第24話 ~人生初めての・・・~
「……落ち着かない」
自分の家のリビング、という人にとって最もくつろげるスペースのひとつに居るのに、そわそわする。どれくらいかというと、貧乏ゆすりしたり、チラチラと時計を見たりするくらい。
今の時間は8時48分。さっき確認したときから1分くらい経ったかな。
そわそわしている理由は、別に学校に遅刻するからではない。今は夏休みだし、登校日でもなければ生徒会の仕事もない。そもそも8時48分という時間は、学校があるなら完全に遅刻している時間だ。
では、なんでそわそわしているかというとだな。実は今日、俺は……デートの予定が入っているんだ。彼女いない歴15年(今年の誕生日を迎えたら16年)の俺がデートだよ。妹以外の女子と一緒にお出かけですよ。人生初デートですよ。緊張しない方がおかしいでしょ。
……緊張といっても、女子とデートすることへの緊張より別の意味の緊張の方が強いんだけどね。何でかっていうと、デートの相手……月森先輩なんだよね。
「はぁ……」
デートすることが決まってから、ため息ばかりしてる気がする。
普通、月森先輩みたいな美人とデートできるってなったら、平凡男子は泣いて喜ぶだろう。だけど俺は、月森先輩が周囲に見せる優等生という仮面の下を知っている。まあ、それでもアレがなかったら泣きはしないけど嬉しいと思っただろうさ俺も。
アレってのは……この前の海での一件。具体的に言うなら、氷室先輩に蹴飛ばされたとはいえ、月森先輩を押し倒した挙句、月森先輩の胸に顔とはいえ触れちゃった一件ですよ。
「……今日、先輩の機嫌を損ねるようなことがあれば俺は……」
考えるのやめよう。また寒気がしてきたし、顔色の悪い顔で行ったら「了承したのに、私とデートするの嫌だったの」とか言われそうだから。普通に心配してくれる、という想像は今回は俺にはできない。
だって……海に行って数日後、生徒会の仕事があって学校に行ったの。仕事内容は、簡単に言えば倉庫とかの片付けだったの。
文化祭とかまだやってないのに、何で物で溢れてるだ。とか、その日ばかりは教師達に文句を言ってやりたかったね。というのは嘘だ。本当に言いたかったことは、何で3、4人で事足りるくらいの倉庫の片付けだったってことだ。おかげで、月森先輩とふたりで生徒会室の片付けをすることになったんだぞ。氷室先輩の「これを機に仲直りしろよ」ってお節介もあったけど。
普段のように弄ってくれるならまだ良かったんだよ。本当は良くないけど、その日は良かったんだ。だって、生徒会室にふたりっきり。会話はなくて無言。どれだけ気まずいか簡単に想像できるだろ?
そんで、気まずさに耐えかねた俺が話しかけようとした矢先に「桐谷くん、1日だけ私の彼氏になりなさい」って全く笑ってない顔で言われたんだ。「君は断れる立場じゃないわよね」みたいな目で見ながらね。
結果はもちろん、断れませんでした。
「……はぁ」
でもさ、彼女がいたことない俺に、上手く彼氏役なんかできるわけないよね。
まったく、何ではっちゃけちゃったんだよ月森先輩。何を?、って思った人のために言っておくと、何でも昔の友達とガールズトークしてたら見栄を張ったのか、勢いで言ってしまったのかは分からないけど、彼氏いるって言っちゃったんだってさ。それで会わせてよ、って話になり……今に至るわけだ。
だから厳密にはデートとは言えないだろう。だけど、彼氏の振りをするわけだ。先輩とイチャイチャするわけだ。どういうイチャイチャかは先輩次第だけど。とにかく、俺からすればデートに等しいんだ。
「はぁ……なんで俺なんだよ。あの人なら学校のイケメンを簡単に捕まえられるだろうに」
なんて文句を言っているが、彼氏役をやれって言われた日に言いました。断れなかったけど、できるだけの努力はやったんですよ俺。
でもね……
『あのね、彼氏なのよ彼氏。確かに君の言うとおり、君より顔の良い男子をひっかけるのは簡単よ。でもね、碌に話したことのない男と楽しく話せると思う? 話せないわよね。簡単にバレるわよね。
