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▼第十二話「世界が滅び、大地が溶岩の海に沈んでいくなかで」




 ユノは必死の思いで、ユピテルを王族別邸の自室へと運び込んだ。それを制止しようと、王の配下たちが群がってきたが、アキレウスを筆頭とするデミティターンズが文字通り跳ね除け、ユピテルの移送を強行した。

 遠征に付き従った兵士たちは、ユピテルを心の底から敬愛していたのだ。


 そして彼ら混血の兵士たちが警護の任に就き、厳重な警戒態勢を敷いた。デミティターンズは、王の命令を無視し、王女に付き従ったのだ。


 貴族たちは、この状況を一種の反乱だ、と囃し立てた。デミティターンズが王命に背き、王女を擁護している。これは、王権への挑戦だ、と。


 サートゥルヌスは、デミティターンズを従え、ユピテルを運ぶユノの姿に、盲目の偽預言者ティレシアスの忌まわしい予言がよぎった。


「汝の子が、汝を殺す」


 偽預言者の言葉とはいえ、それは、サートゥルヌスの心に深く響いた。

 彼の不安にフォーカスしやすい柔弱な精神が、それをむしろ信じたかったのだ。


「あれごと、殺すか……?」


 すでに一度はユノの殺害指示を出しているサートゥルヌスである。

 しかし、問題はデミティターンズの存在であった。あれほどの戦力に対抗するには、王国の兵力を総動員しなければならない。しかしそれは、内乱を引き起こすことを意味する。

 貴族たちは、いかにしてデミティターンズを叩き潰すか、陰謀を巡らせていたが、サートゥルヌスはそんな騒ぎすらも耳に入らず、心は重く沈んだままだった。



 ユノは、信頼できる医者を何人も呼び寄せ、ユピテルの診察をさせた。しかし、どの医者も首を横に振るばかりだった。ユピテルはみるみるうちに衰弱していき、呼吸すらもほとんどしなくなっていった。

 盛られた毒は、単なる毒ではなかった。散功毒と呼ばれる特殊な毒が混ざっており、ユピテルの内功は一時的に完全に失われていた。内功という防御を失った身体は、複数の毒によって容赦なく蝕まれていく。


 意識が朦朧とする中、ユピテルは奇妙な感覚に襲われた。自分の意識が身体から抜け出し、客観的に死の床にある自分自身を見下ろしているのだ。

 それは、体外離脱と呼ばれる現象だった。


 青白い顔で横たわる自分の姿、心配そうに付き添うユノの憔悴しきった顔を見て、ユピテルの胸は締め付けられるように痛んだ。

 彼女の悲しみ、絶望、そして自分を失うことへの恐怖が、痛いほど伝わってきた。


 その時、アキレウスが息を切らせて部屋に駆け込んできた。


「ユノ、大変なことになった!」


 アキレウスは、世間に流布された噂をユノに伝えた。

 それは、ユピテルを貶める、悪意に満ちた嘘の数々だった。


「ユピテルは、母親にティターン人の血を引いていることから、ティターンのスパイだったってあちこちで噂されてる!! 王を殺して王位を簒奪しようと企んだ大逆の徒である、とまで言われてんだ!! そして、王を殺そうとしたところを、逆に討たれた、だと!! 嘘っぱちにもほどがある!! ユピテルは命を賭して魔獣を倒したんだぞ!! どうせ出所は貴族連中だろうが……! 情報戦じゃ、奴らに敵わん」


 憤るアキレウスの言葉に、意識体となったユピテルは愕然とした。

 あれほど自分の凱旋を祝福してくれた民衆が、今や自分を裏切り者だ、と信じ込んでいるのか。


 ユピテルは体外離脱した状態で、街を彷徨うように歩き始めた。

 そして、アキレウスの言っていたことが真実であることを、否応なく認めざるを得なかった。街の至る所で、貴族たちが流した嘘がまことしやかに語られていた。


 みな、王宮の発表をただただ信じ、疑うことさえしていなかった。

 なかには、少数だが、心ある者、知性ある者もいた。しかし、「ユピテルさまがそのようなことをするはずない」と反論しようものなら、たちまち周囲から非国民だと罵られ、口を噤むしかなかった。


 自分を英雄と称えた人々が、舌の根も乾かぬうちに手のひらを返し、自分を罵り、憎んでいた。

 その事実が、ユピテルの心を傷つけ、打ち砕いた。


 ユピテルは、自分が完全に孤立し、世間から憎まれていることを痛感した。

 そして、何もかもがどうでもいい、と失意の底に落ちていった。生きる事さえも、もう諦めようとしていた。


 そして、初めて政治というものの恐ろしさ、情報の操作が持つ絶大な力を知った。

 真実など関係なく、権力者にとって都合の良いように捏造された嘘が、いとも簡単に人々の心を支配してしまう。


 自分は、そのような力に対して、あまりにも無力だった、とユピテルは己の不明に対して、後悔した。

 サートゥルヌスや貴族連中に対する恨みよりも、自分の無力さ、無知に対する激しい怒りが上回った。


——結局、この事態を招いたのは、俺自身だ。


 政治の世界の駆け引き、権力闘争の恐ろしさを知らなかった自分は、あまりにも愚かだった、と自嘲した。



 その時、空が急に暗くなり、重い雲が立ち込めてきた。雷鳴が轟き、稲妻が幾条も、天を埋め尽くさんばかりに落ち、大地を震わせる。

 街を埋め尽くす人々は、一斉に雷光で何度も明滅する空を見上げ、震える声で叫んだ。


 しかし、それは前兆に過ぎなかった。


 空から、文字通り星が降ってきたのだ。燃え盛る岩の塊、すなわち隕石が、雨あられと地上に降り注ぎ始めた。山々は崩れ落ち、大地は抉られ、巨大なクレーターが次々と生まれた。それは、神の怒りとも言うべき光景だった。


