表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/11

「岩肌巖雄・下(その一)」

◆◆◆


「由乃、喉が渇いた。もう一杯注いでくれ」

「うん。ちょっと待ってて……」

 カップの中に粉を入れ、湯で溶かそうとしたのだが、肝心のお湯がポットの中に無い。湯を沸かすべくボクが席を立ったの同時に、岩肌さんは家綱に「ねえ」と言葉を投げかけた。

「貴方と父さんがエージェントを待ち伏せたホテルって……『ももいろパラダイス』って名前――、だったわよね?」

「そうだが、それがどうしたんだ」

 岩肌さんは一人で何度かと頷いた上で、「そう……、あれは、貴方たちの仕業だったのね」

「おいおい、話が見えないぜ。分かるように説明しろよ」

「あぁ、御免なさい……」そっと目を閉じ、解れた記憶を頭の中で手繰り寄せるようにして、岩肌さんは続ける。「去年の今頃、県境近くのラブホテルで殺しがあったのよ。場所はホテル・ももいろパラダイス。被害者は全部で十二人。皆即死だったわ。ただ一人――、貴方たちの話に出てきた、恰幅の良い黒服の男を除いてね。

 他の利用客が皆、頭を撃ち抜かれて死んでいる中、彼だけは目立った外傷が無く、注射器を握り締めて泡を噴いて事切れて居たわ。首筋に開いた数ミリの穴に、注射器の中には”カビ取り洗剤”が僅かながら残されていて、彼が自分でそれを注射したのは間違いない。それに……」

「おいおい、ちょっと待ちなよ」家綱が無理矢理言葉を遮った。「あんた、いやに詳しいな。なんでそんなに知っている」

「何でって……、あなたたちの通報を受けて現場に急行したの、私たちだもの」

「おいおい、マジかよッ」家綱はだらしなく大口を開けて驚く。「親父の通報で娘が来るとは――。偶然にしろ必然にしろ、世の中ってのは狭いもんだねぇ、オイ」

「偶然よ偶然。そんなことより、彼のポケットの中から出た拳銃が撃ち込まれた弾丸の「線条痕」と一致したの。動機は不明だけど、この男が他の利用客を殺し、カビ取り洗剤を首筋に差し込んで自殺を計った。

 ……そう結論付けられて、捜査は早々に打ち切られたわ。探ろうにも身元不明で、これ以上踏み込んで行けなかったしね」

「んな、馬鹿な!」家綱が声を荒げた。「奴は足を鎖で繋がれて、碌に動くことも出来なかったんだぞ。でっち上げだ、他の誰かが奴の罪をおっ被せて有耶無耶にしたに違いない!」

「そんなこと言われても……、そりゃあ、あからさまに怪しい人はいたけど」

「ならそいつが犯人だ。どいつだ、どいつなんだ?」

「ホテルの受付嬢よ。監視カメラに彼女の姿が大映しになってたわ。けれど彼女にも不可能よ。何せこの娘、黒服の彼よりも一時間前に、受付の奥でこめかみを撃ち抜かれて死んでいたんだもの」

「受付の……女……」家綱は親指と人差し指の間に顎先を乗せ、人差し指の背で唇を弄り、「そうか、そういう……ことか!」一気に顔を上げて叫んだ。心臓に悪いし、何より朝っぱらから近所迷惑だ。

「何だよ急に! もう少しでお湯が溢れちゃうところだったぞ!」

 次いで岩肌さんが言う。「そうよ、一人で納得してないで説明して頂戴」

 ボクらに詰め寄られて我に返ったか、家綱は頭を軽く左右に振った。

「分かった、分かった。説明するから……二人とも落ち着けって。あぁあと、由乃は俺にコーヒーな。アツアツの」

「はいはい」

「それで……、死んだ受付の女がどうしたの?」

「何の事ァねぇ。奴も能力者だったのさ。俺たちも随分惑わされたよ。(ガン)さんと最後に会った日の話さ。今でも後悔してる。行かなきゃ良かった、ってな……」

 家綱はボクの淹れたコーヒーをぐいと飲み、その熱さで舌を焼きつつも、構わず話を続けて行く。

 成子さんの父・岩肌巖雄と出会った最後の一日、二人の身に一体何があったと言うのだろうか――


 ※ 線状痕(せんじょうこん)

