第一章 ―関係者以上初心者以下の新人魔術師―
――女の子ってなんでできている?
――砂糖と香辛料、あと素敵なものみんな
私には何かが足りません
砂糖ですか?
香辛料ですか?
それとも素敵なものみんなですか?
足りていないのは分かるのです
足りているものは分かりません
世界は狂ったオルゴール
私は今日も、欠けた世界で踊ります
「うー、寒いー」
三月に入ったにも関わらず、北風は冷たい息を吐き続けています。近くに服を脱がせたい旅人でもいるのでしょうか。
本当なら昨日の卒業式以降、数日間ほど私の体は自宅の炬燵でぬくぬくと、それはもう猫のように丸くなっているはずなのです。
それなのに、何故このような寒い思いをしているのでしょう。
それは……そう。昨日、卒業式から帰宅したあとのことでした。
私こと水川渚は、魔術師の家系という珍しい家に生まれました。といっても、父の話では私が気付いていないだけで、日本にもそれなりの数の魔術師が暮らしているとのことです。
まあ、それでも私の身近には少ないでしょう。ここ讃岐の地はどう取り繕おうとも、紛れもない田舎です。見たことはありませんが、東京などと比べることすらおこがましいでしょう。だって山しかありません。景色が良い場所が多いので不満は無いのですが。
それはそれとして、私の体は父の書斎の前にあります。いつもは多忙で、週に二日か三日家に帰れるかどうかという我が家の大黒柱ですが、今日は珍しく、事前の連絡もなく帰宅しているというのです。弟に「帰ってきたら書斎へ来るように」と言伝を残すくらいですから、私の卒業に合わせて何らかのお話があるのでしょう。
まだ中学を卒業したばかりですが、もしかすると縁談を持ってきたのかもしれません。父は立場のある人間ですし、そういうこともあるのかなぁ、と幼い頃から思考の片隅にありました。
出来れば自由恋愛をしてみたいのですが、駄目でしょうか。初恋もまだな未熟者には高望みなのかもしれませんが。
「お父様、渚です」
「開いている、入れ」
ノックし、許可を貰ってから入ります。父からは呼び方も態度も堅苦しいとよく言われますが、母の教えが身に染みこんでいて改善する気がしません。三つ子の魂は偉大です。
部屋に入ると、白髪の目立ってきた大きな背中が私を迎えてくれました。仕事中だったようです。
「座って待っていろ」
「はい」
ソファーに腰掛けつつ、壁一面の本棚に目をやります。日本史、世界史、神話に童話、果てはライトノベルまで。父自身が公言して憚らない通り、雑食極まりない羅列が続いています。もしこの部屋が二階にあったら、恐らく私は床が抜けてしまわないか心配していたかもしれません。そのくらいの量があります。
私が本棚を見つめて時間を過ごしている内に区切りがついたのか、お父様が筆を置いて私の方へ向き直りました。
「待たせたな。まずは卒業おめでとう」
「ありがとうございます」
「お前も思い出に浸りたい気分ではあるだろうが、緊急の案件が出来た。明日以降の予定はあるか?」
緊急の案件と私の予定がどう関係するのかと僅かに首を捻りましたが、見栄を張るような意地も無いので素直に、何も予定はないと告げました。
「そうか。なら問題ない。――先に言っておくが、これから話すことは決定事項だ。意見は認めるが拒否は許されない」
「はぁ」
珍しい。お父様はなんというか、家族に甘い方なので、このように強硬な姿勢を見せることはありません。緊急の案件とやらはそれほど切羽詰まった話なのでしょうか。
「お前には明日から、私の知人に弟子入りしてもらう」
「弟子入り……」
なんのでしょう、とは続けられませんでした。お父様が口にするような『弟子』には一つしか心当たりがありません。
私の表情の変化に気付いたのか、お父様は小さく頷いて机の引き出しから一枚の紙を取り出して私に差し出してきました。受け取って見ると、何処かの住所のようです。
「そこにお前の師となる男がいる。話は通してあるから、名乗れば相手をしてくれるはずだ」
「あ、あの、どうして急に? それに男性の方なのですか?」
