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第4話  出発

 キャンプの買い出しにいった翌日、木曜日午前八時。


 白い小型車で結翔がやってきた。


 階段を駆け下り、ボーダーのシャツに紺のパンツ姿で玄関に立つと、後部座席から手を振る紬が見えた。


 結翔は車から降りると母に挨拶をして、舞花がそれに続いた。彼女白はいシャツとパンツ、肩にはカーディガンを羽織っていた。簡素なアウトドア用の衣類も舞花が着ると趣深く、清涼な風が吹くようだった。初対面で意気投合した舞花と母は、楽しそうにお喋りを始めた。このままでは昼食時間に間に合わないと、見かねた結翔が声を発する。


「おい。出発するぞ! ……お見送りありがとうございました……」


 舞花を急かした後、彼は母にぺこりと頭を下げた。


「荷物はトランクに。沙羅ちゃんは……こっち!」


 私を助手席へとエスコートする結翔。


「はい!」


 結翔が運転する車に初めて乗る。初めての彼の隣の助手席に座るのだ。手を振る母を後に発進すれば、楽しい日帰り旅行の始まりだ。


「昨日は眠れた?」


「はい! 結翔さんは?」


「ばっちり! 寝つきはいいんだ」


 結翔は一昨年、四十日間の巡礼を達成している。質のよい睡眠がとれなくては体力がもたなかっただろう。


 過酷な旅程が彼を逞しく成長させたのかもしれない。巡礼から帰国した日、日焼けした顔が精悍に見えた記憶が蘇る。


「当然でしょ? 私達を乗せて運転するんだもの。安全運転に睡眠は欠かせないわ」


 おっとりと優しい舞花が後部座席から言い切る。彼女はいつも結翔に容赦ない。一瞬で車内に緊張感が走るも、未来のはしゃぐ声がそれを緩めていき、私はほっと胸をなでおろす。

 

 やはりキャンプは人数が多いほどいい。作業をするのに助かるし、微妙な空気も調整してくれるから。


 こうしてドライブは続くのだった。


 長瀞町は埼玉県の西北に位置し、秩父にある荒川の両岸に開けた場所で、町全体が景観の美しい地域として知られている。私の家からは車で二時間ほどの旅程になる。


 結翔の運転は免許初心者とは思えないほどスムーズで、安心してドライブを楽しむことが出来た。彼の慎重な性格と反射神経の良さのためだろう。


 山間に囲まれた道を進むと目的地に到着だ。私は入念に日焼け止めを塗った後、パーカーのフードを深く被って車外へ飛び出した。


「わぁ~! 風が気持ちい~!!」


 声を揃えて私と紬。肺いっぱいに新鮮な空気を取り込もうと深く息を吸う。

 

 落ち着いて周囲を見回したとき、私はあることに気づいた。


「意外と空いてませんか? もっと混んでいると思いました」


「ああ、土日は予約でいっぱいだけど、今日は平日だからな」


 木曜日は社会人にとっては平日なために、家族連れが少ないのだという。私の父も今日は出勤で、一行が出立する前に家を出ていた。


 予約したのは川沿いの区画(サイト)だった。眼下に荒川の清流を臨み、ロケーションは抜群。今日はここにタープという日除けを立てて、景色を楽しみながら過ごすのだ。


 車に舞花と未来を残してタープを設営する。整地された区画にタープを広げた後、結翔が指示した位置にペグという杭のようなものを紬と二人で地面に打ち付ける。四十五度の角度に打ち込むことがポイントらしい。


 次いでポールを立てて、ペグと結び付けた紐を調整しながらタープを張る。こうして日除けは完成した。


「生き返りますぅ~!」


「本当に~!」


 午前十時。日差しは強いが日陰に入れば川風が涼しい。タープを出てサイトの淵に立つ。深呼吸で大きく伸びをすると、マイナスイオンが全身を満たすようだ。


「気持ちい~! 下の川に降りていいですか? 水に足先を浸したいんです!」


「それはダメ! ここは急流だから遊泳禁止なんだ……でも、そこの小道を抜けたところに水遊び場がある。浅瀬だから保護者がいれば子供でも大丈夫!」


 結翔が指さす方に小道が見える。その先に水遊び場があるようだ。清流に触れられないのは残念だが、結翔のいうとおり流れが速い。夏は水辺の事故が多いから危険な行動は避けるべきだろう。


 次はトランクからコンロ、網、フライパン、飯盒……食事の道具を取り出す。道具一式はタープと同様に、結翔が知人から借り受けたものだ。


 準備が終わったことをスマホで告げると、舞花と彼女に手を引かれた未来が降車する。


「きもちいいれしゅ~~!」

 

