救出とウィルソンの過去
……まーた、君は。そういうことを言う。
「信用しているに決まっているだろう。じゃなかったら、君と二人で洞窟に来ていない」
間髪入れずに答えると、グレゴリーが少し驚いたように目を丸くした。ずいぶん珍しい表情だな。
「君は辺境伯領の為ならいくらでも冷酷になれる男だけど、自分自身の愉悦の為ならそこまではしない。生きた人間を引っ搔き回して、観察して楽しむサイコパスグリズリーであっても、人の死や魔物の死に対して、君は快感を見出さない。君にとって死は、当たり前に隣にあるものであって、特別なものではないから。私やウィルソンを殺しても辺境伯領に利益はない、というか逆に損害が出る可能性がある以上、君から裏切られるなんて思わないね」
だからこんなウィルソンが生きるか死ぬかの瀬戸際でまで、人を試して観察するのはやめてくれ。一分一秒が、生死の分け目になるんだからさ。
「と、言うわけで、任せたよ。グレゴリー」
「……家族以外でお前ほど、オレを理解している女はいないだろうな」
「だからこれ、今するような話ではないだろう。あと、その無駄に柔らかい笑みも、引っ込めてくれたまえ。サイコパスグリズリーが、ただの美丈夫に見えて気持ち悪い」
「ひどい女だな。お前は。そこはオレに惚れ直す所でないのか?」
「元々惚れていないし、惚れるわけがない。君とは、悪友くらいの距離感がちょうどいい」
そもそもグレゴリーだって、私を嫁にすれば辺境伯領に利があると思って買っているだけで、惚れているわけではないしな。
私の心は殿下のものだし、サイコパスグリズリーが誰かに恋する未来は想像もできない。
だから信じて背中を預けられるくらいの関係が、ちょうどいい。
「――信じているよ。グレゴリー」
ただそれだけを言い残し、水魔法を展開させながら、ケイブアントリオンの巣に向かって駆ける。
すり鉢の上部にドーナッツ状に作りだした水の輪は、ウィルソンに気づかれないくらい静かに、砂を濡らし固めてくれる。
「っ本当、お前は、ひどくてずるい女だな……っ」
珍しく感情を乱した声と共に、私の指示通りに、濡れた砂をさらに固めて踏み石状にしてくれたグレゴリーに、自然と笑みが浮かぶ。
できるだけ、静かに。できるだけ、砂を落とさないように。それでいて、できるだけ速いスピードで。
ウィルソンのもとへたどり着けるように、風魔法で補助をしながら、踏み石の上を跳ねるように駆ける。
その間もウィルソンは、怯えたようにケイブアントリオンに矢を撃ち続けていて。何本か弓が刺さったケイブアントリオンが、痛みで怒り狂ったように顎をカチカチ打ち合わせながら、ウィルソンの方に向かおうとしている。
……だからよけいな攻撃をすると、体勢が崩れて体が落ちるし、ケイブアントリオンに居場所を知らせることになるんだって。言わないけどさ。
「……捕まえたっ!」
ケイブアントリオンが、ウィルソンのすぐ足元まで来たのと、私がウィルソンの二の腕を掴んだのは、ほとんど同時だった。
「っナサ……」
「遠隔は難しかったけれど、ここからなら!」
ウィルソンの言葉を待たず、魔力が籠った手のひらを足元の砂地につける。
騎士を目指して鍛え上げたウィルソンの体は、アレス殿下よりずっと大きくて重い。お姫様抱っこで救出するのは不可能だし、そもそも私がそんなことはしたくない。
「息を止めろ、ウィルソン! 水を飲むぞ」
「っ」
足元に発生させた水は、間欠泉のように激しく噴き出し、私とウィルソンの体を上へ上と押しだした。
風魔法でその勢いを補助し、巣の外へと水の流れを誘導する。
「グレゴリー! 足場は、もういい! 本体を頼むっ!」
「人使いが、荒いっ!」
グレゴリーは文句を言いながらも、突然の水の出現に困惑していたケイブアントリオンに、槍に灯した炎の塊を投げつけた。
洞窟中に響くような絶叫と共に、ケイブアントリオンが火だるまになり、慌てて巣の底へと引っ込んでいった。
「ごほっ……ごほっ……」
「ああ、やっぱり、水を飲んだか。だから、息を止めろと言ったのに」
巣から脱出するなり、激しく咽込みだしたウィルソンに呆れながら、未だ骨が折れたままのふくらはぎに、予備用に持参したポーションを振りかける。ただこれだけで、粉砕した骨がもとに戻るのだから、高級ポーションは偉大だ。
「ほら、魔力もすっからかんだろう? 咽せが落ち着いたら、魔力ポーションも飲むといい。肺に水が残っていたら、私が後で抜いてあげるから。……まあ、相当苦しいらしいが、そこは我慢してくれたまえ」
「……ん、で……」
「うん?」
「……何で、俺を助けた、ナサニエルっ……よけいなことを、しやがってっ……」
……この状況でも憎まれ口を叩ける根性、ある意味あっぱれだよな。
「だから、君はさあ……」
苦言を呈そうと、ウィルソンの顔を直視して、ぎょっとする。
「……伝説の剣を手に入れられないなら、俺には未来はないっ……ならいっそ、ここで死んでも良かったのに……!」
ウィルソンが涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして、子どものように泣いていたから。
「……相変わらず、お前は理解に苦しむな。ウィルソン。貴族籍がなくなる程度のことで、何故そこまで絶望できるんだ。どうせ嫡男以外は爵位を継げないのだから、貴族名鑑に名前だけ残った所で、さして変わらんだろうに」
傍らに立っていたグレゴリーが、呆れたように小指で耳の穴を掻いた。
「……貴族籍が、なくなる?」
「よけいな先入観を持たないように、ナサニエルは敢えてクラスメイトの家のことを探ってないようだがな。オレは辺境伯嫡男として、入学前の時点でクラスメイト全員分の身辺調査は済ましている」
小指についたカスを息で吹き飛ばしながら、グレゴリーは何でもないことのように、ウィルソンの事情を語る。
「ウィルソン・ハルバード。ハルバード侯爵家の次男坊にして、婚外子。母親は、元々は貴族専門の高級娼婦だったが落ちぶれて、6歳でハルバード家に引き取られるまでは、貧民街で最底辺の生活を送っていた。その魔力の性質と、特徴的な銀の髪から、当主から間違いなく自分の子であると認められ、病弱な嫡男の予備として侯爵家の一員になるが、当然ながら扱いは悪く。特に正妻からは蛇蝎の如く嫌われ、肩身の狭い思いをすることになる。それでも必死に努力を重ね、12歳までに模範的貴族のふるまいや教養を身に着けるも、学園入学前に、嫡男である長兄に後継ぎの男児が生まれたことで、立場が崩壊。もはや予備は不要であるが、一度嫡子と認めた子を学園に入学させないと要らぬ疑いがかかるとして、卒業を待って廃嫡になることが決定した。血が滲むような努力が報われなかったことに嫌気がさし、それ以来貴族らしからぬ無作法なふるまいをするようになった……だったか? まあ不幸ではあるけれども、よくある話ではあるな」
「…………」
「伝説の剣の主に選ばれれば、その決定を覆せるのだと思ったようだが、愚かなことだ。男爵家や子爵家ならばともかく、侯爵家。しかも、うちやナサニエルの家のように、武功を重要視する家でもない。たとえ剣に選ばれた所で、何も変わらなかっただろう。そんな無謀な夢を見るくらいなら、騎士になって自ら武功を立て、騎士爵や男爵を目指す方がよっぽど建設的だろうに」




