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「岩肌巖雄・下(その二)」

「……見付けましたよ。そこですか」

 俺の姿を見るや否や、闇の中から奴の拳骨が飛んでくる。反応して体を捻らせるが、同時に鞭のようにしなる細腕の魔手が、闇の中から俺の首根を狙ってきた。

 上半身を後ろに反らし、寸でのところでそいつもかわしたが、無茶な体勢を取って重心が後ろに行き過ぎ、転んで尻餅をついちまった。あぁ、情けねぇ。

 ……いや。んなことはどうでもいい、今の連携は何だ。あれが奴の能力だっていうのか? そんな筈はない。今ここで感じたのは人ひとり分の殺気だけ。目の前に居るのはあいつ一人で間違いない。だとしたら、今のは一体何なんだ。

 白ハットの追撃をかわし、体勢を立て直した俺に、奴は人差し指を左右に振ってこう言った。

「貴方のことは調べさせて貰いましたよ、イエツナ・ナナエ。何でも、ひとりで七人分の能力をお持ちなんだとか。そんな相手に私一人で挑む筈がないでしょう? 暗殺のプロを……貴方に倣って七人。密やかにこの工場に放っておきました。どうです? 姿無き暗殺者になぶられる気分は」

「姿無き暗殺者……? 馬鹿言うな、俺は探偵だぜ。そんなくだらない小細工、とっくのとうにお見通しなんだよ」

「はて。何のことやら」

 ロザリーの『勘』に間違いは無い。殺気が一つなら、ここに居るのは奴一人以外あり得ねえ。だとしたらこれは……。

「自分の体を別の何かに変える――、そいつがお前の能力なんだろ。左手にくっついた機械。そいつは脳波と装置とを繋ぎ、操作の手間を省く新型のクロスチェンジャーだ。長く使ってると買い替えはどうかとしつこくてな。嫌でもそういう情報が入ってくる訳なのよ。

 わざと近付いて体を大映しにさせ、そこから腕や足だけを変化させて打つ。関節外してあらぬ方向から打ち込めば、姿の無い暗殺者の完成って訳だ。動揺させようったってそうは行かねぇぞ」

「……貴方が」「そう」「思うのなら」「そうなんでしょうね」「貴方の中では」

 自分でも突拍子もないと思ったが、どうやら図星らしい。筋肉巨漢の姿からビリヤードホールで出会った少女、おっさんよりも更に老け込んだ爺さん、警察官の若い女、アイドルの星川美々、夢野家の若旦那と次々に姿を変え、再び巨漢の出で立ちに戻った。

 その上で話はそれだけかと言わんばかりに、地面に刺さったダーツを引き抜き、拳に鉄針を挟んで殴りかかる。わざわざ人差し指を突き立てて言ってやったのに、顔色一つ変えやしねぇ。それぐらい屁でもないってか。

「張り合いねぇな、少しは何か言ったらどうだ……って、うぉご!」

 奴の動きは「勘」で読めるから良いものの、それとは別にダーツが飛んでくるもんだから堪らない。

 だったらこっちも飛び道具だ。葛葉の力を借り、ポケットの中の百円玉をぶちこんでやる。

「いつまでも調子こいてンじゃねぇぞ、これでどうだ!」

「甘いですよ、イエツナ・ナナエ。飛び道具はあれだけだとお思いですか」

 ――……何か来ますわッ、屈みなさい家綱!

「屈めって……おぉおわっ!?」

 放った銭が硬い金属音を響かせ弾かれる。糞ッ、ダーツだけじゃなく「手裏剣」まで使ってくるのか。避け切れずに頬が切れちまったぞ! こんな暗がりの中で正確に銭を弾いてくる辺り、腕の方も尋常じゃない。

 如何様にも変化する体に加え、自由自在に曲がる関節。近付いても死角無しで、かといって離れれば手裏剣。おまけに上の階からダーツの援護射撃と来た。隙らしい隙が無いぞ。対抗策もないし、一体どうすりゃあいいんだよ!