 銃の銃身に施された螺旋状の溝により、弾丸に付いた傷の跡。

 銃一挺毎に微妙に違った跡が刻み込まれており、全く同じものは存在しないため、犯罪捜査などでは「銃の指紋」として扱われる。


◆◆◆


 うらぶれた工場跡地は、古い機械油や埃の臭いで一杯だった。こうもオイル臭くちゃ、昼間だろうと誰も立ち寄りやしねぇだろうな。スーツへの臭い移りが心配だ。クリーニング卸し立てだってのにツイてねぇ。

 時刻は深夜三時二十分。そう何度も遅刻してられるか。ざまぁみろ。

 ……と、言ってやりたかったが、肝心のおっさんが何処にも居ない。何だよ何だよ。人に遅れるなって言っといて、自分が遅刻してるじゃねぇか。訳の分からん地図を書き、早く来たら来たで待たせるとは、なんつーオヤジだよまったく。


 埃臭い掘っ建て小屋に身を隠すこと約十分。おっさんは漸くやって来た。コートの中に武器を詰めているのか、昨日よりも恰幅が良く見える。

「悪ィな若造、待ったか?」

「いや、俺も今来た所……って、そりゃあ待ったよ! すっぽかして俺に全部丸投げするんじゃないかって焦ったっての! どこで油売ってたんだよアンタ」

「済まん済まん」反省しているかいないのか、おっさんは笑みを浮かべて言葉を返す。「武器の調達に時間が掛かっちまってな、お陰で装備は万全だ」

 ま。ばっちりなのはコートの上から十分解るけどな、「俺たちの目的はあんたの相棒殺しの証拠探しであって、奴らを殺すことじゃない。そこまでする必要、あんのかよ」

「もしもの為だ、もしもの。敵は味方の命すら捨て駒にする連中だぜ。備えあれば嬉しいな、ってやつよ」

「備えあれば『憂い無し』だろ? 大丈夫なのかよ、ホントに……」

 のっけから不安になって来た。敵の数は未知数。だのにこっちは俺とおっさんの二人だけ。こんなおっさんと心中なんて嫌だぞ、絶対に嫌だ。

「おい、何を怯えてる」俺の心中を察したのか、おっさんは俺の手を強引に引いて言う。「これでも俺ァ、お前の力を信頼してるんだぜ。ちゃんと期待に応えてくれよ。せめて依頼料くらいにはな」

「ンなこと言われても、あんたがお供じゃなあ」

「おじさんだって、死ぬ時ァ嫁か娘の胸の中だと決めてんだ、誰がお前と死ぬもんか。生きて帰るさ、絶対にな」

「わーった、分かったってば……、あんたこそ、俺の足引っ張るなよ」

 不安は拭えないが、先に進まないことには何にもならん。わざとおっさんに聞こえるように溜め息を吐いて、俺たちは廃工場の中へと進んで行った。


◆◆◆


 当たり前と言えば当たり前だが、二階建ての馬鹿に広い工場は、外よりも更に酷いカビ臭さで溢れていた。一階の敷地の殆どを馬鹿デカいベルトコンベアが占めており、その他の施設は吹き抜けの廊下を通じて上の階に据えられている。地震が起こった時どうやって逃げるつもりなんだ?

 一刻も早くこの場から立ち去りたかったが、泣き言を言ってる場合じゃない。俺たちは今死地に居るのだから。

 立ち込める臭いを堪え、奥へ奥へと進んで行く。俺たち以外の気配はなし。先回りや待ち伏せを警戒していたが、どうやらその心配は無さそうだ。

「集会は……まだみたいだな」

「そのようだ。じゃあ手筈通り二手に分かれて見張るぞ。おじさんは工場の奥、お前はこの中で奴らの到着を待て」

「いや、あんたが待てよ! 手筈通りって何だ、そんな事いつ決めたよ!?」

「今決めた、さぁ決めた。とっとと配置に付けィ若造」

「おい、おいおい!」

 段取りも無しに二手に分かれろって、そういうことは突入する前に言えよな、もう……。

 反論も虚しく、おっさんは配置に付いてしまったので、俺も仕方なくその場に身を潜める事にする。

 だだっ広い部屋の中心に据えられた、巨大なコンベア。カビ臭さの原因と思しき段ボールの山に、そこらじゅうに散乱する封のされていない空の缶詰。成る程、ここは操業の停止した加工食品工場って訳か。まだ電気が来ているのか、辺りに白熱灯の光がちらちらと光っている。

 潰れるまで何を作っていたのか、どうして潰れてしまったのか。何故未だに電気が通っているのか――、そんなことに興味はないが、身を隠す場所に事欠かないのは助かる。俺は操業コンベアの裏に背中を預け、エージェントたちの到着を待つことにする。

 五分十分十五分。間も無く約束の深夜四時だ。そろそろ現れても良い頃合いなんだが……。


 ――ぱぁん!

