第5話 食卓
着替えを終えた結翔が戻ってきたのは、ちょうど食事の支度が整った頃だった。
焼けた網の上に、野菜、トウモロコシを乗せる。香ばしい匂いが漂い、それぞれが紙皿と箸を手に食べ始める。
舞花はタレを少な目にして焼いた肉を、小さく切りながら未来に与えていた。
暑さを和らげる川風と水流の音。景勝を誇る渓谷の地。
こうして自然に囲まれて食事をすると、いっそう美味しく感じられる。
「……飯が炊ける匂いがする」
「飯盒で炊いているんです!」」
「そか! カレーか? こくあまだな!?」
結翔が嬉しそうに声を上げる。彼のいうこくあまは紬特製の甘口カレーのことだ。市販のルー、こくあまを使用しているが、ルー本来の風味は薄れて紬独自のレシピになっている。結翔の大好物で、何度か挑戦するも習得出来ずにいた。
「あら? 何かしら。こくあまって? 初めて聞くわ?」
興味津々に舞花が問いかける。彼女はこくあまを知らない。きっと市販のルーを口にしたことがないのだろう。私はこくあまの説明をする。
「ふ~ん? 紬ちゃんの得意料理なのね?」
形の良い眉の先が微かに上がった後、緩やかに戻っていった。何かが彼女の心を動かしているようだが、天上の女神の思惑など私には理解出来そうにない。
舞花はしばらく思案した後、白磁の頬を輝かせながら微笑んだ。
「私も紬ちゃんのカレーを食べてみたいわ~! きっと美味しいわよね? うん。絶対!」
そして諭すように結翔へ語りかける。
「……でもね~? 沙羅さんの前で頻繁に出す話題ではなくてよ?」
「え?! そうなのか? 悪い! 沙羅ちゃん! 気が付かなくて……」
結翔は咄嗟に謝罪するも、私と同様に何が問題なのか分かっていないようだった。舞花は市販のルーを知らないほど浮世離れしているが、時折貴重なアドバイスを授けてくれる。結翔は長年の付き合いでそれを知っているのだ。
だが結翔は紬カレーが好物だと言っただけなのに、何故これほど問題視されるのか。私の疑問を紬が明らかにする。
「……あ、あの……沙羅さん? 沙羅さんは結翔さんの恋人で私は義妹です……その……世間ではこういう間柄で悩む女の人は多いと聞きます……私は沙羅さんと良好な関係でいたいんです……」
控えめながらも紬が主張すると舞花が深く頷いた。
「つっ、紬ちゃん? 何の話をしているの?」
「……そっ、その……」
真剣な面持ちで私を見つめる紬。夜の湖のような瞳を前に、私の脳裏にあるワードが閃いた。
小姑。
紬は自分が意地悪な小姑になることを心配しているのだ。
夫が姑や小姑の料理を褒めた挙句に、妻に義家族のレシピの強要をするという問題。
私も嫁と姑、小姑の関係で悩む女性の話題は耳にしている。激しく争うことさえあるとも。
だが私と結翔は結婚していないから、紬とは姉妹のように親しくしているものの戸籍上は他人だ。しかも彼女とは初対面から今にいたるまで良好な関係が続いている。きっと将来も仲良く過ごしていけるだろう。悩む理由も必要も私には少しも見当たらない。私はただ結翔の好物を自分でも作りたいだけで、誰かに無理強いされているのではないのだ。
「沙羅ちゃん? 紬は何の話をしてる? もしかして……二人は喧嘩でもしたのか?」
「……そっ、そんなことはありません!」
「私と沙羅さんが喧嘩するなんてあり得ません!!」
「そっ、そか?……ならいいけど……」
声を揃えて反論する二人を前に、結翔はただポカンと立つばかり。
「……ごっ、ご飯が炊きあがりました! 炊き立てが美味しいんです!」
起こってもいない嫁小姑問題よりも、今取り掛かるべきは炊き立ての白米を有効活用すること。手早く作業をしないと折角のレシピが台無しになってしまう。紬の誤解は後でゆっくり解くことにしよう。
フライパンに火をかけると、ケチャップとソースで炒めた玉ねぎと輪切りのソーセージを温め直した。
(いい炊け具合!)
