第四章 ―新米魔術師の一日―
懐かしむ機会も減りました
今の日々は新鮮で
貴女と過ごした日々が色褪せていくようです
また貴女を訪ねる時には
心からの笑顔を見せることが出来るでしょうか
三月も終わりが見え始め、初頭では寒さに震えていた往来も随分と楽になりました。難点を挙げるならば風が強いことくらいでしょうか。
ルンペン氏の事件以来、過激派改め結社の方たちの動きはないそうです。
総会まで無用な損害を出したくないという意図があるのだろうと、協会も警戒を強めており、水面下での緊張は高まっています。
総会の詳しい日取りは聞いていませんが、そう遠くない内に衝突するのでしょう。
「そういえば、師匠は総会に出るんですか?」
考えている内に気になり、壁際に腰掛けて本を読んでいる師匠に訊ねました。
質問に対して師匠は、本から目を離さずに腕を横に伸ばして下を指差しました。その指先は仄かな光を纏っており。
「お仕置き」
ごぉん、と鐘を突いたような音と共に、頭頂部に強い衝撃が襲いました。
「う、にゃあ……」
思わず猫のような呻き声を出してしまいました。頭、へこんでないですよね。
「集中しろと、何度言えばわかるのかな。君は雑念が多すぎるよ」
依然として本から目を離さず、どころかページをめくりながら、師匠は言います。
「明鏡止水の境地に至れとまでは言っていないんだ。ほんの数時間集中しているだけのことが、どうして出来ないんだい?」
「師匠は時間の概念が狂ってるんですよ。普通の人は十二時間を『ほんの』なんて言いません」
今私が行っているのは、座禅のような修行です。
師匠の描いた魔法陣の上に座って、自身の血の流れを想像しながらひたすら集中するというものなのですが、ノルマとなっている時間が異常なんです。
十二時間って、本職のお坊さんでもそんなにやりませんよ。
「君はただでさえ出遅れているんだから、常人と同じ感覚でやってたら大成しないよ?」
「少しは休憩を挟みましょうよ。足が固まって痛いです」
長時間座ったまま体を動かさないと、怖い病気になることもあるんですよ?
「痛みを越えた先に悟りの境地があるらしいし、がんばれー」
「………………」
棒読みの応援に、ますます心が折れそうです。
……おなか空いたなぁ。
結局その後も、何度も師匠のお仕置きを食らいながら、半日というノルマを達成して苦行から解放されました。
「あうぅ……」
足どころか体全体が凝り固まってしまって、床に倒れたまま動けない私の体を、師匠が踏みつけてきました。
「なに、してるんですか……」
「いや、ほぐしてあげようと思ってね」
「……新しい折檻かと思いましたよ」
背中を踏んだ爪先でぐにぐにと、マッサージらしき動きをする師匠ですが、そういうことは行動に移す前に言ってほしいものです。
「頑張った子は労らないとねぇ」
「労る前に食事をいただきたいのです、がっ」
ゴキッて、今ゴキッて鳴りませんでしたか!
「ああ、夕食の用意しなくちゃね」
何事もなかったかのように会話を進めないでくださいませんか。貴方の足下で弟子が涙目になっていますよ。
たまに思いますが、師匠って私の扱い雑ですよね。
「……師匠は、私をなんだと思っているのでしょうか」
「はっはっは」
何故笑いましたか。
「さっきの質問だがね」
リビングに場所を移し、珍しく師匠が腕を振るった夕食に舌鼓を打っていると、ふいに師匠が喋り出しました。ちなみに師匠の料理の腕は中々のものです。どうして私に食事の用意をさせているのでしょうか。
「僕は出ないよ」
何の話かと首を捻っていると、頭の中に女の子の声が響いてきました。
『総会に出るのかって聞いたでしょ。あれよ』
声の主は先日正式に契約した水精――紅茶ちゃんです。紅茶ちゃんは師匠に叱られて以来、よくこうして話し掛けてきます。
「ああ、あれですか……って、かなり時間差のある返事ですね」
「公私の区別はつけないと」
『忘れてたに決まってるわ。アイツ、若く見えてもジジイなのよ』
「ぷっ」
紅茶ちゃんの陰口に、思わず吹き出してしまいました。確かに、師匠はかなりのご高齢なはずなんですよね。
私の妙な反応に、師匠は少しだけ目を細めはしたものの、咎めることなく会話を続けます。
「まず呼ばれていないし、もし呼ばれたとしても総会の日は用事があってね」
「用事ってなんですか?」
出掛ける師匠というのは、想像しがたいです。年がら年中引きこもっていても不思議ではありません。
「極極個人的な私用だよ」
話す気はない、ということでしょうか。まあ、無理に聞く気もないので構いませんが。
「あれ。ということは、私は当日お留守番でしょうか?」
実家通いなので、正確にはお留守番と呼べるのかどうか疑問ですが。
「なっちゃんの好きにすればいいよ。君の家で大人しくしているのもいいし、ここで大人しくしていてもいい。あとは総会に行ってみてもいいんじゃないかな」
「総会って、そう簡単に参加出来るものなんですか?」
「いいんじゃない?君の弟も出るみたいだし、一人二人増えたところで問題はないだろうさ」
『適当ね』
「適当ですね」
ハモりました。