 突如、耳元につんざくような銃声が響く。驚いて回りを見やると、俺の足元で一円玉程の大きさの穴が煙を噴いていた。

 見つかったのか!? 馬鹿な、俺は一度も入口から目を離さなかったぞ。一体どこから現れた!

 いや、今は熟考している場合じゃない。居場所が敵にバレてるんだとしたら、直ちにここを離れなければ。

 身を屈め、地面を這うようにして場所を移す。姿勢を低くし、障害物に身を隠したのにも関わらず、発砲される毎に、狙いは更に正確になって行く。

 遠方からの狙撃か? しかしそうだとしたら、身を隠して屈む俺に正確に狙いを付けることなど不可能だ。そもそも着弾位置は毎度毎度、違う角度、一ヶ所に固まっての遠距離狙撃でこんな真似ができる訳が無い。

 あぁあ、ンなことどうだっていい! 兎に角こいつをどうにかせにゃならん。おっさんの奴、何処で油売ってやがんだよ!

 ――家綱ッ、背後の斜め四十五度、来ますわッ!

「舐めやがって……、これでどうだ!」

 俺には自分以外に六つの人格がある。見えない狙撃手なんかに負けてたまるか。ロザリーの『勘』で銃撃の瞬間を掴み、居場所を特定。次いで葛葉を呼び、投げ銭で奴を撃ち取ってやる。

 投げ銭は見事命中。飛び交う銃弾の雨も一先ず止んだ。

「ちきしょう、何処から情報が漏れてたんだ……?」攻撃してこなくなったのを見計らい、敵に接近。

 点滅する蛍光灯の光で、犯人の顔が露となる。それはある意味予想通りで、そうであって欲しくなかった者の顔だった。

「この状況で撃ち返して来るたァ……やるねェ若造」

「おっ、おっさん(・・・・)……!? あんた何で、何やってんだ! 相棒は……ゲンキ刑事のことはどうでもいいのかよ!」

「んなこと、お前にゃ何の関係もない」言って、俺の足元に銃弾をぶち込んだ。直撃ではなかったものの、銃弾に気を取られた隙を突いて、おっさんは再び闇の中へ消えた。

 訳が分からない。おっさんは何故俺を襲った? 何のために、何がしたいんだ! 分からない、全然分からない。頼むよ、少しは落ち着い……て!?

「うぉ、おぉおおッ!?」放たれた一発が右足首に当たった。痛みは一瞬で体を駆け巡り、稲妻に撃たれたかのような衝撃と、焼けるように熱い感覚がじわりと襲い来る。

 しかしおかしいぞ。この暗がりの中、おっさんは何故、ここまで正確に狙って来れる。何故弾道が読めない。

 答えは纏まらないが、悩んだり迷ったりしている暇は無い。となれば謎解きは後回しにし、力づくでなんとかするしかねぇか。

「纏ぃぃいッ! 頼むぜェ」

 クロスチェンジャーに触れ、纏に肉体の主導を移す。おっさんは暗がりに逃げたが、ロザリーの勘で居場所は概ね特定出来る。引き金を引く前に、おっさんの手から銃を奪って仕舞いだ。


 ――七重家綱七人格が一人、巫女姿の女性・纏は袴の裾を捲り、脇差しを構えて跳び、あっという間に岩肌の姿を捉えた。彼をなるべく傷付けぬよう、やや甘く踏み込み、銃を払い落とさんと刃を振る。

「早いねェ、姿が見えん。だがよ、それだけじゃあ、俺は止められん」

 だが岩肌は彼女の更に上を行っていた。纏が刃を振るよりも早く、彼女の腿に鉛玉を撃ち込んだのだ。筋肉繊維に阻まれ、骨を砕くとまではいかなかったが、彼女の姿勢を崩し、悲鳴を上げさせるに十分の苦痛を纏に与えた。