 そして、地平線の彼方に、巨大な黒い影が現れた。


「テュ、テュポンだ……!!」


 それは、伝説の魔神である。その巨体は、頭が天の雲を突き破るほどで、手を伸ばせば国一つ丸ごと抱えられるほどの大きさである。腿から上は人間と同じ造形だったが、腿から下は、巨大な毒蛇が幾重にもとぐろを巻いた、異形の姿をしていた。さらに、肩からは百の蛇が生え、それぞれが絶え間なく炎を吐き出している。その声は威信に満ちており、呼吸するたびに山々が轟き、大地が震動した。まさに世界を喰らい尽くす、万害の魔神である。

 前回目覚めた時には、火星と木星の間にあった惑星マルドゥクを粉砕し、その星の気を喰らい尽くした。そして、満腹になった魔神は、地球にやってきて、再び永い眠りについたという。今では、そのマルドゥクの残骸が小惑星帯を形成し、かつての姿を偲ばせている。


 テュポンの姿を見て、街は大混乱に陥った。空から降り注ぐ隕石は、まるで神の鉄槌である。

 人々は悲鳴を上げながら逃げ惑い、炎に包まれた家々からは黒煙が渦を巻いて立ち昇った。

 大地は絶え間ない衝撃に震え、地割れが走り、裂け目から赤い溶岩が噴き出した。


 王宮では、貴族たちが集まって震え上がっていた。どうにかしてこの事態に対抗しようと必死に協議を重ねるが、伝説の魔神を相手に有効な手立てなどあるはずもなかった。


 彼らは、藁にも縋る思いでユノのいる別邸に走り、デミティターンズに助けを求めた。

 しかし、アキレウスの口から告げられた言葉は、彼らを絶望の淵に突き落とすものだった。


「俺たちは、やつの足元にも及ばない魔獣にすら敵わなかったのだ。その魔獣を全て一人で倒したのはユピテルだ。俺たちにはどうすることもできぬ」


 貴族たちは、もはや自分たちの滅亡を悟り、自分たちがこれまで行ってきた愚かな行為を、深く後悔した。

 が、後悔しても、もはやどうにもならぬ。避けられぬ厄災が、目前に迫っているのだ。



 人々は一斉に街から逃げ出そうとしたが、そこにも容赦なく隕石と雷が降り注ぎ、逃げ惑う民衆と貴族たちを無差別に襲った。

 家屋や寺院、老若男女、身分の貴賤を問わず、すべてが平等にこの世から蒸発した。


 阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられ、家族や友人を目の前で失った民衆から、怨嗟(えんさ)の声が上がり始めた。


「こんな時にユピテルは何をしているんだ!」「どうして助けてくれないんだ!」ヒステリックな金切り声が、炎と瓦礫の街に響き渡り、溢れた。


 彼は死んだという噂もあるぞ、と誰かが言うと、それは瞬間的に街全体に広まり、同時に恐慌も広がった。

 もうおしまいだ、と人々は絶望し、破壊される大地をただ茫然と見つめるしかなかった。


 それはまさに、世界の終わりである。



 ユノは、変わり果てた街の様子、右往左往と逃げ惑う人々、そして今になって助けを求める貴族たちの姿を見て、深い失望と悲しみ、そして怒りを感じていた。

 手のひらを返すように態度を変え、都合が悪くなると誰かに縋り付く。人間の醜さ、脆さ、愚かさを、彼女は憎んだ。


 ユノは、ユピテルの傍らに寄り添い、彼の冷たい手を握りしめた。

 彼女の瞳からは、大粒の涙が溢れ出ていた。


 ユノの手の温もりを感じて、ユピテルの意識体は、瞬時に病床へと舞い戻った。

 そして、涙するユノの姿を、沈痛な面持ちで見つめた。


「私は、世界なんてどうでもいい……。こんな世界、滅んでしまえばいい……。ただ、ユピテル……、あなたにもう一度、温かく抱き締めてもらいたいだけなのよ……!!」


 ユノの涙が、ユピテルの頬を伝い、その唇へと落ちた。


 その瞬間、ユピテルの心に、何かが流れ込んできた。

 それは、ユノの深い愛情、切実な願い、そして彼を必要としているという強い想いである。


 そしてユピテルははっと気付いた。


(俺は何を諦めようとしていたんだ……! 世間の評判がなんだっていうんだよ、誰にどう思われようと、全っ然、関係ないじゃないか!! 俺には、愛する人たちがいる!!)


 絶望で折れかけていた心が、ユノの愛によって、再び力強く脈打ち始めた。

 ユノの愛が、ユピテルの心を深い闇から救い出したのだ。


 ユピテルはゆっくりと目を開けた。その瞳には、再び強い光が宿っていた。


「ユノ……。世界が終わる前に、君を抱き締めに、戻ってきた」

「ユピテル……!!」


 ユノは、信じられないという表情で目を見開き、溢れる涙もそのままに、ユピテルの胸に飛び込んだ。

 固く抱きしめ合う二人の間には、言葉では言い表せないほどの強い愛と絆が生まれていた。


 世界が滅び、大地が溶岩の海に沈んでいくなかで、ユピテルはユノに言った。


「たとえあと数時間しか生きられなくとも、君と、結婚したい。もう、君なしでは生きてゆけないほど、愛しているんだ」


(つづく)

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