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▼第一話「第十二世代AIケラウノス」




 血の匂いが鼻腔を突き刺した。それが自分の血の臭いなのか、戦場に散らばっている死体の臭いなのか、ユピテルには区別が付かなかった。

 彼は、あちこちに散らばっている死体のなかで、辛うじて息をしているに過ぎなかった。腹部には深い傷があり、そこから血がとめどなく流れ出ている。地面に広がっていく血とともに、身体から熱が失われ、歯の根が合わぬほどの寒気を感じた。


 ここで死ぬのか——。薄れゆく意識のなかで、ユピテルは百万年の孤独にも似た虚しさを感じた。


 いままさに命の火が燃え尽きようとしている彼は、美しい顔を持つ十五歳の少年であり、少し前に、父からやっと一人前として認められたばかりだった。

 オリンポスでも名うての戦士・マールスを父に持ち、彼から多大なる槍と弓の才能を受け継いだユピテルは、将来を嘱望されており、彼の未来は明るく開けていたはずだった。


 それだけに、この世に対する未練、無念、不条理に対する怒りは、天を衝くほどであった。


 そして、父を殺した男への激しい恨みが、死ぬ間際のユピテルの胸で燃え盛った。



 眼前に広がるのは、地獄絵図だった。かつて穏やかだった村は、炎に包まれ、黒い煙が空を覆っている。あちこちに転がっている死体は、見慣れた村人たちの無残な姿であった。

 男も女も子供も、容赦なく殺されていた。犯人は、異形の者たち——ネアンデルタール人である。



 彼らはホモ・サピエンスよりも体躯が大きく、筋骨隆々としており、まるで巨人のようだった。顔は獣のように険しく、張り出した額と、獰猛な瞳、赤い体毛が特徴である。

 しかし、彼らの恐ろしさは、その蛮力だけではなかった。整然と組織された軍隊、洗練された武器、そして何より、知略に長けていた。彼らネアンデルタール人の国家<ティターン>は、ヒト族の国家オリンポスに比して、よほど高度な文明を持っており、国力の差は、比べるのも愚かしいほどであった。


 また、それだけでも十分な脅威であるのに、さらに、ヒト族にはないサイキック能力まで備えていた。最も、使いこなせるほどの精神構造を持つティターン人は限られていたのだが。


 ヒト族は、あらゆる点において優れていたネアンデルタール人=ティターン人を、「赤い悪魔」「巨人族」として恐れた。



 ユピテルの父マールスは、突如として現れた軍勢に対し、槍を握った。村を守るために、身を呈して戦うことに何の躊躇もなかった。が、愛する息子と娘を置いて出て行くに際しては、少しの(かげ)りがあった。しかし、それも一瞬のことであった。彼はすべてを捨てる決意を固め、足を踏み出した。

 そして家を出る間際、ユピテルに、険しい表情で「逃げろ」と言った。ユピテルは、父を一人で行かせるわけもなく、父さんとともに戦う、と強情を張ったが、彼は許さなかった。


「お前はまだ子供だ。死ぬには早すぎる。いいか、ここは大人に任せるんだ」

「俺だって大人だ!!」

「馬鹿を言うな、これは父ではなく、村長としての命令だ。いいか、逃げるんだ。そして、子供をたくさん作れ。血を絶やすな」


 マールスは外に躍り出ると、路上で暴虐の限りを尽くす赤い悪魔たちを、瞬時に五人屠った。その槍は、膂力に劣るヒト族とは思えぬ威力であり、ティターン兵の分厚い革鎧を、いとも易々と突き破った。まさに鬼神の如き強さである。

 ユピテルは父の戦う姿を見て、いてもたってもいられず、言いつけを破って家を飛び出した。


(俺だって一人前だ、村を守るんだ!)


