不穏な騎士
「ーーああ、ロシナンテ! 相変わらず君はまるで月の女神のように美しいな」
引き締まった筋肉で覆われた体に手を合わせながら、その鼻先に額を寄せる。
「艶やかなこの白銀の毛も、引き締まったバランスの良い体も、君は他の誰よりも美しい。君の体に触れる権利を与えてもらえるなんて、私は誰よりも幸せだよ」
「……馬を口説くな。馬を」
隣で栗毛のハンプントンのブラシをかけていたゴードンが、げんなりとした表情で手を止める。
学園で飼っている馬の世話をするのも、騎士科の生徒の講義の一つ。
元々は魔物だったのを、代重ねて飼育して人を背中に乗せられるようにした学園の馬は、通常の馬よりも強靭な足腰を持っており、とても賢い。
一昔前の、自分の身分を誇示する傲慢な騎士のように「馬の世話なんて馬丁に任せとけ」なんて言おうものなら、プライドの高い彼らからすぐに振り落とされる。あのウィルソンさえそれがわかっているから、毎日真面目に馬の世話をしているくらいだ。……と言うか実際一年の時に仕出かした結果、背中を預けてくれる馬がしばらく現れなくて痛い目をみた結果だけど。
「お前は人だけではなく、馬まで誑しこむんだな。その性悪の牝馬が、そこまで人に気を許すのを初めて見たぞーーいででででっ!」
「ロシナンテは性悪なんかでなく、気高いんだよ。そんな風に言うから、噛まれるんだ」
ムッとしたようにゴードンの肩に噛み付いたロシナンテの頬を、宥めるようにポンポンと叩いてゴードンを解放させると、その鼻先に自分の鼻先を突き合わせた。
「その気になればゴードンの肩の骨を噛み砕くことなんか簡単なのに、加減してあげて、君は本当に良い子だね。こんなに優しい君の、どこが性悪なんだか」
「……いや、性悪だろ……」
肩を押さえながらロシナンテを睨みつけるゴードンを慰めるように、ハンプントンが背中に鼻先を擦りつけた。
ロシナンテからは嫌われているゴードンだけど、ハンプントンからはとても愛されているから、馬の扱いが悪いというわけではけしてない。まあ、この辺りは相性かな。
「今日はとうとう野外講義の日だよ。ロシナンテ。ポルテラの森で、一泊するんだ。君は森の中には入れないから、同行の騎士の方と一緒に森の入り口で待機することになるけれど。翌日には必ず戻るから、良い子にしといてくれよ?」
「ブルルル……」
「そんな不満そうな顔をしないでおくれ。ロシナンテ。君が森の中だって、問題なく走れることは知っているさ。でもポルテラの森には中級程度の冒険者が挑むような危険な魔物が、たくさんいるんだ。君の身に何かあったら大変だろう?」
それにポルテラの森は人が道を切り拓いていないから、ほとんどが獣道。馬を連れて行くには足もとが心許ない。……まあそれを言ったらロシナンテがもっと拗ねてしまいそうだから、言わないけど。
「何だ。お前達の行き先はポルテラに決まったのか。俺達はネルファ高原だから、馬に乗ったまま戦闘するように言われているぞ」
「あの辺りの魔物は初心者向けとは言え、最初から騎乗戦闘をさせる辺り、セルティス先生もなかなか鬼畜だね。自分の身が自分で守れて魔物相手に驕らなければ、それで良いと言っていた癖に」
「まあ、高原に向かう道中にも魔物は出るだろうからな。騎乗戦闘の訓練もしてきたし、あそこくらいのレベルなら何とかなるだろう」
王都周辺は、王宮魔法士による結界が張られているから魔物は現れないけど、一歩結界の外に出ればこちらが移動中であろうと関係なく魔物は襲いかかってくる。
ネルファ高原はポルテラの森より近いとはいえ、移動に一時間くらいはかかるからな。その間も戦闘を行えなければ、話にならないだろう。結界の影響で、王都近辺にはあまり危険な魔物がいないのが救いか。