「く……、うぅッ! こぉの、この……ッ」

「どうだい若造。腿を撃たれちゃ、素早く踏み込む事ァ出来ねえだろう。そして」

 反撃の隙をも与えず、纏の二の腕に銃弾を撃ち込む。痛みを押して必死に退くが、避け切れず握っていた脇差を落としてしまう。

 直ぐ様手を伸ばすが、触れども掴む事が出来ない。二の腕の腱を切られ、右手に力が入らないのだ。

 纏はたまらず体の奥底へと引き返し、肉体の主導権を家綱に返す。痛みは残るが腕や足は問題なく動くと踏んだのだ。

「これで、攻撃も封じさせてもらったぜ。呆気ないなぁ若造。ならよ、冥土の土産にイイもん、見せてやるよ」

 おっさんの掌に淡い光が注ぎ、一枚のカードが姿を現す。黒服巨漢が持っていたのと同じ奴だ。

「”弾の軌道を自在に操作する”能力。元々タックの野郎が買おうとしていたカードさ。どうだい、早撃ちの俺にはあつらえ向けの能力だろ」

「……なッ、何だと!?」

 驚いたのは能力の有無じゃない。タックが欲しがっていたものを、おっさんが『貰った』という点だ。「ってことはあんた、まさか奴らと」

 おっさんは「残念だったな」と俺の言葉を遮る。「依頼主の顔は見ちゃいねぇ。おじさんを倒したって、奴らには辿り着けねぇよ」

 拳銃に弾を込め、おっさんは尚も続ける。「しかし、加減して倒せる相手だと思われていたとは……、俺も舐められたもんだねェ。本気で来なよ若造、お前にだって、護りたいモンがあるんだろう」

 護りたいもの。そう言われて俺の脳裏にアイツの顔が浮かぶ。何も言わずに出て行ったんだ、そのまま帰って来なかったら、アイツはどんな顔をするだろう。

 俺の趣味に口出しするところは好かんし、可愛げも何も無いが、アイツと一緒でない日常なんて考えられない。失いたくない。

 急に闘志が湧いて来た。相手が誰だろうが何だろうが、こんなところで死んでたまるか。

 しかしどうする。おっさんにはあの早撃ちと「弾丸の軌道を操作する」能力がある。葛葉や晴義に任せて遠距離からって手もあるが、隠れられて一方的に撃たれちゃ勝ち目がない。

 アントンを呼んで、ダメージ覚悟で突っ込むか? 纏から機動力を奪ったおっさんだ。人間の急所を知り尽くしているに違いない。無闇に突っ込むのは自殺行為だ。

 となれば――、後は「奴」の暴走に賭けるしかない。気は進まないが、これ以外に方法は無い。

「何黙り決め込んでンだ若造。命を捨てる覚悟は出来たか?」

「馬鹿言ってんじゃねぇ」痛みを推して立ち上がり、「恨むなよ。あんたが本気出せって言ったんだからな」そう言って人差し指を突き立てた。

 それを”了解”の合図と取ったのか、俺の意思に関係無く、「奴」が”中”から飛び出す。尖りに尖った赤頭に、血のように真っ赤な瞳。俺ですら手を焼く暴走猛獣野郎、セドリックのお出ましだ。

 ――るぅおおおおおおッ!

 眠れる獅子が天を仰ぎ、獣のように荒々しく吠える。

 瞬間、セドリックの姿が虚空に消え、岩肌の体が横に跳んだ。不意打ちを腹に喰らった為だ。

 なんとか体を起こすも、既にセドリックが待ち構えていた。岩肌の脇腹を蹴り付けると、奥襟を掴んで左のこめかみに拳の一撃を見舞う。

「なんだ、もうオネンネか? 足りねぇよ……、全ッ然、足りねぇんだよォォォォオッ!」

 意識が飛んで動かなくなったが、セドリックの攻撃は止まらない。彼は岩肌の頭を鷲掴みにし、憂さを晴らさんとコンクリートの壁に叩き付けたのだ。ぶつけた反動でずり下がる度、寸分違わず同じ場所を、尖った所に押し付ける。

 このままでは岩肌が危ない。家綱は体の奥底からセドリックに干渉し、残る左手で彼の腕を無理矢理押さえ付けた。

「おぉい、おいおい。呼び出しといてそりゃねぇだろう、離せよ」

 ――いい加減にしろ、これ以上やったら死んじまうだろうが!