 ……いや、あったぜ。こんな時だからこそ使えるたったの一つ対抗策が。そいつは――。

「全力で、逃げるッ!」

 こいつは正面切ってやれるような相手じゃない。だが奴はさっき、物陰に隠れた俺たちを探し出せなかった。レーダーの類を持っていない証拠だ。成る丈離れ、暗がりに乗じてぶっ叩いてやる。

 ダーツに続き、奴が俺の後を追って来た。足並みが相当早い。そんなに必死になるってことは、隠れられちゃ困るらしいな。俺の読み通りだ。……ここまでは。

 奴の足音が突然ぴたりと止んだ。なんだ、もう息切れか? エージェントってのも大したことねぇなあ。何はともあれ好都合だ、今のうちに上の階を押さえて逆にあいつを撃ち取ってやる。

 そう考え、二階に通ずる梯子に手を掛けたその時、縄より太く鞭よりもしなる何かが、俺の両足首を挟んで巻き付いた。抵抗するも敵わず引っ張られて行く。

 当然、そこにいたのは白ハット筋肉盛森(モリモリ)マッチョマンのQだ。あの野郎、右足を「象」のそれに変えて踏ん張り、左足を根本から「蛇」に変えて、この俺を絡め取りやがった。

 何を言ってるのか分からんと思うだろうが、そりゃこっちもお互い様だ。俺だって見たままのことを言っているだけなんだからな。

 奴は俺を鼻で笑い、帽子を目深に被り直すと、「油断しましたねイエツナ・ナナエ。これも能力のちょっとした応用です。『蛇』の”熱感知センサー”があれば、貴方を探すことなど造作も無い。そして」

「てッ……痛ででででっ!」

 残る両手を鳥の嘴に変え、俺の腕の第二関節をぶっ刺しやがった。床に貼り付けられて動けねぇ、奴の狙いはこれだったのか!

 だが、奴はどうやってトドメを刺すつもりなんだ? 足は鈍重な象と、俺の足首を縛り付ける蛇。そこに来て両手を鳥に変えたとなると、これ以上手の出し様が無いんじゃないのか。ダーツでメッタ刺しにするつもりか? いや、俺に覆い被さっているこの状況で放てば、奴だって無事では済まない筈だ。

 俺が不思議そうな顔をしているのが気になったのか、奴はシルクハットを浅く被り直して口を開く。

「考えていますね。この状況で、私が如何にして貴方を始末するのかと。何、カンタンなことです。私は人のみならず、動物にすら姿を変える事が出来るのです。つまり――」

 奴の頭から帽子が落ち、窓から微かに差し込む月光で、そいつの顔が顕になる。俺は堪らず息を飲んで冷や汗を垂らした。

 栗色の毛並みに黒い縞模様。ざらざらとした舌にデカい鼻。泣く子も黙らすおっかない瞳。こいつは誇張でも喩えでも何でもない、本物の『虎』の顔だ。人の体の首から上が、そっくりそのまま虎になっていやがる。

 肉食獣の顎の強さなんざ子どもにだって分かる。首か頭蓋骨をちょいと噛みゃあ、ヒトはそれだけで御陀仏だ。冗談じゃねえ、冗談じゃねぇぞおい!

「わ、わわわ! 待て、待て待て、ちょっと待てって!」と、言っては見たが止まらない。虎の鋭い牙と生暖かい涎が俺の顔に近付いてくる。

 もうだめかと、両の手で顔を覆い掛けたその時、左胸と鳩尾の辺りに強烈な痛みが走った。喰われてしまったのかと焦るが、虎の大口は未だ目の前。どういうことかと困惑するよりも早く、そこから飛び出た「弾丸」が、虎の舌と右目をぶち抜いた。

 奴は人とも獣とも付かぬ悲鳴を上げて後ずさる。何が何だか分からないが兎に角チャンスだ。俺はアントンを呼び出し、両足で奴の腹を思い切り蹴り付けた。

 唾が飛び、奴の体が逆「く」の字に折れ曲がる。絡み付く蛇と両腕を地面に張り付けた嘴が同時に緩んだ。

「チャンスデスヨー、家綱サン!」

 いちいち言われなくたって分かってんだよ。嘴を引き抜き、蛇を振りほどいた(アントン)は、体の主導権を纏に譲渡。お前だって相当溜まってんだろう? 思う存分ボコっちまえよ。

「こんな男に……、筋骨隆々で気色悪い男に、一度ならず二度までも! 許せない許さない、絶対に生かして置くものかッ!」

 纏の脇差が風を切って飛ぶ。奴も鳥の嘴で対抗して見せるが、あいつの速さにゃ追い付けず、肩・腰・胸・顔に、次々と刀傷を作って行く。あぁ、こいつが敵で無くて本当によかった。奴には悪いが「御愁傷様」だ。

