鏡越しの自己嫌悪(side:アレス)
ウィルソン・ハルバード。ハルバード侯爵家の次男にして、騎士科であるナサニエルのクラスメイト。
そして愚かな思い込みのせいで一人暴走し、ナサニエルが伝説の剣の主になる原因を作った、張本人。
私は彼とは話したことはないが、入学時に学園中の生徒の情報は調べていたから、以前から彼の存在を知っていた。知っていて、彼とはけして関わらないことを決めていた。
彼の過去も、それに起因する精神の未熟さも、私とどこか似ていたから。一度でも関わりを持てば鏡に映る自分自身に嫌悪するかのように、理不尽に彼を嫌う自信があった。ナサニエル以外の相手にそんな態度をとれば、何がきっかけで足を掬われるかわからない。……いや、ナサニエルなら許されるものでもないのは、重々承知ではあるけれど。
だから私は極力、ウィルソン・ハルバードとは接点をもたないように務めていた。
それなのに、何故こんな時に、こんな所で、彼に会う?
もしや、彼が黒幕の一人なのではという疑いは、魔力封じの腕輪がつけられ全身傷だらけの状態でむっつりとそっぽを向くウィルソンを、リンゲルが庇うように割って入ったことで霧散した。
「彼は、馬車で誘拐されてる僕たちを助けようとしてくれたんですよぉ〜」
「え?」
「結局捕まっちゃって、一緒に縛られちゃいましたけど」
「……うっせぇよ」
あのウィルソン・ハルバードが?
ナサニエルを介してしか、接点がない私達を助けに?
よほど私は驚いた顔をしていたのだろう。ウィルソンは一度舌打ちを漏らしてから、しぶしぶと事情を語りだした。
「……氷魔法で作った遠見鏡で、王城周辺を見ていたら、不審な動きをする馬車が出てきて。窓からてめぇが縛られてるのが見えたから」
「何故、王城周辺を遠見鏡で見る必要があったんだ?」
「…………」
何故かまた黙り込む、ウィルソン。これが本当に黒幕の一人だとしたら、あまりにも誤魔化し方が拙過ぎる。……というか、よくみたら耳元が赤いな。
「……から」
「え?」
「っ俺のせいで、ナサニエルが王太子に呼出されたからっ! 俺にできることなんか何もねぇとわかっていても、居ても立ってもいられなかったんだよ!」
予想外にまっすぐ過ぎる発言に、暫く絶句する。
先程までは耳だけだったのに、今は顔全体が真っ赤に染っている。
……ああ、この男も、ナサニエルが好きなんだな。
そう思ったら、胸の奥が冷たく凍りついたような心持ちがした。
誰もが、ナサニエルを好きになる。ナサニエルは、それだけ価値がある人間だから。
「それで考えなしに救出に出て、捕まってんだからざまあねぇよな! 自分でも馬鹿だと思ってる! でも仕方ねぇだろ? お前に何かあったら、ナサニエルが悲しむと思ったら勝手に体が動いたんだよ!!」
ウィルソンは調べた情報通り、短絡的で愚かな男だった。……でも、私のように醜くはないと思った。
「……君と私は、似ていると思っていたのだがな」
「は?」
「君はもう、過去から抜け出すことができたんだな。私は君が、羨ましい」
身分差のある両親のもとに生まれた結果、6歳まで母に詰られて暴力をふるわれて育った、ウィルソンと私。
彼は貧民街出身で、私は後宮育ち。ウィルソンは母親以外の世界を知っていて、私は母以外の世界を知らなかった。彼は一度得た貴族という立場を奪われることが決まって絶望したけど、私は今の立場を保つ為に今も必死に足掻き続けている。
どちらがより不幸かはわからない。少なくとも私は母が死ぬまでは最低限の衣食住が保たれていたから、貧民街で貧しい暮らしをしていた彼の方が不幸だったと思いもするし、幼い頃からずっと暗殺に怯え続ける必要がない分、彼の方がましだと思う私もいる。
