えることじゃない。

私だって、偏屈な思考を持っていたじゃないか。


私はたまたま恵まれて、幼い頃はほぼ無菌状態の綺麗な環境で過ごしてこられたけど、自分自身が恵まれていると感じる機会は滅多になかった。


…これは、とても偏屈なことだと思う。

由々しい事態だとも思う。


「お姉ちゃん?」


「…ごめん。なんでも、ない。…あと、私には無理だよ。あなたのお母さん、助けられない」


「そんな…」


「私は医者でもなんでもないの。…ごめん」


無力さを噛み締めながらも、私は心のどこかで、彼女の母親を助けてやりたいと感じた。

もしも論は嫌いだけど、もしも星天師に無事なることができたら。


その時は、医学も学んでおこう。

だから、…許して。



私は踵を返すと、扉を開けて外に出る。


「お姉ちゃん!?」


「ごめんなさい…ごめんなさい!」


走る。

運動神経皆無だから鈍足だけど、それでも力の限り森の入り口へと走った。


大した距離ではなかったけれど、運動不足の理系をなめないでほしい。あっという間に女の子に追いつかれそうになる。



「見捨てるの!?ひどいっ!」


や、やめろ…。

そんなこと言われたら、振り返りそうになる。



「この人でなし!人でなしぃ!!」



ズクリと胸が痛んだ。

救う気持ちがあっても、行動に移さなければ見捨てたも同然なんだ。



…いいよ。私を非難しなよ。

だけど無謀なことをしようとするほど、私は無責任な人間ではない。




息がゼエゼエとし始めた時、ようやく森の入り口に差し掛かった。



「お姉ちゃ…!」


女の子の叫び声が、途端にシャットダウンした。

クルリと振り返ると、さっきまで出入り口だった場所が葉っぱで覆われていた。自然のシャッターみたいな感じ。



「…はぁー…しんど」


私はどかっと座り込む。

これ、体力的にもメンタル的にもボコボコにされそう。


「…私、結局何もできてないじゃん」



でも学べただけ、まだ意義はあったかも。

“病気蔓延”はすごく怖いけれど、“見識不足”というのはそれをはるかに超えて怖い。


自分の力不足というのも、悔しい。


とりあえず、ゼウスからの課題は生老病死の中で最も怖いものだから、病は消せるかな?最も怖いとは感じなかったし…。

まだ全部の方角を見れていないから相対的に判断するしかないんだろうけど…。




あーもう、前途多難だわ!!


ネタバレというか、ご存知の方も多いと思うので触れておきますと、千鶴の課題は仏教を設立した仏陀がまだ出家していない時に触れた“生老病死”…すなわち「四苦」の概念を基にしております。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