 体のあちこちを切り刻まれ、旗色悪しと判断したQは、飛び退いて闇に消える。ここで逃がしてなるものか。続けて晴義に体を預け、奴の胸元にBB弾を撃ち込んだ。奴の悲鳴が工場内に反響し、積もった埃が周囲に散った。

「標的を討ち仕損じた上に、尻尾巻いて逃げ出すとは……。醜すぎて笑っちゃうよ。同じ男として恥ずかしいったらありゃしない。殺し屋ってのは皆キミみたいな阿呆なのかい?」

 言って、再び引き金に指をかける。これであいつもノックダウンだ。と、思ったのだが……、肝心のBB弾が出てこない。晴義自身に使わせる前に、俺が散々使ったからか。

 それ以上撃って来ないと分かったQは、まごつく俺たちを尻目に逃げていく。「阿呆はどっちだ」と嘲りの言葉を残して。

「ったくもう、何やってんだい家綱。君のせいで筋肉バカを逃しちゃったじゃないか」

 俺のせいかよ。いやまあ、晴義も纏もアントンも「俺」である以上、誰がミスっても俺のせいだったな、そう言えば。

 奴の跡を追うべきか? 俺に害意があるならまだしも、ただ逃げる相手に対し、ロザリーの「勘」が通用するかは分からない。その上「俺の」疲労と常時気を張っているのが重なって、相当弱っている。酷使すれば確実に潰れてしまうだろう。

 それに、巖さんのことも気掛かりだ。弱った悪党が狙うのは、自分よりも更に弱った相手と相場が決まってる。今人質を取られちゃ勝ち目が無い。

 決まりだ。ロザリーを休ませて、巖さんの元に向かうぞ。無事でいてくれよ……。


◆◆◆


 巖さんは……、まだベルトコンベアの辺りに隠れているな。俺は途切れる様子の無いダーツの雨を掻い潜り、機械の隙間に滑り込んだ。

「よう、まだ生きてるかい?」

「お陰様でな。お前も元気そうで何よりだ」

「胸から血ィ漏らして真っ蒼だってのに、元気もヘッタクレもねえだろ」

「こんな暗ァい中で色なんか分かるか」

 会話の合間に厳さんの腹回りをちらと見る。纏が付けた刀傷も晴義に撃たれた跡もない。厳さんに化けて、俺の寝首を掻こうとしている訳ではなさそうだ。

「所でよ」安堵した俺の肩を、厳さんが弱々しく叩く。「あの化け物はどうした。顔に弾ブチ込んだ、無事じゃ済まない筈だが」

「ブチ込んだって……。あの弾丸、やっぱりあんたが」

 厳さんはあのカードを目の前に出して、首を縦に振る。「お前が羽交い締めになった時、まだ弾丸を抜いてなかったことを思い出してな。足手まといは足手まといなりにやれることがあるのさ」

「拗ねんなよ、悪かった。それよりも……」

 不快な音を響かせ、ところ構わず降り注ぐダーツの雨が止んだのは、丁度その時だった。いよいよ弾切れかと隙間から這い出たが、そいつは奴の罠だった。

「ンなろっ、何しやがんだ!」

「貴方に用は有りません。イワヲを……生意気な刑事を出しなさい」

 待ち構えていたのは、動物の擬態を解いて黒スーツ姿に戻ったQだ。這い出た俺の首根を掴んで、腹に強烈な一発を叩き込みやがった。

 くそっ、これが奴の力かよ。全く衰えてねぇじゃねぇか。息が苦しい……、声が出ない。

 奴は俺を放り、まごつく巖さんをコンベアの隙間から引っ張り出すと、続け様に壁に押し付け右膝の皿を叩き割った。喉の奥底から絞り出すような恐ろしい悲鳴が、天井に反響して工場内に響き渡る。

「よくもやってくれましたね。死に損ないの分際で、なんてことを! 貴方だけは絶対に、えぇ絶対に許しませんとも」

 俺から見えるのは背中ばかりで、奴がどんな顔をしているのかは分からないが、感情らしい感情を出さなかったあいつが、思い切り声を震わせている。相当頭に来ているに違いない。