 桃のような頬を上気させながら未来。栗色の巻き髪がきらきらと眩いほどだ。


「食事の準備の間は俺が未来を遊ばせとく。いいかな?」


「助かりますけど……大丈夫ですか?」


 結翔は朝から運転していたのだから、車内で少し休んでほしい。


「平気! 平気! 俺は動いた方が回復するんだ!」


 目を輝かせて結翔。

 彼はいつも自然に触れると生き生きとした表情を見せる。


「では……お願いします。気を付けてくださいね!」


 結翔はくるりと背を向けると、「わかりました」というように手を振った。


 水遊び場へ向かう男子二名を見送りながら、残された三人は食事の支度にとりかかる。


 野菜を切り、炊事場で米を研いで水に浸す。たまごを割ってボウルでかき混ぜる。紬とはごく自然に作業を進めることが出来た。昨年合宿で一緒に食事を作ったせいかもしれないが、元々相性が良いのだと思う。


「ねぇ、沙羅ちゃん? 玉ねぎは輪切りでいいかしら?」


「はい! お願いします!」


 一方舞花は私達の動きを見守りつつ、手助けをしてくれた。自分から率先して動くわけではないものの、必要なサポートをしてくれる。天然ながらも彼女は気配りの人なのだ。


「沙羅さん……このレモンは?」


 紬が小瓶を手に取る。


「レモンと蜂蜜を砂糖で漬けたの。レモネードを作ろうと思って!」


「楽しみです!」


 気の合う人と料理をすれば会話も弾む。


「ふふっ☆ 素敵な一日になりそうね~!」


 ご機嫌な舞花。おっとりと優しい舞花と調理するのはとても楽しい。


「それに……結翔から誘ったんでしょ? 進歩だわ~」


「しっ、進歩だなんて……」


 いつもの話題に移ると相変わらずどきどきしてしまう。


「そうよぉ? 自分がいかに恋人としていたらないか自覚したんでしょ? 遅過ぎるけど」


「えっ……と……」


(自覚って……)


 何の話だろう。


 結翔は私に対して責任を感じているようだが、彼だけの問題ではない。私自身もバレエや学業で忙しかったのだ。


 三歳年上だが三歳しか違わない。それなのに私に頼ってほしいというのか。私だって彼の力になりたいのに、片方だけが助けるなんて不公平な気がする。

 

「うふっ! 沙羅ちゃんは真面目だから……」


「真面目だなんて……」


「そうよ? 凄~く……ね?」


 舞花がアイコンタクトを送ると、うんうんと紬が頷いた。


 結翔は困ったときには、いつも手を差し伸べてくれた。とても助かったし、感謝している。だが舞花と紬のいう自覚はそういうことではなさそうだ。


 いったい何のことかと考え込んでいると、

 

「たのちかっられしゅ~!」


 川遊び組が意気揚々と帰還した。


「びちょびちょれしゅ~!」


 よほど川遊びが気に入ったのか、未来は水飛沫を上げて大はしゃぎだったと結翔は言った。未来は全身がずぶ濡れで、栗色の巻き髪からは水滴が滴っている。だが不思議なことに結翔もまた同様だった。どう遊べば二人仲良くずぶ濡れになるのか。未来はまだしも結翔は大人なのに。


 私の疑問に結翔が答える。彼は足を滑らせそうになった未来を抱えて、代わり自分が転でしまったという。浅瀬だから溺れる危険が無いとはいえ、転んで頭を打ったら大変なことになる。結翔の機転で未来にケガがなくてよかったと思う。


「やぁ~! 川遊びっていいよなっ!!」


 私の心配など気にもせず、結翔は四歳児に負けないほどに喜々としている。男児二人は大自然に触れてご満悦のようだ。


 三歳年上だが三歳しか違わない。


 目の前の青年を見ると実感を持ってそう思う。


「未来を着替えさせないと……」


 それでも彼は面倒見がよくて、舞花から服を受け取ると未来を着替えさせ始めた。


「あら~? 面倒見だけはいいわねぇ~?」


 面倒見だけはいい。口調は柔らかいものの、これは誉め言葉ではないだろう。おっとりと優しい舞花は何故か結翔に容赦ない。いつものことだが今回は特にだ。


「……」


 黙したまま手を動かす結翔。彼にとって舞花の厳しさは既に慣れっこなのか、それとも私には理解出来ない女神の配慮を察知しているのか。理不尽な仕打ちに無言で耐えている。


 結翔はキャンプを計画して運転手も引き受けてくれた。道具を揃えてタープを張った。それなのに舞花は何が不服なのか。


「結翔さんも早く着替えてください! 風邪をひきます!」


 心配なのは未来だけではなく結翔もだ。夏とは言え川の水は冷たいのだから、濡れた服は替えてほしい。


「おう。じゃ、俺も……」


 結翔は乾いた服を手にすると、タープの外へと出て行った。



ここまでお読みいただきありがとうございました。

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