焦る私に、お父様は申し訳なさそうに眉を下げ、頭を掻いて溜め息を吐きました。
「今年、魔術協会の総会が日本で行われることは話したな?」
「はい。その時期にはお父様も東京へ出張することになると聞いた覚えがあります」
お父様は魔術協会日本支部の支部長です。つまり実質上、日本の魔術師を束ねる立場にあります。普段は故郷であるこの地に居を構えていますが、本部などからの来客がある時は首都である東京まで出向き、他国の方との会合に挑みます。近くその場が設けられることは知っていましたが……。
「先日、厄介な情報が入ってきた。総会の為に他国から入国してくる魔術師たちに混ざり、過激派の一団が日本に入ったらしいとのことだ」
過激派とは、穏健派と呼ばれる今の魔術協会を打倒し、今以上に魔術師が認められる世を作ろうとする、有り体に言えばテロ組織なのだそうです。
「万が一を考え、周囲への被害を抑える為に今年の総会は人の多い東京ではなく、ここ香川の地で行われることになった。だがこれには問題がある。こちらが抗戦を考えた会場変更をすれば、過激派もより一層強行な手段に出る可能性がある。人質を取ることに迷いすら抱かないだろう」
過激派は基本荒事も辞さない方針ではありますが、それでもある程度は一般人への被害を抑えようとする傾向にあるのだそうです。お父様の言うように彼らの方針が荒事方面に大きく傾いてしまうと、かなり危険のように思えます。
特に私は魔術師の家系にありながらも魔術の知識は最低限以下程度しかなく、支部長の娘という分不相応の肩書きがあります。過激派の方々が人質をとるなら、私の存在は垂涎の的となるでしょう。
「理解出来たようだな。会場の警備もあるからお前の護衛に人手を割くわけにはいかない。――だがタイミングのいいことに、お前の師となる者が日本に到着した」
「その方に師事しろという流れなのは分かりましたが、汐はどうするのですか?あの子もお父様の息子ですが」
三つ年の離れた弟は、次期当主となるために父に直接師事しているとはいえ、まだまだ半人前だと聞いています。私ほどではないにしろ、過激派の魔術師に狙われないという可能性はありません。
「あいつは私の側に置く。そろそろ水川の跡取りとして面通ししても良い頃だからな」
「ああ、それなら安心です」
お父様の近くに置かれるなら過激派も手を出しづらいでしょう。お父様を含め、その側近の方々は優秀な魔術師です。
「本当なら、こんな急な話にならなかったんだ。お前の教師には中学を卒業して進学の用意が落ち着いたら引き合わせる予定だったからな」
「元から私に魔術を学ばせるつもりだったのですか?」
幼い頃に魔術の勉強をしなくていいのか訊ねた時は「お前に教える気はない」と言われたので、私は魔術師として活動しないものだと思ってたのですが。
「うむ、教師役は私の知人でな。紹介しようにも最近まで行方知れずだったのだ。お前は最初から彼に師事させるつもりだったから、私が手を加える気はなかったんだ」
つまり、私の早とちりだったようです。しかし、ということはその教師の方が見つからなければ私は魔術を学ぶことなく、関係者のまま過ごすことになっていたのですね。
「その教師の方はどのような方なのですか?」
怖い人なら少し嫌です。拒否権はないのですが。
「うむ……。男である、ということしか言えないな。性格はなんというか、変わった方だ」
あ、者から方に変わりました。立場はともかく、お父様的には対等以上の関係みたいです。
「えーと、とりあえず、明日その方に会いに行けばいいのでしょうか?」
「ああ。仕事さえなければついていくのだが、悪いな。流石にそこまで時間は取れない」
「いえ、お父様は私たちの大黒柱です。そう気を使わないでください」
「うむ……、やはり堅いな」
三つ子の魂です、お父様。
息を吐いて手を温め、紙に書かれた住所を見ます。携帯の案内機能のお陰でだいぶ近くまで来たと思うのですが、どのような家なのでしょう。
「あ」
大変なことに気がつきました。名前を聞いていません。改めて見直しても住所しか書いていません。
