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▼第九話「天魔神功」




 大地を揺るがす轟音、空を覆う瘴気。凶悪なる魔獣どもの咆哮は、まさに天災の到来を告げていた。

 四体の魔獣が繰り出す攻撃は、容赦なくユピテルを追い詰めた。巨大な爪は岩を紙屑のように裂き、吐き出す業火は大地を焦土と変え、唸り声が、人々の魂を震え上がらせた。


 ユピテルは、双頭の魔犬オルトロスに渾身の一撃を放った。全身の力を込めた槍の一突きは、確かにオルトロスの巨体に届いた。しかし、その剛毛の前には手応えが鈍く、槍は突き刺さるどころか、折れてしまった。所詮、対人の武器など、魔獣を狩るにあたっては何の役にも立たない。対魔獣戦などハナから想定もしていなかったので、対抗しうるのは、ただ己の肉体と念動力のみであった。


 オルトロスは報復とばかりに口を開き、紅蓮の炎を吐き出した。ユピテルは咄嗟にサイキックの防護膜を展開し、辛うじて炎を防ぎきった。しかし、直後、大地を揺るがすほどの衝撃波がユピテルを襲う。それは、背後から迫る、山のように巨大なケルベロスの突進だった。瞬空閃影で間一髪回避するも、オルトロスのもう一つの首が牙を剥き出し、ユピテルに食らいつこうと迫る。辛くもこれをかわした瞬間、今度はケルベロスの巨体がユピテルを捉えた。遥か彼方の地面まで吹き飛ばされ、何百メートルも地面を擦りあげていった。


 激しい衝撃が全身を駆け巡り、内臓が悲鳴を上げる。ユピテルは、激痛に顔を歪めた。体中が軋み、まともに動けない。立ち上がろうとしても、足に力が入らない。


 四体の魔獣は、獲物を逃すまいとゆっくりと間合いを詰めてくる。絶望的な状況が、ユピテルの心を重く覆い始めた。このままでは、確実に命を落とす。


「ケラウノス! 何か方法はないか! 時間を止めるような技とか、なんか持ってないのか!?」焦燥に駆られたユピテルは、ケラウノスに怒鳴った。

『時間を完全に停止させることは、私にも不可能です。しかし、脳の処理速度をサイキックで極限まで高めることで、相対的に時間の流れを引き延ばすことは可能です』


 それは、僅かな希望の光だった。

 そして、魔獣どもに対抗するための策が、天から雷のように降って来た。


「一瞬の時間を、永遠にも等しい時間に延ばすことは出来るか!?」

『脳の処理能力を大幅に超過するため、深刻な損傷を引き起こします。最悪の場合、精神崩壊に至るでしょう』

「何もしなければどうせ死ぬんだ!! 限界まで引き延ばせ!!」


 インストールされた武功では、この絶望的な状況を打開できない。

 ならば、無限に拡張された時間の中で、新たな武功を創造するしかない。


 それは、極めて危険な賭けだったが、ユピテルには他に選択肢が残されていなかった。


『認証完了。意識フィールドを拡張します。時間加速を開始……警告、脳への過負荷が予想されます。意識を保ってください』


 ケラウノスの言葉を最後に、ユピテルの意識は未知の領域へと引き込まれていった。世界の色彩が歪み、音は遠くへ消え、代わりに耳鳴りのような音が頭の中でこだまする。世界が、遠ざかってゆく。深い深い井戸の底へ、重い石を括り付けられたように落下していく感覚。終わりなき落下が、ユピテルの意識を飲み込もうとしていた。



 そして、ついにユピテルの意識は無限に広がる空間へと解き放たれた。そこは宇宙空間にも似ていたが、夜空に瞬く星々の代わりに、無数の神経細胞が放つ燐光が網の目のように広がり、絶え間なく明滅している。それは生と死、意識と無意識の境界線とも言える、特異な領域だった。