それに……桐谷くんが私にとって1番親しい男子なのよ。本当の私を知ってる男子なんて君くらいだし。そもそも私の友人は、本当の私を知ってるわけだから、親しくない相手を彼氏役にしたら一発でバレるわ。よって、君が私の彼氏役に1番適正があるの』
って逃げ場をなくされたんだ。海の一件がなければどうにかできたんだろうけどね。別に先輩の言葉に「へぇ……俺が先輩と1番仲の良い異性なんだ」って内心喜んだりしたからじゃないんだからな。
「ふぁ……ねみ~」
大きなあくびをしながら、いつものどおりの薄着。詳しく言えば、胸くらいしか隠れていない服……何て言うかは、あまりファッションに興味がないので知らない。そもそも男なので女の分からない。というか、色々名称がありすぎだと思う。
話を戻そう。上は言ったよな。次は下だが……まあ普段どおりパンツだけだ。でも純白じゃないぞ。亜衣だって中学3年生だ。少しは大人っぽいのも履いているさ。とはいえ、Tバックとかじゃなくて白のパンツの色違いって感じだけどな。
「ん? おはよー兄貴。今日ははえぇんだな……って、ジロジロ見んなよ! まさか、妹のパンツ見てアレとかコレとか考えてんのか!」
「お前のアレとかコレはどれだよ。安心しろ、お前に興奮したりしないから。そもそも、俺はお前の身体見慣れてるし」
「なっ!?」
熱い季節が来る度に、お前の薄着状態を毎日のように見ているんだ。初めて目撃した数年前ならともかく、見慣れた今欲情するわけがない。
だというのに亜衣、何でお前は顔を真っ赤にしているんだ? 今の俺、極めて落ち着いていると思うんだがな。顔だって赤くない。寧ろさっき嫌なこと考えたりしたから青いと思う。
「い、いつ私の裸、見慣れるほど見たんだよ! 寝てるときに見やがったのか! それとも風呂入ってるときに覗いたのかよ! 答えろよ、この変態バカ兄貴ッ!!」
「だれが裸を見たって言ったよバカ妹。身体ってのは今の姿って意味で言っただけだ。まだ寝ぼけてんのか、アホ妹。大体、胸が大きくなり始めた小学校高学年くらいから、お前から一緒に風呂に入らないだの言っただろうが。あとな、俺は『あぁ、クマさんパンツを履いてた亜衣も大人になって行ってるんだなぁ』みたいにしか考えてない」
「悪かった、私が悪かったよ! だからバカだのアホだの、これ以上言うなよ! それと、人の恥ずかしい過去とか暴露すんなよ!」
何を言っているんだお前は。ここには俺とお前しかいないんだぞ。それなのに暴露って言葉はおかしいだろ。
などと俺が思っている間に、亜衣はこちらと近づき、いつも座っている自分の席に腰を下ろした。
顔から赤みが消えているため、怒りや羞恥心は消えたようだ。つまり、口げんかは終了ということになる。
「ったく、今日はえらく不機嫌じゃんか」
「妹に変な勘違いされた挙句、変態やらバカやら言われれば不機嫌になってもおかしくないと思うが」
「……悪かったって言ったろ」
あぁ、確かに言ったな。だけど怒鳴りながらとか、今みたいにテーブルに突っ伏しながら言われても反省しているように見えないんだよ。
亜衣、謝るならせめて唇尖らせてないで、ちゃんとこっちを見て言いなさい。
「はぁ……昔は『おにぃ、ごめんなさい』ってお辞儀までしてきちんと謝っていたのに、何でこんなに口と態度が悪くなったんだろう」
「あぁもう、昔の話ばっかすんなよ。つうか、何で今日はえらく昔の話をすんだよ。今から目を逸らしたいことでもあんのかよ」
……何なんだ、こいつのこの無駄に鋭いところは。こいつは、人間観察とかが趣味なのか? それともただの勘か? どっちにしろ、当たっている以上は将来探偵になれるぞ。……何か、俺の身の回りって探偵になれるやつ多いな。
それとも、ただ単に俺の考えてることが読まれやすいだけ?
「そういや、外着着てるけどどっかに出かけんの? 私服ってことだから生徒会の仕事ってわけじゃねぇよな。ん? よく見れば、今日の兄貴、えらく気合の入った服着てんな。あっ、分かった。兄貴、今日デートだろ? そんで緊張のあまり眠れなくて不機嫌なんだろ?」
もうお前、探偵にでもなっちまえ! 何なんだよ、その無駄に高い推理力! そりゃお前は勉強できる子だけどさ!