「…………大丈夫でしょうか」
不安になってきました。名前を知らないことで礼儀知らずと怒られるかもしれません。
『目的地に到着しました』と画面に表示されたのは、先行きに不安を感じてすぐのことでした。住宅地というほどではありませんが、田んぼを挟んで一軒家がぽつぽつと乱立しています。
目の前にある家はそんな風景に似つかわしくない洋風のお屋敷ですが、表札が見当たりません。郵便受けも空っぽ。本当に人が住んでいるのでしょうか。
「んー……」
そう古くもなさそうなのに呼び鈴も見当たりません。気は引けますが、直接呼び掛けるしかなさそうです。
「おじゃまします……」
恐る恐る腰辺りの高さの門を通り、拳を作ってドアを叩きます。
「あの、すいません。水川の者です。父に紹介されて来ました」
…………………………………………返事がありません。
お父様が住所を間違えたのでしょうか。ふと脳裏によぎりますが、とてもそうとは思えずもう一回ドアを叩きます。次は心持ち大きめに。
「すいません!水川の家から来ました!」
「そう騒がなくても開いてるよ。勝手に入ればいいのに。真面目だねぇ」
「へ?」
男性の声がしました。
辺りを見回しても音声が出るようなものは見当たりませんし、ドアの向こう側に人がやってきた気配もありませんでした。どういうことかと首を傾げていると、また、
「早く入りなよ。僕だって暇じゃないんだ」
と催促が飛んできました。
困惑しながらも、ドアノブを捻って屋敷内へと足を踏み入れます。
玄関には靴を脱ぐような場所も靴箱も見当たらず、仕方なく土足のまま屋敷内を歩くことにしました。もし怒られたらちゃんとお掃除します。
「あの、何処に行けばいいのでしょうか?」
屋敷内を反響する声に返事はありません。困りました。待っていればいいのか、それとも勝手に歩き回ってよいものなのか分かりません。教えを乞う立場なので不興を買う真似は出来る限りしたくないです。
どうしようかと迷う私にじれったさを感じたのか、例の声が心なし呆れた口調で話しかけてきました。
「冒険心の無い子だなぁ。まあ、馬鹿みたいに突っ走るよりはマシだけど。どっちが好みかと問われれば前者だしね。――そこ左ね」
もしかして試されていたのでしょうか?
とりあえず十字になっている廊下を左へ進むと、「はい右」とまた指示を受けました。しばらく指示に従って歩いていると、なにやら見覚えのある十字路へと差し掛かります。
「真っ直ぐねー」
「………………」
気のせいかと十字路に立って左を見ると、屋根裏まで吹き抜けになっている玄関がありました。どうやら屋敷内をぐるりと一周させられたようです。
「ふっくくく」
笑いを堪える声に、遊ばれていたことを悟りました。頭に来るものがあり、まだ通ったことの無い方向へ足を向けます。その先にあるのは二階への階段。
「お?」
驚きか感心かよくわからない声を上げ、話し掛けてこなくなりました。恐らくは正解なのであろう階段を上り、二階部分で唯一一ヶ所だけ半開きになっている扉の取っ手を握り締めて、一気に押し開けます。
「はいゴール。ミッションコンプリート。おめでとー」
白々しい拍手で出迎えたのは、まるでゲームに出てくる白魔導師のようなフード付きのクロークを身に纏った男性でした。目元はよく見えませんが、恐らく二十歳前半くらいでしょう。
「貴方が声の主ですか。一発叩いていいですか?」
「はっはっは、元気だね」
何故でしょうか。この人ムカつきます。
「まあ、そう目くじらたてるなよ。適性検査ってやつさ。あのまま馬鹿正直にもう一周するようなら、能無しってことでお引き取り願っていたところだ。よかったね、合格。ひゅーひゅー」
…………ごめんなさい、お父様。私この人嫌いです。
「余興も済んだし、自己紹介でもしようか」
この人、今までのやり取りを余興って言いましたよ。しかも訂正する気なしです。私をからかって楽しいのか、にやにやしている辺りに悪意を感じます。
「僕は木戸藍楽。呼ぶときは師匠で。理由は一度は呼ばれてみたいから」
「きどあいらく……」
偽名?
