番外編 ~美咲と明日香~
「よお、こうやって面と向かって会うのは久しぶりだな」
ドアを開けて耳に入った第一声はそれだった。
残暑があるせいか、目の前にいる女性は無地のTシャツに短パンとラフな格好だ。家の中ならまだしも、外をこんな格好で歩くことは私はできそうにない。
「あんたさ、人の家に来るんならもう少しマシな格好したら?」
「別にいいだろ。真央やお前ん家行くのに堅苦しい格好すんのも変だし」
「いや……別に変じゃないと思うけど」
変なのはあんた、と続けて言いそうになったがぐっと堪えた。少し自分を褒めてあげたい気持ちが湧いてしまったが、何を考えているのだろうと思った瞬間に霧散した。
明日香は外見は昔と比べれば別人と言えそうなほど女らしくなっているが、性格のほうはあの頃のままのようだ。どうせ家ではタンクトップに短パンといった亜衣に近い格好をしているのだろう。
家には勇だっているだろうに……まあ明日香が男だって意識してるのはあいつくらいか。いや、あいつしか男として見てないって感じかな。
「まあここじゃ何だし、上がりなよ」
「おう」
家の中に入った明日香は、キョロキョロと周囲を見渡す。私の家は真央と同じくらいの家であるため、これといって高級なものは置かれていない。それにリビングや廊下は、彼女が引っ越す前とほとんど変わっていないため、目を引くようなものはないはずだ。
「……何か、まったく変わった感じがしねぇな」
「ほとんど変わってないからね」
階段を上がって2階にある私の部屋へと向かう。
家族以外の人間が私の部屋に入るのは、いつぶりになるだろう。友達がいないわけじゃないけど、遊ぶときは基本的に外ばかりだ。私があっちに行かないようになってから、真央たちが来る回数も減った。来たとしても玄関かリビングでお土産などを渡すだけ……。
「部屋の前に立ち止まってどうしたんだよ? あ……はは~ん、かなり散らかってんのか?」
「ふ……まさか」
ただ人を部屋に入れるのが久しぶりだったから、と言うことはせずに扉を開けて中へと入る。
「……本くらいしかねぇな……可愛くねぇ」
「ピンク色の家具やら置く趣味はないよ」
「それはオレもしねぇ。けどよ、これは女の部屋としてあんまりだろ」
机にベット、本棚と私の部屋には最低限のものしかない。ぬいぐるみといった可愛らしいものは皆無だ。女の子らしい部屋ではないと言われるのは仕方がないかもしれない。しかし、私としては部屋に余計なものを置く気にはなれない。
「私の部屋なんだから別にいいでしょ。あんたみたいにぬいぐるみと一緒に寝る趣味もないんだし」
「るっせぇ……ったく、お前って外見は美人なのに中身は全然女らしくねぇな」
自分が美人かどうかは分からないけど、明日香は昔と比べれば別人と思えるほど女らしくなっている。簡潔に表現するならカッコいい美人ってなるはず。
明日香から指摘されたとおりかは不明だけど、私は自分でも可愛げのない性格をしていると思う。世の中の女性が頑張りそうなイベントにも興味がほとんどないため、女らしくないと言われても仕方がない。
だけど、女らしくない性格をしているのは明日香も同じはず。一人称はオレで言葉遣いは荒く、気が短くて暴力を振るう可能性もあるのだから。
「その言葉、そっくりそのまま返すよ」
「自分でも分かってんだから返すなよ……」
唇を尖らせながら続けて自分なりに頑張ったつもりだったけど……といった独り言を言う明日香。
こういうときの明日香は、好きな人のために自分を変えようと努力する乙女のようだから女らしいなと思う。
「前よりも女らしくなったって思ってたのに、あいつはそれ以上に何でもできるみたいだし……」
あいつというのは真央のことだろう。
昔から明日香は真央のことが好きだった。そして今も……。
外見に言葉遣い、性格が男勝りだったので真央は男だと思っていたようだけど……それを考えると彼女が不憫でならない。
「まあ、あいつは昔から亜衣たちの面倒を見てたからね」
「そうだけどよ……自分のほうが上手いからって、人の作ったものを進んで食べようとしない姿勢はどうかと思うぜ」
いや、昔のあんたが作ったものは食べられたものじゃなかったから。食べさせられたあいつは何度も腹壊してたから当然の反応だと思うけど。
「その顔は何だよ。今のオレの実力を知らないのに、そんな顔すんな」
「いや……今も昔のままだったなら、私はあんたを警察に通報しないといけないから」
「どういう意味だ!」
「どういう意味かは分かってるでしょ?」
私の返しに言葉を詰まらせる素振りを見せる辺り、いかにかつての自分が食べられたものじゃない物を作っていたか理解しているようだ。理解していなければ本当に通報しなければならない。
明日香の性格を考えると、あいつが拒否しても食べさせそうだし。そもそもあいつって押しに弱いところあるし、拒絶反応が出たとしてもなんだかんだで食べそうだよね。まあそのへんが俺様タイプの明日香にはグッとくるのかもしれないけど。