「おーおー、家綱サマはお優しいねェ。ここまでやった奴だって救おうってか」

 ――そりゃあ、確かにそうだが……、まだンなことをした理由を聞いてねぇだろう。おっさんは金や権力に懐柔されるような男じゃない。今ここで殺っちまったら、俺たちは一生後悔することになるんだぞ!

「知ったことかよ。今カラダの主導権握ってンのは俺だ。文句は言わせねぇぜ、たとえどんな間違いが起ころうともな!」

 家綱の言葉に耳を貸さずに左手を払って、再び右手に力を込める。奴はもう虫の息だ、間違いなく次の一発で沈むだろう。セドリックはそう考え、岩肌の頭をぐっと後ろに引いた。

 引き切った所で動きを止め、いざと叩き付けんとしたその時、彼は岩肌が小声で何かを呟いていたのに気が付いた。

「そいつがお前の切り札って訳か。なかなかのスピードとパワー……、気持ち良すぎて三途の川を越えちまうところだったぜ。所でよ、知ってるかい若造。俺が操作出来る弾丸は、何も銃から放たれたものだけじゃない。例えば――、お前の体に埋まった弾……とかよ」

 岩肌はそう言って、叩き付けられる前にさっと腕を降り下ろす。同時にセドリックの動きが止まった。左手で右肩周辺を押さえ、激痛に身を捩らせている。

 纏の姿で戦っていた時、右の二の腕と左足の腿に撃ち込まれた弾丸が、血流や筋肉を無視して心臓に向かっている。駆け巡る痛みは想像を絶し、掻き出さんと肌を破って肉を裂く。岩肌は銃弾に夢中となったセドリックを蹴り付け、壁に寄り掛りつつ立ち上がった。

「お前は凄いよ。だがそれまでってこった。じゃあな」

 飛ばされた時に落とした拳銃を拾い上げ、セドリックの脳天目掛けて引き金を引く。かちり、という軽く乾いた音がするだけで、そこから弾丸が放たれることは無かった。

 しかし痛みに体を捩り、今の今まで岩肌のことを見ていた彼には、それでも十分効果的だった。痛みに依る錯乱で正気を無くしたセドリックは”撃たれた”と思い込み、気を失ってしまったのだ。

 彼の意識が消えたため、体の主導権が再び家綱に戻った。家綱は今まで彼が受けていた苦痛を肩代わりしたことで、自分(セドリック)が岩肌に敗北したと理解する。


「おいおい、どうなってやがんだよ、こいつは……」セドの野郎が――負けた? 馬鹿な、あり得ない。銃持ちだとは言え、タイマンであいつが負ける訳がねぇ。おっさんは何だ、化け物か何かか。

 セドにやられた傷が響いているのか、おっさんは肩で息して壁に寄り掛かるのがやっとだ。何とかして取り押さえたいところだが、肺のすぐ近くにずしりと重い感触がある。おっさんの能力で後数センチ動かされでもしたら、心臓破裂であっという間にあの世行きだ。

 待てよ。弾丸の軌道を操れるんなら、あの人は何故、今も俺の近くに立っている。おっさんの能力に射程なんか関係無い。何処か離れた場所から狙撃していれば、こんな怪我を負うことは無かった筈なのに。

 そこまでしてここに居座る理由は何だ。もしかしたら、離れたくても、離れられない(・・・・・・)んじゃないか……?

 何の根拠も無いが、試してみる価値はある。というか、おっさんが弾を再装填して撃って来たら、何をしても防ぎようが無い。

 上着のポケットに両手を突っ込み、中を探る。左の手で百円玉を握り、右手で小型のエアガンを掴んで引き金に指を触れた。

 ――頼んだぜ。俺の両手、お前たちに預ける。

 中で待機している葛葉と晴義にそう呼び掛け、百円玉とエアガンの弾を同時に放つ。エアガンの方は屈まれて外したが、百円は眉間の少し脇に命中し、おっさんの目を閉じさせることが出来た。