「……まあ、そうだよ」
「冗談、冗談だからそう怒るなっ……え、当たっちゃったの?」
「大体は当てられちゃったな」
「……マジで?」
「マジで」
ていうか、何で俺は肯定しちゃったんだろう。こんなに驚愕やら困惑が混じった顔を亜衣がするのなら誤魔化させたものを。亜衣はともかく、他の家族に知れたら面倒だってのに。
何て思ってはみたものの、初めてデートするから今の服装でいいか聞きたいんだよな。変な格好であの人の気分を害したら色々と危ないし。
「あ、相手は誰なんだよ!」
うおっ!?
いきなり大声出すなよ、びっくりしたじゃないか。というか、食いつきいいなこいつ。今年……いや、ここ数年で1番って言っていいくらいの笑顔だし。
「誠さん?」
「何で誠が最初に出てくるんだよ?」
「え、そりゃ誠さんって兄貴……」
そこまで言って亜衣は、いったん口を閉じた。少しの間、視線を俺から外してさまよわせた後、再びこちらに視線を向けて口を開いた――
「――あの癖のあ……キャラの濃い人が多い生徒会で兄貴がデートしてもいいって思いそうな人だしさ。あの人って、1番女性らしい思考の持ち主でまともな方だろうし。1番まともそうな氷室さんは……見た目とかの問題で、ふたりっきりで出かけるってのは避けそう。相手が会長さんだったら、兄貴はあまり緊張とかしないだろうしさ。あの人、由理香と似てるところあるし。だから誠さんかなって」
……お前のその推理力は賞賛に値するよ。デートする相手は違うけど。
「でも兄貴の返事からして、誠さんじゃないみたいだな。今言ったことと、兄貴の機嫌とかからして会長さんや氷室さんでもないよな。ということは、必然的に秋本さんか月森さんに絞れる。普通に考えれば、押しが強そうな秋本さん。なんだろうけど、兄貴は秋本さんみたいな人にデートに誘われても、冗談って思ってバッサリ断りそうな気がするんだよな。だから、デートの相手月森さんだろ?」
…………。
………………探偵ものの漫画に登場する犯人の、トリックとかが完全に暴かれたりしたときの気持ちが分かった気がする。
「お前……今すぐにでも探偵なるといい」
「ぐったりしながら何言ってんだよ。つうか、その様子からしてほぼ的中したんだな」
「的中してないなら、こうはなってねぇよ。というか、お前はどれだけ俺のことを理解してるんだよ?」
「どれだけって、今の推理で分かるだろ?」
そうだね。今の推理で、お前が俺の思考をほぼ完璧に理解してるって分かったさ。だけどさ、少しくらい否定の言葉がほしかった。海に行った時のことは、疲れたくらいにしか話していないのだが、亜衣の推理力から考えると、月森先輩との一件を除いて話していたとしてもある程度予想されたに違いない。
本当に話さなくて良かった。それと、これからもできるだけ余計なことは話さないようにしよう。
「……ああ、よく分かった」
「おいおい、そんな嫌そうな顔で言うなよな。兄としては、妹が自分のことを分かってくれているって喜んだりするところだろ」
分かってくれてるのは嬉しいが、分かり過ぎていると喜べないんだよ。俺がお前のことを同じくらい分かってるなら対等な立場だから別だけど。
「分かってくれてるんなら、今の俺の気持ちも分かると思うんだが?」
「そりゃまあ、何となく分かるけど。何もかも見透かされてるってのは嫌な気分になるだろうし。何なら兄貴と話すのやめてやろうか? うちと同じくらいのよその兄妹ってのは、一般的に仲悪いらしいし」
「何でわざと仲の悪い振りしないといけないんだよ。今のままでいい、今のままで。ったく、人の退路を先に断ちやがって」
「伊達に兄貴の妹してねぇよ」
亜衣は、笑顔を浮かべながら、こちらをからかうような口調で言った。
笑顔ということから俺の妹で良かった、という解釈もできる。だが、真面目な口調ではなかったので、こちらの反応を楽しもうとして笑っている可能性もある。
まったく、喜んでいいのやら「からかうな」と言うべきなのか、反応に困る。
「それより兄貴」
「次は何だよ」
「兄貴のことだから待ち合わせ時間に遅れるようなことはしねぇって分かってるから、まだ時間に余裕あるんだろうけどさ。由理香が起きてくる前に出てった方がいいと思うぜ。あいつのことだから、兄貴がデートなんて知った日には……おそらく過去にないほど騒ぐだろうな」
