スパダリ騎士令嬢ナサニエルは拗らせ殿下の婚約破棄を許さない【完】
そう言って、アレス殿下は泣きそうに顔を歪めた。
「本当はずっとわかっていたんだ……相応しくないのは。価値がなく醜いのは、私の方だと。あらゆる分野で優れていて、太陽のように眩しくて、誰からも愛されるお前に、釣り合わないなんてこと、本当はずっとわかっていたっ!」
「…………」
「認めたくなくてっ。お前に見限られる未来が、怖くてっ。何度も何度も何度も、試すように、お前を貶めたっ! こんな醜く愚かな私は、初代騎士王の剣に選ばれたお前に相応しくない。間違ってる。お前の輝かしい未来を汚す前に、私達は婚約破棄するべきなんだっ……!!」
血を吐くような叫びだった。アレス殿下からすれば、ずっと秘めていた本心を、一世一代の覚悟で告白したおつもりなのだろう。
……でも、アレス殿下がそんな風に考えていることなんて、とっくの昔に存じあげておりましたよ? 私だけでなく、フェルドリート殿下や、リンゲルやゴードンも。何なら直接関わりがないグレゴリーや、私との婚約破棄騒動をショーとして楽しんでいる生徒の一部だって、気づいていると思う。私に対して限定で、アレス殿下は本当にわかりやすい御方だから。
今更なのですよ、殿下。今更そんなことを言われても、私はそんなことは重々承知で、アレス殿下の婚約者でいることを望んでいるのですから。そんなことを、婚約破棄の理由にされても困ります。
……ああ。やっぱり怒りの不完全燃焼が続いているのかな。いつもはただただ愛らしい、アレス殿下の卑屈さと鈍さが、今日は何だか憎らしい。
「……分かりました」
「っ」
「アレス殿下がそれほどまでに婚約破棄をお望みでしたら、一度改めて検討しようと思います」
検討すると言っただけで、婚約破棄に応じるつもりなんて最初からさらさらない。
けれども、たまには私だって、こんな風に意地悪してみても良いじゃないか。
アレス殿下の婚約破棄宣言が、いったいどういう意図から生じるものか理解しているからといって、少しも傷つかないのかと言えば嘘になる。誰よりも大切で大好きな御方から、面と向かって拒絶されているのだから、鋼の心臓と言われている私だって、そりゃあチクチクと胸に刺さるものはあるさ。傷が残るどころか、血も出ないくらいの、鈍い痛みだとしてもね。
何度も何度も試し行動をされているんだから、私だって一度くらい試してみたい。私が婚約破棄を受け入れるふりをしたら、この可愛い御方は一体どんな反応をしてくれるのか、見てみたい。その結果がどれだけ私を失望させるものであったとしても。
そう思って、私はアレス殿下に背を向けて歩き出した――つもりだったのに。
「――っ嫌だ、ナサニエルっ!」
踏み出しかけた足は、一歩も踏み出すことがないまま、後ろから抱き着いてきたアレス殿下によって止められた。
「お願いだ、ナサニエルっ……婚約破棄になんか、応じないでくれ! 私を見限らないでくれ、私から離れていかないでくれっ。お前がいない人生なんて、耐えられないんだっ!!!」
ああ、本当――憎たらしいほど、可愛い御方だ。
「……じゃあ、最初からそんなことをおっしゃらないでくださいよ。ああ、もう、涙と鼻水でお顔がぐちゃぐちゃじゃないですか」
きっと今の私は、気持ち悪いくらいに脂下がった笑みを浮かべているのだろう。
恥も外聞もなく、子どものように顔を汚して泣きながら私に縋る殿下が、愛おしくて仕方ない。
汚れた殿下のお顔を丁寧にハンカチで拭いながら、ため息を吐く。
「惚れたが負け」とは、よく言ったものだ。倫理に反さない限り、男女の恋情に正しいも間違いもなく。自分の恋情と相手の欠点の比重を測る天秤が、胸中に一つあるだけ。
6歳の頃からずっと、アレス殿下の欠点すら愛おしくて仕方ない私は、もう十年もずっと負けっぱなしだ。
だからこそ、たまにはこうやって、私からも殿下を振り回しておかないと。
「……やっぱり、この可愛いお口も塞いでしまいましょう」
――初めての口づけは、殿下の涙で塩っぽかった。
「ひゃあああ、ナサニエル様、大胆過ぎますううぅぅぅ」
「……何で俺がこんな不愉快な光景を、見せつけらんねぇとなんねぇんだよ。屋敷でしろ、屋敷で!」
「「ずるいわ、ナサニエル! 私達にもしてっ!!!」」
……外野が色々言っているけれど、今は顔を真っ赤に染めた愛らしいアレス殿下を見るのに忙しいから、聞こえないふりをしよう。
ナサニエル達が学園を卒業してから、10年後。
精霊とは異なる高位存在の加護を得た大国の皇帝が、大陸統一を目論んで周辺諸国の侵攻を始めたことをきっかけに、エウリュア王国は200年の平和な時代に終止符を打ち、戦乱の世に突入していく。
