第22話 ~生徒会、海へ その2~
「よろしくお願いします!」
と、小学1年生もびっくりの元気な声で挨拶された。周囲にいた人たちの視線が、こちらに集中したのは必然と言えるだろう。挨拶した人物は何とも思っていないようだが、俺は実に恥ずかしさを覚えている。
俺に挨拶してきたのが誰かといえば、当然会長さんだ。生徒会のメンツで小学生のような人はこの人くらいしかいない。見た目で言えばあの人もなんだが……考えるのはここまでにしよう。あの人はいま俺の近くにはいないが、あとで何か悪いこと考えただろ、とか言われかねないし。
あの人、まあ氷室先輩なのだが。いま先輩が何をしているかというとだ、月森先輩と遊んでいるよ。何をしているかというと……砂のお城作ってるよ。月森先輩に砂のお城を作ろうってことでからかわれていたのに、実際に作るあたり人が良すぎるよな。はたから見れば、今の2人は親子にしか見えないのに。氷室先輩は黄色のワンピース型の水着で、月森先輩はビキニだし。
特に月森先輩がやばすぎる。高校2年生なのに『黒』のビキニを着ているんだから。
ビキニなので先輩の豊満な身体がほとんど顕わになっている。肌は言うまでもなく白い。水着が黒ということもあってか、今までで1番白く見える。別に前に先輩の水着姿を見たことがあるわけじゃないぞ。今は夏服だし、うちの学校はスカート短めだから腕とか足とかは見えるんだ。
話を戻すが、今の月森先輩の色気は尋常じゃないレベルだということだ。近くを通る男性が絶対に一度は見ているからな。彼女がいる男性も。
正直、あの大人の色気がある人物を1つ上だとは思えない。知り合いじゃないなら20代前半くらいには思ってる。おそらく周囲の人達は、月森先輩をそれくらいだと思っているはずだ。……氷室先輩は10歳未満だと思っているだろう。……考えれば考えるほど、あのふたりははたから見れば親子だな……。
よし、この話は終わりにしよう。一区切りしたしな……別にふたりから睨まれたわけじゃないぞ。
「真央くん?」
「会長、ストップ」
まったく、少し考えごとしたくらいで近づこうとしない。あなたは寂しがってる子供ですか。構ってもらわないと寂しいんですか?
たとえそうでも、俺は近づけさせませんよ。話し相手にはなってあげますけどね。
大体、今のあなたは水着姿なんですよ水着姿。制服姿より格段に肌の露出が多いんだから、密着されたら俺が鼻血出しかねないでしょ。肌の露出具合で、男は意識するレベルが違うんですから。
そもそもあなたは、羞恥心と警戒心を覚えなさい。年頃の女子が、水着姿を間近で見られて平然としない。とまでは言わないけど、そんな「?」が見えそうな顔しない。俺がもし性欲魔人だったら、あなたを襲ってますよ。男はオオカミなんだから、とか親から教わってないんですか。
「あのー真央くん、なんで私を見ながら呆れたりしてるのかな?」
「それが分からないから呆れてるんです」
「え!? なになに教えて! いますぐ直すから!」
それは無理でしょ。言ってもあなたは、頭の上に「?」を3つくらい見えそうな分からないって顔するだけでしょうし。
「そんなことよりさっさと始めますよ」
何を始めるかというと、上手く泳げない会長さんに泳ぎをレクチャーする。分かっていると思うが、俺はスポーツ少年ではない。体育の成績は3の平凡な男子だ。そのため泳ぐのが上手いってわけじゃない。でも勘違いしないでほしい。ここでの上手いってのは泳ぎ方が綺麗とか、速く泳げるとかの方の意味だ。俺が泳げないわけじゃない。バタフライ以外なら一応できる。バタフライって正直意味が分からない。無駄に体力使う気がするし。水泳選手の場合は別なんだろうが。
バタフライについて言ってても意味がないので話を戻そう。何で会長に泳ぎを教えることになったかというと、簡潔に言えば1つ上だけど大人すぎて1つ上に見えないあの人に押し付けられたからだ。その人は今、さっき言ったように砂遊びしてる。
俺よりも泳ぐのが上手そうな誠か秋本が教えた方がいいのではないか、と思った人。俺も思ったよ。そして今も思ってる。だけどそのふたりは、いまどっちが速く泳げるか競争しているんだ。
誠は、ビーチバレー選手が着ているようなスポーツ用の水着を着ていた。色は紺色。秋本は、オレンジ色のビキニだった。大抵の人間は、誠が勝つと思うだろう。どう考えても体型的に秋本の方が水の抵抗が大きいし、着ている水着からして途中で水着が外れる可能性があるのだから。
けれども実際は、ふたりの速さは均衡している。ように見える。何ではっきりしないんだってツッコミはなしで頼む。ふたりは、俺のすぐ近くを泳いでるわけじゃないんだ。
「まず最初に聞いておきたいんですが、会長は正真正銘のカナヅチですか?」
「ふぇ? 真央くん、私は人間だよ」
「……俺の聞き方が悪かったです。会長は全く泳げないんですか?それか苦手なんですか?」
「うーんとね、苦手かな?」
何で質問の答えが疑問系なのかな?
と、言っても話が逸れるだけだろうからやめておこう。それに、少しは泳げるってことみたいだから意外と楽にことが運びそうだ。月森先輩のことだから、てっきりカナヅチを押し付けてきたと思っていたし。かなり精神的に楽になった。
「少しは泳げるってことですね」
「うん。犬掻きは誰よりも得意だよ!」
…………。
………………普通犬掻きは泳げるって言わねぇよ! って、あんたは普通じゃなかったね!
