苦手なクラスメイト達
わざとらしく前髪をかき上げながらウインクしてみせると、ウィルソンは品性こそ感じられないものの端整ではある顔を、心底不愉快そうに歪めた。
ウィルソンに頬を染められたところで可愛くも何ともないので別に構わないのだけど、我ながら華麗な避け方だったと思うので、ギャラリーに女の子がいなかったことは残念である。何せ、同学年の騎士科に、女子は私だけだから。
450年の歴史を持つ我が国エリュシアでは、貴族の子女は例外なく、13歳から16歳までの三年間を王都の貴族学園で過ごすことが義務づけられている。
16歳で成人を迎える前に、王家への忠誠を刷り込むプロパガンダ教育を行う為とも、地方貴族の反乱を防ぐための人質的な役割を担っているとも言われているが、その真偽のほどは明らかになっていない。……まあ、多分その両方だな。
私のように王都に別邸を所有している裕福な貴族は通いで学生生活を送れるけれど、裕福とは言い難い地方貴族の子女は、問答無用で寮生活を送ることになり、なかなか大変そうである。強制入学にも関わらず学費は各家の資産に応じて変動する為、裕福になればなるほど支払う金額も大きくなるので、裕福な貴族の方がお得というわけではけしてないのだけれど。
学科は選択式で、領地経営科、官僚育成科、騎士科、魔法科、研究科、家政科の6つ。貴族令嬢の半数は嫁入りを前提とした家政科に進学し、騎士科に進むものは滅多にいない。そもそも平民含めて、女性騎士の割合は一割程度なので仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないけれど。
男所帯の中で女子一人。さぞ居心地が悪いだろうと思われるかもしれないが、そこは建国以来騎士の家系である伯爵家の令嬢という立場が、周囲をけん制して守ってくれている。
最後に大規模な国家間の戦争があってから、200年。魔物討伐に駆り出されるばかりで危険の多い騎士職は、高位貴族からは忌避されている。基本的に騎士を目指すのは、子爵以下の貴族の嫡男以外。内心はどうであれ、伯爵家の私とは表立って対立しづらい。
……はずだったのだが、何故か私の学年に限って、例外の高位貴族出身者が二名いた。
「本当、お前は可愛くねぇな! 殿下に捨てられたとしおらしく泣いてりゃあ、少しは女扱いしてやるのによぉ」
「君からは勿論、誰からも女性扱いされたいとは思わないので、結構だ。そもそも私はアレス殿下から捨てられてなんかいない。いつもの殿下の可愛い御戯れさ」
「はっ、公衆の面前で婚約破棄宣言されて、よくもまぁそんな強がり言えるもんだなぁ! さすがはアレス第三王子の奴隷だな」
「君がどう思おうと勝手だけど、私は自分の意思でアレス殿下に頭を垂れているんだ。そんな風に貶められる筋合いはないね」
「……っ本当、お前は口が減らねぇ野郎だな。俺は侯爵令息だぞ。たかが伯爵令嬢風情が調子に乗ってんじゃねぇぞ」
「親から婿入りの縁談も、仕事の斡旋もしてもらえない、不出来の侯爵令息だろう? 身分を盾にするなら、君こそ弁えるべきだよ。君は将来的に爵位が保障されていないけど、私は今の所は未来の王族だ。私は君と対等でいたいけど、君が立場を明確にしたいというのならば、跪いてくれても構わないよ」
「ってめぇ!」
町のチンピラのように、ファッショナブルに刈り上げた銀の髪をガリガリと掻きむしりながら激昂するこの男の名前は、ウィルソン・ハルバード。
名門侯爵家、ハルバード家の四男でありながら、騎士科に進学した変わり種だ。
成人後でなければ社交界デビューはできない為、ハルバード家の事情は分からないけど、平民も驚きの素行の悪さを考えれば押して図るべしと言ったところであろうか。婿入りの縁談や、仕事を斡旋してもらえないというのも、あくまで私の想像に過ぎないけれども。