「で、君は?」
「あ、はい。水川渚です」
「渚ね。なっちゃんでいっか。ミカン味だね」
いきなりあだ名を付けられてしまいました。ミカン味については意味がわかりません。
結局偽名かどうか聞くタイミングを逃した形になり、不完全燃焼気味の私に師匠――不本意ながらそう呼ぶことにします――がいくつか質問してきます。
「魔術を習った、もしくは手を出した経験は?」「ありません」
「料理は出来る?」「あまり手の込んだものでなければ」
「記憶力はある方?」「人並みではないかと」
「掃除の腕はどれくらい?」「普通だと思います」
「運動は得意? 力はある方?」「どちらかと言えば得意です。力は……わかりません」
ほとんどの質問が魔術に関係ありそうでなさそうなものばかり。これにも意味はあるのだろうと、答えられるものは答えていきます。
質問が尽きたのか、師匠は腕を組んで黙考し始めました。
話していて怒気の薄れた私は余裕ができ、改めてこの無駄に広い部屋を見回します。
……なにもありません。
いえ、あるにはあるのですが、隅っこに空の本棚が一つだけです。少なくとも居住空間として使用している感じには見えません。
「よし、決めた」
じっとしていた師匠が手を叩き、「なっちゃん」と私の名を呼びます。
「今日は帰っていいよ。どうやら暇らしいし、朝の八時くらいにまたおいで」
「え、あぁ、はい」
多少意気込んで来たにも関わらず、実質的な顔合わせは自己紹介だけで終わってしまいました。妙な気疲れのみを残し、「ばいばーい」と手を振る師匠に背を向けて家路に着きました。
翌日、学校でもないのに健康的な時間に起き、自分と、登校の支度をしている弟の朝食を作りました。先に食事を終え、入れ違いにリビングに入ってきた弟に鍵のかけ忘れに気を付けるよう声をかけ、財布など最低限の荷物を持って家を出ます。
そういえば、弟はお父様が側に置くと言っていたのに、普段通りに登下校していますね。まだそう警戒する必要のない段階なのでしょうか。
昨日は道に慣れるため徒歩で移動しましたが、今日は自転車に乗っていきます。コートを着ているとはいえ、やはり冬の朝は寒いです。あと一ヶ月ほどの辛抱なのかもですが、春らしい陽気が今から待ち遠しいです。
遠くの山を視界に収めながら自転車を漕ぐこと二五分。目的地に到着しました。
勝手ながら門の内側に自転車を置き、呼び鈴の無い玄関の戸を叩きます。
「渚です。入ります」
昨日の教訓、返事は待たないを念頭に置き、屋敷に入って昨日の部屋を目指します。昨日の口振りからこちらの様子は筒抜けのようですし、もし間違っていたら何か言ってくるでしょう。
そう考えていたのですが、昨日と同じ部屋に入っても師匠の姿はどこにもありません。腕の時計を見ると七時四十八分。少し早いですが許容範囲だと思います。
部屋を見回しても何も無いことは分かっているので、しばらくぼーっとしていると、入ってきた扉の向こう側から「バタン」と扉を開閉する音が聞こえてきました。そしてすぐに私のいる部屋に師匠が姿を表します。昨日と変わらず白いクロークを身に付けています。
「おはよ。早いねぇ。僕の部屋はこの部屋の真正面だから、明日からはそっちに顔を出してもらえると楽かな。――じゃあ行こうか」
「行くって何処にですか?」
すぐに部屋を出ていこうとする師匠を呼び止めます。もう少し理解する時間を寄越してください。
「この家の案内。特に一階部分は危ないからね」
一階は危ないって、昨日私に……いえ、昨日のことは試験だったんですよね。細かいことは気にしないようにします。
早くも複雑な心持ちになりながら、師匠の後を追って階段を降りていきました。
「そういえば、この家って見た目より広いですか? いえ、外見もけっこう大きいんですが、なんというか……」
まずはお手洗い、キッチン、浴室と生活に必要な箇所を回り、次の部屋に行こうとする師匠に気になっていた疑問をぶつけてみました。そう大事なことでもないのか、すぐに答えが返ってきます。
「入り口から中身を入れ換えてあるんだよ。僕の本拠は別にあってね、この間取りは本拠のもので、今この家の中身はあっちにある」
