謎の声
……ああ、事情を全て知られているとは思っていなかった、ウィルソンの顔。蒼白になって震えていて、かわいそう過ぎて見てられない。
だいたい、想像通りの事情だったな……。身分の低い母親が原因で苦労した所とか、やっぱりアレス殿下と被るし。
侯爵令息が、あんなに口や態度が悪い時点で、察する人は察するんだよ。ウィルソン。どれほど自暴自棄になって荒れたとしても、生粋の貴族は生粋の貴族。生まれながらに身に着けた所作は、どうしたって滲み出るものなんだ。君の努力を否定するわけじゃないけども。
「……てめぇらに……生まれながらの貴族であるてめぇらに、何がわかる……っ!」
グレゴリーと私を憎悪の眼差しで睨みつけながら、ウィルソンが吠える。
「恵まれてる、てめぇらには分からねぇだろうなぁ! ハルバート家で冷遇されたことなんぞ、それ以前の暮らしに比べれば屁でもねぇ! 俺は6歳で貴族になるまで、人間ですらなかった! 最下層の、娼婦の息子だ。蔑まれ、気まぐれに暴力を振るわれ、時にはケツすら狙われた。いつも腹が減ってて、惨めで、取り巻く人間全てに怯えていた。母親だった女は、高級娼婦でいられなくなったのはお前のせいだと言って、酒を飲むたび俺を殴ったよ。生まれつきの魔法の才がなければ、俺は6歳になるまでに死んでいただろうなっ!」
「…………」
「それがどうだ? 貴族になった途端、生活は一変した! ハルバート家では冷遇されても、一歩家の外に出れば俺は侯爵令息様だ。誰もが、俺に頭を下げる。誰も、俺を見下せない。侯爵家よりもさらに上の身分の奴なんて、そうそう出会うことはねぇからな! ……生まれて初めて自尊心が満たされた。ようやく俺の本当の人生が始まったんだと、そう思った。そう思って、いたのにっ!!!」
血を吐くような叫びだった。何も言えないでいる私の隣で、グレゴリーがため息を吐く。
「生粋の貴族というだけでうらやましがるのは、考えが浅過ぎると思うが。お前が救われた年齢の頃には、オレは魔物相手に。ナサニエルは刺客相手に、命がけで戦っていたのだから」
「それでも、お前らが蔑まれることはなかっただろう!」
「ナサニエルの家はともかく。うちは弱いというだけで、生きる価値がないと蔑まれたぞ? 実際オレには、二人兄貴がいたが、魔物の討伐中に見限られて、そのまま見殺しにされたからな。既にソディック辺境伯家では、存在すらなかったことにされている」
「……グレゴリー。君の家の事情も特殊過ぎるから、暫く黙っていてくれ」
騎士の家系の我が家も、他家からは虐待と思われるような教育を施されてきたと思うけど、辺境伯家とは次元が違い過ぎるから、何とも言えない。何だかんだで、両親からの愛情は感じていたしな。
私はグレゴリーを手で制止して、地面に座り込んだままのウィルソンの前に、膝をついた。
「……ウィルソン。私は、君の過去の不幸を否定はしない。そして一度与えられたものを、取り上げられる苦しみも。私は君じゃないから、完全に君の気持ちを理解することはできないけれど、それでもその痛みを想像することはできる」
「…………」
「だがしかし。それでも私は、君に言うよ。君は貴族籍が失ったら、全てを失うと思っているようだけど、本当にそうかい? 今の君が過去の自分と同じだと、本当に思うのかい?」
確かに、ウィルソンは不幸だろう。だけどその不幸に酔って、自暴自棄になったところで、ウィルソンにとって良いことは何もない。
「君は二種類の魔法の才能があり、武芸にも優れている。顔立ちだって整っていて、地頭もけして悪くない。たとえ貴族籍を失ったところで、貴族学園の騎士科を卒業したという経歴は残るから、一般の平民よりも優位な立場で王宮騎士になることだってできるだろう。それなのに、何故そこまで絶望する必要があるんだ」
「でも……でも俺は……」
泣きじゃくるウィルソンは、貧民街で虐げられていた小さな男の子に戻っていて。
やっぱりその姿はどこか、初めて会った時のアレス殿下に似ていた。
思わずその体を、強く抱きしめる。
「っ!」
「貴族籍を失えば、君は今まで身分を笠に着てきたクラスメイトには、蔑まれるだろう。実家の後ろ盾がないことで、平民出身の騎士のように虐められることもあるかもしれない。だが、それだけだ。そしてそれくらいの逆境を跳ね返せるくらいの実力を、既に君は持っている。結局の所、騎士団で重視されるのは、家柄よりも実力だからな。実力で相手を黙らせて、グレゴリーの言う通り武功で爵位を手に入れれば、君はまた貴族にだって戻れるんだ。死んだ方がましだなんて、思う必要は何もない」
「ナ、ナサニエル……距離が……距離が……」
何故か顔を真っ赤に染めて、大人しくなったウィルソンの頬を両手で挟み、笑いかける。
「失うものよりも、自分が持っているものを見ろ。ウィルソン。絶望して自暴自棄になるのではなく、未来の為に今できる最大限の努力をしたまえ。何度だって言うよ。君はメンタルさえ安定すれば、誰より優れた騎士になる才がある。だからいい加減、過去に縛られるのはやめろ」
「……オレはその台詞は、お前の殿下にこそ言うべきだと思うがなー」
「黙れ、グレゴリー。アレス殿下は、全てご存じなうえで、それでも過去から抜け出せず苦しんでらっしゃるんだ。今更私がこんなことを言っても、何の意味もない」
「何を言われたかではなく、誰に言われたかだと思うがな。……まあ、オレは第三王子がこのまま拗らせたままでも構わんから、どうだっていいが」
……何だか私よりも、グレゴリーの方がアレス殿下を理解している感じが、腹立たしいな。私は殿下の婚約者だぞ。
すっかり黙り込んでしまったウィルソンの頭をひと撫でして、膝をはらって立ち上がる。
長年かけて築かれた価値観を、言葉一つで変えられるとは思えない。ウィルソンには暫く、一人で考える時間が必要だろう。こんな洞窟ではなく、もっと安全な場所で。
「もう、この洞窟には用はないだろう? さぁ、帰ろう。ウィルソン。今帰れば、もしかしたら、洞窟に行った事実自体をなかったことにできるかも……っ!」
次の瞬間、凄まじい魔力の気配を頭上に感じた。
『……似てる』
『……似てるわ』
『あいつに』
『あの人に』
『『半分ずつ、似てる』』
『魂は、あいつに』
『魔力と血は、あの人に』
『『同じじゃないけど、確かに似てる』』
『好きは半分?』
『それとも二倍?』
『わからないから、試しましょう』
『まずはこの子で、試しましょう』
『『――行ってらっしゃい。アラネイス』』
歌うような。笑うような。二人の少女の声が、すぐ耳元で聞こえた。
「っナサニエル! ケイブアントリオンの巣が移動したぞ! ケイブアントリオンが恐れるレベルの魔物が、近づいて来ている!」
「ウィルソン! こっちへ!」
まだ座ったままだったウィルソンの腕を引き、迫りくる魔力の気配から離れた。
そして――それは、落ちてきた。
「……おいおい。これは、ボス級の魔物じゃないか?」
八つの赤い目を光らせて、こちらを見つめる巨大大蜘蛛を前に、グレゴリーが口を引き攣らせた。