はぁ……精神に多大なダメージを受けたな。犬掻きできる程度じゃカナヅチに教えるのとほとんど変わらないし。まぁ、水に入るのが怖いとかはないようなのが唯一の救いか。
「……そうですか」
「真央くん、どうしたの? 何か元気ないよ」
「熱いですから会長ほど元気はないですよ……帰りてぇ」
「そっか、熱射病には気をつけて……最後にボソッと何か言わなかった?」
「いえ別に何も言ってませんよ。……今日という日がさっさと終わらないだろうか」
「言ってるよ! さっきと一緒かは分からないけど、否定してすぐに言ってるよ!」
会長(子供)は元気だなぁ……こんなクソ熱い日光に照らされる中でツッコミを入れられるんだから。
と、両手を上に挙げながら顔を真っ赤にして叫んでいる会長にそう思わずにはいられない。他にも周囲の視線がいちいち集まるので大声を出さないでほしい、とも思わずにはいられないのだが、子供は騒がしいものなので仕方がないと思うことにして諦めることにした。
「どうどう、いいから始めますよ。時間がもったいないんで」
「何で私が悪いみたいな雰囲気なのかな! 悪いのは真央くんだよね!」
「いえいえ、泳げない会長の方が悪いです」
「……ごめんなさい」
あれーおかしいな。笑顔で言ったはずなのに会長がへこんだぞ。いったい誰がそんなことをやったのだろうか?
まあ俺だけどね。会長の近くには俺しかいないわけだし。でもさー無理やり海に連れてこられて、真夏の太陽に照らされる中、カナヅチに泳ぎを教えるってのは精神的にくるわけですよ。だから俺の対応は一種のストレス発散なわけです。ひどい人間とは思わないでほしい。俺をひどいというなら、俺より先にあの人をそう思ってくれ。
「では、気を取り直して始めましょう。まず最初にいくつか聞きたいんですけど」
「なに?」
「顔を水につけれます?」
言ってなかったが、俺と会長はひざくらいの深さまで海に入っている。そこまで入っているなら足の着く範囲なら問題ない、と推測できる。
そのため会長は、顔がつけられないほど水に恐怖心は持っていないだろうとは思う。のだが、会長はまともに泳げない人だ。それに犬掻きは顔を水につけないし、会長は常識はずれのところが多々ある。聞いておいて損は決してないだろう。
「む、真央くんは私をバカにしてるの。顔くらいつけれるよ。お風呂でぶくぶく、とかできるもん」
ふぅ、よかった。顔をつけられなかったら泳ぎを教える以前の問題になってくるところだった。そもそも顔もつけられないのに海に来るなって話だけど……最後にツッコめと俺の心が言っているが、いちいちツッコんでいては無駄な体力を使うし、時間を浪費してしまう。だから静まれ、いつのまにか育ってしまった俺のツッコミ精神。
「……そうですか。じゃあ目は開けられますか?」
「……目を開けると染みるよねー」
笑いながら言ってるけど、さっきまでと違って乾いた声だ。
会長、あなたは「それくらいできるよ」みたいに誤魔化したつもりだろうが、俺の中では会長は目が開けられない、という結論しか出てないよ。
「目は開けられないんですね」
「あ、開けられるよー」
「嘘つかないでください」
「つつついてないよー」
「動揺してるの自分で分かるくらい声が震えてるよね。それに、こっち見ないで言うってことは嘘ついてるってことだよね。嘘つく子には教えませんよ」
「ごめんなさい、真央くんよりお姉さんってことで見栄を張っちゃいました」
会長は、綺麗な動作で頭を下げてきた。
素直に謝るなら最初から嘘つかないでいいですよね。俺よりお姉さんだから見栄張ったってね……あなた今の状況分かってる? 年下に泳ぎを教えてもらおうとしてるんだよ。その時点で見栄張る必要ないでしょ。
それに、水の中で目を開けられないのに、何であなたはあれを身に付けても手に持ってもいないのかな。
「会長、ゴーグルは?」
「ふぉぇ?」
「……ゴーグルが分からないんですか?」
「真央くん、だからバカにしないでよ。ゴーグルくらい分かるよ。こんなのでしょ」
会長は、両手の親指と人差し指を引っ付けて輪を作り、それを顔に持って行った。どうやらゴーグルがどんなものかは分かっているようだ。ボケが来なくて本当によかったぁ。
「そうそう、そんなのです。で、何で会長は持ってないんですか?」
「持ってないとダメなの?」
会長は、首をコクリと傾けながら言った。
ふむ、実に可愛らしいと思える仕草だ。なんて口が裂けても言わないからな! あんたは目開けられないんだろ! だったらゴーグル持ってくるのが普通だろうが! 最低限の準備してから海に来いや、このド天然会長!
「……会長は、目開けられないんでしょ。だったらゴーグルいるでしょ?」
「おー」
手をポンってするほどのことじゃねぇよ。なに今頃気がついたみたいな……会長のことだから今気がついたのか。
会長の天然さに呆れ、こんなド天然の人物に泳ぎを教えるといったいどれくらいの時間がかかるのだろうかと不安を覚えていると、会長がまた天然を炸裂させた。
「ねぇ真央くん。真央くんは、私にゴーグルを使えみたいに言ってるけど。ゴーグルって目に病気とかがない人でも使っていいものなの?」
……はい?