 怒りが最高潮に達した瞬間、奴の体が眩く輝いた。これ以上どんな怪物が出てくるのかと身構えるが、意外や意外。Qが変身したのは制服姿の女性警官だった。

「お前、その顔は……!」巖さんの声が動揺で震えている。目の前の女性に見覚えがあるのだろうか。

「言ったでしょ、パパ(・・)。どう? どお? 愛おしくて堪らない実の娘に、悪意を向けられて殺される気分は」

「娘、だぁ? 騙すにゃあリサーチ不足だな。うちのは俺を『父さん』としか呼ばねぇんだよ」

 成る程、あの女が巖さんの娘って訳か。ここからじゃあ暗くて顔が見えない。

 Qの化けた女は鋭い目付きのまま口元を歪ませると、「冥土の土産に教えといてあげるわ。アナタの可愛い可愛い娘さんは無事よ。電話が繋がらなかったのだって、私があの子の携帯を奪っていたからだし、ね」

「なら……、お前が封筒に忍ばせた小指は」

「ああ、そんなものもあったわね。これよ、こ・れ」

 女は歯で左手袋の人差し指を噛んで放り、素手を巖さんに見せる。

 二人の近くで寝転がる俺には、「それ」が何を意味するのか分からないが、巖さんの震える声とこれまでの会話で、大凡想像はついた。そいつは――

「あの小指は……お前のもの(・・・・・)だったのか! よくも、よくも騙してくれたな!」

 怒りに打ち震える巖さんを目にして、奴は楽しげにけらけらと笑う。「そうよ、あれもこれも貴方を陥れる為の罠。例の脅迫電話も、岩肌成子の携帯電話を盗んだのも、その小指も全部ね。貴方は本当によく働いてくれたわ。娘の為にと相棒をも裏切って、組織の邪魔者退治に協力してくれたしねぇ。前に始末した『ユーイチ』って刑事さまさまね」

 巖さんの顔が再び凍り付く。「雄一って、まさか、お前……」

「あら、言わないつもりだったのに……、まぁいいわ。そうよ、貴方の元・相棒を殺したのは私。この姿で近付いたら、警戒せずにホイホイついてきて、あれで本当に刑事なのかしらね。それとも……、岩肌成子(わたし)に気があったのかしら」

 なんて野郎だ。子を想う親父の気持ちに、巖さんの大切な部下までも、んなえげつないことに利用するなんて……、人間のやることじゃねぇ。

「いい気になるのもそこまでだぜ、クソッタレ」巖さんの顔から赤みが失せ、鋭い目付きの上にヒビが入った。「ここから生きて帰れると思うなよ。刑事だろうが何だろうが関係ねぇ。俺が必ず息の根止めてやるぜ。覚悟しておくんだな」

「おぉ、怖い怖い。だぁけぇど」

 Qが小首を傾げた瞬間、一本のダーツが巖さんの右肩と頬の間を掠める。当たっていないが、彼の額に汗が滲んだ。

 奴はその上で面白そうに声を上げる。「イイ……、実にイイですよ、お前だけは俺の手で倒す! 見たいなことを言う男の顔。やはり死ぬ間際には、そういう恨めしげな表情をしておりませんと。さて」


 ……くそっ、マジにヤバいぜこいつは。野郎、巖さんの腕を背中に回させ、こめかみに銃口を突き付けやがった!

「お仕事、お仕事っと。さようなら、パパ」

「くッ……ぐううッ!」

 近付いて引き剥がそうにも距離がありすぎる。奴の体を掴む前に、鉛玉が巖さんの頭を貫いちまう。

 かなりヤバいが、手が無い訳ではない。しかし、それを選んだら巖さんは――。あぁもう、一々考えている場合か。後悔も謝罪も後だ後。今でなきゃ救えない命を、ここで救わないでどうするんだ!