最近分かったことですが、どうやら紅茶ちゃんはお喋り好きかつ人見知りのようです。私からの返事はなくとも一人で喋っていますし、見知らぬ人が近くにいると黙ってしまいます。強気な態度とは裏腹な性格のギャップが可愛いです。
「ま、君の父親としては、参加してほしくないだろうがね」
「……襲撃されるだろうからですか?」
「君は足手まといだからねぇ」
「もっとオブラートに包んで言ってくださいよ……」
傷つきやすい年頃なんですよ?そんな直球を投げられては、死球になってしまいます。
「じゃあ、君がいない方が守りやすい」
「………………」
包み紙を取り替えただけで、ほとんど同じじゃないですか。
「師匠はなんというか、適当過ぎると思います」
「適当な方が、世界は回るものだよ」
ははは、と笑っていますが、意味が分かりません。
『まともに取り合うだけ時間の無駄よ。あいつは人を煙に巻くのが好きなんだから』
本当に、その通りですね。
食事を終え、私は師匠と別れて一階の空き部屋へと向かいます。
実は先の一件の後、お父様から苦情が届いたんだそうです。
『真面目にやらないなら監視をつける』と言われ、師匠は仕方なく私をこの家に住まわせることにしました。当然、私にはなんの断りもなく。
なんの脈絡もなく「今日からここに泊まること」などと言われた時には、もう本当に声も出ませんでしたよ。
そういう成り行きで私の私室となった空き部屋に入ると、すぐにベッドへと向かいます。
疲れたので早々に就寝……というわけではなく、用事があるのはベッドの側に置いてあるたらいです。
ペットボトルに入れてあった川の水をたらいに注ぎ、二リットルのペットボトルが空っぽになったら、師匠に貰ったナイフで指先を切ります。
血がたらいに落ちたのを見計らい、傷口に絆創膏を貼って塞ぎます。
「やっぱり、自分で自分を傷つけるのは慣れませんね」
『生存本能ってやつね。ま、自傷行為が快感になるよりはマシじゃない?』
水が盛り上がり、紅茶ちゃんが姿を現しました。
前に訊いたところによると、この紅茶ちゃんは他人と会話するための分身のようなものなんだそうです。本体は私と同化しているので、こうして血を媒介にしないと分身を作り出せないんだとか。
『アンタがもっと成長すれば、血じゃなくても出てこれるんだけどね』
「未熟者で申し訳ないです」
軽く頭を下げると、紅茶ちゃんは上機嫌に鼻を鳴らしました。彼女は基本的に、こちらが低姿勢だと機嫌がよろしいのです。
『まあいいわ。この体も大きくなってきたし、進歩は認めてあげる』
そう言う紅茶ちゃんの体は、一寸法師のようだった一週間前よりも幾分か大きくなっており、二本足で立ったプレーリードックよりは背が高くなりました。目算ですが。
せっかく褒めてくれているのに、下手に藪をつつくようなことはせず、私は夜の修行のためにたらいの前に正座します。
『それじゃあ、まずは三本から。三角形』
たらいに手をかざして集中します。
たらいの水には既に血を混ぜてありますし、紅茶ちゃんのサポートもあります。
「――――――」
軽く息を吐いて、少しずつたらいの中に水柱を作り育てていきます。紅茶ちゃんの背の高さ辺りにまで、三本の水柱を形成すると、紅茶ちゃんから次の課題が。
『水柱は固定。渦三つ追加。一辺に一つ』
昼の修行が基礎能力を向上させるものだとすると、この修行は技術力の向上を目的としています。
魔術を起こすには、土台になる魔法陣と骨組みとなる詠唱、それら術式に肉付けする魔力が必要になります。高位の魔術師ならば、魔法陣を用意せずとも詠唱だけで魔術を起こすことも出来るらしいですが、まだまだ新米の私には無理です。
今回の場合は術式に必要な魔法陣は紅茶ちゃんが担ってくれていますし、ただ水を動かすだけの作業なら、血の補助で詠唱も省略できます。自身の血は、一番使い勝手の良い媒介となります。
必要なのは、集中力です。
配分を間違えるとすぐに力尽きてしまうので、与えられる課題をいかに少ない魔力でこなしていくかが成功の鍵となります。
『渦固定。水柱三つ追加。逆三角』
『水柱固定。全固定継続しつつ水流変化。時計回り』
『水流固定。一分待機』
と、どんどん追加される課題をこなしていくと、ふいに意識が遠退く感覚に見舞われました。
「ふあ……」
私が横向きに倒れると、固定していたたらいの水が音を立ててあるべき姿に戻っていきました。魔力切れです。
紅茶ちゃんの分身も水塊に戻り、お出掛けしていた意識が私の中へと帰ってきました。
『おつかれ。やっぱり全体を動かしながらの一分はキツいみたいね』
魔力切れによる疲労で倒れた体をなんとか起こし、紅茶ちゃんの寸評を聞きながらベッドに向かいます。
「紅茶ちゃんも、師匠に負けず劣らずの鬼教官ですよね……」
『こんな可愛い子を捕まえて鬼ってなによ。ていうか、手加減してたら伸びるものも伸びなくなるじゃない』
「まあ、そうなんでしょうけど」
あなた方の場合、本当にギリギリを攻めてくるじゃないですか。
『とにかく、今日はもう寝なさい。どうせ明日も難題吹っ掛けられるんだから』
「……吹っ掛ける本人が言いますか」
『無理がつかないだけマシでしょ?』
「………………」
やっぱり紅茶ちゃんも鬼ですよ。