「俺は自分から、騎士の道を選んだんだ! それだけの剣と魔法の才能があるからっ!」
「はいはい。理由なんかどうでもいいさ。そこまで君に興味はない。ただどれだけ剣の才能と魔法の腕があっても、人間性が伴わなければ騎士団では出世ができないと警告しておくよ。能力があっても、傲慢で頭が悪い指揮官では部下はついてこないからね」
「俺が傲慢で頭が悪いって言いたいのか!!」
「それ以外に何の意味がある?」と言いたかったけれど、ウィルソンが手のひらに過剰過ぎる魔力を注ぎだしたのが感覚でわかった為、いったん口を閉じる。
講義外で魔法を使っても、小競り合いで済む範囲なら、戦闘訓練の一環という体で黙認される。だが、さすがに相手に怪我をさせたり教室や備品を壊したりすれば、呼び出されて罰則を受ける羽目になる。現在ウィルソンは明らかに中級相当の魔法を発動させようとしている。うまく対応しなければ、怪我か罰則のどちらかに巻き込まれてしまう。
取りあえず風魔法で魔法の発動そのものを妨害しようとした瞬間、気配なく近づいてきた赤髪の大男が、後ろからウィルソンの手を捻りあげることで練り上げた魔力を霧散させた。
「――さすがに、やり過ぎだ。ウィルソン。そんな魔法を発動させたら、ナサニエルは無事でも、他の生徒は怪我するぞ」
「いだだだだだ! 離せよ、グレゴリー!」
「お前が魔法を発動させないって誓うのなら、すぐ解放してやる」
「使わねぇ、使わねぇから!」
「うむ。ならいいぞ!」
男くさい顔ににっこりと笑みを浮かべて、捻り上げた手を離したのは、グレゴリー・ソディック。北の国境を守護する、ソディック辺境伯家の嫡男であり、もう一人の高位貴族である。
「それにしても、今回の婚約破棄騒動も、実現には至らなかったか。残念だ。ナサニエル。もし実現すればすぐにでも、お前に婚約を申し込んだものの」
「……笑えない冗談はよしてくれ、グレゴリー。未来の辺境伯夫人に相応しい相手は、他にいくらでもいるだろう」
「いや、お前以上の女は国中探してもどこにもいないな! 北の辺境は凶暴な魔物がうじゃうじゃいるうえに、常に国境を巡る小競り合いが発生する過酷な地だ。貴族としての教養に加えて、度胸も戦闘能力もある女じゃなければ、辺境伯夫人は務まらない。アレス殿下に見切りをつけたらいつでも嫁に来い」
男性の平均身長くらいはある私よりも、さらに頭一つ以上高い背を反らして、がはがはと豪快に笑っているが、細められた金色の目の奥は抜け目なくこちらの様子を観察している。
一見脳みそまで筋肉が詰まっているように見えて、頭の回転が速く、腹に一物どころか二物も三物も抱えていそうなこの男が、私はウィルソンより苦手だ。
何せ領主教育は入学前に完全に済ませたうえで、「学園の領地経営教育は、王都周辺をモデルにしたもので、風土も気候も違う辺境では役に立たん。その点騎士の訓練で鍛えた筋肉は裏切らないからな」と、さらりと言って騎士科を専攻するような男なのだ。既に付き合いも三年目になるけれど、未だに底が見えない。
私には常につっかかってくるウィルソンも、グレゴリーは苦手なようで、聞こえよがしに舌打ちをして自分の席に戻っていった。
……ああ、もう土足で机に脚を乗せるなんて、マナー違反にもほどがあるぞ。これじゃあ、私がウィルソンの親でも、他家に紹介できないな。普通ならば、裕福な侯爵家出身の婿なんて大歓迎されるはずなのに。
「そこまで評価してもらえるのは光栄だけど、私がアレス殿下に見切りをつけることはあり得ないよ。私の心は殿下の物だからね」
「まあ、まだ卒業までは半年以上あるからな。状況か心か、どちらかが変わったらいつでも声をかけてくれ」
……ああ、グレゴリーは見かけは大熊なのに、中身は狸かキツネのようで、全然可愛くない。
馬鹿で可愛いアレス殿下が、とても恋しい。もっとも殿下も、私に関すること以外では、きっちり取り繕える優秀な御方ではあるけれども。