第2話 調達1
バレエ学校の夏期休暇が終わる直前の木曜日。長瀞への日帰り旅行が決行されることになった。
キャンプ施設では、川沿いの景観を眺めながら食事や水遊びを楽しむことができる。
キャンプとは自然の中で創意工夫をしながらする活動のことで、今回はタープという日除けを立てておこなう。
結翔から長瀞旅行の誘いがあった翌日、舞花から電話があった。
「沙羅ちゃん、長瀞へいくわよね? 楽しみだわぁ~! ねぇ、明日一緒にお買い物へいかない? 紬ちゃんも一緒に」
「……お忙しいのではありませんか?」
「全然! 公演もないし退屈してたの。旅行があって助かったわ~」
「それでは……よろしくお願いします!」
私は瞬時に誘いを快諾する。舞花はやや天然のために振り回されることもあるが、彼女と行動を共にする楽しさの方がそれを軽く上回ってしまう。
買い物は私の最寄り駅近くの商業施設でする。ちょうど登校日だったので、放課後に紬と一緒に目的地へ向かった。舞花を遠方まで来させることに抵抗があったが、当の本人は私の住む町が気に入り、毎回来訪を楽しみにしていると言った。
私はボーダーのカットソーと白いパンツ、サンダル、紬はドット柄の白いシャツを買った。
舞花に見立ててもらうと、不思議なくらいにマッチした服に出会える。衣類の神様が彼女に付いているのではと思ってしまうほどだ。
「舞花さんとお買い物をすると素敵な服に出会えます!」
「本当に! ありがとうございました。穂泉さん!」
私も紬も大満足で、いつものようにお茶をして買い物ツアーはお開きというときだった。
「う~ん? なにか物足りないのよねぇ~」
「穂泉さんもお買い物をなさってはいかがですか? 自分達ばかりでは申し訳ないです……」
私の言葉に紬がうんうんと頷く。
「そうじゃなくて……大切なことを忘れている気がするの……」
「大切なこと……ですか?」
舞花はしばらく天井を見上げて考え込んだ後、手をポンと打つと花のように微笑んだ。
「そうだわ! 水着! 水着を買っていないわよね? せっかくだから新しいのにしましょう!」
「みっ、水着ですか? ……あの、今回は必要ないと思いますが……」
長瀞の画像には、水着で川遊びをする姿はなかった気がする。川は浅瀬だから足先を浸す程度だろう。水着は必要ないのだ。
「そうなの? でも川の水は冷たいわよ? 服を着たまま入ったら風邪をひくわよ?」
私を説得する舞花の背後で紬がしきりに頷いている。またおかしな流れが発生したようだ。
服が濡れたら着替えればいい。キャンプサイトには更衣室が設置されているのだからと説明しても舞花は引かない。
「水着は必要よ~?」
「日焼けしますよ?」
舞花とは昨年軽井沢合宿の前にも買い物をしているが、そのとき日焼けをしないようにときつく念を押されていた。
「大丈夫! バレエ学校は冬まで発表会も公演もないでしょ? それまでには冷めるわよ?」
これは生徒時代に来栖がバレエ教師に放った台詞で、教えてくれたのは目の前にいる舞花本人だった。
だが、彼女は一年経つと自身の発言を忘れてしまうようだ。しかも自分に都合よく。
これ以上何を言っても舞花は聞かない。興味の持てないことは耳に入らないのだ。
それに……。
昨年プールへいったとき、結翔は水着姿を褒めてくれた。彼も喜んでくれるかもしれない。
甘い予感を噛みしめる私。
「あ、あの……やはりせっかくですので水着も見ておきます……」
「じゃあ、いきましょう!」
フロアガイドで位置確認をして最上階にある店舗へ移動する。ここは店主のチョイスで季節ごとに商品が変わる。夏は期間限定の水着販売所となるわけだ。
店頭のワゴンにはSALEと赤い表示があった。
ワゴンには色鮮やかな水着が並べられていて、割引品とはいえ十分に品が良かった。私は手前の青い水着を手に取る。
「沙羅さん! それ可愛いですね!」
「紬ちゃんもそう思う?!」
水着を手にはしゃぐ私と紬。手頃な価格で良い買い物が出来そうだ。
「可愛いわ~。凄くいいと思う……でも……」
可愛いと褒めながらも、舞花は決してワゴンに近寄ろうとはしなかった。私達からもワゴンからも距離を保ったまま話を続ける。
「30%OFF? お買い得! やっぱりこの時期のショッピングはいいわよね~……でも……店内の商品も見てみない?」
首を小さく傾けながら微笑む舞花。優しく巧みにSALE品から私達を遠ざけ店内へと誘う。
「そっ、そうですね……奥の水着も見てみましょう……」
学生の身では少しでも安価な品が有り難い。後ろ髪を引かれつつ店内奥へと足を踏み入れる。
(……あれ……?)
店頭とは趣が異なる内装に驚かされる。内装だけではなく雰囲気も違う。ほんの先刻、ワゴンを眺めていた店先とは別世界に入り込んだようだ。
「いらっしゃいませ」
恭しく店員に迎えられる。
「可愛らしいお嬢様達ですね。ゆっくりお過ごしください」
呼びかけに返答するでも無視するでもなく、ハンガーに吊るされた水着を眺めながら、私はあることに気づいた。
ワゴンには色も柄も同じ商品がいくつもあったのに、ここにはそれが一組もない。似ているようで少しずつ違っていて、色のバリエーションも豊富だ。
「この店の商品は全て一点物です」
店員が控えめに、それでいてやや誇らしげに説明をする。
同じデザインの水着を着た人と鉢合わせると、行楽の楽しさも半減してしまう。この店では心置きなく自分だけの一枚に出会えるということだ。
その中で、私は淡色のセパレートタイプを試着することにした。
布地は白地にピンク、水色、クリームなど細かな格子柄が施されたものだった。ぱっと見では単色なのに、繊細で凝った色合いに感動してしまう。飾りのリボンも可愛らしい。
鏡の前で小さくポーズ。
ふっ、ふみゅー!
(……かわいい……)
子供の頃からバレエ向きの体形だと自覚はあったものの、スタイル抜群といわれてもピンと来なかった。
ミルクティ色の髪に琥珀の瞳。人とは異なる容姿に劣等感を抱いたことも誇ったこともない。
背が伸びたね。雰囲気が変わったね。そういわれても困ってしまう。
「沙羅ちゃんは目立つから」
結翔はそれをどう思っているのか。
私が気になるのは結翔の目にどう映るかばかり。
彼が現れなければ、自分はずっとバレエ一筋だった思う。
「沙羅ちゃん。どうかしら?」
「……はっ、はい! 支度終わりました!」
舞花の声に我に返ってカーテンを開く。鏡の中の自分に見惚れていたなんて、恥ずかしくて口に出来ない。
「まぁ! 素敵! とっても似合ってる!」
「沙羅さん奇麗です!」
「お嬢様はスタイルが抜群ですから!」
「あ、ありがとうございます……あはは……」
絶賛の嵐に怯む私に店員が続ける。
「付属のアクセサリーがございます。気分に合わせてお使いください。それから、水辺で映えるようにデザインしてあります……お楽しみに!」
熱い商品アピールに押されるように、遠出の期待が胸に湧いてくる。
こうして、私達は長瀞旅行に向けた買い物を終えるのだった。