弐
霧臥結─年齢は17歳、焦茶色の短髪に同じ色の切れ長目。体格は中肉中背程度。まだ赤子だった頃、山に捨てられていたところを神来社神社の宮司である"じいちゃん"に拾われ、読み書きや、人ならざるものである妖魔とそれに対抗する為の方法を学ぶ。それ以外の一般常識は巫女として働く望月美紗都からある程度教わったものの、まだまだ世間には疎く数時間前も特急券を購入するのに四苦八苦したばかりだった。今は新幹線に乗り、外の景色を眺めながら駅弁を食べている。
さて、東京まであと数時間か。そういえば、朝早くに出発したから望月さんに挨拶できなかったな…東京に着いたら、折を見て連絡でもしておこう。
丁度やってきた車内販売員からアイスを購入し、甘く冷たい食感を堪能して数時間後。遂に新幹線は東京駅に到着し、結は荷物を抱えてホームへ降り駅の外に出る。
「ここが東京か……」
目の前には巨大なビルがいくつも立ち並んでおり、多くの車や人々が行き交っている。ほう、と感嘆しつつ手元のメモを頼りに祓妖學園を目指していると、向かい側からバイクが近づき、手が伸びてきたかと思うと結の持っていたカバンをひったくってそのまま走り去っていった。更に竹刀袋を落としたはずみで中の刀が出てきてしまい、一部始終を見ていた通行人の間にざわめきが広がる。
「おっと……」
しまった……とりあえず刀は無事だったから良かったが、あのカバンには着替えだけでなく学生証も入っているし、じいちゃんには絶対に失くすなと言われたのに……急いで取り返さないとな。
結はさっと刀を竹刀袋に戻してふう、と小さく息を吐き、思い切り地面を蹴って走り出す。
「へへっ、丁度良さそうなカモがいて良かったぜ! よそ見してる方が悪いもんな〜!」
ひったくり男は結のカバンを抱えてバイクを走らせるが、ちらりとバックミラーを見るとそこには走って追いかけてくる結が映っていた。
「なんだあいつ? 走って追いつくつもりなのか? はははは! バカじゃねぇの! こちとらバイクだぜ? 一体何キロ出てると思っ……て……おい、おいおい……おいおいおいおい……なんであいつ近づいてきてんだ⁉︎」
バックミラーに映る結は遠ざかる事なく、むしろどんどん近づいてきていた。
「おーい! そこの人ー‼︎ すまないが俺のカバンを返してくれないかー‼︎」
「返せって言われて返すバカがどこにいるーっ‼︎」
「泥棒はダメだと望月さんが言っていたぞー‼︎」
「誰だよ望月さんって‼︎」
ひったくり男はツッコミをいれつつ慌ててバイクの速度を上げるが、結も更に速度を上げて追いついていき、やがて並走し始める。
「すまない、その中には絶対に失くせないものが入ってるんだ。どうかそれだけでも返してくれないだろうか?」
「おまっ、なんでバイクと並走してやがんだ⁉︎」
「ん? これか? そうだな、小さい頃から山を駆け回っていたんだ。それのおかげかもしれないな。」
「いや、あり得ねえだろ‼︎」
あり得ないのか……でも確かに、望月さんは「ありえない!」とか、「怖すぎ!」と大層驚いていたな。それより、本当にそろそろ返してほしいのだが……
「チッ!」
「! 危ない‼︎」
数メートル先の横断歩道を渡る通行人に向かってバイクが突っ込みそうになり、結はひったくり男とバイクをしっかりと手で掴んで思い切り足でブレーキをかける。幸い、誰にもぶつかる事なく横断歩道ギリギリで停止する。
「ふう……危なかったな、ぶつかったら大怪我じゃ済まないぞ。望月さんも、交通事故には気を付けろと口酸っぱく言っていたからな。」
「だから望月さんって誰だよ……」
ひったくり男もすっかり毒気を抜かれ、結にカバンを取り返されたところで誰かが通報していたのか、丁度よくパトカーが到着し、2人の警察官が降りてくる。
「クソッ……」