「巖さん! 歯ぁ、喰い縛れぇぇぇええぃ!」

 脚にあらん限りの力を込めて、奴に向かって跳ぶ。届かないのは重々承知だ。故に俺は思い切り手を伸ばし、奴の黒タイツに覆われた両足首を掴んでやった。

 乾いた破裂音が耳をつんざく。バランスを崩したことで狙いが反れ、弾丸は巖さんの右肩を貫いた。

 俺の腕は直ぐに振りほどかれ、奴の銃口が俺の後頭部に向く。けれど、そいつが火を噴くことはなかった。奴の顎目掛け、巖さんが壁に寄り掛かっての後ろ蹴りを見舞ってくれたお陰だ。

 不意打ちに泡食ったQは、拳銃を落としたことすら忘れ、訳の分からん叫びを上げて逃げて行く。

 俺は巖さんに肩を貸し、流れ出す血を拭った。体が大分冷えている。

「済まねぇ巖さん。助けるにはあぁするしか無くて……痛むか?」

「いいや、ナイスだぜ若造。お前のお陰で俺ァ死なずに済んだんだ。痛みで弱ってる暇があったら、その分生きてることに感謝しなくちゃな」

 頭に一発、右肩に一発、利き手に弾丸をぶちこまれた上、全身に相当な打撲……、叫び声上げて立ち上がれ無い程痛いだろうに、よくもまぁここまで大口叩けるもんだよ。心配通り越して呆れて来たぞ。

「それだけ喋れりゃ大丈夫だよな。俺はあいつを追うぜ。何に突き動かされてるんだか知らないが、野郎は俺たちを始末するまで止まらねぇ。ここでケリを付けるぞ」

「何だそいつは。またおじさんをのけ者にするつもりか」

「ンな訳あるか。俺とあんたでコンビだろ。頼りにしてるぜ? 相棒」

「当たり前だ、任せろ」

 平気だと笑って見せるが、巖さんの顔には殆ど覇気が無い。このまま放っておくのは危険だ。あの筋肉ダルマめ、遠くに行ってなければ良いが……。

 こうなったら仕方が無い。俺は意識の奥へと潜り込み、すやすやと寝息を立てるロザリーを無理矢理叩き起こした。

「悪いが、もうちょっと頑張ってくれよ。あれを逃がす訳にはいかねぇんでな……」

 ――物好きなのは結構ですが、そこに私たちを巻き込まないで下さいます? 変態オヤジを護りたければ、貴方一人でやりなさいな。

「巻き込んだも何も、俺はお前なんだぜ。それに、奴を倒さなきゃ事務所にだって帰れねぇんだ。もう少し現世でいい思いがしたけりゃ、うだうだ言ってないで俺に協力しろ」

 ――勝手に巻き込んでおいてヌケヌケと……、貸しにさせて貰いますわよ、家綱。

「恩に着るよ。済まねぇな」

 俺を含め、誰もがグロッキーであるのにも関わらず、彼女は普段の調子を崩さない。プライドばかり高くて面倒臭い奴だが、こういう時ばかりは頼りになる。

 ロザリーの勘を頼りに進むうち、突然上階の吹き抜け通路でがたん、がたんと物騒な音がした。奴があそこで何か仕出かしている証拠だ。不安は大有りだが、ここは奴が遠くに逃げていなかったことに感謝すべきだろう。野郎が何を仕掛けて来ようが関係ねぇ。ぶちのめして事務所に戻るだけだ。

「さぁ、どっからでも来やがれ……どうした、傷が痛むか? それともさっきの一発が効いて動けないか? あァん」

 挑発を掛けつつ、前方に向けて全神経を研ぎ澄ます。遠距離からなら晴義を呼んで撃ち抜き、ダーツを飛ばすなら纏の居合いで全部弾き返してやる。ナイフ構えて突っ込むようならアントンに任せて殴り倒してやらぁ。

 いい加減限界だ。ここでやれなきゃ俺たちが潰れちまう。

 さぁ、来いよ……、来い。お前だって大きいの貰ってんだろう? 倒して帰らにゃボスとやらに大目玉喰らうんだろう? 俺ァ逃げも隠れもしないぜ。とっとと……来やがれ!

 待てども待てども、奴の気配は二階から動かない。俺たちの策に気付いたのか? 単に集中力を磨り減らせる為の作戦か? 理由は分からんが、長引けば長引く程俺たちの方が不利だ。なんとかして奴を一階に引き摺り下ろせないものか……。

 頭の中で思案を巡らせ、気を張って辺りを見回したその時。二階の吹き抜け通路から「重たいもの」が”降りた”音がした。箱の用に四角くも、銃のように細長くもない。頭があって手足が付いた……そう、紛れもない人間だ。

 奴は壁を背にして立っている。罠があろうが関係ねぇ、動く気が無いんならこっちから行くぞ。俺は纏に体を預け、微動だにしないQに斬りかかった。

 これで全てが終わった筈だ。少なくとも奴に斬りかかる寸前の俺はそう思っていた。だが、それは大きな間違いだった。「あの」声を耳にする迄は。


 ――やめて、やめてよ……”ボク”が分からないのかよ、家綱ッ!