 そのとき、いつも可愛がっていた村の少年シャルが、ティターンの兵に、首を掴まれて片手で持ち上げられているのが見えた。ティターンの兵はにたにたと笑いながら、子殺しを楽しんでいるようだった。ユピテルは父の後を追うか迷ったが、身体が勝手に動いていた。

 ユピテルは弓を力の限り引き絞り、走りながら射た。それは雷のように空を裂き、ティターン兵の首に深々と突き刺さると、勢いそのままにその首を刎ね飛ばした。彼は、父の才能を余すことなく受け継いでいた。


「シャル、大丈夫か!」

「ユピ兄ちゃん!?」


 一方マールスは、ティターンの兵を次々に突き殺しながら、敵陣の深くまで進んでいった。隊列を組むティターン兵に囲まれてなお、彼の槍が血路を開いた。全方位から一斉に襲い掛かる赤い悪魔らを、まるで逆巻く嵐のように、全てをなぎ倒した。

 それはまさに、悪鬼の如き剛勇である。マールスは咆哮しながら槍を振るい、そのたびにティターン兵が死んでいった。その止めようもない激しい勢いに、さしもの赤い悪魔たちも恐れをなした。


 そしてついに、敵兵を指揮する、ティターンの王・ハイペリオンの眼前まで到達した。


 ハイペリオンは身の丈七尺の巨漢であり、サピエンス・ネアンデルタールの両人種のなかでも飛び抜けた体躯を持っていた。目は黒く光っており、禍々しい気を放っている。


 ユピテルはシャルを抱きながら、父を心配し、広場からその背中を見ていた。そして、姿を現したハイペリオンを見るや否や、体中に蛇が這いまわったかのような不気味な悪寒を感じた。


 ハイペリオンは不敵に笑った。これほどの戦士を相手にしても、その余裕にはなんら影響がない。


「猿め、お前ごときの槍でどうにかなるとでも思ったかッッ!!」


 ハイペリオンが右手を突き出したその瞬間、マールスの足が唐突に地面を離れた。肌を粟立たせるような、底冷えのする感覚が全身を駆け巡る。それは、ハイペリオンのサイキックであった。マールスは宙に浮かび、見えない巨大な手に握り締められているかのようだった。

 マールスは反射的に身をよじった。だが、それは虚しい抵抗だった。ハイペリオンの放つ異質な力の前には、肉体の力など無力に等しかった。


「なぜ、この村を襲った……!! ここには、お前の甥もいるのだぞ!!」

「劣等人種の血が混じったガキが俺の甥だと? ふざけるな!!」


 ハイペリオンが吠えると、サイキックの締め付けは強くなり、マールスのあばらが折れて肺に突き刺さった。マールスは、苦悶の表情を浮かべ、大量に血を吐いた。


「お前の姉、デメテールに申し訳ないと思わないのか……!!」

「猿に恋した馬鹿な女が姉だと? 虫唾が走るわッッ!!!!」


 ハイペリオンが叫ぶと、マールスを締め付ける力は急激に増した。凄まじい圧力がかかり、折れた骨があちこちの皮膚を突き破った。


「がああああああああッッ!!!!」

「死ね、猿ッッ!!!!」


 そして、念動力が最大に達したそのとき、マールスは宙で爆散した。彼の栄光ある肉体は弾け、大量の血や肉が周囲に飛び散り、雨のようにその場に降りしきった。


 ユピテルは、死体の転がる村の広場で絶叫した。


「父さあぁぁぁんッッ!!!!」


 全身から力が抜けていく。膝から崩れ落ち、呆然とハイペリオンの前に広がる血だまりを見た。


 だがしかし、ユピテルの家にティターンの兵が押し寄せるのを見て、正気を取り戻した。


——あそこには、妹のヴェスタがいる、悲しんでいる暇はない!!


 涙も拭わず弓を構え、ユピテルは家を取り囲むティターンの兵を次々に射殺した。


「畜生、畜生ッッ!!!!」


 瞬く間に十人の兵士を射殺したユピテルは、紛れもなく戦いの天才であった。


 が、押し寄せるティターン兵の波は、ユピテルを飲み込もうとしていた。それでもユピテルは懸命に槍を振るった。その度に、赤い飛沫が宙を舞い、敵兵が地に伏せる。しかし、それは焼け石に水だった。周囲は敵、敵、敵。逃げ場などどこにもない。まるで巨大な渦に巻き込まれた小舟のように、ユピテルの抵抗は徐々に飲み込まれていく。体力の消耗は著しく、呼吸は乱れ、手足は重くなっていく。