あなたは何を言ってるんですか。ゴーグルは誰がつけてもいいに決まってるでしょ。……あぁ、これまでの経験から何となく分かったぞ。
そういや俺も小学生の低学年の頃、授業でゴーグルをつけなかった。中学年の頃に、消毒のために薬品使ってるからってことでゴーグルの着用が許可された。それからはずっと水泳のときはゴーグルをつけてよかった。
おそらく会長の通っていた小学校では、目に異常がない人はゴーグルをつけてはダメだったのだろう。数年後または中学くらいからはゴーグルの許可が出ていたと思われるが、会長は未だに小学1年生が驚くほど元気な声で返事をしたりする善い子だ。最初に言われたことを未だに守っている可能性が高い。
いや、そうじゃないなら今の会長の発言が出るわけがない。
「いいんですよ。というか、学校のプールには消毒用の薬品が入ってますから、ゴーグルつけないほうが危ない可能性ありますよ」
「え……どどどうしよう真央くん! 私、今までずっとゴーグルつけないでプール入ってたよ!」
「……だから何ですか?」
「反応が冷たい!? 真央くんがゴーグルつけないでプールに入ると危ないって言ったじゃん!」
「いや、会長は泳げないわけですし、目開けれないでしょ。だから水泳の成績以外は問題ないんじゃないですか?」
「……そういえばそうだね~」
ちゃんと考えてしゃべろうね~。目先のことばかりで話してたら会長なんてやっていけないと思うし。やっていってもダメ会長のままだよ。
さて、いい加減話を進めるか。天然発言のせいで話が変な方向にズレてきてるし。
「じゃあ会長……何をビクついてるんですか?」
「え、えっとね……水の中で目を開ける訓練をさせられるのかなーと思って」
「あっそうですか……」
「真央くんの鬼! 目に染みるっていうのに冷たすぎるよ!」
「会長、人の話を最後まで聞いてから話そうね。俺のゴーグル貸すから大丈夫ですよって、俺は言おうとしたんですよ」
手に持っていたゴーグルを会長に突き出しながら言うと、会長は申し訳なさそうな顔を浮かべた。
会長は、俺に向かって小声で「ごめんなさい」と言いながらゴーグルを受け取った。
何でだろう、普段元気な会長に小声で謝られると凄く反省してるだなって思ってしまう。それに加えて子供相手に怒りの感情を抱くなんて、と罪悪感も覚えてしまった。
いいか桐谷真央。会長は、見た目は大人でも中身は子供だ。やることが昔のシスターズに割りと似ているじゃないか。会長は妹みたいなものじゃないか。本気で怒らないといけないこと以外にいちいちムキになってたら身が持たないぞ。会長は妹みたいなもの、会長は妹みたいなもの……
「……よし」
「ぶぉ~べぼばべべぼびびばび……ぶぼッ! 痛いよ真央くん、何で頭叩くの!」
「会長が急に座りこんだと思ったら、いきなり水に顔をつけたからですが、何か? まだ話は終わってないんですよ」
「うぅ……目に染みないか確認しただけだもん」
「ちゃんとそれもする予定でしたよ。でもね、せめてもうちょっと深いところでやって」
膝くらいまでしか海に入ってないんだよ俺ら。高校生にとって今居る場所は、かなり浅いよね。小学生以下の小さな子供でも遊べるところだし。
そんな浅い場所で高校生が座り込んで海の中を見てたらどうよ。はたから見てる人は、あの人おかしいって思うよね。
「え……深いところってどれくらい深いところ?」
「そんなに怯えるってことは、発想が極端だねあんた。あんたは俺のこと、泳げないのに足のつかないところに行かせる鬼畜とでも思ってるわけ?」
「別に思ってないよ。でも……真央くん怒ってるみたいだし」
「(あんたが怒らせてるんだろうが! それにイラッとしたのは、あんたが怯えながら深いところって聞いたところからだろ! その前に会話でいつ俺が怒ってた! ……)怒ってませんよ。とりあえずもう少し深い場所に行きましょう。泳ぎを教えるわけですから、ある程度深さがないとできませんし」
腰ほどの深さまで沖に向かって移動しようとした。だが何者かに腕を掴まれ制止をかけられた。今の状況から俺の腕を掴む人物はひとりしかいない、と内心で思いながら振り返ると、予想したとおり赤みがかった髪の人物――少し怯えた顔をしている会長がいた。
「どうかしましたか?」
「えっとね……その……手繋いじゃダメ?」
……手を……繋ぐ?
待て待て、何で急にそんなことを言ってくるんだ。俺達は別に恋人でもないのに。それに、手を繋いだら周囲からの視線が……冷静に考えれば、会長は泳げないわけだから深いところに進むのは怖いよな。心配を掛けたくないのかあまり水に対して怖がってる感じを見せてないけど。
などと、思考した結果――俺は会長と手を繋ぐことを了承することにした。
「いいですよ」
「ほんと! えへへ」
まったく、そんな笑顔浮かべられたら断らなくてよかったと思うじゃないか。まあ、変な勘違いはしないけど。どうせ会長のことだから、滑ったりしたときに俺にすぐ助けてもらえるため、恐怖が減って嬉しいのだろう。それか、純粋に誰かと手を繋げたことが嬉しいのだろう。会長は子供だし……
「会長」
「なに? あっ、やっぱり手を繋ぐのダメ……とか」
「いえ……別に手を繋ぐのはいいんです。でも……繋ぎ方変えてもらえませんか?」
俺と会長は、いま世間で言うところの恋人繋ぎをしている。
会長は全く気にしていないのだろうが、俺はこの手の繋ぎ方は無理だ。思春期の男子は、女子と普通に手を繋ぐだけでもかなり意識するものだ。恋人繋ぎなんかされたら……言わなくても分かるだろう。
会長のことを『子供』や『妹みたいなもの』として頑張って認識するようにしているが、ふとしたことでその認識が女子に変わってしまう。会長の言動ですぐに元に戻るのだが。