「え……ッ!?」

 ……やられた。早期決着だけを考えていたばっかりに、完全に虚を突かれちまった。あれがアイツでないことくらい、俺たちにだって解っている。解っていようがどうにもならなかった。それはきっと、纏以外の人格でも同じだっただろう。

 俺たちは奴を壁際に追い詰め、最後の一太刀を浴びせようとしたんだ。けれども予期せぬ不意打ちを喰い、刃は奴の鼻先でぴたりと止まってしまう。気が動転して動けなかった纏は、上の階から放たれた赤き閃光に両手を貫かれた上に、足首間接をもやられ、仰向けに力無く倒れ込んだ。

 体の主導権が俺に戻り、纏の感じていた苦痛が俺の脳裏に流れ込む。微かに上がった黒い煙。鼻孔を通り抜ける嫌な臭い。ダーツに刺されてこんな風になるわけがない。これは一体……何なんだ?

「分からないなら教えてあげるよ、家綱」由乃――、の顔をしたQが嫌味な口調で言う。「レーザーだよ、レーザー。医療用よりもずっと強力で、メスとして使えば、人なんか豆腐のように真っ二つにできる代物さ。でもまあ、こいつを使う羽目になるとはね。上手く行って良かったよホント」

 言って、玩具の光線銃を俺に向ける。あんなものからレーザーが出る訳がない。恐らく発射装置のトリガーなのだろう。

「今のはテストだよ。二階に仕掛けた八基の装置からの放射で、お前の体は真っ黒焦げさ。あぁ、心配しないで。今回みたいに面倒なケースはもう勘弁して欲しいし、旅は道連れ、世は情けって言うしね」

 旅は道連れ(・・・)って……、「てめぇまさか! 俺のフリして由乃の寝首を掻こうって言うのか!? ふざけんじゃねぇ!」

「真剣ですがァ? 何か」

  畜生、何やってんだよ俺の膝、俺の足! 動けよ、このポンコツが! 動けってんだよ! こんな時こそ火事場のなんとやらの出番だろうが! 何故動かん!

 駄目だ、脚に力が入らねぇ。奴が、倒すべき外道が目の前にいるってのに! これが俺の……限界……、なのか?


◆◆◆


 刑事・岩肌巖雄は壁に体を預け、家綱が呆然と立ち尽くす所を見ていた。こめかみから滴る血で視界は紅く染まり、 見えるものは霞が掛かったかのようにぼやけ、いつ崩れ落ちてもおかしくない。

 そんな彼が必死に意識を繋ぎ止めている理由は一つ。和登由乃の姿で不敵な笑みを浮かべる”外道”、エージェントQを倒す方法を思案している為だ。

 岩肌の脳裏にはある疑念が浮かんでいた。自分の掌と足を刺した最初の投てきの際、ダーツは何故、ベッドで寝ていた家綱を狙わなかったのか。そして彼がQに肉弾戦を挑んだ際、何故自分の元にはダーツが放たれなかったのか?

 奴に仲間はいない。いるとすれば、こうなる前に呼んで自分たちを駆逐した筈だ。大っぴらに動いて、警察に足が付くのを恐れているのか。

 それはさておき、仲間を呼ばない・呼べないとなれば、先のダーツ攻撃は何らかの「追尾装置」を用い、「遠隔操作」で放っているとしか考えられない。

 戦闘中のQに、何らかの機械を操作している素振りも、動かす暇もなかった。となると、機械が自分たちにしかない「何か」を感知し、自動的に発射しているのだろう。それは一体何か? Qと自分たちとで何が異なると言うのか。

 ふらつく頭を無理矢理働かせ、ここまであったことを思い返す。自分が刺された時、家綱がQと対峙した時、そして――今。そこにはきっと法則性がある筈なのだ。

 彼の脳裏にとある二つの出来事と、Qの腹立たしい立ち振舞いが浮かぶ。一つは最初の一撃、娘の安否を盾におちょくられ、挙げ句刺された屈辱的なもの。もう一つは奴と握手を交わした時の、尋常じゃない手の冷たさ。