「この際だから正直に言うけど、昔のあんたが作ったものって食べられたもんじゃなかったからね」
「るっせぇな。事実だが正直に言うなよ……というか、お前が食べたとこオレは見たことねぇぞ」
「腹壊すって分かってるのに食べるわけないでしょ」
淡々とした返事をすると明日香は苛立ったようで獣のように唸り声を出し始める。鋭い目つきと相まってまるで狼を彷彿とさせられた。
こいつって本当に短気というか頭に血が昇りやすいわね。真央や勇がいなかったら学校生活を送れるか不安になるわ。
「今はもう腹壊すようなもん作らねぇよ」
「どうだか……」
「だったら勇に聞いてみろ。オレの言ってることが間違いじゃねぇって分かるから」
「それは遠慮しとく。そこまで興味ないし」
「なら疑うんじゃねぇ!」
昔は騒がしいってばかり思ってたけど、久しぶりに会った今日はこの子は変わってないんだと安心感を覚える。
本当……明日香は変わらないなぁ。昔も……そして今も。
きっと真央のことを話題に出したら顔を真っ赤にするに違いない。本人の前だと素直になれず、結果的に誤解されてばかりだが、乙女になっているときの明日香は可愛く見える。その度に普段がいかにがさつなのかを再確認させられるけど。
「そういやお前に聞きたいことがあんだけどさ」
「何?」
「真央から聞いたけどよ、お前って最近まであいつと顔合わせてなかったんだろ。何でだよ?」
何で……それは、と深く考えそうになった瞬間に我に返る。
私も昔は真央のことが好きな時期があった。だから幼い頃は明日香と真央を取り合ったものだ。彼はただケンカしているとでも認識していただろうし、今でもそう思っているだろう。
だけど、あるとき気が付いた。
自分は恋に恋をしているだけ、自分よりも親しくしている相手がいるのが気に入らないから明日香と張り合っていたんだと。
「何でって……それなりに離れた場所にあるし、学校とかも別だからね。人付き合いだってあるわけだし、家族全員で行くとき以外は滅多に行かなくなるでしょ。時期的に思春期を迎えた頃だったし」
「……本当にそれが理由かよ?」
疑問系ではあるが明日香の目は嘘をつくな、と言っているように見える。そして私の心を強引に引き千切って中を覗こうとしているようにも……。
「事実だよ」
「ふざけんじゃねぇ!」
胸元を掴まれた私は、そのまま壁の方へと押しやられ背中を打ちつけた。明日香の言動や痛みに苛立ったのは言うまでもない。私だって感情のある人間なのだから。
「何が事実だ。嘘ばっかり言いやがって」
「嘘? 何が嘘だって言うのさ。というか、さっさとこの手を放しな」
睨みつけながら普段より低い声で言ったものの、明日香はこちらを睨んだまま状態を変えようとはしない。
真央達とか普通の人間なら即座に従う……まあ私にこんな手荒な真似する奴はそうそういないけど。本当に自分の欲求に素直なこいつは私にとって嫌な相手だ。
「お前、本当は真央と何かあったんだろ。だから顔を合わせなくなったんじゃねぇのか」
「何かあって別れたんなら今も会うわけないでしょうが」
「普通はそうだろうが、一方的にお前が傷ついただけとかなら話は別のはずだ。お前、昔あいつと夏祭りに行ったんだってな。その日のお前はどっかいつも違ったってあいつは言ってたぜ」
その言葉に思わず内心舌打ちをした。
真央、余計なことを……いや、そもそも私が夏祭りに誘ったり、あのとき昔のことを覚えているかって聞いたのが迂闊な行動か。過去に戻れるのなら修正したい。
「確かに祭りには行ったよ。どこか違って見えたのはお祭りだから浮かれてたんじゃないの。私だってそのときは子供だったわけだし」
「そうやって最もらしいこと言えば誰でも納得すると思うなよ。どうせお前ことだ、遠まわしに告白でもしてフラれて会うのが嫌になったん……!」
最後まで聞く前に私は思いっきり明日香の手を振り払っていた。眼前に映る彼女の顔には笑みがあり、それがまた私を苛立たせる。
「その反応からして当たりか」
「……あんた、いい加減にしなよ」
これ以上何か言われたならば、私は明日香を殴ってもおかしくない。
そこまで強い感情を抱くのは、明日香の言動は私の心を逆撫でし隅に追いやっていたもの、蓋をしていたもので溢れさせるからだろう。
「いい加減にするのはお前のほうだろ。あいつには伝わってないような告白してフラれたからって一方的に距離を置いてよ。そのくせまた会い始めて……」
確かにあの日、私は真央に告白した。
明日香の言うように真央には伝わっていない。返ってきた言葉も従姉として好きだという意味のものだった。私達が小学生のときのことだし、あいつは恋愛について理解していなかっただろう。時期が時期だけに当然だと今では思うけど。
