誰がための剣
「久しぶりだね。ナサニエル」
案内された王太子専用の執務室にて。美貌の王太子が、自身の護衛騎士とたくさんの書架を背に、嫣然と微笑む。
「あら……血と色合いしかライオネルと似てないけど、なかなか綺麗な人間ね」
初代騎士王ライオネルと私以外に興味を示さないディエスが、思わずそんな言葉を漏らしてしまうくらい、王太子様はお美しい御方だ。
アレス殿下よりもさらに明るい、金を溶かして糸にしたような輝かんばかりの金髪に、サファイアのように透明感のある輝きの青い瞳。アレス殿下も十分に美しい造形をしているけれど、傾国の美女と謳われた正妃様の血を色濃く受け継いだ王太子様は、誰でも息を飲んで見惚れてしまうほどの美貌の持ち主であり、本人もそれを自覚して最大限有効活用しているのが見て取れる。
病床の父王の代わりに、摂政として国を牛耳る彼の方の名前は、フェルドリート・エリュシア。穏やかで理知的でありながらも、けして油断することはできない御方である。
私はすぐさま、その場に膝をついて騎士の礼を取った。
「お召しにより、参上致しました。ドレー家ナサニエルでございます」
「堅苦しい挨拶はいい。アレスの脇に座ってくれ」
フェルドリート殿下が座る椅子の向かいには、机を挟んで思いつめた表情のアレス殿下が腰を下ろしていて、その後ろにはリンゲルとゴードンが立ったまま控えていた。
お言葉に甘えて、アレス殿下の隣の席に腰を下ろすと、フェルドリート殿下は楽しげに目を細めた。
「それで、ナサニエル。伝説の剣の主に選ばれたのだって? 王都中がその話題で持ちきりだ」
「は。……完全に想定外の事態ではありましたが」
「廃嫡を恐れて暴走した友人を、救出に行った結果なんだろう? 私としては、そんな友人は切り捨てても良かったと思うのだけどね」
「もし切り捨てていれば、もう一人の友人と謂れのない不貞の噂を流される恐れがありましたので」
「ソディック辺境伯家の嫡男と、だろう? 全く、エルヴィンも姑息な手を使うものだ。まだ学園も卒業していない子ども相手に、大人げないにもほどがあるな」
エルヴィンとは、軍務卿である第二王子のことだ。
フェルドリート王太子殿下も、エルヴィン第二王子殿下も、揃って御年25歳。数か月違いで誕生し、母親や親族、その派閥と、周囲を巻き込んで……否、周囲に巻き込まれるように王位を巡って対立し続けてきたお二人は、当然のことながら非常に仲が悪い。
だからこそ、今回野外遠征に第二部隊を派遣した第二王子の思惑も、王太子殿下はすっかりお見通しというわけだ。
「それで? 剣はどこだい? 私に見せてくれるのだろう?」
「は。ここに」
いやいやと首を振るノクスとディエスを目で制して、ブローチの形で持参していた剣を元の状態に戻して胸の前に捧げ持ち、深く頭を垂れる。
フェルドリート殿下はけして剣には触れようとせずに、ただ興味深そうにそれを覗き込んでいた。
「大きさを変えられるのは精霊の魔法によるものかな? 本に書かれていた記述通り、美しい剣だね。それで、ナサニエルはこの剣をどうするつもりだい? 私がくれと言ったら、くれるのかな?」
「王太子殿下のお望みのままに……と言いたいところですが、恐らくそれは精霊達が許さないでしょう」
「だろうね。ものすごい、拒絶を感じるよ。精霊達ということは、二人いるのかな? 見えない何かから両側の頬を引っ張られて、大変面白い顔になってるよ。ナサニエル。淑女と思えないようなね」
「……大変お見苦しい所をお見せ致しました。剣はもう、戻してもよろしいですか?」
「ああ、構わないよ。十分見せてもらった」
……だから、仕方ないだろう! 立場を考えたら、取りあえず一度は了承の言葉を言わないといけないんだから!
泣きながらひどいひどいと頬を引っ張る精霊たちを肘で制し、剣を元のブローチの形に戻すよう指示をする。ブローチ型の剣を服につけたことで、ようやく二人は大人しくなってくれた。
……最初から捨てるつもりはないから、「私達をナサニエルから引き離そうとするなんて……このオウタイシ殺してやる」とか物騒なことを呟くのはやめてくれ。フェルドリート殿下が亡くなったら、王位継承権第一位はあの第二王子エルヴィンになるんだぞ。冗談じゃない。
精霊達の頭を撫でて宥めていると、フェルドリート殿下はくすくすと楽しそうに笑った。
「それで? ナサニエルはそんな伝説の剣を手に入れてどうするつもりだい? 私の首を斬って王位を簒奪し、王冠をアレスに捧げるつもりはあるのかな?」
想定内の質問ではあるけれど、躊躇なくぶち込んでくるなあ。これでこそ王太子殿下、という感じではあるけれど。
「私は……」
口にしかけた言葉は、悲痛の表情で立ち上がったアレス殿下の必死な声によってかき消された。
「――兄上! ナサニエルに野心はありません! 剣の主になったのもたまたまで、そこに深い意味は何もないのです!」
「……あのね。アレス。私はね、ナサニエルに聞いているんだよ。お前は黙ってなさい」
「嫌です!」
いつもは従順な弟が、間髪入れずに拒絶の言葉を口にしたことに、フェルドリート殿下は少しだけ驚いたように目を見開いた。
「兄上が望むのならば、今すぐ婚約を解消しますっ……! ナサニエルを兄上に仕えさせて、私はもう二度と会わないことをお約束しますっ」
「え⁉」
あんまり過ぎるアレス殿下の言葉に、王太子殿下の御前なのも忘れて変な声が出た。
……私はそんな話、絶対了承致しませんよ⁉
「あ、アレス殿下、私は……」
「だから……どうか、ナサニエルを排除しようだなんては、お考えにならないでください……! ナサニエルはいつか必ず、兄上のお役に立つはずです。だから、どうか!」
「え?」
……私の、為?
アレス殿下が、私のせいでフェルドリート殿下に切り捨てられていることを、恐れているからじゃなく?
喜んでいいのか、殿下が何もわかっていないことを悲しめばいいのか。複雑な感情に思わず絶句していると、フェルドリート殿下が深々とため息を吐いた。
「……本当にお前は何もわかっていないね。アレス。お前には、失望したよ」
「っ」
「今日はもう、リンゲルとゴードンを連れて離宮に帰りなさい。お前には少し頭を冷やす時間が必要そうだ」
冷たいフェルドリート殿下の言葉に、アレス殿下はがたがた震えて青ざめていたけど、先ほどの言葉を撤回しようとはしなかった。
そのことが嬉しくて、切なくて、悲しい。
本当に殿下には、何も伝わっていないのだと嫌でも突きつけられてしまったから。
……私を守りたいだなんて、殿下が思う必要は全くないのに。
リンゲルとゴードンと共に去って行く後ろ姿を苦々しく見送って、再びフェルドリート殿下に向き直る。
「それで、ナサニエル。……お前は伝説の剣を手に入れて、どうするつもりだい? お前を何の為に、その剣を振るう?」
聞かれるまでもない、問いかけだった。
「当然ながら……私はこの伝説の剣を、アレス殿下の為に振るいます。殿下の明るい未来を、この手で切り拓くために」