 そして常に人を見下し、嘲笑い苛立たせるあの態度。何かあるとすればここしかないが、これら三つを繋ぐ要素は一向に見えてこない。

「待てよ……」奴は何故、自分たちを怒らせるような態度を取ったのだろう。冷静さを失わせ、自身の変身能力を隠す為か? だとしたら家綱に暴かれても、気にする素振りを全く見せないのはどういう訳だ。

 暴かれようが痛くも痒くもないのか? そうとしか思えない。ならばあの態度に隠された真意とは何か。自分たちを怒らせてまで隠そうとした物は何なのか。

 いや、もしかしたら……。目的は「隠す」ことではなく、「誤魔化す」為のものだったのでは。頭に血が上るのと上らないので、如何な違いがあるのだろう。

「そうか……そういう、ことかッ!」怒り、冷たい手、わざと怒りを煽るあの態度。そしてダーツを飛ばす謎の装置。ばらばらだった四つの要素が、線となって一本に繋がった。


 装置の謎とQの秘密に察しが付いたその時、闇の中で煌めく一筋の閃光が、岩肌の目を家綱たちの方へと向けさせた。

「ダーツ投げの上にレーザービーム……、そこまでして俺たちを始末したいってか」

 奴の執念に辟易とするが、今はそれどころではない。由乃の人差し指が発射装置のトリガーに掛かっているのだ。あんなものに蜂の巣にされたら、家綱とてひとたまりもない。

 何かないかと辺りに目をやる岩肌は、足先に硬い感触があるのに気付く。壁に寄りかかったまま尻を地面につけ、足の裏を使って自分の方へと引き寄せる。あの時Qが落としていた回転式拳銃(リボルバー)だった。

 やってやる。たとえ二度と銃を握れなくなろうとも。岩肌はコンベアの上に体ごと寄りかかると、台の上に両肘を載せ、激鉄を顎先に引っかけて起こし、遠方のQに銃口を向けた。

 そこまでは良かったのだが、体の負傷は彼の思っていた以上に酷く、握ることは出来ても引き金を引くことは敵わない。利き手でなくては力不足なのだ。

 右手を使おうと力を込めるも、痛みが強まるばかりで微動だにしない。肩を砕かれて脳からの指令が腕に伝わって来ないのだろう。

 だが、ここで諦める訳にはいかない。要は右手が支えになれば良いのだ。他にもやりようはある。岩肌は一旦銃を置き、Qから受け取った「物の軌道を操作する」能力のカードを取り出すと、それを動く気配のない右手のひらに突き刺した。

 痛みをものともせず、左手で右腕を引き寄せると、カードの刺さった面に左手のひらを覆い被せて押し込む。動かなかった右手が左手と一体になった。

 その上で銃のグリップを両掌の隙間に挟み込み、左の人差し、中指で右手のそれを押し上げ、こちらも覆い被せることで、右手の指を引き金の前まで呼び寄せた。

 これでやっと、あの野郎に鉛弾をぶち込める。だがこれは危険な賭けでもあった。壁に寄り掛かるのが精一杯の自分に、果たして標的を正確に撃ち抜くことが出来るだろうか? それ故に取っておいた、文字通りの切り札も、動かない右手を固定するのに使ってしまった。決まれば必ず戦いは終わる。その確信はあった。しかし外せば自分と家綱の命はない。

 体中の激痛と薄れ行く意識。その上一度限りという大きすぎるハンデを負い、それでも尚やり遂げられるだろうか。

「こんな時……ゲンキやあの若造なら、なんて言うもんかねェ」

 答えは最初から解っている。やれるかではない、やり遂げなくてはならないのだ。自分自身の限界に挑み、乗り越えなければ彼や己も、最愛の娘や妻の未来までもが潰えてしまうのだから。

 この歳になってまだ、無茶をしなければならないとはな。岩肌巖雄は「どうしようもないな」と口元を歪ませた。


「――さてと、暫しのお別れだ。三途の川の前で待ってて、和登由乃(ボク)もすぐ行くからさ」

 最早一刻の猶予もない。岩肌は左の人差し指と中指にあらん限りの力を込め、覆い被さっている右手のそれを強く押し付ける。

 ――三途の川を渡るのは……てめぇだァァァッ!