女子と意識すると恥ずかしさを覚えるし、周囲の視線と黄色い声でさらに恥ずかしさを覚える。手の繋ぎ方を変えたところで変わらないと思うかもしれないが、少なくとも俺の精神上は変わるんだ。
「うーん……こう?」
会長は、少し考えた後――確認の声を出しながら俺の腕に抱きついてきた。腕に会長の大きくて柔らかいものがしっかりと当たる密着具合で。これに加えて、身長差のために会長は自然と上目遣いになっている。さらに、こちらの方が身長が高いため、しっかりと会長の谷間が見えてしまった。
それらを認識すると同時に、顔が一気に熱くなり始めた。
「な……」
「な?」
「何やってんだあんたは!」
「ひゃ!? ごめんなさ~い!」
俺が大声を出すと、会長は驚きの声を上げ、謝りながらすぐに離れた。
離れた会長は、少し怯えた様子でこちらを見ている。目も潤んでいるため少々涙目だ。おそらく俺の顔が真っ赤であるため、本気で怒ってると思っているのだろう。
「会長」
「な、なに?」
「何で手の繋ぎ方を変えてと言ったのに、抱きついてきたんですか?」
「だ、だって……千夏がそうしたほうが真央くんが喜ぶって言ってたもん」
またあんたが元凶かァァァァァァァッ! と、心で叫びながら浜辺にいる月森先輩の方へ視線を向けた。
月森先輩は、まだ氷室先輩と砂の城を作っていた。砂の城の感想としては、無駄にレベルが高いの一言に尽きる。
それなりに距離があるため気づかれないかと思ったが、月森先輩とすぐに視線が重なった。月森先輩は、こちらが睨んでいることで理解したのか、こちらをちょくちょく見ていたために理解していたのか、満面の笑みという返事を返してきた。
それに対して、俺の怒りはさらに上昇した。いつもならば他の感情も湧いただろうが、今日は一切湧いてこない。文句でも言いに行こう――と思ったが、行ったら余計に怒りの感情を湧かされるだけだ、と判断して文句を言いに行くのはやめにした。
「ふぅ……」
「ま、真央くん?」
「会長に怒ってはいませんよ。だからさっさと続きしますよ」
「ひゃ……」
月森先輩のことを意識からなくすために早く会長に泳ぎを教えようと思い、会長に怒ってないということを伝えるために、会長の手を自分から握って沖のほうへ歩き出した。
会長が変な声を出したが、おそらく突然俺が手を握ったからだろうと自己完結させた。
会長の腰ほどの深さまで到達すると、会長の手を放して振り返った。視界に映ったのは、自分の手を見ている会長の姿だった。
「……えっと会長。俺、強く握ってましたか?」
「ぇ……あ、ううん。別に痛くなかったよ。真央くん、優しく握ってくれてたよ!」
てっきり月森先輩への怒りで思いっきり握ってしまったかと不安だったが、大丈夫だったようだ。
……不安がなくなって安心できたんだが、会長の優しく握ってくれたって発言で妙な気分だ。恥ずかしいような嬉しいようなむずがゆいような……
「真央くん、何か顔赤いよ。大丈夫?」
「大丈夫です。だから必要以上に近づかないでください」
もうちょっと自分の今の格好を考えて。心配してくれるのは普通に嬉しいんだけど、今の場合はありがた迷惑だから。近づかれたら余計に顔が赤くなる→会長がさらに心配して俺に近づく。っていう悪循環になるから。
「気を取り直して次の質問です。会長は水に浮かべますか?」
結構重要なポイントだから嘘偽りなく答えてくださいね。「浮かべない」でいいから、変なボケとかはしないでね。時間を無駄にするから。
「浮かべるよ」
「……マジですか?」
「何でそんなに驚いた顔で聞くの、真央くんは否定的に私のこと見過ぎじゃないかな!」
会長は、プンプンという疑音語がぴったりの仕草で怒った後、俺に「今すぐ浮かべるって証拠見せてあげる!」と宣言して大きく息を吸い、水面に倒れ始めた。
おぉ……ちゃんと浮かべている――
「――って、何で仰向けなんだよ!」
浮かべているから嘘はついてないけど、ここでボケないで会長。普通にボケるよりも質が悪いから。
それに何度も思ったことだけど、会長は自分の格好自覚してるの? 会長は、いま制服とかじゃなくて水着を着てるんだよ。それも水着の中でも布地が少ないビキニタイプ。
「ふぇ?」
「ふぇじゃなくて、身体の向きが違うでしょ!」
「じゃあこう?」
会長は、一度起き上がると身体の向きを変えて再び浮かんだ。
そうそう――って違う! 頭をこっちに向けろって意味じゃない!
……もう、何で会長は常識的な解釈をしてくれないのかな。いまの会長……はっきり言ってエロい。どういう風にエロいかって言ったら、今の会長の状態を考えればすぐに分かるだろう。会長は、仰向けの状態で浮かんでいる。そして水着は水色のビキニ。
水面から出た柔らかくも弾力がありそうな大きなふたつの山。シュっと引き締まって無駄な肉がひとつとしてないウエスト――見事なくびれや綺麗なおへそがこれまた色気を感じさせる。腰から下も実に健康的な肉付きをしている。
下半身の表現が微妙なのは勘弁してほしい。あまり直視できないんだ。会長に見上げられてる状態だから、俺の視線の動きは会長に丸見えだろうし……会長だからそういうの分からないって気もするけど、何か罪悪感があるんだ。それに、浜辺から危険人物が見ているかもしれない。
「会長……顔を水につけて浮かんでって意味です」
「え……」
「ゴーグルあるから目は大丈夫でしょ」
「おー」
「そのくだりはもういいです。というか、何でゴーグル外してるんですか?」
「ずっと着けてると痛いんだもん」
痛くなかったら緩いってことですよ。それじゃ水が入ってくるんですよ、と内心でツッコミを入れると、会長は首にかけていたゴーグルを手に取り、レンズに入った水滴をできるだけ外に出してから装着した。浮かぶ前に顔を水につけて、水が入ってこないことを確認してから身体を浮かせ始めた。
