恋愛バトル
長い休憩時間の間に、私たちの噂は病院中を駆け巡り、最終的に深川先生は女2人を弄ぶ卑劣なヤツってことになっていた。
何故だ、私たちは深川先生をただ愛し合ってるだけなのに。
噂というものはすぐに立ち消えるものでもあるが、熱を帯びている時には鉄より熱い。
噂を聞いた人々は、深川先生や私たちにことの真相を聞きたがっているようだったが、ここは運良く午後の診療時間の方が早かったのがまだ救いだった。
だが、そんな中、いつもの事件が起きた。
「深川、午後も小児科のヘルプいきますっと、うわああ」
深川先生が何もない所で足を滑らせて、今にも転けそうになっている。そんなときは……。
「ふいー、今日もセーフですね」
「いつも済まないな、亜美」
私は深川先生の下敷きになりながら笑った。
そう、この深川先生、鈍感なだけではなく、変人なだけではなく、1日にドジを何回もやらかす天然なのだ。全く、医師が転けるだなんて、衛生面的にもNGすぎる。
ただ、もはやこれも、五十嵐病院ではいつもの日常であった。
「はい、次の患者様どうぞー」
私と落合先生も、午後からは小児科のヘルプへと回された。
小児科専門医はそんなに居ないのに、無駄に診察室が多いのは、五十嵐病院の七不思議の一つに数えられている。
良い点を言えば、それだけ幅広く診察できる内科医が揃っているということだ。医師の皆様、お疲れ様です。
と、不思議なことに落合先生、小児科の天性の才が目覚めたようで、全然お子様達に泣かれていない。
みんな、纏まることを知らない赤毛のツンツン2本角ヘアーに夢中になっていくからであった。
「おちあいせんせ、つのさわらせて」
「お、いいぞ。意外とフカフカだろ?」
「うちの子がすみません、落合先生」
こんな具合で、懐かれていった。一応友くんからアンパンマソ人形を借りてきていたけど、無用の長物になりそうだね。
お子様達の間でも、いや、寧ろお子様の間でこそ風邪とインフルエンザは猛威を奮っており、近くの小学校は学校閉鎖になってるそうだ。
そういや、信次の学校は大丈夫なのだろうか。大人びているとはいえ、ヤツもまだ子供である。我が家でも風邪対策をしっかりしなければならない。手洗いうがいは大事だぞ。
「抗体検査と喉の具合をみる限りでは、朝霞ちゃんはインフルエンザですね」
「ああ、やっぱり。病院来て良かったわ」
こんな具合に次々と患者様と落合先生は向き合っていった。
私の仕事はというと、主に裏方作業で、検査の案内、実施、採血などなど。
症状の重い患者様には、風邪、インフルエンザとは言え血液検査も併せてお願いする事があるのだ。
こんな看護師への指示出しも、医師の大事な仕事の一つ。落合先生もそこは頑張ってくださってる。
「と、看護師さん、時任さんですよね? つかぬ事をお伺いしますが……」
「はい、なんでしょうか?」
「深川先生って本当に酷いわね。こんな良い子を弄ぶだなんて……最初深川先生が診てくださる予定だったけど、お断りしたわ」
噂おそろしや。遂に患者様の耳にも届いてしまっていた。深川先生はなんも悪くないのに。こうなると深川先生本人にも、この噂は届いているに違いない。朝霞ちゃんのお母さんが断った事実もある事だし。
「ああ、それは嘘ですよ。深川は私も尊敬している最高の医師です」
「え、噂嘘だったの? 深川先生に悪い事しちゃったわね」
「私から深川に申し伝えておきますね」
お、落合先生フォロー上手い! そうだよ、落合先生と裏を取り合ってないけど、深川先生はなんも悪くないよ!
悪いのはどっちかというと私だよ! 1番悪いのは噂を振り撒いた女達だよ!