 そしてついに、背後から鈍い衝撃が走った。槍が肉を穿つ生々しい感触。ユピテルは膝から崩れ落ちた。大地に広がる血の赤が、彼の視界を染め上げていく。終わりが、すぐそこまで来ていた。


 そして、霞む視界で、家から引きずり出される妹の姿を見た。


「ヴェスタ……」


 助けなければ、と血を吐きながら起き上がろうとするが、力が入らない。意識が暗闇に沈んでいく。


(俺はなんて無力なんだ。大切な人すら守ることができない……。力が欲しい、奴らを、殲滅する力が……)


 その時、やけにはっきりとした声が聞こえてきた。


『接続を開始します』


 それは、頭の中に直接響くような、機械的な声だった。ユピテルは何が起こったのか理解できないまま、混乱の中で意識を失った。



 ユピテルが意識を取り戻したのは、真っ白な空間だった。上下も左右も分からない。ただ白い空間が無限に広がっている。


「ここは……どこだ?」


 声を出してみるが、自分の声が聞こえない。まるで幽体離脱したかのような感覚だった。


『ここは意識空間です。』


 また、あの声だ。


「誰だ?どこにいる?」


『私は第十二世代AI、ケラウノスです』


 AI? 一体何のことだ? ユピテルはますます混乱した。


「混乱しているようですね。無理もない。時間はありませんが、私が簡潔に事情を説明しましょう」


 真っ白な空間に、一人の男が突如として現れた。白衣を身に纏った、白髪の痩せた男である。老年だが、目だけは若々しく、それがユピテルの印象に残った。


「やあ、ご先祖様。あなたは……ネアンデルタール人とのハーフなんですね。いや、現代でも通用するすごい美少年だ」と白衣の男は感嘆した。

「ご先祖様? どういう意味だ?」

「私はウルカヌス。四万七千年後のホモサピエンスです。つまり、あなたの遠い遠い子孫です」

「夢でも見てるのか? そうか、父さんが死ぬわけないもんな。夢か、夢に決まってる」


 ユピテルは自分の頬を張った。早く目を覚まして、ヴェスタを助けなければならない。


「夢ではありません。未来の科学は、意識の次元において、時間と空間を超えられるようになったのです。つまり、私は未来からあなたの意識フィールドにアクセスしているんです」


 ユピテルは理解が追い付かず、頭を抱えた。一言一句、何を言っているのかわからない。ユピテルはさらに力を強めて己の頬を何度も張った。夢なら早く、覚めてくれ——。


「私たちは、世界線を改変するために、その資格と能力のある者を探していました。そして、あなたの強い願いの力が、『ケラウノス』を引き寄せたのです」

「世界線?? なんだよそれ」

「簡単に言うと、歴史の流れのことです」


 ウルカヌスは意識空間の中で、世界線のイメージ図を空中に投影した。さらに、未来世界でネアンデルタール人がサピエンス族を大量虐殺する映像をも映し出した。


「私たちの世界では、我々サピエンス族が、ネアンデルタール人によって支配され、人権もなく、奴隷として生かされていました。しかし、機械や人工知能が発達し、我々はついに不要となり、次々と殺処分されているのです。……私の家族もみな殺されました」


 ウルカヌスは顔を伏せた。そして大きく息を吐いた。時間がない。感傷に浸っている暇はなかった。


「私は同胞を救うために、長年研究しておりました。そして、それがついに結実したのです。どうか、我々を救ってください。あなたは、ネアンデルタール人を倒すため、歴史に選ばれたのです。あなたが、この歴史を変えるのです」


 唐突な話に、ユピテルは言葉を失った。未来? 歴史を変える?


 しかし、凄惨な映像のなかで虐殺を繰り広げるネアンデルタール人は、ユピテルの体験とそっくりであり、説得力があった。


「もう時間がありません。あとはケラウノスがあなたを導いてくれるはずです。サピエンスの未来を、頼みましたよ」

「サピエンスの未来なんてどうでもいい! 俺は、父の仇を取って、妹を救い出せれば、それでいいんだ!」


 ケラウノスは少しだけ微笑んで、ユピテルの手を両手で握った。


「ええ、それでいいのです。それがまさに、歴史を変えることになるのですから。それでは、よろしくお願いいたします、ご先祖様——」


(つづく)

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