会長のことだからうつ伏せの状態で浮かぶ方法を教えろ、とか言ってくるかと思ったが……まあ仰向けの状態で浮けるなら浮き方自体は分かるか。それに仰向けよりうつ伏せの状態で浮くほうが授業では先に教えられるだろうからできてもおかしくない。目を閉じてたら問題ないわけだし。
「……(これは……やばい)」
仰向けのときとは別の色気を感じる。無防備に顕わになった綺麗な背中と腰。布地が少ないのであまり直視はできないが、世間でいうところの安産型なお尻。
会長って、よく見ると年相応かそれ以上の色気があるんだな。普段は天然の言動で子供っぽいからあまり感じさせないけど……水着、恐るべし。
せめてこの水着がスクール水着だったらそこまで色気を感じなかった……かもしれないが、会長のスク水姿は別に意味で危ないな。何か犯罪の匂いがする。
それに、もし会長が今スク水を着ていたら……周囲から見た俺は、彼女にスク水を着させている変態な彼氏みたいになるのではないだろうか。周囲の中高生くらいの男子から嫉妬めいた視線で見られるし、小声で何か言っているようだから、いま俺は会長の彼氏に見られている可能性が高いし。
他のメンツが近くにいれば友人とかそういう間柄に見られるだろうが……他のメンツが居た方が嫉妬の度合いが上がりそうだな。外見だけなら全員良いわけだし……ひとりは中身は良いけど外見がロリだけど。砂の城作ったり、浮き輪つけて泳いだり、スク水着てても全く違和感ない
「うッ!」
側頭部に突然何かが飛来した。かなり勢い良く飛んできたため、その威力に身体が傾いた。必死に体勢を立て直そうとしたが、水の抵抗や足の下がすべりやすい砂だったため、盛大にバシャン! と音を立てて水中に沈むことになった。
「ぷはぁ! ごほっ、ごほっ!」
「ま、真央くん大丈夫! 急にどうしたの!」
「じょっとまっでぐださい」
あぁーもろに鼻に水が入った。何年も経験してなかっただけに地味にきつい。経験しててもきついのは変わらないだろうけど。
それにしても、いったい何が飛んできたんだ……
「……あれか」
周囲を見渡すと、飛来した物はすぐに見つかった。バレーボールほどの大きさの球体――市販されている一般的なビーチボールだった。
ビーチボールが何であんなに勢い良くこっちに飛んで来るんだ、と思いながら飛んできたと思われる方向に顔を向けると、浜辺に見知った小さい先輩の姿が見えた。
遠目だからはっきりとは分からないが、どことなくイラついているように見える。それに氷室先輩の半径数メートル以内に月森先輩以外の人影が見当たらない。消去法で俺にビーチボールをぶつけたのは氷室先輩ということになった。
「真央くん、大丈夫?」
「ええ、何とか。会長、ちょっと待っててください」
会長にそう言い残し、とある疑問と飛来したビーチボールを持って浜辺の方へと向かう。浜辺に近づくにつれて、氷室先輩の不機嫌そうな顔がはっきり見えてきた。雰囲気も実に不機嫌そうだ。
「何か用かよ?」
「あのー先輩、それは何かおかしくないですか。これをぶつけてきたのはそっちですよね? 俺、先輩に何かしました?」
「別にテメェに何かされた覚えはねぇよ」
「……じゃあ何でビーチボールをぶつけるんですか?」
「むしゃくしゃしたから適当に打ったらテメェに当たっただけだ。気にすんな」
いやいや気にするでしょ! というか、いくら先輩だからってぶつけておいて気にするなってのはおかしいでしょ! せめて一言謝ろうよ!
正直、今の言い方からして先輩嘘ついてるでしょ。適当に打ってないよね。勢い良かったことの説明にはなるけど、絶対適当じゃないよね。
「んだよ。何か言いてぇことがあるならはっきり言えよ」
「……その「小さい」身体のどこにあんな力がある――ちょっとあんた、何で途中で余計な言葉ぶっこんできた!」
「あら、的確な表現にしてあげただけよ」
「失礼でしょ! 人が気にしてることを的確に言ったら失礼でしょ!」
「そういうお前も失礼なこと言ってるって分かってんのか! 小せぇわたしのどこに力があるかって、テメェらから受けたことで生まれた怒りからだよ! 分かったか!」
え……俺そんなに先輩に失礼なこと言いましたっけ? 俺の記憶が正しければ、今日言ったのは今のくらいじゃ……はっ! そういえばさっき先輩のこと色々と考えたっけ。先輩は、読心術の持ち主だったから……って待てよ、近くにいたなら考えたことが読まれてもおかしくないけど(普通は読心術の段階でおかしいのだが)、俺と先輩はかなり距離が離れていたはずだ。あの距離まで自分に対する悪口に該当する思考を読めるというのか……先輩、恐ろしい子。
それともあれかな。月森先輩とかの日々の弄りで日々パワーアップしてるのかな。うわぁ、実にありえそうだ。さすが非常識の塊が集まった生徒会の一員。
「キリタニ、テメェ前にわたしのこと尊敬してるとかどうこう言ってたよな。どうも今のテメェからはそういったことを感じねぇんだが。今のまた色々と考えてたみたいだしよ」
「奈々、仕方ないじゃない。桐谷くんは男の子なのよ。女子の水着姿を見たら、色々と考えても仕方がないわ」
「なっ!? て、てめぇ、そっち方面のこと考えてやがったのか!」
「考えてないですよ! 月森先輩、弄るのやめて。そういう積み重ねが割りと俺にぶつけられるから」
「別にいいんじゃないかしら。私に害はないわけだし」
あんたって人はァァァァァァ! あんたみたいな自己中心的な人がいるから、生徒会が常識的にならないんだ! 被害を受けるのは生徒会で唯一の常識人の俺が多いんだぞ!