それでも彼の荒れた噂を耳にする度に、少なくともあれよりはましだと、安寧を覚えていたのも事実だ。まだ私は、あそこまでは堕ちていない、と。
けれど今、初めて彼と対峙したことで、彼と私の決定的な違いを突きつけられたような気がする。
ウィルソンはもう、以前とは違う。過去を乗り越えて、未来を見ている。ーー恐らくは、ナサニエルのおかげで。
私が10年もナサニエルといて成せなかったことを、彼はたった3年で成し遂げたのだ。その事実がひどく苦い。
「っ羨ましいとか、ふざけるなっ!」
「……ああ、そうだね。貧民街で地獄を見てきた君からすれば、私の不幸なんてきっと大したことないと思うだろうね」
「ちげぇよ! てめぇにはずっと、ナサニエルがいただろうか!!」
ウィルソンが泣きそうな顔で吠える。
「あいつにあんな真っすぐに想われていて、ずっと守られてきて、一体何が不満なんだよっ! ふざけんなよ!」
……だからこそ苦しいのだと、きっと口にした所で彼にはわからないのだろう。
誰もが求めるナサニエルに、私のように無価値で不釣り合いな人間が愛されて、守られる。
そんな妄想のような、都合の良過ぎる現実を受け入れられない。受け入れてしまえば、全てはただの夢だと、灰燼のように消え去ってしまう気がするから。
「……ずいぶん騒がしいなあ、と思ったら、ようやくお目覚めですねぇ。王子様。闇魔法の魔道具による悪夢は、いかがだったでしょうか?」
「ギャハハハ! 似合わねえ敬語使うなよ! 顔に合ってねえぞ〜」
「だって相手は王族だぜえ? 失礼がないように、おもてなししねえとな」
扉から現れたのは、見るからに粗野な二人の男。片方はスキンヘッドで、片方は額にバツ印の傷跡のある男達の顔は、以前見覚えがあった。
フェルドリート兄上から渡された、要注意人物のリストに絵姿が載っていた男達だ。金次第で殺しも誘拐もなんでもする、裏社会の組織の一員の。
「貴方の婚約者がぁ、伝説の剣の主なんて大層なもんに選ばれるのが悪いんですよ? 恨むんならてめぇの婚約者を恨みな」
「自分の地位を奪われるのを恐れた王太子殿下が、目障りだからお前を消して欲しいんだとよ。弟相手でも非情なこった」
……これはブラフだな、と冷静に状況を分析する。
フェルドリート兄上が本当に私を邪魔だと思ったなら、こんな面倒なことはする必要はない。「消えて欲しい」とただ一言命令さえすれば、私は二度と兄上の前には現れないし、何なら死の命令にだって従うつもりでいる。そしてその事を、フェルドリート兄上も当然把握している。
私はナサニエルとフェルドリート兄上がいなければ、とおに死んでいた人間なのだから。だからフェルドリート兄上の命令ならば、命だって差し出す。
……まあ、十中八九エルヴィン兄上か、その陣営の誰かの差し金だろうな。私を恨んでいる正妃様の可能性も0ではないけれど、実権を奪われてなお溺愛してるフェルドリート兄上に罪を着せるようなことはしないだろうし。
そしてわざわざそんな小細工をして私にフェルドリート兄上に不信の種を植え付けようとしていると言うことは、黒幕が私が生きてフェルドリート兄上の元に戻ることを想定していることの証明でもある。
あくまで今回の誘拐は、伝説の剣を手に入れたナサニエルがどう動くかの様子見。失敗すれば金で雇った奴らは尻尾切り前提で、追及されても黒幕である自分に繋がる決定的な証拠は残してないと言う所だろうか。
……尻尾切りするような外部の犯罪者を使った時点で、黒幕の想定から大きく外れた行動を取る可能性も高いから、何も安心はできないのだけど。
「ああっ、銀髪のガキも起きてんじゃねえか!」
「てめぇのせいで部下は全滅、俺らも依頼主からもらった結界の魔道具がなけりゃ、ぶっ倒れてるとこだったんだぞ! ふざけんな!」