「そう言えば、お前達の同行はセルティス先生の知り合いの騎士がやるんだって?」
「ああ。先生が、王国騎士団の第五部隊に掛け合ってくれたらしい。念のため叔父上にもどんな人か聞いたけど、穏やかで信用できる人柄の方だってさ」
最終メンテナンスを終えた後、ロシナンテを引き連れて、ハンプントンを連れたゴードンと共に、集合場所に向かう。遠征地は違う場所でも、出発地は同じだ。
集合場所である校門の外に向かうと、セルティス先生が駆けつけてくれたらしい騎士の人達と揉めていた。
「……どういうことですか? 僕は第五部隊のゲオルグさん宛に、正式な依頼を出したはずですが。こちらに一言の通達もなく、部隊の差し替えとは。随分と乱暴ではありませんか」
「仕方ないだろう? 第五部隊には緊急の仕事が入ってしまったのだから」
「にも関わらず、軍務卿が手すきの我々を代わりに派遣されたのですよ? 感謝されこそしても、文句を言われる筋合いはありませんね」
……うわあ、何かすごく嫌な予感がする。
「セルティス先生。どうかなさいましたか?」
「ナサニエル。……実は第五部隊に頼んでいたはずの貴方がたの引率の騎士が、連絡もないままに直前になって第二部隊に変更されたようで」
「ああー……」
第二部隊って、軍務卿、つまりは第二王子のお膝元と言われる部隊だなあ……。第二王子に忠誠を誓っている人が多いから、騎士団長であるパウエル叔父上に反発することもしばしばって言う。
これはどう考えても、第二王子の手が介入しているな。私への嫌がらせの為に。
「これはこれは、第三王子殿下の婚約者様。このような機会にお会いできて光栄です」
「駄目だぞ、ルーク。学園では、生徒の身分は平等だ。たとえ彼女がどんな立場の方であっても、一生徒として扱わなければ」
「そうでした。アーノルド。見るからに高貴なオーラを纏ってらっしゃるので、私としたことが、つい」
……馬鹿にしたように、クスクスと笑いあっている姿が、とても嫌な感じだなあ。伯爵令嬢風情がと、遠回しに言っているのか微妙な所なのがまた。
彼らの生家は間違いなく、子爵以下。けれどこれが第二王子の代弁となると、また事情が変わってくる。
にんまり目を細めている亜麻色の髪のキツネ顔の男がルーク、短い黒髪のゴリラみたいな男の名前がアーノルドか。残念ながら二人とも、叔父上からは聞いたことがない名前だな。
「それで? 軍務卿のご厚意で、わざわざ仕事を調整してやって来た我々を追い返すつもりか?」
「緊急事態で致し方なかったと説明しているのにも関わらず、事前通達がなかったと言うだけでそのような仕打ちをされたら、我々騎士団は今後二度と学園に騎士を派遣することはなくなるでしょうね。その覚悟はおありですか?」
「それは……」
「……先生。私のことを気にかけてくださっているのなら、大丈夫です。この方々に引率をお願いしてください」
第二王子が何を企んでいるかはわからないが、取り敢えず派遣された騎士は二人だけ。
しかも片方が馬の面倒を見るならば、実質引率は一人だけになるだろう。
ならば仮に命を狙われたとしても、撃退できる自信はある。……というか、さすがに誰が黒幕か見え見えの状況では、第二王子は私を暗殺しようとは思わないだろうし。何を企んでいるにしろ、たかがしれている。
「初めまして。引率の騎士の方々。ナサニエル・ドレーです。この度は私達の為に、わざわざありがとうございます。2日間どうかよろしくお願いします」
この喧嘩、受けてたってやろうじゃないか。
アレス殿下の婚約者という立場をかけて。
私はにっこりと笑みを浮かべて、探るようにこちらを見る二人に向かって、優雅に騎士の一礼をした。