飯盒を開けた瞬間、炊けた白米の匂いがふわりと立ち上る。ふっくらと炊きあがっていて米粒はつやつやだ。
四人の注目を集めつつ、フライパンの具に飯を投入してへらで手早くかき混ぜる。その上に薄焼きたまごを隙間なく並べて、最後にケチャップで線状の模様を描けば、包まないオムライスの完成だ。
「おむらいしゅ~!!」
未来がぱあっと顔を輝かせる。ビー玉の瞳がきらきらとして、乾いたばかりの栗色の巻髪がいっそう艶やかになったように見えた。幼児の歓声に空気が一瞬で和んでいく。
「この子の好きなオムライスを作ってくれたのね? ありがとう! よかったわね~。未来ちゃん!」
「うれちいれしゅ~!」
薄焼きたまごが日差し除けのタープのように見える。名付けて「オムライス・タープ風」というところか。
(うん!)
自分でもいいネーミングだと思う。
へらで紙皿に取り分けると、
「いただきま~す!!」
いっせいに食べ始める大人四人と幼児一名。未来は胸にナプキンを当てたものの、口の周りがケチャップで染まっては舞花がこまめに拭っていた。
「しゃらしゃん。おいちいれしゅ~!」
「ありがとう! 未来君が喜んでくれて私も嬉しい!」
舞花から事前に好物を聞いておいてよかった。
「そうねぇ~。沙羅さんはお料理上手よねぇ~」
「じょうじゅれしゅ~!」
舞花が愛息を優しく見つめると、未来が大きく頷いた。
「少し甘い味付けだな?」
ケチャップライスを噛みしめながら結翔。
「ウスターソースも入ってます。隠し味に砂糖を少し……どうですか?」
「そか……優しい味だな……旨いよ。うん!」
甘い味付けが気に入ったのか、結翔はあっという間に皿を平らげてしまった。結翔と未来は味の好みが似ているようだ。
食後にはレモネード。未来には大人と同じものを薄めた後、蜂蜜を加えて出した。
「酸味が爽やかで美味しい! 後でレシピを教えてね?」
「喜んで!」
自然の中で食事をしながら談笑する。アウトドアって良いと思う。
「この後だけど……」
提案を始める結翔に視線が集中する。
「川下りをしないか? 今日は予約しなくても船に乗れるそうだ」
船頭が竿を繰る和船で荒川の緩急を楽しむ、長瀞では有名なアクティビティらしい。
「で、でも……危なくないですか? 船から落ちて溺れたりしませんか?」
小さな船で遊泳禁止の荒川を下るなど危険はないのか。眼下の川は見るからに流れが速そうだ。
「大丈夫! ……そうだなぁ。確かに急流ではあるけど、よっぽど……でなければ、未来だってOKだぞ?」
「……」ってなんだろうと気になるものの、未来が乗船出来るレベルならばきっと私でも大丈夫だろう。
皆で川下りだなんてとワクワクしていると、舞花が子声で詫びはじめる。
「……待って……私達は残るわ。未来を休ませないと。プレイルームがあったわよね? 朝から休憩なしだったから……計画してくれたのにごめんなさい……」
このキャンプサイトには、冷暖房が完備されたプレイルームが設置されていて、幼児が休息を兼ねて遊ぶことが出来るのだ。
舞花の言い分は正しい。タープがあってもこの暑さでは、未来のような子供は体力がもたない。涼しい場所で休憩させた方がいいだろう。
こうして舞花と未来の離脱が決定した。
次いで紬が口を開く。
「あ、あの……私も残ります。船ってどうしても苦手で……あの揺れがだめなんです。誘って頂いたのにごめんなさい……プレイルームで休憩します」
とても残念そうに頭を下げる紬。船が苦手ならば無理はしない方がいい。
こうして紬の離脱が決定した。
……だが……
舞花と紬は声を揃えて言い放つ。
「どうぞ二人で楽しんできてください!!」
と。
一瞬、彼女達の目がキランと光ったような気がした。
ふっ、ふみゅー!!
ここまで来ていきなり二人きりだなんて。
心の準備が出来ていない。
二人の言い分は正しく理にかなっているものの、態度からは含みしか感じられない。
「そっかー。残念だなぁ~。凄く楽しいらしいぞ? 景色もいいのに……」
結翔は舞花と紬の思惑など全く気づかないようで、二人を気の毒がるばかり。
「……ゆっ、結翔さん? 私達だけで楽しんでは申し訳ないです!! 中止にしましょう!!」
「う~ん? でも、せっかく来たんだから……」
結翔はよほど川下りが好きなのか、二人きりで決行する気満々だ。それを「どうぞ、どうぞ」と舞花と紬が後押しする。
「な? ここはお言葉に甘えて!」
「……は、はい……」
ふと、にまにまと私達を見る視線と目が合う。
ふみゅ~~。
偶然が重なっての離脱だが、やはり意図を感じてしまう。
「行くぞ! 送迎バスで十分だ」
こうして私と結翔の川下りが決行されるのだった。
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