亜衣は、暴走モードの由理香の相手をするの面倒くせぇ、みたいな顔で言った。そのあと「兄貴の後をつけそうだよな……あいつのブラコン度って異常だし、下手したら事件でも起こすんじゃ……」なんて物騒なことを呟いた。
由理香を知っているだけに、亜衣の言葉に「それはないだろ」と言えないのが辛い……わけでもないかもしれない。だけど、由理香のブラコンってそんなにひどかったのか? 事件を起こすってヤンデレの成分入ってるわけだし。
……それはないよな。由理香の抱く感情は、例えるなら下の子供が生まれて、お母さんが取られたと思う上の子供の感情。自分以外の誰にも取られたくないっていう感情だろうし。暴言を言うことはあるだろうが、さすがに肉体的な被害を与えることはないだろう。与えるなら、すでに何度も亜衣とかにやっているだろうし……それは普通の姉妹ケンカだろ、って考えるとダメな気もするが。
「そうだな。待ち合わせの時間まで結構時間あるけど、由理香が起きてくる前に行くか。由理香に絡まれると、遅刻する可能性があるし」
遅刻なんてしようものなら……冷たい笑みを浮かべたあの人に何されるか分かったものじゃない。
「そうそう、デートに遅刻なんて絶対しちゃダメだぜ。兄貴が遅刻したら月森さん、兄貴に何かあったんじゃないかって心配するだろうしな」
「……あの人に限ってそれはないだろ。冷めた目で見られるか、怒りのにじみ出た笑顔で罵倒してくるに決まってる」
「ったく、兄貴は女心ってのが分かってねぇな」
長い付き合いのお前や由理香以外の心なんて分かるかボケ。こっちは彼女いない歴=年齢、の男なんだぞ。今日が初めてのデートなんだぞ。それで分かれってのは無理な話だろうが。
「いいか、おそらく兄貴が遅刻しようものなら兄貴の言ったとおりの展開にはなるだろうさ――」
分かってないって言っておきながら、お前も俺と同じ予想してるんじゃねぇか!
「――だけどさ、罵倒とかは心配の裏返しだと思うんだよ。普通に心配するのって、兄貴は月森さんじゃありえないって思うんだろ? きっと月森さんも『普通に心配するのって私のキャラじゃないわよね』みたいに思ってるだろうからさ、心配しても素直になれなくて罵倒しちまうと思うんだ。私の考えが当たってるとは限らねぇけど、表面だけ見て決め付けたらダメだぜ兄貴」
……こいつは本当に俺の妹なのだろうか。物心ついたときには、はいはいしたりしてる亜衣を見た記憶がうっすらあるので俺より年下なのは間違いないのだが、今日に限っては俺が弟なのではないかって不安になる。
亜衣のやつ、いつの間にこんなに精神年齢が高くなったのだろうか?
「まあ、そもそも今から行くわけだから遅刻はしないだろうけど……月森さんがもう待ってたら、ある意味遅刻だけど」
「安心させるようなことを言った後に、不安にさせるようなこと言うなよ」
「だってよ、可能性はあるんだから。つうか、兄貴だって私と逆の立場なら言ってるだろ?」
……確実に言ってるだろうな。亜衣の兄だし。
「それよりもさっさと行けよな。由理香のやつ変なところで鋭いから、いつ起きてきてもおかしくないんだから」
「(お前が話を逸らしてた気がするんだが……と言いたいところだが)……最後に聞きたいんだが、俺の格好変じゃないよな?」
「変だったら会ってすぐに言ってるつうの。だから、自信持って行ってこいよ。由理香のことは私が何とかしとくから」
何か……今日は俺が弟みたいな立場になってる気がする。このままだと兄としての面子が保てないような……そもそも保つような面子持ってなかったな俺。兄として頑張らないと! みたいに思ってたのなんか小学生の頃くらいだし。
「よし……じゃあ、逝ってくる」
「おぉ行ってこい……何かニュアンスが変だったような」
「何か言ったか? やっぱりどこか変なのか?」
「いや、別に何でもねぇよ。由理香をどうすっかなぁって言っただけだよ。いいからさっさと行けよな」
亜衣に背中を押され、リビングから廊下に出された。
女性を待たせるようなことはするな、ということで解釈し、玄関へと歩き始めた。
いったいどうなるのか、さっぱり検討がつかない。だが、あの出来た妹がいるなら何かあった場合は、慰めの言葉くらいかけてくれるだろう。
などと、情けない思考をしながら俺は家を出た。




