歓喜の国への誘い(1)
私には明確な過去の記憶が存在しない。
気付けば汚いボロ布だけの状態で砂漠化した街の道路に投げ出されていた。
何故、自分が心許無い恰好をしているのか。こんな殺風景な場所にいるのか。頭の中を探っても分かるのは私が空っぽな人間だって事だけだ。
覚束ない足取りで街中を彷徨っていたら道路の下から猛進する紫色の輪郭が見えた。
その正体は今まで見た事の無い巨大なサソリの怪物。
足を斬られ、無我夢中で逃げてたところを助けてくれたのはナーシャっていう馴れ馴れしく触り方がおっさん臭い高身長の女。
彼女と一緒にサソリを倒した後は彼女が所属する鎮魂同盟に加入させられ、組織を統率する男から仕事をこなす代わりに生活を保証してくれる事を約束してくれた。
そして今は体の汚れを落とす為だとナーシャに抱え込まれ無理矢理、体が本能で拒むお風呂に入れられている。
何故かは分からないけど大人の人から "煮え立つ邪悪な湯に入る前には聖水をかけろ。さもなくば肉が溶け、骨が浮き出るだろう" と脅迫じみた勧告が朧気に脳裏に染み付いてるせいで何もしないで入浴する事は恐怖でしか無い。
でもナーシャの力は同じ女とは思えない程、強くて抜け出せないから嫌々ながら熱々の水の中でじっとしていると迷信みたいな出来事が実現する事は無く、寧ろ体を芯から温めてくれて気付けばせめてもの恐怖の緩和の為に閉じてた目を開けて緊張の解除を許していた。
お風呂に抵抗が無くなっている自分に対して驚いているとナーシャが聞いてくる。
「晴れて鎮魂同盟になった以上、あんたの事をどう呼んだら良いかくらいは教えて欲しいんだけど」
名前?
そんな大層な物、私にあっただろ・・・・・・
と思い返す途中で身に覚えの無い過去が鮮明に想起される。
そこに映っていたのは洞窟の中みたいに室内が暗く壁も床も全部、岩で出来た変な部屋。
周囲には私と同じ歳の男女がいて目の前の男が何かを呟く。
『アリア、なんてどうだ?
力強くも華麗な独唱の様にお前が一人になったとしても逞しく美しい女性になれるよう願いを込めて』
今の記憶は何だったんだろう・・・・・・?
謎は残ったままだけど気まずい場面になる事は無くなった。
私はナーシャに名前を丁寧に伝える。
「・・・・・・アリア、アリア・ガレイド。
それが私の名前。大事な男の子がくれたかけがえのない贈り物」
互いの名前を分かち合いコンビとなった私とナーシャはその日の翌日から厳しい特訓に打ち込んでいく。
エクソスバレーを生き抜く基礎知識に加えて鎮魂同盟の役割を叩き込む座学から犯罪者を捕まえる為の戦いに向けた鍛錬まで一日みっちり叩き込まれ、一端の戦士として育て上げられた。
けど決して辛いだけの日々では無かった。
ナーシャの色んな事を知りながら一緒に作った些細な幸せも記憶の無い私にとっては新鮮な体験で楽しい物だった。
「ねぇ、アリア。
こっちのシャツとこっちのシャツ、どっちが好み?」
「・・・・・・どっちも違う」
普段からかっこよくスーツを着こなすナーシャは私服のセンスが無いらしい。
落ち着いた色合いと単色のみを使った衣服を好む私の嗜好を知っていながら今、候補に挙げている二つのティーシャツはどれも派手でロゴまで入っている。
ちゃんとナーシャなりに考慮して選んだ結果だろうけどこのセンスじゃ好みの服は出そうに無いから彼女を当てに出来ないと判断した私は適当にレディース用の服売り場を見る。
流し見の中でちらっと見えた主張が控えめで一色だけしか使っていない涼やかな色合いの服に目を惹かれたのでハンガーを手に取った。
うん、全貌を見ても好みの一着だ。新しいTシャツはこいつにしよう。
「あ? それが良いの?
そいつMサイズだからあんたが着たら手が袖に覆っちゃうよ?」
「別に良い、これ買って。まくったりして工夫する」
ある日の昼食の時は好きなご飯の話なんかもしたっけ。
鎮魂同盟のアジトには階層丸ごとが巨大なカフェテリアになっている場所があり、メンバーはみんなそこで普段の食事からおやつ、夜食まで食べている。
有名なレストランで働いていたシェフや凄腕のゴーストを雇ってるとか良く分かんないこだわりのお陰で提供スピードも味も高い評価を得ているらしい。
「アリア。あんた、好きなパスタってなんだい?」
注文口に続く長蛇の列を待つ間に画像がアニメーションの様に切り替わるメニュー表を見ながらナーシャが聞いてきた。
メニューにパスタフェアってキャンペーンがやってたからあの時、彼女はそう尋ねたのだろう。
「知らない。私、食事の記憶すらも乏しいから」
「何ィィィ!?!?!?
