いざ、貴方のもとへ(後半 side:アレス)
自分に向かって剣を向ける護衛騎士を一瞥もしないまま、フェルドリート殿下は微笑んだ。
「ナサニエル。――殺すなよ?」
……ああ、王太子付きの護衛騎士が一人しかいないなんて、おかしいと思ったんですよ! どおりで!
「ノクス! ディエス!」
「はぁーい!」
「次は私を、先に呼んでね!」
すぐさまブローチから形状を変えた剣で、護衛騎士の剣をはらう。ついでにディエスが剣に付与している氷魔法で騎士の足元を凍らせて、ノクスが付与している闇魔法で意識を奪い取った。……この付与魔法も、片方の担当に偏ると怒りだすから厄介なんだよな。水魔法はノクスなのに、氷魔法はディエスだったりして、とっさの分類がややこしいし。
火、氷、光、雷がディエスで、水、土、風、闇がノクスなんだけど。四大元素属性が綺麗に2対2で別れてないのが、また……それを突っ込んだら「そんなの人間が勝手に作った分類でしょ!」って怒りだすし。
「お見事。一瞬で、片をつけたね」
「……フェルドリート殿下。この護衛騎士が造反する可能性を知っていて、敢えてこの場に配置しましたね」
「なかなか尻尾は出してくれないけれど、そろそろ目障りだったからね。有力貴族の紹介で配属された子だから、解雇するにも正当な理由が必要だったんだよ」
何事もなかったように、にこにこと笑うフェルドリート殿下の姿が憎らしい。
「それにしても、私一人に全てを委ねるのは危険過ぎませんか? もっと御身を大切にされてください」
「ナサニエル一人だからこそ、この子も行動に移せたんだろう? それに万が一の時の守護の魔道具はきちんと身につけてるさ」
……本当にこの方は。命を狙われ慣れ過ぎてるなあ。私も人のことは言えないけれども。
「それで、今回の襲撃の黒幕も、エルヴィン第二王子と思ってもよろしいのでしょうか?」
「恐らくはね。私が自分だけのものにならないことを思いつめた、妃の一人の可能性も捨てきれないけれど」
「……ただでさえ、傾国の美貌をお持ちなのですから、後宮の扱いはもっと慎重になさってください」
「これでもちゃんと平等に接してはいるんだよ? 正妃が舐められないように、気は使いつつ。それでも嫉妬を抑えきれないのが、女心なんだろう。実に面倒くさい。父が精神を病んで、愛妾に安らぎを見出したのもわかる気はするよ。同じようになる気はないけどね」
フェルドリート殿下の、王太子妃は三人。第二妃が最初に女の子を産み、第三妃が次の女の子を、そして昨年ようやく第一妃である正妃様が待望の男児を出産された。
それぞれやんごとなきご身分の三人は、非常に気位が高く、常に殿下の寵愛を巡って争われている。それが単に未来の王の母という立場を巡ってというわけでもないのが、またややこしい所だ。
何せフェルドリート殿下は大変お美しい顔立ちで、物腰も柔らかく、次期王としての才に満ち溢れている。そんな御方の妃に選ばれて、惚れるなという方が難しいだろう。
たとえ自分の子どもが王になることを望めなくても、他の妃よりも愛されたいと思う気持ちはいじらしいけれど、だからこそ何をしでかすかわからない怖さがある。
「……あーあ。ナサニエルが恋をしたのが私で、第四王妃になってくれていれば、色々と便利だったのに。お前ならば、私に他の妻がいても嫉妬を露わにすることはなく忠実に仕えてくれただろうし、ドレー家ならば実家が必要以上に出張ることもない。何なら他の王妃を全員誑かして、後宮をまとめ上げてくれただろう?」
「……フェルドリート殿下は、私を何だと思っているんですか?」
「究極の人たらしだろう? パウエルと同じ。一度パウエルにも、王妃達を誘惑して恋情を分散させてくれないかとお願いしたんだけど、全力で断られてしまったよ」
……いや、叔父上に何をお願いしているんだ。この方は。
臣下がそんなことをすれば、今後どんな悪評を立てられるかわからないのだから、断って当然だろう。
「ああ、やっぱり私が全力で可愛がれるのは、アレスとお前とパウエルだけだよ。男相手であっても、少しでも取り立てようものなら、欲が籠った目を向けられてしまうんだ。美しいと言うのは、罪なものだね。私がどんな感情を向けようと、お前達はけして私を性の対象とは見なさないから、一緒にいると非常に心地が良いよ」