 時間の拡張に意識が慣れてきたユピテルは、すぐさまケラウノスに指示を出した。


「ケラウノス。新しい武功を創り出すぞ。既存の武功の優れた点をすべて洗い出し、最適な組み合わせを考えてくれ」

『かしこまりました。超絶頂武功は百二十六件。武功の特性を解析中……各武功の構成要素を分解し、再構築を開始します』

「魔獣にも通用するよう、破壊力を重視してくれ」

『破壊力を最優先に設定……演算処理を開始……リモデリング中……』


 たった数瞬後、ケラウノスは報告した。


『リモデリング完了。対魔獣用新武功の基本構造が完成しました。現在、出力調整及び最適化処理を実行中……この空間は意識情報で構成されているため、物理法則に縛られることなく、極限まで出力を高めることが可能です』


 ユピテルの脳に、膨大な情報が奔流のように流れ込んできた。それは、今まで経験したことのない、全く新しい武功の体系だった。

 幾重にも重なる複雑な理論、緻密に計算された技の数々、そして何よりも、空間を歪ませるほどの圧倒的な破壊力。


 ユピテルの意識は、その情報量に圧倒されながらも、同時に湧き上がる高揚感を抑えきれない。


「これは凄い……! 別格じゃないか!! 今までとは全く違う……次元が違う!!」

『解析結果に基づき、新武功は超絶頂武功に比して、四千パーセントの破壊力を有します。また、魔獣の特性に特化した構造となっているため、有効性は極めて高いと推測されます』