だったらあたしがそれぞれのパスタの魅力を説明尽くしてやるよ!!」
あぁ、また面倒臭いスイッチが入った。
私が知らないと言ったらいっつも大仰に叫んで事細かに説明してこようとする。
「カリカリに焼き上げたベーコンと滑らかなチーズが織り交ざった濃厚な旨味のカルボナーラ。
爽やかなバジルソースと松の実のアクセントが堪らないジェノベーゼ。
日本って国では和風パスタとかあんかけスパなんて一風変わった味付けが開拓される程、パスタのソースには無限の可能性がある。
けどどれだけ目新しい味が生まれようとも一番美味いパスタは荒い挽き肉と香味野菜の出汁が溶け出たトマトソースがマリアージュしたミートソースだ!!
王道にして至高!!
アリアも他のソースを食べてる間もこれだけは忘れないでよね!!」
・・・・・・最後に指で私の眼前を刺す程の念入りさ。
ナーシャがミートソースパスタってのが好きで尋常じゃないこだわりがあるのはこの時に知った。
特段食べたい物も無かったしナーシャと同じミートソースパスタにサラダとスープが付いたセットを食べたら中々、美味しかった。
味を伝える手段が無いから事細かに共有出来ないが次もこれを頼んでも良いかもと思える程には良い味だった。
「げっ、なんで今日のスープに人参が入ってんだよ。
アリア。精神鍛える修行と思ってこれも食べといて〜」
そういえばナーシャの嫌いな食べ物の一つが人参だって事もこの日に知ったっけ。
それと嫌いな食べ物は絶対口にしない事も。
「はい、依頼手続きが完了しました。初仕事頑張ってくださいね」
「・・・・・・ん、ありがと」
受付の女性から子供向けっぽい激励と依頼内容が書かれたデータと紙を渡された。
あのお姉さんが慈しむようで小馬鹿にされたように感じる態度を私に向けるのは私の背格好が鎮魂同盟では滅多に見られない幼い子供である事も絡んでそうだけどナーシャが母親みたく私の事を麒麟児だとか一騎当千の猛将にもなれるとか自慢気に紹介したからだと思う。
今日は研修期間って奴を終えた私が初めて任務に参加する日。
内容は鎮魂同盟に所属する調査部隊が高級なお店の強盗を生業とするそこそこ大きい犯罪組織の本拠地を突き止めたから全員捕縛して組織を潰せって話。
ナーシャも同行はしてくれるけど戦闘には参加せず基本は補助に回る。
つまり、私一人で組織の悪人を相手しなければならない。
一通りの技能は身に付けられたけど、いざ本番ってなるとちゃんと教えられた通りに出来るか不安になってくる。
「成功出来るか不安で緊張してんのかい?
自分で言うのもなんだがあたしの訓練って効果は認められてても途中で音を上げて別の指導役を要望する子が殆どでね、最後まで付いてきてくれたのはアリアだけなんだよ。
あんたはあたしの厳しい訓練を耐え抜いた云わばエリートだよ? 既に誰も適わない実力を身に付けてる。
星一レベルの依頼くらい簡単に達成出来るって断言してやる」
相変わらず私の接触は忘れず、肩を組みながら言葉を贈るナーシャ。
でも今回だけは嫌な気はしない。
ドラマで出てきた入学試験に挑む前の子供を塾講師が叱咤激励するシーンを思い出し、普段は動きにくい感情に支配された私でも胸がじんわりと熱くなる励ましだったからだ。
ナーシャから出された課題は確かに難しかったり厳しかったりしたけど乗り越える度に成長の手応えを感じた。
それを自信に変えれば怖い物は何も無い。ナーシャはそう言いたいんだろう。
うん、そう自己暗示すればなんだか不安が少し晴らせた気がする。今の状態を維持してる間に教えて貰った本拠地に向かわないと。
人が立ち入りにくい山奥にある湖の畔、自然豊かな風景に溶け込めていない無機質な材質で作られた倉庫に悪人達の組織があった。
今日も富裕層御用達のブランドショップで店員に銃を突き付け慌てふためく様を楽しんだり指示に従わない生意気な霊体に二度目の命日を齎してやったり好き勝手に暴れたところでお目当ての金目の物を強奪し終えた組織のメンバーは大して上手くもない鼻歌を熱唱しながら倉庫の扉を開ける。
「よぉ。帰ったぜ」