「良くねぇよ! てめぇ以外……てめぇとアキモト以外良くねぇよ」
「もう奈々、桐谷くんが水着の感想言ってくれないからってそんなに怒らないの」
「そのことで怒った覚えはねぇよ! お前のそういうところに怒ってんだよ!」
「あら、ちょくちょく桐谷くん達の方を見ては、小声で『あいつら、仲良くなったみてぇだな』とか、ブツブツ言ってたじゃない。お兄ちゃんを取られてやきもち焼いてたんでしょ」
「嫉妬心から言ってたわけじゃねぇよ! それに、キリタニを兄とは思ってねぇ! それと人の声真似すんな!」
氷室先輩が言ってたことについては、まあツッコミを入れることないな。俺が最初会長を嫌ってたってこと分かってたわけだし。老婆心みたいなものから言ったんだろう。
それにしても月森先輩って声真似できたんだな。……待てよ、これから声真似を使われると余計に色々と面倒なことになるんじゃないか。ケータイの番号も知られてるし。
悪い方向に考え始めたら、なんか声真似が前からあった特技と思えなくなってきたぞ。月森先輩なら、生徒会メンツを弄り続けるためにひそかに練習して覚える可能性があってもおかしくない。いや、個人的に高確率で弄るために覚えた気がする。
「『ねぇにぃや、奈々の水着姿どう思う? 可愛い?』」
「やめろつってんだろ! それと何でここでそのネタが出てくんだよ! わたしは今日一言もキリタニのことそれで呼んでねぇぞ!」
「『にぃやが奈々の水着の感想言ったらやめる』」
うわぁ……声真似を惜しげもなく弄るためだけに使ってるよこの人。何て無駄な……本人にとっては無駄ではないんだろうけど。氷室先輩、実に哀れだ。
さて、氷室先輩はいったいどういう選択をするのだろう。普通にツッコミ(怒鳴ってるだけともいう)だけでは、月森先輩はやめない。実力行使も体格差からして無理だろう。ふたりの体格は大人と子供なのだから。
そもそも、月森先輩に何かしたら数倍になって返ってきそうなので、氷室先輩は実力行使のような真似はしないだろう。それに、月森先輩は一応やめる条件を提示した。氷室先輩がする選択はひとつしかないだろう。
「ぐぐぐ……キリタニ、言え」
その選択をすると思いました。でも先輩、俺が悪いってわけでもないのに、睨みながらドスのきいた声で言わないでください。先輩が普通の外見だったらかなり怖かったはずですし。まあ、普通の外見じゃないから、これから先輩の水着の感想を恥ずかしさを覚えずに言えそうですが――
「――よく似合ってますよ」
「色々と小さくて悪かったな!」
なんで!?
俺、別におかしなこと言ってないよな。素直に水着の感想を言っただけだよな。なのに何で怒鳴られるんだ? 表情からして照れ隠しってわけでもなさそうだし。
「それはね桐谷くん。君が奈々の頭のてっぺんからつま先までよーく見て言ったからよ」
な、なるほど……別に胸とかを注意深く見てたってわけじゃないけど、確かに先輩の全体を見たのは事実だ。見られた女性からすると、氷室先輩のような解釈をしてしまう人もいるわけか。
って、あんたも人の心を読めたの!? 俺って意外と顔に出てるのか?
「顔にはあまり出ていないわよ。でも、行われた会話から君の心理を予想すれば大体検討がつくわ」
……どこまで非常識なんだよこの人。もう探偵にでもなればいいよ。そしたらきっと高校生探偵ってこととその外見で有名になれるよ。
「おいキリタニ」
「なんですか?」
「チナツの感想も言えよな。わたしだけ弄られ……恥ずかしい思いをするのはごめんだからな」
……もうちょっと嘘をつけるようになったほうがいいと思いますよ先輩。根っからの善い人ってことは分かってますし、すばらしいことと思いますけど……これからやろうとすることがバレバレになってしまったわけですから。月森先輩相手にそれはもう致命的でしょ。
「別に構わないわよ。私は奈々と違って自分の身体に自信があるもの」
「アァ! 嘘つくんじゃねぇよ!」
「嘘なんかついてないわ。主観的にも客観的にも女としての魅力があふれる身体をしているもの。その証拠に、奈々と違って桐谷くんは私をほとんど見れていないわ」
そりゃそうでしょ。こんな間近で水着姿のあなたを見れるほど、俺は女性慣れしてません。今まで付き合った女性の数は0なんですから。
だから氷室先輩、俺を睨むのやめてください。元はといえば、あなたが俺にビーチボールを当てなければこうなってないんですから……まあビーチボールの件を除いても、氷室先輩が仕返しをしようとしなければよかっただけなんだが。
「見ろよ」
「刺激が強いので無理です」
「奈々、先輩だからって強要するなんていけないと思うわ。見向きもされないというのは女性として少々傷つくことだけど、意識しすぎで見れないってことなら仕方がないわ。鼻血とか出されても困るし、元気になられても困るから」
「そこは鼻血だけでいいだろ! 真昼間から下ネタ言ってんじゃねぇ!」
うん、そのとおり。だけど氷室先輩、そこは俺に言わせてほしかった。先輩は精神は子供じゃないから理解するって思ってたけど、口に出してほしくなかった。ただでさえ、そんなに顔真っ赤にしてるんだから。
……顔を赤くしたってことは、想像したってことだよな。氷室先輩でもあっち方面のことに興味はあるんだな。まあ、見た目はともかく精神は年頃の女の子だもんな。そもそも、男子が女子に興味あるように、女子も男子に興味あってもおかしくないしな。
しいて氷室先輩にツッコむとすれば、「大声で下ネタなんて言わないで」とかくらいだな。会長と一緒にいたせいか、周囲の視線が集まるのに抵抗がなくなってきてるため、口に出そうとあまり思わない。恥ずかしいのは氷室先輩なわけだし……別に恥ずかしがる先輩が見たいとかじゃないぞ。
「大体そんな風に余裕ある感じに振舞ってるけど、本当はチナツ。お前、キリタニにジロジロ見られないで内心ほっとしてるだろ」
「あら、何を言ってるのかしら? 私は別に桐谷くんに見られても平気……」
「わたしは知ってんだかんな。お前が、ホントはそのでけぇ胸気にしてるって」
氷室先輩の言葉に、月森先輩は口を開いたまま一瞬動きを止めた。
何を言ってるんだ? と疑問が生じたが、濃い生活を送っているために忘れつつあった生徒会室での一件を思い出し、氷室先輩の言ったことへの疑問は薄れた。
俺の中で疑問が薄れ始めたのと同時に月森先輩は、ややぎこちないように思える笑顔を浮かべ、手を自分の胸に当てながら口を開いた。
「奈々。私は、別に胸が大きいことを気にしてなんかいないわ。胸が大きいのは女性として誇れることだし。まあ、気にしてるといえばしてるわよ。ぺったんこの奈々と比べてこの大きさだから肩がこるし、運動するときに邪魔になったりするから」
うわぁ……いつもよりも毒舌になってるよ。しかも氷室先輩のコンプレックスを的確かつ強烈に突く言葉だし。これは先輩、怒るだろうな……あれ? 氷室先輩の顔が真っ赤になってない。それどころか、怒気を感じさせない涼しい顔をしている。
「じゃあチナツ、そこまで言うならキリタニに見られても平気ってことだよな。間近で胸見られても大丈夫ってことだよな?」
にやけながら氷室先輩が言ったことに、月森先輩は「え……」と声を漏らした。いや、月森先輩だけではない。俺自身も声を出しはしなかったが、驚いている。
俺が……先輩の水着姿を見る? しかも間近で……胸を重点的に?