「くぅっ、だが、こんな子ども騙しぃぃぃぃッ!」

「あぁ、子ども騙しさ。けどよ……」俺が狙ってたのはあんたじゃない。あんたの体で隠れていた、工場の電源ブレーカーだ。葛葉の銭投げで目を潰し、晴義の精密射撃でブレーカーを落とす。

 白熱灯の光が消え、工場内に漆黒の闇が訪れる。俺はエアガンを上着にしまい、体の痛みを圧して物陰に身を隠した。

「くぅッ、何処だ、何処に隠れたッ!」

 おっさんは銃に弾を込めるどころか、俺の体内の弾丸のことすら忘れ、暗闇に俺の姿を探している。

 思った通りだ。おっさんの操作出来る弾丸は『目視』したものに限られる。遠距離から大きな的を狙うならまだしも、体に埋まった弾丸のように小さく、一見してどこにあるか分からないようなものは、直接自分の目で見ないと動かせないのだろう。

 そうと分かればこっちのものだ。息を殺して背後に回り、手元に落ちていた缶詰をおっさんの近くに放る。

「見付けたぞ、そこかッ!」音に気を取られ、おっさんの注意が缶詰の方に向いた。今がチャンスだ。右手に持ったエアガンをおっさんの腹に撃ち込み、怯んだ隙に懐に潜り込んで、真正面から拳を一発ぶちこんでやった。

 俺にゃあセドリックのような凄まじいパワーは無いが、弱ったおっさん一人ダウンさせるにゃあ、これで十分だろう。


 うわ言のように何かを呟き、虚ろな目で宙を見ている間に、俺はおっさんのコートの中から銃器を抜き取り、袖や裾を千切って自分とおっさんの頭に巻いた。清潔な包帯を使いたかったが、今は贅沢など言っていられない。

 暫くして、意識を取り戻したおっさんが壁を支えに起き上がってきた。拳銃の激鉄を起こしておっさんの顔に向ける。俺には撃てないし、撃ち返して来るとは思えないが、用心に越したことはない。

「まだ日は昇っちゃいないが、目覚めはどうだ?」

 おっさんは楽しげに口元を歪ませる。「……サイアクだな。頭痛は酷ぇもんだし、包帯が雑に巻かれてて血も止まりゃあしねぇしよ」

 頭かち割られ掛けて、まだ喋る体力が残っているとは――、無茶苦茶にも程がある。

「……ったく、ンなぼろぼろになってもその余裕。俺と同じ人間かどうか疑いたくなるね」

「そのおじさんを倒せたお前も、どうしようもない化物だと思うが」

「どうだかな」

 どうやら、これ以上戦うつもりは無いらしい。話を聞くには良い頃合いかも知れんな。「俺ァ謝らねぇよ。本気でかかってこいと言った癖に、手ェ抜いた罰だ。ざまぁみろ」

「どう言うことだ?」

「弾丸の軌道を操作する能力。前に出ず使ってりゃあ、怪我なんか負わずに俺を始末できてた筈だ。なのにアンタはわざわざタネを明かすような真似をした。俺にゃあ倒される為に出て来たようとしか思えないんだかね」

「ほぉ」図星だったのか、おっさんは愉しげに口元を歪めて、「そこまで解ってるとは大したもんだ。お前を相棒にして正解だったよ」

「当たりなのかよ。あんたは金や脅しで敵に魂売るような奴じゃない筈。何故俺を襲ったんだ」

「買い被り過ぎだぜ若造」おっさんはコートの中から、くしゃくしゃになった一通の封筒を取り出した。「おじさんは脅しに屈したのさ。『お前の娘を預かった。助けたければ我々の言う通りにしろ』って決まり文句によ。最初はただのハッタリだと思ったさ。犯人に指定されたコインロッカーで、こいつの中身とあのカード、ついでに大量の銃器を見るまでは、な」

 俺の方に封筒を放り、軽く顎を振って開けろと促す。出て来たのは「探偵・七重家綱を始末セヨ」とだけ書かれた紙切れと、何かの肉片が入った真空パックだった。

「アンタ……、これって、まさか!」

「察しの通り、娘の『小指』だよ。いや、厳密には違うのかも知れないが、”旅行中”の俺には鑑識の力を借りることは出来ねえ。ロッカーでこれを見た後と朝、娘の携帯に連絡を入れたが繋がらない。これが本物か否か……、今のおじさんには確かめようが無いのさ。