フードと仮面越しからでも分かるにやついた顔を保ちながら、男は同志の目の前にぶら下げていた強奪の成果を同じく別の店から奪った光沢が輝く黒塗りの丸テーブルに粗雑に置いた。
大容量の袋から鳴った音は男達が恥ずかしげもなく犯した自由奔放な非道の証。
中に入っているお宝はこのアジトを彩る家具になる事もあれば売り飛ばして資金源に変えたりとどの使い道も自分達の欲望の為である。
彼らを突き動かすのは退屈を埋め尽くす刺激のみ。
自分達の思い通りに事が進み、一時の快楽を得られるならば他人などどうなっても構わない典型的な愉快犯である。
「どうだった? 中々、面白ぇ反応が見れただろ?」
「あぁ、特にお高く止まってそうなババァなんて泡吹いて倒れやがったぜ。
最近、導入したこいつに感謝しねぇとなぁ」
この組織の悪名が勢いを伸ばしている最大の秘密は大型犬を従わせる為に使いそうな巨大な首輪。
勿論、動物を引き連れる一般的な用途で使うただの首輪では無い。
裏側にあるスイッチを入れて投げると男達に忠実に従うエッセンゼーレが召喚され、銃口を突き付けるよりも強力な暴力で無垢な民達を屈服させる事が出来るのだ。
本来、エッセンゼーレは太陽の光を浴びると重症を負う吸血鬼の様に活気溢れる雰囲気に中てられると大抵は消滅する為、人工領域で活動する事はほぼ不可能なのだが首輪を通じて手綱を握る主人の負の感情が供給され続ける事で聖域の様な人工領域でも凶暴な姿を保ち続ける事が出来るのだ。
歩く災害とも言えるエッセンゼーレを好きに制御出来る時点で規制すべき代物が一体、どこから流通されたのかは買った本人達も鎮魂同盟の調査部隊を以てしても判明していない。
それでも悪人共は人の手に余る危険な道具を手にした好機を逃すまいと更に調子付いて過激な行為を繰り返し、人々を困らせるだろう。
「最初は遭うだけでやべぇって腰抜かしてたけど、エッセンゼーレを仲間にするだけでこんなに馬鹿騒ぎしやすくなるなんて思いもしなかったな」
「俺達は無敵だ!!
俺達に逆らう気概を意気込む馬鹿な奴らはもういない!!」
有名なワインセラーから奪ったボジョレーヌーボーの入った杯を手に取り高らかに乾杯を宣言しながら全員の杯が子気味よく衝突したその時、全員の持っていた杯が寸分違わぬタイミングで一斉に割れ、中の酒は男達の手やテーブルと床に染み付き強烈なアルコールの臭いと濁った赤となる。
「おいっ、嘘だろ!?
俺、飲むの楽しみにしてたのに!?
こんな時に割れるか普通よぉ!?」
「違う、劣化で割れたんじゃねぇ。
微かに聞こえたが上の窓ガラスの割れる音が聞こえた」
聴覚に優れたメンバーが指差した方にメンバーが注目するとそこには背の低い少女のような影が一瞬、映りこんだ。
この倉庫には研究所を襲撃した際に奪った光学迷彩の機械を使ってカモフラージュが施されている。
誰にも視認されないはずの傑作のアジトにネズミ一匹が入っている事態に動揺する男達だが冷静さを欠けていないメンバーが時代劇に登場する悪代官の様に声を荒らげる。
「敵だ!! てめぇら、迎撃の陣形を整えろ!!」
流石は今一番、勢いに乗っている犯罪組織。
狭いアジト内を埋め尽くす下っ端の連中が各々、お粗末な武器を構えている。
だが鎮魂同盟の悪を摘み取る狩人として徹底的に鍛え上げられた少女、アリア・ガレイドにとっては脅威ともなんとも思っていない。
「ふぅん、意外と鋭い。でも気付いたところでもう遅い」
影を縫う様に隠密にアジトを素早く移動するアリアは一人気絶させてはまた一瞬で姿を隠し、穴だらけの索敵をする数人を体術で制圧。
アリアが少し姿を見せたところで彼女の存在に気付いたメンバー達が鉄パイプやバットを振りかざす。
四方八方から迫ってくる武器の猛襲に直面してもアリアの人形の様な無表情は崩せない。
比較的近い攻撃は近くのテーブルを蹴って盾も兼ねた投擲物に変える事で吹き飛ばし、素早い移動でまた一瞬、姿を隠せば距離感も測れぬ素人は相打ちして勝手に倒れてくれる。
頭数を減らしたらいよいよアリアと同じくこの戦いが初陣となる彼女の相棒が虚空から呼び出される。