 指の砕ける嫌な音と共に、回転式拳銃から一発の弾丸が放たれる。岩肌は反動で先程まで寄り掛っていた壁に叩きつけられ、放たれた弾丸はQの右手を大きく後ろに撥ね飛ばした。

 一見しくじったように見えるが、そうではない。彼の狙いはQの体を壁まで飛ばすことにあったのだ。

 岩肌は奴の背後で、断続的且つ微かな「輝き」があることに気付いていた。それは一体何なのか。自分たちがここで何をしていたかを考えれば、答えを出すのは容易い。

「骨の髄までビリビリ(・・・・)来るだろう。おじさんのオゴリだぜ、たっぷりと味わいな」

 岩肌巖雄が狙っていたもの――、それは先程家綱に壊されていた、工場の「電源ブレーカー」だった。破損した事で流れていた電気が、少量の火花となって漏れ出していたのだ。

 撃たれた反動でブレーカーに右手を叩き付けたQは、目映い光で真っ赤に染まった。体中の水分が煮え立ち、髪の毛がハリネズミのように逆立っていく。

 このまま倒されてなるものか。由乃の顔をしたQは、未だ手に持っていたレーザーの発射装置を握り、最後の力を振り絞って引き金を引く。

 だがそのことが、逆にQの首を絞める結果となった。八基の砲口から放たれた光線は、家綱や岩肌ではなく、引き金を引いた当人を焼いてしまったのだ。


 岩肌巖雄はこれを狙っていた。

 謎の追尾装置について、今までの事象から彼が導き出した結論。それは「赤外線サーモグラフィ」だ。

「熱感知」ならば、弱り切ってまともに動けない自分ではなく、動ける家綱ばかりを狙ったのも、わざわざ目の前に出て、怒りを煽るような真似をしたことにも得心が行く。

 装置には恐らく、「より体温の高いもの」を狙うようプログラムされていたのだろう。故に弱って体の冷えた自分よりも、気が高ぶっていた家綱を狙い、物陰に身を隠した後も、当たらないと分かっていながらダーツを放ち続けたのだ。

 現に、それまで平気だった岩肌も、怒りを露にしてQに掴み掛かった時に限り、ダーツの手痛い反撃を受けている。怒りによって体温が上昇したことにより、熱感知の射程に入ってしまったのだ。

 そして、Qの凍るような冷たい手。熱感知の追尾なら操作の手間を省けるが、敵味方を区別することは不可能だ。自分もそこで戦うのに、とばっちりを食っては意味がない。

 だが「冷えた体」であれば、予めサーモグラフィに感知されない温度を決めておき、自分の体温をそれ以下に設定することで、ダーツの追尾をかわす事が可能となる。

 人間にそんな事が出来るのかどうかは分からないが、そもそも奴は「カード」の売人なのだ。それらしい能力を用意していてもおかしくはない。

 現にQはダーツをことごとくかわしているし、死にかけて体温が低くなった岩肌をダーツは狙わなかった。ならばあり得ると考える他ない。

 だからこそ彼は電源ブレーカーにQを叩き付けたのだ。ブレーカーと接触してショートしたQの体は、この場に居る誰よりも何よりも熱くなっている。それをサーモグラフィが感知し、家綱ではなく奴を攻撃するだろうと踏んだからだ。

「あぁ、ああ、あぁあ……」

 身を焼く炎が身体中を焦がしても尚、Qは一歩また一歩と家綱たちの方へ歩を進めて行く。奴には痛みは無いのか。命令とやらがそこまで大事なのか。

「私が」「俺が」「ボクが」「……任務を、果たす」「何があっても」「ボスの」「命令は」「絶、対」

 変身能力に異常が起きたのか、Qの姿は歩を進める毎に目まぐるしく変わっている。だがそれも束の間、家綱は纏の残していた脇差を火だるまの胸元に投げ付けた。

 Qは声を上げることなく地に伏し、そのまま二度と立ち上がることはなかった。

「お勤め、御苦労さん」

 そう吐き捨てた家綱もまた、糸の切れた人形のように倒れ、額を床に擦り付けた。

 終わりじゃないぞよ、あとちょっとだけ続くんじゃ。


 すいません、納まり悪くて……。

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