「……それは、ようございました」
「まあ、エルヴィンはエルヴィンで揺らがないのだけど……何であいつは、あそこまで可愛げがないのかねぇ。表面だけでも可愛い弟のふりをしてくれれば、私もそれなりの対応をしてやるのに」
ため息を吐く姿すら悩ましい殿下に、思わず半目になる。
エルヴィン第二王子は心からフィルドリート殿下を憎んで嫌っているのに、何と言うかフェルドリート殿下からのエルヴィン王子への扱いは非常に軽いよね。鬱陶しい羽虫程度に思っていないというか。こういう所が、王として器の違いなのだろうなあ。
「……それでナサニエルは、こんな所でゆっくりしていていいのかい?」
「え?」
「ナサニエルがいる時に、暗殺未遂が発生したということは、その罪をナサニエルに押し付けるつもりだったということだよ? となると、ナサニエルにそれを命令したことにされるアレスは今頃……」
笑顔で告げられた言葉に、全身から血の気が引いた。
次の瞬間、王太子執務室の扉が、荒々しく開かれる。
「――入室の許可を得ずに、申し訳ありません! アレス第三王子が離宮へ向かう途中で、何者かに誘拐されました。大怪我を負って意識を失っていた護衛騎士の少年は、近衛部隊で保護しております」
フェルドリート殿下は、心から弟であるアレス殿下のことを愛し慈しんでいる。
が、それはそれとして。
すぐに命を奪われることはないと判断したなら、邪魔者を一掃する為に駒として利用することも躊躇わない、非情な為政者でもあるのだ。
「っフェルドリート殿下!」
「挨拶は不要だよ。ナサニエル。行っておいで。これは王太子命令だ」
激昂する私に、フェルドリート殿下は微笑みながら手を振った。
「私の可愛い弟を、必ず生きて取り返しておくれ。初代騎士王の剣に選ばれた、未来の私の配下のお披露目として。できるだけ派手にね」
「っ失礼致します! ――ディエス! ノクス!」
「わかった、大きくね!」
「ナサニエルが、乗れるくらいにね!」
私が王太子執務室の部屋の窓を開け放っている間に、ディエスとノクスは剣をさらに大きく、平べったく変形させた。
十分に通れるだけのスペースを作った後、板のように広がった剣の刃先の上に乗り込む。
「動力は、風魔法?」
「いえいえ、それじゃあ、つまらない。私の出番もなくなるし」
「全部がいいわ。最初と同じ」
「きらきら派手に行きましょう」
「「ナサニエルの望む所へ、さぁ、しゅっぱーつ!」」
ぐっと膝に体重を掛けた状態で、私は剣の先から飛び出す虹色の光に乗り、青い空に向かって駆け出した。
――ナサニエルが、今参りますからね! アレス殿下!
「……おー。想像した以上に、派手な出陣だねえ。それにしてもナサニエル。アレスが連れて行かれた場所を聞いていかなかったけど、ちゃんと辿り着くのかな? まあ、ナサニエルのことだから何とかするか」
(side:アレス)
『――お前が生まれてこなければ、陛下は今でも私の元に通ってくださっていたのに! せめてお前が女の子に生まれていれば!』
人生の最初の記憶は、悪鬼の表情で怒鳴る母の姿だ。
母は怒鳴るだけではなく、時にはその手で私の頬を叩いた。頬が赤く腫れあがって熱を持っても、それを治療してくれる者はいなかった。
おざなりに最低限の世話をする使用人たちが、私に話しかけてくることはなく。構って欲しくて話しかけても、迷惑そうに追い払われた。かといって後宮から外に出ることも許されず、幼い私の世界の中心は、私を嫌う母だけだった。
『はは、うえ……』
ある日母は寝台から起きてこなかった。苦しそうに喉を掻きむしって絶命しているその姿を見ても、悲しいとは思わなかった。
今日か、明日か。そう遠くない将来、私も同じように殺されるのだろうと。ただ漠然とそう思っただけで。
その日を境に一層使用人たちの私の扱いはおざなりになり、食事を届けられることすら疎らになった。ああ、私の死因は餓死なのかと、一人静かにその時を待っていた。
そんな時だった。
『――はじめまして、アレスでんか。ナサニエルです!』
太陽のようなお前が、私の前に現れたのは。