「これに懲りたら、もう泥棒はやめるんだぞ。」
カバンを背負い、踵を返して再び祓妖學園に向かおうとしたところで、肩にポンと手を置かれる。初老より手前くらいの警察官が泥棒を対処し、20代半ば程の警察官が話しかけてくる。
「あー、申し訳ないけど君もちょっといいかな?」
「む?まあ、別に構わないが……」
「どうもね。それで、君が刀を持っていたっていう通報もあってさ、一応確認させてもらっていいかな?」
「ああ、分かった。」
「ありがとね、すぐ終わるから。じゃあ名前と住所聞いて良いかな?」
「霧臥結だ。住所は詳しくは知らないが、出雲市の神社に住んでいる。」
「へえー、出雲市? 随分遠いところから来たんだねぇ。1人で来たの? 随分若いけど何歳?」
「ここには1人で来ている。歳は17歳だ。」
「17歳! ここには何しに来たの? 進学?」
「シンガクとやらが何かは分からないが、学校に通いに来た。」
「成程ね。それじゃあ荷物見せてもらっていい?」
「ああ。」
結はカバンと竹刀袋を渡し、警察官が袋を開く。
「本当に刀だね……これ、模造刀?」
「いや、真剣だが。」
そう正直に答えた瞬間、警察官はギョッとして俺を見つめてくる。はて、何か変な事を言ってしまったのだろうか…?
「何の為に持ってたか聞かせてもらえるかな?」
「何の為にって……武器以外にあるのか?」
また正直に答えたらもっと変な目で見られてしまった……それに先程まで泥棒を対応していたもう1人の警察官もこちらにやって来た。なんだか段々自分がいけない事をしたような気持ちになってきたな……
「君、身分証明できるものは持ってるかな?」
「身分証明……身分証明……あっ」
少し考えて学生証の存在を思い出し、カバンの内ポケットにあったそれを警察官に見せる。
「これで良いか?」
「んん?」
「これは……」
若い方の警察官は怪訝そうな顔で学生証を覗き込み、もう一方の警察官は何かに気付いた様子を見せるとすぐに学生証を返してきた。
「ご協力ありがとうございました。もう大丈夫なので行っていいですよ。次は気を付けてくださいね。」
「先輩⁉︎」
「どうも。」
どうやら解放されたようなので、軽く会釈してその場を後にする。
先輩と呼ばれた警察官はパトカーに乗り込み、もう1人の警察官も納得いかない様子で隣に座る。
「先輩、どうして行かせたんですか?あれ、どう見ても駄目じゃないですか……」
「お前、知らないのか?あいつ、祓妖學園の生徒なんだよ。」
「それはジブンも見ましたけど……そんな学校、本当にあるんですか?」
「それが、あるんだよ。なんでも、妖魔とかいう化け物を退治する専門家の学校なんだとさ。」
「先輩、冗談は─」
「冗談じゃないさ。なんなら政府公認で、扱いも国家公務員とそう変わらないんだと。世間一般にはあまり広められていないが、新しい法律まで作られたらしい。」
「えぇ……正気なんですか、上の人達は?」
「さあな。とにかく、学生証を持ってて武器を大っぴらにしてなければ問題無いんだとさ。ほら、戻るぞ」
「は、はいっ」
職質から解放された結は出発前にもらった地図を頼りに學園に向かう。
「ここを曲がってこっちに直進……で、この先は……路地裏じゃないか?本当にこんなところに学校があるのだろうか……」
疑問に思いつつも路地裏に入ったところで違和感を感じる。成程、結界術か。確かにこれならこんなところに学校があるのも納得できるが……存在の隠蔽と……空間改変……いや、厳密には空間転移だろうか。とにかくこれほどとは、相当高度な結界術のようだ。祓妖師を育てる為の場所は伊達じゃないというわけか。
結が一歩踏み出すと周囲が石を投げ入れられた水面の様に揺らぎ、やがて収まると赤と白で彩られた古い建築様式の巨大な建物が眼前に広がっていた。