「言葉が難しくてよくわからんぞ、ケラウノス!! まあいい、まずは試運転してみようか。なあ、さっきの魔獣をこの空間に呼び出せるか?」

『かしこまりました。出現シーケンスを開始……シミュレート空間への実体投影を実行……完了。双頭のオルトロスを出現させることが可能になりました』


 ケラウノスの言葉が終わると同時に、目の前に、先ほどまで死闘を繰り広げていた魔獣・オルトロスが、地響きのような咆哮と共にその姿を現した。

 しかし、ユピテルの心は揺れなかった。先ほどまで、あれほど威圧感を感じていたのに。この余裕は、新しい武功の隔絶した境地ゆえだった。


 ユピテルは深呼吸をし、意識を集中した。脳内に流れ込んできた武功の情報を反芻し、その力を解放するイメージを描く。

 そして、オルトロスに対して、新武功を放った。


 それは、一瞬の出来事だった。


 オルトロスの巨体が、まるで内側から爆発したかのように、跡形もなく消滅したのだ。

 残ったのは、かすかな熱風と、空間に漂う微かな焦げ臭だけだった。


「強過ぎる……!! これなら、どうにかなるぞ!!」

『新武功の名前を設定してください』


 ユピテルは口元に大きな白い手を当てて、一瞬考えた。

 この力は、過去の記憶、未来の技術、そして何よりも自身の強い意志が融合して生まれたものだ。


 それは、歴史を書き換える天命、魔獣を滅ぼす力、神のごときケラウノスの創造力である。


「わかった。天魔神功と名付けよう」


 古今を通じて最強の武功、天魔神功が、こうして誕生した。



 そのとき、ユピテルの脳に明確な異変が現れ始めた。


 先ほどまで研ぎ澄まされていた意識が、急速に濁っていく。

 頭痛が激しさをいや増し、まるで頭蓋骨を内側から押し広げられるような、激しい痛みがユピテルを襲った。


 視界がちらつき、平衡感覚が失われる。


 意識が混濁していく中、ユピテルの前に懐かしい光景が現れた。

 それは、記憶の底に眠っていた、最も穏やかで幸福な記憶。



 穏やかな日差しが降り注ぐ、見渡す限りの緑の草原。優しい風が頬を撫で、懐かしい草の香りがした。遠くでは小川のせせらぎが聞こえ、鳥のさえずりが心地よく耳に響く。


 そこにいたのは、亡き母デメテールと父マールス、そしてまだ赤ん坊の妹ヴェスタだった。

 草原に布を敷き、その上に食べ物を並べていた。ピクニックの風景である。


「ユピテル、なにをボーっとしてるの? なにか考え事?」


 母の優しい声が、ユピテルの心を温かく包み込む。


 あれ? 僕はなんで、こんなに悲しいような、嬉しいような、甘いような、苦しいような、そんな気持ちになっているんだろう……。


 ユピテルの自我は、戦いのことや苦痛のこと、復讐のことも、すべて忘れ、少年のころに戻っていた。


「さあ、たくさん食べなさい。食べないと、大きくなれないわよ」


 母が、湯気の立つひよこ豆のスープが入った皿をユピテルのほうに押しやりながら言った。それは、ユピテルの大好物だった。


 しかし、心の奥底で、何かが引っかかっていた。

 何か大切なことを忘れているような、漠然とした不安。


「どうしたの、ユピテル? 元気がないわね。何かの病気かしら」母が心配そうにユピテルを見つめる。

「ううん、何でもない。気のせいだよ。さあ、腹いっぱい食べるぞ!!」


 母は微笑み、ユピテルにパンを取り分けた。


 しかし、父の表情は険しかった。

 何かを憂いているような、悲しみを湛えているような、複雑な表情だ。


「ユピテル」


 父は低い声で言った。


「お前は、あらゆる意味で、逃げ出すことが出来る」


 その言葉に、ユピテルは戸惑いを覚えた。


 逃げる? 一体何から?


「そんなことしないよ。だって僕は父さんの息子だもん」


 ユピテルは力強く答えた。


 父は、寂しそうに、しかしどこか誇らしげに笑った。


「あのとき、まだお前は子供だと思っていたのに、もう立派に大人になっていたんだなあ」


 その瞬間、ユピテルの脳裏に、全ての記憶が鮮明に蘇った。

 魔獣との戦い、ケラウノスとの出会い、そして、この空間にいる理由。


 この安らぎは、束の間の幻想なのだ。


 ユピテルは、込み上げてくる感情を抑えきれず、涙を流しながらひよこ豆のスープを飲んだ。それは、母の愛情がたっぷり詰まった、懐かしい味だった。


「まあ、泣いちゃって。どうしたのかしら」とデメテールはユピテルの額に手を当てて、心配そうな顔をしている。

「母さんに、ずっと会いたかった」


 ユピテルは大粒の涙をぼろぼろとこぼした。

 それは、再会できた喜び、そして、再び別れなければならない悲しみがないまぜになった水滴だった。


 そして母は悟った。

 ユピテルが、ふたたびここを離れるときが来たのだ、と。


「私も、立派になったあなたに会えて嬉しかったわ」


 母は優しい微笑みを浮かべ、ユピテルの頬をそっと撫でた。その手の温もりが、ユピテルの心に深く刻まれた。


 そして、母の念動力、いや、母の愛が、ユピテルの酷使された脳を、優しく癒やしていく。

 それは、傷を治すだけでなく、彼の魂を支え、勇気を与えてくれる、温かい光だった。


「また会えるかな」ユピテルは涙も拭わず、名残惜しそうに言った。

「魂は繋がってるわ。あなたが望めば、いつでも感じあえる」


 母の言葉に、ユピテルは静かに、しかし力強く頷いた。


「行ってくるよ、母さん」


 光が、広がっていった。

 強い光が、視界を奪い、やがて、意識も奪っていった。



 そして気が付くと、現実の戦場に戻っていた。頬には大量の涙が流れている。

 それは、現実の時間にして、ほんの一瞬の出来事だった。


 しかし、わずか一秒で、ユピテルは生まれ変わっていた。


 いまのユピテルには、新しく創造した武功「天魔神功」と、母の愛という、かけがえのない力が宿っていた。


「さあ、この地獄を終わらせよう……!!」


(つづく)

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