でも……あのときの私にとってはショックだった。自分は女の子として見られていない。真央にとって私は従姉でしかないんだって。血の繋がりもなくて、自分の気持ちも素直に伝えられないこいつに私の何が分かる……。
私は気が付けば明日香へと詰め寄り、彼女の胸倉を掴み上げていた。
「あんたと一緒にするな……理由もなしに会い行ったりしてない」
「……ふざけんな!」
明日香は感情を顕わにし、私の手を振り払った。
明日香の気性の荒さを考えると取っ組み合いになってもおかしくない。そう思った私はすぐさま身構えたが、彼女は睨みつけているだけでその場から動こうとはしていなかった。
「何で会えるのに会いに行かねぇんだ。昔も、そして今もずっとあいつのことが好きなくせによ!」
「勝手に私の気持ちを決め付けるな!」
「決め付ける? 見た目や普段の性格は変わったけどな、あいつのことを話してるお前の目は昔のまんまなんだよ。お前が自分の気持ちを誤魔化しているだけだろうが!」
「――ッ、うるさい!」
そう言って我に返った自分が居た。その自分がこのまま進んではいけないと制止をかけるが、長年溜め込んでいたものが流れ始めてしまっただけに私の口は止まってはくれない。
「私はあいつの従姉なんだ。あんたと違って血の繋がりがあるんだよ!」
「それが何だってんだ。実の兄弟ってなら理解できるが従姉なら何も問題ねぇだろうが! 結果から言って、お前が勝手に抵抗感じてるだけだろ!」
「あんたに……あんたに私の何が分かる!」
激情のままに私は明日香の頬目掛けて思いっきり手を振り抜いた。乾いた音が部屋中に響き渡るのとほぼ同時に、手の平にジンジンとした痛みを感じた。
「血の繋がりがあるから苦しいのよ! あいつは私のことを従姉としてしか見てないんじゃないかって……それに」
正直に言って、私は自分の気持ちが分からない。
真央のことを好きかと言われれば好きだ。でも男として好きなのか、従弟として好きなのかははっきりしない。
「私はあんたと違って……異性としてだけでなく従弟してあいつのことを見てる。昔から一途に想ってたあんたと違って私は中途半端なんだ。こんな私があいつと付き合う資格なんて……」
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ!」
怒声と共に再び乾いた音が響く。一瞬何が起こったのか理解できなかったが、左頬に感じた痛みが私に明日香に叩かれたのだと理解させた。
「付き合う資格? そんなのお前が決めるもんじゃねぇだろ! それに中途半端の何が悪い。気持ちなんてものは時間と共に変わるもんなんだよ。今は中途半端でもどっちかに偏るかもしんねぇだろうが。ぐだぐだと考えてばかりいんじゃねぇよ!」
明日香の言葉は私の心にあった何かを粉砕した気がした。
確かに明日香の言うとおりだ。また会いに行ったとき、私は従姉として振る舞おうと決めていたはず。だけど夏祭りに行くと決まった日からはどうだったか。
多分……女としての部分が日に日に増して、あいつのことを従弟としてじゃなくて異性として見るようになっていってた。そうじゃなきゃ、あいつが生徒会の連中と接しているときにあんなに気に障るはずがない。
「……あんたってバカだよね。こんなことしなかったらライバルがひとり減ったのに」
「るっせぇ……あいつが誰と付き合うことになるかは分かんねぇけど、自分じゃなかったときのためにちゃんと心から祝えるようにしたかっただけだ。お前は……大切な友達だからな」
そっぽを向きながら恥ずかしそうに言う明日香。そんな彼女を見た私は、頬の痛みを忘れて自然と笑っていた。
「それくらいあいつにも素直になったらいいのに」
「バ、バカ、そんな簡単にできるか!」
「そうだね……悪いけどちょっと今から出かけてくるから」
「どこにだよ? ……まさかお前真央のところに!?」
「うん……まあ最終的には行くかもね。でも最初は今までの自分と決別しに行く」
髪を触りながら言うと明日香は私がどこに行くのか理解したようだ。
「どれくらい切るつもりなんだよ?」
「そうだね……子供の頃からこの髪型だから結構ばっさり切るかも」
「ふーん……まあお前の自由だから止めねぇけど何かもったいねぇな。そこまで綺麗に伸びてるのに」
「そう思うんならあんたが伸ばしてみたら? 手入れの方法くらい教えるよ」
「……煩わしそうだから遠慮しとく」
「あっそ……じゃあ行って来るね」
「おう、行って来い」
明日香は私のことを見送ろうとしてくれたが、自分がここにいる意味がなくなることに気が付いたようで、結果的に一緒に家を出ることになった。
視界に映るのは普段と変わらない街並み。なのにどこか違って見えるのは、胸の内にあった霧が晴れたからかもしれない。
とりあえず……亜衣にはあんたのお兄ちゃんもらうって言っておこうかな。