「はあ」
はっきりと理解は出来ませんでしたが、師匠の本拠とやらはかなり大きいようです。一度見てみたいのですが駄目でしょうか。
「こことそこは空き部屋。その二部屋の両側は物置。空き部屋は何も無いけど物置は立ち入り禁止。一応開かないようにはしてあるけど、もし開けちゃったら実家への帰省は盆になるかなぁ」
つまりあの世行きということですか。
「わかりました。絶対に開けません」
まだ死にたくはないです。
「よろしい。あとは階段を挟んだ向こう側に空き部屋が三つで一階の説明は以上。何か質問はある?」
「空き部屋が多いのはなぜですか?」
一階だけで五つもあります。お客を迎えるような性格にも見えません。
「同居人がいてね。そいつが大荷物だったんだ。部屋がいくらあっても足りないくらいの。随分前に出ていったけど、その時にはこの家に愛着も沸いてたから、僕はそのまま住み続けてる」
「…………驚きです」
「ん、何が?」
「一時期だけでも他人と暮らせるんですね」
きっとその方は心が広いのでしょう。そうでなければ、人の神経を逆撫でするために会話を楽しむような人と暮らせるはずがありません。
「ふむ、思ってたより失礼だね。まあ、その方が面白いからいいけど」
「叱らないんですか?」
「昨日一周させられた後、僕の言葉を無視してすぐ階段に向かったでしょ?あれで反抗心はあるのは分かってたから。まあ、溜め込む気質だと思ってたから、口に出したのには驚いたけど」
驚きその二です。本当にちゃんと試験してたんですね。
「えーと、昨日の評価を聞いてもいいですか?」
「基本単純。かといって言うこと聞くだけの愚者でもなく、反抗できる意志はある。観察力と直感も優れている。これくらいかな」
……昨日から下落の一方だった株価が急上昇です。師匠の師匠らしいところを初めて見た気分です。
「それじゃあ次。二階に戻ろうか」
「はい」
師匠のこと、嫌いから苦手くらいにはなりました。 二階へ戻り、階段のすぐ側にある部屋に入ります。ひんやりとした室内には、雑貨店にもあるような薬から見たことも聞いたこともない薬品まで、棚の中に所狭しと並べられています。奥には鉱石や蛇のミイラまであって、学校の理科準備室を思い出させられます。
「ここは見ての通りの薬品室。使いたい薬があったら、声を掛けてからなら使っていい。言うまでもないだろうけど、取り扱いには充分に注意すること」
「こんなに沢山、何に使うんですか?」
「んー、色々かな。ここにある材料だと傷薬だったり火薬だったり、僕は興味ないけど惚れ薬なんてのも作れるね」
「惚れ薬って、作れるものなんですか?」
あれはファンタジーの世界だけのものかと思ってました。
「それっぽいものが作れるって程度かな。短時間だけ好意を寄せられやすくなるとか、男嫌い女嫌いを緩和するとか。薬師紛いの魔術師ならもっと〝らしい〟ものが作れるだろうけど、それでも半永久的にってのは無理だね」
「……それは惚れ薬っていうんですか?」
名前負けじゃないですか。
「惚れる薬じゃなくて惚れやすくなる薬だから、文字的には間違ってはないだろうさ」
それはそうでしょうが、あまり需要はなさそうですね。やはり惚れ薬はファンタジー世界の産物なんですね。
他に説明することもないのか、一度部屋を見回しただけで師匠は薬品室から出ていきました。私も後を追おうと薬品棚に背を向け、扉に手をかけました。
「………………」
扉が閉まる直前、蛇のミイラの目に光が反射していて、少し怖かったです。
「右が作業部屋、左が僕の部屋だから」
最初にいた部屋の前を通り過ぎる間際、師匠が右、左と指差しました。
「作業部屋って何をするんですか?中には何もありませんでしたけど」
「実験と実践かな。物を置いてたら危ないじゃないか」
危ないの基準が分かりません。何がどう危ないのでしょうか。
「実験はなんとなくわかりますが、実践って何ですか?」
「君は何を学びに来たんだい?」
「え?……あ」
魔術ですか。……え、外ではなくここでやるんですか?