高位精霊の主として認められたナサニエルをもってしても、力が拮抗する厳しい戦いの日々が続いたが、45歳にして女性初の騎士団長に任命され部下を統率したナサニエルは、三年の激戦を経て、皇帝を打ち倒すことに成功。ニ十年以上の歳月をかけて、エウリュア王国は再び泰平の世を取り戻した。ナサニエルはこの功績により、国史に英雄として名を刻むこととなる。
他国が人為的に引き起こしたスタンピードをナサニエルと二人だけで収束させた、辺境伯グレゴリーや、ナサニエルに常に振り回されながらも、隣で彼女の戦いを支え続けた副官ウィルソンとの逸話も数々残っているが、やはりナサニエルを語るうえで欠かせないのは、彼女の最愛の伴侶にして魂の主であったアレス・エウリュア公の存在だろう。
妾妃を母親に持つ第三王子であったアレスは、官僚として国に尽くし、弱冠30歳にして宰相補佐官まで登りつめた。しかし兄であるフェルドリート王の嫡子が成人したのを機に、王位継承権を放棄して国政を退き、王都からほど近い肥沃な領地と共に公爵位を得る。
公爵に任命されてから、ナサニエルとの間にニ男をもうけたが、「最愛の伴侶の幸福の為には、国の安寧が必要である」と考えたナサニエルが、家族と共に過ごす時間は短かった。ナサニエルは人生の大部分を、戦場と騎士団本部の往復で費やした。それでも休日は必ず家族のもとに帰り、愛する者と過ごす平和なひと時を噛み締めたのだと言う。
後に公爵位を受け継いだ長男は「母のことは心から敬愛しているが、休日しか領地に戻って来ない母は、母親というより父親のような存在だった。何せ私が生まれた翌日には、光魔法で体を回復させて戦場に復帰するような人だったから。私にとっては寧ろ、常に領地にいる父こそが母親のような存在だった」と語ったと、記録に残されている。アレスは優れた領主でありながら、子を愛し慈しむ父親でもあったのだ。
夫婦として過ごすことができる時間こそ短かったものの、それでもアレスはナサニエルだけを愛し続け、生涯ナサニエル以外の妻を持つことはなかった。
「私は家政に携われないから、どうか第二夫人を娶ってください」と他でもないナサニエル自身が懇願しても「信用できる乳母と執事であるリンゲルがいれば、家政は十分。第二夫人なぞ必要ない」と、けして首を縦に振ることはなかったと言う。
ナサニエルは55歳で騎士団長の立場を退いてからも、国から引き止められる形で騎士団に残り、相談役として後身の育成に尽力した。戦乱の種火が燻るエウリュア王国は、老いてなお人外の強さを誇る彼女を失うわけにはいかなかったのだ。
しかし彼女が60を過ぎた頃。ナサニエルの最愛の夫であるアレスが病に倒れる。
ナサニエルはそれでもなお引き止めようとする人々を振り払ってすぐさま職を辞し、アレスの最期の一年を、片時も傍から離れず共に過ごした。
「置いていかないでください、アレス様。ナサニエルを遺して、逝かないでくださいっ……。嫌だ、嫌だ、嫌だっ! 貴方のいない世界なんて、考えられないっ! ……ああっ、何故私は、もっと早く職を辞して、貴方のお傍にいる道を選ばなかったんだっ……!」
猛女と言われたのが嘘のように、幼子の如く泣きじゃくりながら自分に縋るナサニエルに、アレスは優しく微笑みながら、白髪混じりの黒髪を撫であげ。
「……お前は私の為に、国に安寧をもたらしてくれた。可愛い息子を、二人も産んでくれた。それになにより、生涯私を愛し続けてくれた。……ありがとう、ナサニエル。お前のおかげで、私はずっと幸せだったよ。お前を妻に持てた私ほど、果報者はいない」
そう言って、心から幸福そうに息を引き取ったのだと言う。
【完】
150字ほど足りませんでしたが、約10万字。結局休日も一日も休まず、有言実行で完結です。誰か褒めて。
余談としていくつか。
未来のまとめにゴードンは出て来てませんが、ちゃんと死ぬまで護衛騎士としてアレス殿下に仕えました。
10年後にはアレス殿下もウィルソンもメンタルが落ち着いて、アレス殿下は穏やかな家庭人、ウィルソンはツンデレ世話焼き苦労性副官として普通に良い男に育つのですが、ナサニエルを唯一同等の存在とみなしている戦闘狂皇帝に二十年以上執着されて殺し合うことになるので、ナサニエルは変わらず難あり男ホイホイのままです←
アレス殿下の死亡後のナサニエルの余生は考えていないので、好きに想像されてください。こうすることで晩年をウィルソンと過ごすシュレディンガーのウィルソンルートが発生します←
それでは最後までお付き合いありがとうございました。少しでも面白いと思っていただいた方は、感想や評価を頂けると次回作の励みになります。