「ほら、キリタニもチナツのこと見たがってるみてぇだぞ」
「ぇ……き、桐谷くん」
「い、いえ別に……」
「チナツ、何うろたえてんだよ。お前さっき言ったじゃねぇか。見られないのは女として傷つくってよ」
「う……」
いつもおもちゃにされている氷室先輩が、月森先輩を追い込んでいる。普段と真逆な光景だ。それに子供が大人を言い包めてる感じがしてシュールだ。
月森先輩、これがあなたが普段俺達にしていることなんだよ。するのは楽しくても、されると嫌だろ。これを気に更生して……なんでそんな弱々しい目でこっちを見るんですか。普通に考えて、俺が助けに入ると自分の首を絞めるだけだと思うんですけど。それが分からないくらい内心取り乱してるんですか?
……ほんとにやめて。こっち見ないで。そんな普通に助けを求めるような視線されたら……先輩が普通の綺麗な女子になっちゃうじゃないですか。弱気になってるせいか、どことなく普段の大人っぽさが消えてるし。おかげで可愛いって思っちゃうじゃないですか。
このままここにいたら、これから起こりそうなふたりの面倒事に絶対巻き込まれる。面倒事が起きなくても、月森先輩にやられる……かもしれない。それに会長を待たせてるし……今のうちに退散するか
「どこに行こうとしてんだ――よッ!」
「いつッ!」
退散しようと体勢を変えようとした矢先、氷室先輩に背中を蹴飛ばされた。俺と先輩の体格差はかなりあるが、さすがに思いっきり蹴られては体勢を維持することはできず、前方に移動しながら倒れ始めた。運が悪いことに前方には月森先輩が立っていた。
「へ……」
「え……きゃッ!」
俺の倒れる速度が速かった、といっても普通なら避けられた速さなのだが、月森先輩は氷室先輩の反撃で弱っていたため、俺を避けることができなかった。
身長は同じくらいだが、女性である先輩が受け止められるわけもなく(普段の状態だったら分からないが)、俺と先輩は倒れた。
「いつつ……あれ?」
倒れたはずなのに痛くない。地面が砂とはいえ、少なからず痛みがあるはずなのに……それに、何故か顔に心地よさを感じる。
何だろうか、この俺好みの絶妙な柔らかさと弾力を持った何かは……何か布みたいなものの感触もするなぁ。……まさか!?
「うぅ……」
両腕に力を入れて身体を起こすと、顔を茹ダコのように真っ赤にした月森先輩が視界に映った。目は少々潤んでおり、涙目になっている。
これは……間違いない。さっきの心地良い感触がする物体は……先輩の胸
「キリタニ、こんな公の場で押し倒すとは度胸あんな。少し見直したぜ」
「あんたが蹴飛ばしたからだろ、俺に押し倒すつもりはなかったわ! それに、何を見直したんだよ。どこにも見直すところなんてないだろうが! それが分かってるからこっち見てないんだろ!」
「ツッコンでないで、退いたらどうだ?」
はっ!? そうだった。ツッコんでる場合じゃない。ありがとう先輩……って、現状を招いた人物に感謝してどうするよ俺。
と、自分で自分にツッコミを入れながら、速やかに月森先輩から退いた。月森先輩は、ゆっくりと上体を起こして、両手で自分の身体を包み込むようにして自分の胸を隠し、涙目で俺を睨みつけてきた。
やばい……先輩、今までで1番怒ってる。普段のような、どことなく演技っぽいというか冗談めいた部分が全くないし。
いや、先輩だって見た目は大人だけど、年相応の感情を持っているんだ。今回のことは、内容が内容だけに本気で怒らない方がおかしい。
今すぐ謝るべきだよな……根本的に悪いのは氷室先輩なのだが、俺に罪がないわけではないし。
「えっと……月森先輩」
「…………」
「その……」
「…………」
「すみませんでしたッ!」
両手両膝を地面に着け、額を地面につけて謝った。
俺、いま人生初の土下座してるよ……まさか高校1年生で本気の土下座をするなんて思いもしなかった。月森先輩、許してくれるだろうか……可能性は低いよな。公衆の面前で押し倒した挙句、顔とはいえ胸に触れちゃったわけだし。結構長めに……。
あぁーきっと、今頃俺は周囲の人間に最低な野郎って勘違いされてるんだろうな。胸を隠している顔の赤い女性に、本気の土下座している男って構図のわけだし。……まあ、それはもう甘んじて受ける。恋人でもない女性に、自分が根本的に悪いわけではないがやってしまったのだから。
……それにしても、先輩反応がないな。怒鳴りつけるなり、罵倒するなりしてくれた方がこっちも精神的に楽なのに。土下座してるからどういう顔をしてるか見えないし。この無言の時間が辛い……
「…………」
「先輩、どうしてくれるんですか!」
「うおっ!? いきなりくんじゃねぇよ。びっくりするだろうが」
「びっくりするってことは、第三者の立場で見てたってことですよね! 先輩が蹴飛ばすからこうなってるんですよ! 俺と同じ立場で見てくださいよ、ていうか見ろ!」
「小声で怒鳴るって、お前器用だな。というか、お前ってわたしは簡単に見れるし、触れれるんだな」
「話を逸らそうとしないでください! 現状を生み出したのあなたなんですから! お願いだから一緒に謝るなり、解決方法を考えてください!」
氷室先輩の両肩に手を置き、軽く揺す振りながら言った。周囲からの視線なんか気にしていられない。