そんな問答をしている内に、次の目的地に着いたようです。他の部屋に比べて入り口が二倍ほどあり、しかも引き戸です。
「さあ、お待ちかね。魔術師といえばこれだよねぇ」
そう言って、どこか楽しげに戸を開けました。
不愉快ではない、黴とインクの混ざった匂いが開かれた部屋から漂ってきます。ここは、書庫……いえ、図書室です。他の部屋など目ではない広い空間に背の高い書架が肩を並べ、それでも足りないと部屋のあちこちに平積みされた本が足場を占領しています。
その威圧感にも似た存在感に圧倒される私を見て、師匠が上機嫌に説明を始めました。
「ふふん。ここには僕が幼い頃から蒐集してきた書物を詰め込んである。魔術師にとって知識は力であり武器だからね。これからは君も利用するといい」
「凄い、ですね。これ全部読んだんですか?」
「まあ、時間だけは無駄にあったからね。読書は暇潰しに最適なんだよ」
暇潰しでこれだけの量を読んでしまえるなんて、どんな生活をしていたんでしょう。ぱっと見ただけでも言語の違う本が何種類もあります。師匠は意外と凄い人なのかもしれません。
「案内が済んだから、次は君にやってもらうことだけど」
妙に存在感のある図書室を離れ、再び作業部屋に戻ってきた師匠は、今後の予定を教えてくれるようです。今の私はやる気満々です。
「とりあえず掃除よろしくね」
「…………は?」
掃除? 勉強ではなく?
「あと料理も出来るんだっけ。それもお願い。食材は自由にしていいから」
……………………。
「じゃあ、僕は部屋にいるから。よろしくねー」
両手で持ち上げてから叩き落としますね、師匠。
「……いや、姉ちゃん、それ、本当に大丈夫なのか?」
師匠に雑用を言い付けられた日の夜。私の話を聞いた弟からの一言は不安と不審の籠った、私を心配する言葉でした。
「うーん、お父様からの紹介だし、凄い人なのは確かなんじゃないかな」
家のなかでは唯一気安く話せる弟――汐は急須で緑茶を淹れながら、呆れたように苦笑いを浮かべました。
「そんなんだからその木戸ってやつからも、単純って言われるんだよ。そいつ、姉ちゃんからかって遊んでるだけじゃん」
「あー、それは私もそうなのかなって思うな」
「ていうか、そいつ弟子をとる気あるの?使用人が欲しいだけじゃない?」
汐の師匠に対する印象は最悪みたいです。まあ、私も尊敬出来るかと聞かれれば首を傾けますが。
「一応書庫の閲覧は認められたから、勉強させる気はあるんだと思う。やる気があるかが微妙なだけで」
「それが一番問題じゃないか?」
仰る通りです。