 恨みたきゃ恨め、笑いたきゃ笑え。でもな、それでも動かなきゃならねぇんだよ。親ってェのは、どうしようもねぇ間抜けだからな」

 苦々しくそう語るおっさんは、俺がこれまで見た中で、最も険しい顔をしていた。娘の為に相棒の敵に手を貸さざるを得なくなるんだ、そりゃあ悔しいだろうに。

 もしかすると、おっさんは俺に倒されたかったんじゃないか。だとすると、わざと自分の能力を曝した理由にも頷ける。娘の為だとは言え、敵に加担した自分を恥じていたんじゃないか。

 許せねぇ、許しておいていい筈がねぇ。

「なァに戯けたこと言ってんだ、おっさん」笑える訳……、ねぇだろ。「俺は親じゃないが、大切な人を失う辛さは痛いほど良く解るし、失いたくないものだってある。それに恨めってンなら、さっきの喧嘩で痛み分けだ。いちいち引きずる程ガキじゃねぇよ。

 もう金なんかどうだっていい。俺にも協力させろよ、野郎をとっちめて、ブタ箱に押し込んでやる」

 おっさんは目を丸くして、「驚いたな。ここまで派手にやられといて、それでも奴らと戦おうってのか。おじさんに言えた義理じゃないが、お前馬鹿か?」少し声が上ずっている。本当に予想外だったらしい。

「親馬鹿に言われたくないね。腹括れってんなら幾らでも括ってやるよ。俺ァあんたの相棒なんだ、それくらい出来なくちゃあなぁ、(ガン)さん」

 何か思うことがあったのか、おっさんは怪訝そうな顔をして尋ねる。「その呼び名……、誰から教わった?」

「いつまでも『おっさん』って呼んでちゃ格好付かないだろ。”イワさん”じゃ締まりがないから、巖の訓読みでガンさん。文句あるのか?」

「文句なんかねぇよ」やや頬を緩ませ、ただなと続く。「ゲンキの奴に付けられたのと同じだと思ってな。娘にだってそう呼ばせた事ァねぇのに、お前と来たら」

「何だよ、嫌ならイワさんって呼ぶぜ。締まらねぇけど」

「いや、そのままでいい。おじさんの刑事生命始まって以来の大勝負だ。サポートは任せたぜ、若造」

「あいよ」

 俺たちは銃を放り、両の手で堅く握手を交わす。この男が敵で無くて本当に良かった。……俺の呼び名は相変わらず若造のままなのだが――。


◆◆◆


 工場跡地にエージェントQが現れたのは、それから十五分後の事だった。

 革靴にトレンチ・コート、その中に着込んだスーツまで真っ黒ながら、被っているシルクハットだけが白と言う奇怪な出で立ち。成人男性の平均的身長よりも頭一つ大きく、コートを纏っていても尚分かる筋肉質な体型。奇妙な出で立ちは筋骨粒々な体躯も相まって、見る者に凄まじい威圧を与える。

