グレゴリーと言う男
私は元々、自分が女であることに対する意識が薄い。私は女である以前に騎士を志す者であると、そう思い続けて来たし、女でありたかったとか女でなければとか、そう言うこだわりも一切持ってないくらいに、自分の性別に対して興味がない。
それでもセルティス先生の忠告を受けて、女であるから生じるであろう問題やリスクに対しては気をつけているつもりだったけど、どうやら全然足りていなかったようだ。
「ふ、不慮の事故で一晩過ごすことになってしまった学生の醜聞を流すのは、品性が疑われないか……?」
震えた声で辛うじて絞り出した反論は、グレゴリーから意地の悪い笑顔と共に一蹴された。
「品性よりも好奇を優先する人間は、いくらでもいるが。どうしてもそこが気になると言うなら、醜聞をロマンスに変えればいい」
「ロ、ロマンス?」
「ああ……不慮の事故で、魔物が蔓延る森の中で一晩過ごすことになった子どもと大人の狭間にいる男女。怯える女を、男が抱きしめ慰めたことで二人の間に愛が芽生えるが、ああ、何たる悲劇! 女には高貴な身分の婚約者がいた! 許されない恋。それでも止められない情熱。二人を引き裂く第三王子は、鬼か悪魔か……という風に印象操作をすれば、同情の体でいくらでも噂を広められる」
「っ悪辣過ぎないか! そもそも君がロマンスて顔か!」
「それが王都の貴族ってもんだろう。あと、オレはこう見えて、お前が思うよりも女に人気があるぞ」
……グリズリーそっくりだけど、その野性味が良いってお嬢さんもいるものな。暑苦しいくらい彫りが深いけど、顔立ち自体は整っているし。
あと、この危険な雰囲気に惹かれたりとか……私としてはどうしても、やめておけと思ってしまうけども。
「オレの顔が気に食わんのだとしても、そこは聞き手の脳内補正で何とでもなる。噂には映像がつかんからな。好きな舞台役者にでも変換すれば良い。お前も恐らくは、本当は女で居たかったのに男装を余儀なくされた、儚げな美少女に変換されるだろうよ。そうやって噂を広めることで、軍務卿は第三王子が自分から公の場で婚約破棄を口にするのを狙っているんだ。学園での奇行の話は、散々聞いているだろうからな。学園内では戯れで済む婚約破棄宣言も、一度学園を出れば洒落にならん。軍務卿は自らの手を汚すことも、評判を下げることもなく、お前を第三王子陣営から排除できると言うわけだ」
「ああ、聞きたくない聞きたくない」
あまりにも的を射すぎるグレゴリーの言葉に、思わず耳を塞いでうずくまる。
……完全に私の失態だ。どんな罠があろうが受けて立つと軽く見ていた、過去の自分が憎い。
「……ウィルソンが、こんな愚かなことをしでかす確証はなかったはずだろう。謀略というには、あまりに不確定な要素に頼り過ぎではないか?」
「だから、今回の演習の本旨はあくまでお前の品定めであって、最初から計画した流れではなかったのだろう。ただウィルソンと言う分かりやすい穴があったから、試しにつついてみたら、面白いくらいに都合良く動いてくれたというだけで」
ああ、本当。あのキツネ男は悪辣だ。
不確定の要素さえ、材料にして、火を焚べて、こんなに自然に謀略を作り出すのだから。
あの男からすれば、自分を一人前だと勘違いしてる若造を手のひらで転がすなんて、さぞ簡単だったろう。
……伝説の剣の話が出た時点で、ウィルソンが剣を取りに行くことを想定すべきだったか。
だけど、私とウィルソンが別テントだったことを考えれば、どちらにしてもこうなるのは避けられなかった気がする。ルークはもちろん、グレゴリーだってウィルソンが何が目的でテントを出たか、わかっていて見送ったのだろうし。
「……恐らく、明日の朝になるまでルークは戻って来るつもりはないんだろうな。それでウィルソンが死んだら、一体どうするつもりなんだ」
「どうするも何も、この件の非は明らかにウィルソンにある。ウィルソンが死んだところで、事前契約書に則って、お咎めなしで終わるだろうよ」
「だが、ウィルソンの家はハルバード侯爵家だぞ? 抗議されたら大問題に……」
「アレが死んだ所で、アレの親が抗議すると思うか?」
「…………」
素行が環境を作ったのか、環境が素行を作ったのか。
どちらが先かわからないけど、ウィルソンが生家であるハルバード家から見限られていることは察していた。だからこそ、縁談も仕事も斡旋してもらえず、高位貴族のはずのウィルソンが騎士を志すしかなかったことも。
にも関わらず自分が侯爵令息であることを傘に着続けるウィルソンが、痛々しくて放っておけなかった。自分はまだハルバード家の一員なのだと、必死に自分に言い聞かせているように見えたから。
たとえウィルソンが死んだ所で、ハルバード侯爵家は学園にも騎士団にも、遺恨を抱かない。寧ろよく邪魔者を排除してくれたと、感謝すらするのかもしれない。
それくらいウィルソンの命の価値は、軽いのだ。
「それで、どうするつもりだ。ナサニエル。オレとしては、噂を真実にしても構わないが?」
「……当然、ウィルソンを救いに行くよ。ルークの思惑に乗せられっ放しは不愉快だ」
騎士にとっては上官命令は絶対だが、私達はまだ学生。
「ウィルソンが心配で居ても立ってもいられなくて」と同情を誘えば、命令違反の結果は数日の停学処分で済む。……もちろん、その時に命があってこその話だが。
どうせこのままここにいたら、アレス殿下にご迷惑をかけてしまうのだ。ならばせめて私とグレゴリーの間には何事もなかったことの証明の為にウィルソンを救出して、その武勇で余計な憶測をかき消してしまいたい。たとえその行為が、どれだけ危険なものであったとしても。
「君はどうする。グレゴリー。君は辺境伯嫡男だ。命の価値は、私より重い。無理強いはしない」
「当然行くに決まっている。何、オレの代わりになる弟はいくらでもいる。これしきのことで命を落とすようなら、そもそも辺境伯なぞ務まらん」
「……念の為確認しておくけども、君が実は第二王子陣営ってオチはないだろうな」
「第二王子についた所で、オレに何の利が? 辺境伯家は、王家から独立した権限を与えられている。誰が王になったとしても、さして影響はない。仮にお前をくれてやるから協力しろと言われたとしても、断るな。そんな形でお前を嫁にすれば、いつか背中から刺される。お前のような強い女を、獅子身中の虫にするほど恐ろしいことはない」
「……君はそう言う男だよ」
けして味方ではないけど、敵ではない。
行動基準は、辺境伯領の利になるかどうかと、己の愉悦。
それがグレゴリーと言う男の本質だ。
だからこそ、グレゴリーのこの言葉には嘘はないのだろう。
「それにしても……君がウィルソンの救出に乗り気なのは意外だな。君はウィルソンのような甘い男は、嫌いなのだと思っていたが」
「嫌いじゃないぞ? 不条理で不合理で、実に興味深い。辺境では無能は生き残れんから、あのような人間はいないか、いたとしてもすぐに淘汰される。ルークやウィルソンのような奴がごろごろいるこの王都は、実に愉快な所だな! 父上が健在なうちは、王宮務めの騎士としてしばらく滞在したいくらいだ」
……本当に、君はそう言う男だよ。