ナーシャが仕事の合間で討伐した死霊の様なエッセンゼーレの素材を使って研究所で錬成された彼女と同等の大きさを誇る鎌は工夫により想像よりも軽量する事が出来た柄の先に紫水晶の刃を携える。
名は "甘美の贈答" 。
肩を並べて戦う仲間には夜道を照らす満月の様な抱擁を。
目の前の敵には恋人同士が交わす口づけの様に甘く安らかな死を。
戦闘中に両極端な贈り物を届けられるこの武器は広範囲をカバー出来るリーチを持ち、アリアが素早く振るう事でどこに敵が身を潜めようといずれ生命が到達する生の終着点の様に必ず仕留める武器へと変貌するのだ。
だが今回は罪人を捕縛しろという会社からの指示がある為、極力、殺傷力の高い刃は使わず制圧しなければならないのだがアリアは問題無くこなしていく。
鎌を振り回し柄で器用に防御しながら反撃したり、高台からマシンガンを連射する卑劣な集団に対しては刃で銃撃を受け止めた後、回転を加えた葵の斬撃を飛ばし橋ごと吹き飛ばす。
気付けば残っているメンバーは数人のみ。
猫のように音も無く少しずつ焦りと怯えを見せ始めるメンバーがいる最下層まで下りたアリアは鎌を構え直し、洗練された覇気と共に詰め寄る。
「お、お前、何者だよ・・・・・・」
完全に舐め腐っていた子供の底知れぬ実力に怯え始めるメンバーとは対照的にアリアは眉一つ動かさず答える。
「鎮魂同盟の仕事。さ、観念して」
「くっ・・・・・・
秩序と正義に囚われた飼い犬に目を付けられたのか・・・・・・
ふん、ガキの癖に俺達の組織を壊滅しにくる度胸だけは褒めてやる。
だがな。てめぇはここで終わりだ!!」
男がポケットに備えていたリモコンのスイッチを押すと後ろのシャッターが軽快に開かれる。
暗い奥から目を開き、重い足音を鳴らしてやって来たのは黒い鱗に覆われた巨大なワイバーンを模った幻獣型のエッセンゼーレ、 ”暴食の地竜” 。
自然領域では奥深くに数体いるかどうかの珍獣のように希少なこのエッセンゼーレは男達が今日みたいな日に備え、自分達の逃走時間を稼いで貰う為に飼い慣らしておいたボディーガードの様な存在である。
急に暴走されて持ち味である鋼鉄の歯や酸性が強くなんでも溶かす毒を撒き散らさぬよう、暴食の地竜には幾重の口輪が装着されている。
「さぁ、エッセンゼーレよ!!
目一杯暴れろ!! そんでこの小娘をぶっ殺せぇぇ!!」
男が指示を叫んでも暴食の地竜は巨大な岩になりきっているかのようにピクリとも動かない。
既に調教は住んでいるはずなのに指示を聞かないエッセンゼーレに少し疑問に感じる間が空くが、男は間髪入れずもう一度発する。
「お、おい!! 聞こえてねぇのか? ならもう一回言うぞ?
あの、小娘の、相手をして、俺達が一人でも多く逃げれるようにしろっつってんの!! 分かったか木偶の坊!!」
力任せに機械を修理するかのように男の弱々しい蹴りが暴食の地竜の足に入る。
するとようやくエンジンが入ったのか鎮座していた巨体を持ち上げて遂に移動を開始する。
「けっ、手間かけさせやが・・・・・・ って?」
とぼけた男の声はそこで途切れた。
何故なら建物を支える神殿の柱の様な太さを持つ暴食の地竜の足が男の霊体を踏み潰してしまったからだ。
きっと大した世話もされなかった男の鬱憤を晴らす為にこの場で殺害してしまったのではなかろうか。
呆気なく散った命を目の前で目撃しエッセンゼーレの恐ろしさを再認識した他のメンバー達は間抜けな雄叫びやだからエッセンゼーレを飼おうなんて考えるべきじゃなかったんだと情けない後悔を漏らしながら命辛々逃げていく。
外に逃げて行ったメンバーは待機してるナーシャが一網打尽にするのでアリアは目の前の敵を倒す事だけに集中すればいいが敵は本来の力を取り戻そうとしている。
口内に自慢の毒を貯めた暴食の地竜は歯の間から滲ませ、口輪を徐々に溶かしていく。
やがてボロボロになった口輪を顔や口をぶっきらぼうに振り回し物理的に引きちぎると残ったアリアを見据えて吠える。
威圧的なエッセンゼーレの登場に目の前で人が死んだ惨劇。恐怖は充分、蓄積している。
アリアは居合の様な構えで鎌を持つと一瞬で飛び、その義体を細切れに変えた。
歓喜の国への誘い(1) (終)