「お大事にして下さいね」
「ばいばーい、おちあいせんせ」
こうして、朝霞ちゃんとお母様は診察室を後にした。
「さて、亜美。俺も嘘だと思ったから朝霞ちゃんママにはああやってフォローいれたけど、実際どうなんだ?」
「勿論嘘だよ! 冴……のばらと私がお互いに深川先生を愛し合ってるだけなんだよ」
「何?! やっぱ深川先生弄んでるじゃん」
「違うったらああああ」
結局、落合先生が嘘と判断してくれるように、トイレ事件の内容を事細かに説明することになってしまった。
「まあ、何故か病院外にも嘘が広まってるようだし、フォローするように周知した方がいいな。皆嘘だって分かるだろうがな」
「だね、のばらも大丈夫かなあ」
「余計誤解を招かないといいけどな」
落合先生の予想は的中し、のばらが担当した麻生先生の診療でも噂の件は患者様に心配されたらしいが、のばらが「冴崎は深川先生を愛しているんですの!」と、高らかに宣言して、麻生先生にどっぷり怒られたようだ。空気を読まないこと山の如しすぎるもんな。
かくして多少の、いや多大なるトラブルはあったが、午後からの診療も幕を閉じたのであった。
早番の場合は、診療と申し送りが終わると同時に終了だ。
「今日も診療ご苦労様。何か申し送りがある人は挙手願おうか」
恰幅の良い出立ちに、バーコード髪を生やしたおじさんが語る。
この人は、この五十嵐病院の院長である五十嵐進先生だ。
噂によると、全種類の診療が出来ると言われているが、少なくとも内科と外科と精神科の三刀流だ。とは言え、五十嵐病院では圧倒的に外科医が少ないため、大体外科手術全般を行っている。
すると、院長の言葉に即座に反応したのは、意外な人物であった。
「あのー、俺が亜美と冴崎さんを弄んだって噂が広まってるようですが、2人とはそんな仲になった事はありません。俺は潔白です……!」
「ああ、その噂は嘘だろうな。まあ、ある意味、だがな」
「ある意味、って、院長!!」
「まあ噂は噂だ。みんなで深川をフォローしてやってくれ」
まさかの本人直々の申し送りだった。やっぱり深川先生の元に噂は届いてたかあ。
ただ、よくよく考えてみると、深川先生が私たちの気持ちに気付いて、好きだの嫌いだのをハッキリしてくれたらこうはなっていないのである。
まあ、私は妹扱いだから、気持ちがバレたところで現状は家族が壊れてしまうだけだからまだバレないでいてほしいし、もう少し女として扱って貰って惚れてもらいたい。
から、まだバレなくてもいいのだけど。
だけど、のばらは違う。少なくとも同僚とは見られているだろうし、いくらでも勝負できる。
仮に、いや現状女として意識されてなくても、告白さえしてしまえば、何かが動くのは確かだ。
妹扱いをされていて、そもそも恋愛対象外で、なんなら家族を壊しかねない私とは大違いだ。
ーーもしかしたら、のばら、告白するかな?
もはや天然記念物並みの鈍感深川先生に気持ちを伝えるには、告白しかないことは私にも解っている。
私にも動けばチャンスは……ないとも解ってるから、私は動けない。
そもそも、あんなに高らかに愛を告白する事の出来るのばらだ。本人を目の前にしても、そんなのは造作もないことだろう。
だが、意外なことに、のばらの行動は予想とは大きく違った。
「変な誤解されて散々でしたね。冴崎と深川先生はただの同僚ですのに」
「そうだよな。変な噂が流れたもんだ。亜美とも家族ってだけで、変な事はしてないのになあ」
グサッ。また空気を読まない事山の如し。あれ、でもまてよ? 深川先生の鈍感ぶりはいつもの事として、何故のばらはこの噂を利用しないのだろうか。
変に否定せず、「のばらは深川先生を愛してますの!」って、言っちゃえばいいだけなのに。
これは敵情視察が必要だ。私はすぐにのばらの側にかけよった。ひそひそごえで。
「ねえ、のばら、告白しないの?」
「おバカですの?! そ、そんな事、やだ恥ずかしい。まだ出来ないですわ……」
ん? 高らかに愛を叫んで麻生先生に怒られた人と、この可愛らしい乙女は同一人物なのか?
どうやら、人に宣言するのは余裕みたいだけど、本人にはまだ気持ちを言えないようだった。
つまり、私に残された時間は、のばらが告白をするまで。これが現状のタイムリミットだ。
それまでになんとか深川先生に、女として見て貰えるようにならなきゃ。
今までも努力してきたけど、それよりももっと努力しなければならない。
恋愛バトル、これは始まったばかりだ。
作者「こらー、草壁、田川、佐久!! 噂広めちゃだめでしょ?」
佐久「え、ある意味事実だからよくないですかぁ?」
作者「事実とは異なって伝わってるからあかんのだよ!」
草壁「私たちはちゃんと伝えましたわ」
田川「そうそう、勝手に勘違いする方が悪いのよ」
作者「嫌なおばちゃんたちやわあ。女ってこわ!」
深川「おかげで朝霞ちゃんママに診療断られるわ、あらぬ誤解を受けたり散々だった」
作者「ちなみに噂スキスキーズの本名はこんな感じです」
草壁 緑
ベテラン看護師。大体噂はこの人発信だったりする。
素直な子はすきなので、亜美とのばらには優しい。
田川 真智
薬剤師。実は深川先生が40まで独身だったら
もらってやろうと企んでたりした。笑
お局様でやんすが、薬剤師の腕としては確か。
佐久 穂波
会計係。深川先生の鈍さにイラついてる。
子供達にも常に愚痴ってる。
亜美「どうしたら、女として見て貰えるんだろう」