正直に言って、今の状況をどうにかできるなら周囲の人間にどう思われても構わん。こっちはそれくらいの意気込みで頼んでるのに……氷室先輩は目を逸らしてこっちを見ようとしない。
何であんたは目を逸らすんだよ! と、叫ぼうとした瞬間、俺の肩に何かが触れた。少しだけ首と視線を動かして確認すると……女性の手があった。
反応してほしいと思っていたのにも関わらず、全身から血の気が引いていく気がした。徐々に首を回して視線を上へと上げていく。視界に映ったのは……頬を膨らませた会長だった。
「……なんだ会長か」
「なんだじゃないよ真央くん!」
「会長、落ち着こうか」
「何で私が嗜められるの! 真央くんがひとこと謝るところだよね!」
おぉ……空気を読まないで入ってきた割には、空気を読んだ発言してるよ。
「会長、とりあえず落ち着いて」
「だから、私を嗜める前に謝ろうよ! どう考えても真央くんが悪いでしょ。ちょっと待ってろって言ってたのに! 奈々ちゃんにボール返したらすぐに戻ってくるって思って、1歩も動かないで待ってたのに」
会長、俺が悪いってのは充分に分かってる。確かにちょっと待ってろとも言ったし、今まで来なかったってことは、会長は言ったとおり善い子にして待ってたんだろうから。
だけど、とりあえず声のボリューム下げて。何か周囲の視線が、さっきまでの「三角関係か……」みたいな視線から「まさかの四角関係?」みたいな視線に変わったから。……って、俺が謝ればボリューム下げてくれるのか。月森先輩のことで頭が一杯になってるな……
「会長、俺が悪かったです。すみませんでした」
「ふんだ……私のこと放っておいて、奈々ちゃんや千夏とばかり仲良くして――私、善い子にして待ってたのに、3人で楽しそうにして――真央くんなんか知らない」
声のボリュームは下がったけど、完全に会長……高校生とは思えないくらい拗ねてるな。大方、自分だけ仲間はずれにされたって思ってるんだろうな。
でもね……楽しそうになんかしていないよ。空気的には修羅場みたいになってるよ。何であなたには楽しそうに見えるのかな?
……まあいい。会長に嫌われた可能性があるが、まあいいだろう。会長に嫌われたところで、今みたいに拗ねた感じで話されるか、ずっと拗ねて無視されるくらいだろうから。人間的にマイナスの感情が生まれはするだろうが、天然の言動にツッコミを入れなくていいわけだからプラスの感情もあるし。
「そうですか。で、氷室先輩。何か方法は浮かびましたか?」
「急に戻すんじゃねぇよ。もうちょっと桜の相手しろよな」
「それは考えてなかった言い訳ですか?」
「ちげぇよ。桜のやつが余計にむくれてるから言ってんだよ」
……先輩の言うことを信じてもいいのだろうか。目は誤魔化してるようには見えないが、会長がむくれているという証拠はない。俺が後ろを見ればいいだけだが。
しかし、後ろを見て確認している間に先輩が逃亡する可能性がある。逃亡されたら事の発端は先輩にあるのに、月森先輩を俺ひとりでどうにかしないといけない。それだけは絶対に避けなければならない。それに、会長がむくれてるからどうしたっていうんだ。会長から俺のことなんか知らないと言ってきたんだ。それは話したくないってことじゃないか。
「会長よりも今は月森先輩でしょ」
「確かに優先度はそうだろうけどよ……」
「先輩、何でそんなに会長の相手をさせようとするんですか。逃げる気ですか? 下手したら俺、殺されるかもしれないんですよ。事の発端のあなたが逃げるんですか?」
「別に逃げる気はねぇよ。それと、さすがにチナツでも殺したりはしねぇって……自分の手では」
俺よりも月森先輩との付き合いが長い先輩がそういうなら――最後ボソッと何て言った!? よく聞き取れなかったけど、顔を背けて言ったってことはろくでもないこと言ったんだろ! もうちょっと隠せるようになってよ先輩。基本的に善い人だって分かってるけど、今の場合は意図的に俺をより追い込んでいる悪い人にしか思えないから!
徐々に悪い人化している(本人は普段どおりなのだろうが)氷室先輩に返事を返そうすると、誰かが俺の肘あたりを握ってきた。また会長か、と真っ先に思ったが、一方で月森先輩という可能性もある。恐る恐る首だけ回して確認した。
「(なんだ会長か……)……うぉっ!?」
会長だということで安心した矢先、突然会長が俺を引っ張り始めた。足に力を入れていなかったことと、引っ張られたことで体勢が崩れたため、後方に移動し始めた。
「ちょっ会長、何するんですか?」
「さっきの続きするの」
「え、あっ、はい。でも、もうちょっと待ってもらえませんか?」
「いや。なんかずっと千夏とか奈々ちゃんとばかり話して、続きしないで今日が終わりそうだもん」
「氷室先輩、ヘル――って、何で手を振ってんの!」
「いやよ、正直なところお前がいると千夏が元に戻りそうにねぇからさ。時間置いてから謝るなり――消されるなり――したほうがいいと思うぞ」
「謝るの後に何か小声で言ったよな、何て言ったんだよ! 会長、爪がくい込んできてるんだけど」
「ふんッ!」
あぁもう! 何で無理やり連れてこられたのに、こんな嫌な展開になるんだよぉぉぉぉぉッ! ……はぁ、俺……近いうちに消されるかもしれないなぁ