 この男は、入口に岩肌の姿を見付けると、近付いて握手を交わし、帽子を脱がずに頭を下げた。

「ずいぶんと冷てぇ手だな。冷血漢は手まで冷えきってるって訳か」

「どうでもよいでしょう。それよりも、イエツナ・ナナエは――始末出来ましたか?」容姿に似合わぬ少女のような甲高い声。変声機を使っているのだろう。

「そう焦るな。すぐに見せてやる。ンなことよりお前、ナリコ(・・・)は無事なんだろうな?」

「お嬢様には指一本触れておりませんのでご心配なく。先ずは彼です。私には『ボス』への報告責任があります故」

「解ったよ、付いてきな」

 手招いて、Qを工場の中へと誘導する。岩肌はぼろ布の掛かったテーブルの前で足を止めた。

 布の裾をさっと引き、隠されたものが顕になる。白目を剥いて大の字で寝転がる家綱の姿がそこにあった。

「これで……、満足か?」

「成る程、確かに死んでいる。では死体の回収を――」

 確認の為に近寄ろうとする黒白巨漢の行く手を、岩肌は何も言わずに遮る。「待ちなよ。娘の方が先だぜ、ナリコを何処にやった」

「あぁ、そうでしたね。分かってますよ? ただちょっと忘れていただけです」

「貴様ッ」怒りに駆られ、銃の引き金を引きかけたが、娘の安否が分からぬ以上、主導権は彼方側にある。岩肌は怒りをなんとか押し殺し、歯を食い縛って睨み付けるに止めた。

 Qは表情一つ変えず、形ばかりの詫びを述べる。「あぁ、今のは流石に無神経過ぎましたね。失礼致しました。それでお嬢様の居場所、なのですが……おぉっと失礼」

 白ハットは靴紐が解けたからと、岩肌を前にして身を屈める。奴の頭上、工場の二階で微かな光が煌めいたのはその時だ。

 上の階から一直線に放たれた鈍色(ニビイロ)の閃光が、彼の右掌に深々と突き刺さる。投擲(とうてき)用のダーツだ。岩肌は左手で患部を押さえるが、それでも尚痛みに堪え切れず崩れ落ちた。

 靴紐を直し、黒白巨漢が顔を上げる。「居場所……ですが、その前に。貴方は”ペナルティ”を犯しました。これはその罰です」

「罰だと? 一体何の事だ」

「惚けてはいけません。筒抜けなんですよ、貴方がた(・・)の計画など全て、ね」

 Qは軽く咳払いをし、この場に居る二人の男の口調を真似た。


 ――けどよ、どうやって誘き寄せるんだ。

 ――簡単だ。当初の計画通り、お前が死体になりゃあいい。始末が終わった後、奴の電話に一報入れろと命令されてるからな。殺したと言えば、奴は必ずここに来る。

 ――ふぅん。けどよ、熊じゃあるまいし、人間相手に死んだフリなんか通用するのか?

 ――心配するな、奴はお前にゃ近付けんさ。幾ら何でも、死人が発砲してくるとは夢にも思わねぇだろ。

 ――……まぁ、それもそうか。作戦って言っていいのか解らんが、やってやろうじゃねぇか。ぶっ潰してやる。

 ――そうそう、その意気だ。しっかり頼むぜ、若造。


「これは……!」岩肌の額から汗が滴り落ちる。声色の物真似も去ることながら、驚くべきはその内容。Qが廃工場を訪れる前、二人が交わした会話そのものではないか。

 困惑する岩肌に対し、大男は「聞かれなかったので言いませんでしたが」と、胸ポケットから何も描かれていない無地のカードを取り出した。

「これは『受信機』です。貴方にお渡ししたあのカード、実は音声録音・発信機能が付いているんですよ。半径30kmくらいの範囲であれば、タイムラグ無くクリアな音声を楽しむことが出来るのです。ナナエ・イエツナが生きていることも、共謀して私を狙っていることも、全部お見通しなんですよ。それでは、さようなら」

 白ハットは工場跡地に銀色の雨を降らせんと、右腕をさっと振り上げる。だがその前に、家綱の放った弾丸(エアガン)がQの体を大きく仰け反らせた。

「なんてこった、最初っから全部お見通しなのかよ……何やってんだおっさん、退避だ退避」

 家綱は岩肌に肩を貸して駆け、遅れて放たれたダーツの雨を掻い潜り、死角となる大型ベルトコンベアの下の隙間に逃げ込む。暗がりに二人の姿を見失ったからか、ダーツの雨は途端に降り止んだ。

 岩肌のコートの裾を破り、傷口を塞いだ上で家綱は言う。「いきなりで悪いが……、あんたはここで隠れてろ。あいつとのカタは俺がつける」

「何寝言言ってんだ若造、一人で敵う訳無いだろう!」

「二人だって敵わねぇよ」言って、岩肌の包帯をきつく締め付ける。沸き立つ痛みに顔が歪んだ。「利き手をやられて銃が撃てない上に、壁に寄りかかって立つのがやっと。それじゃあただの足手まといだろうが。分かってくれよ巖さん、今の俺に誰かを護りながら戦う余裕はないんだ」

 岩肌は返答に窮し、苦虫を噛み潰したような顔で押し黙る。確かに彼の言う通り、俺はただの足手まといの死に損ないだ。しかしそれはお前だって同じじゃないのか。そうだと分かっていても、衰弱した自分にはどうにも出来ない。岩肌巖雄は自身の力不足を悔やみ、血が流れる程に歯を食い縛る。

 家綱は彼の無言を了承の合図と取り、隙間から這い出てエージェントと向かい合った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