オレンジの香り
むにゃむにゃ、幸せだよ。京平。
でも今、身体が何か寂しいよ。
もう仕事に出かけたのかな? というより、今何時かな?
私はむっくりと起き上がる。
「むにゃ、10時半かあ。ちょっと早いけど起きるか」
私がリビングまで向かうと、お父さんがリモートで仕事をしていた。
お父さんの鬱も、原因が解決したこともあって、少しずつ快方に向かっている。
紹介状が岡山から届いて、五十嵐病院で最近受診をしたけど、麻生愛先生の提案で、少しずつ薬を減らしていく方針になったみたい。
それでもお父さんは元気だし、このまま寛解するといいな。
「おはよ、お父さん」
「おはよう、亜美。眠れたかい?」
「うん、ぐっすり眠れたよ」
「信次が朝ご飯作ってくれたから、温めて食べるんだぞ」
「本当いつもありがたやだよ」
私はお味噌汁を火にかけながら、焼いてくれた鯖をレンジで温める。
うーん、赤味噌のいい匂い。この匂いすきなんだよなあ。
今日はのばら遅番だから、のばらの分は取っといて、と。
よし、盛り付け完了。今日も美味しそうだね。
食卓まで運んで、っと。
「いただきます」
うん、鯖も良い焼き加減だよお。味付けも良い感じ。
お味噌汁は、やっぱり飲んでて安心するなあ。
美味しいなあ、幸せだなあ。
私、家族皆に幸せにして貰えてるな。
「亜美は美味しい顔してご飯食べるよな」
「あ、それ京平にも言われた。だって美味しいんだもん」
「こっちも元気貰えるよ」
「それなら嬉しいな」
私も家族を元気付けられているのかな?
なんか嬉しいな。
「ごちそうさまでした」
美味しかった。後は洗い物して、歯を磨いてっと。
私は自分の食べた分の食器を、さらっと洗った。
時間あるから、拭いてしまっておこう。
さ、歯磨きして顔洗って、寝癖直ししよ。
◇
「いってきまーす!」
「いってらっしゃーい」
病院に着いたら着替えて精神科に行かなきゃ。
残業できない事で京平は苦しんでいたから、それも麻生愛先生に相談して。
そもそも京平の双極性障害の原因は、仕事じゃないんだしね。
なんか、もっと根深いものがある気がする。
私の勘でしかないんだけど。
京平は、両親が亡くなったことがきっかけだとは言ってたけど。
私は病院に着いたあと、着替えて精神科に向かう。
京平が私の到着をチラチラみながら、待ってくれていた。
「お待たせ、京平」
「来てくれてありがとな。あー、勤務時間戻れ」
「残業くらいは許して貰えたらいいよね」
そんな話をしながら、私達は診察室に入っていく。
「深川くんお疲れ様。時任さんもありがとね」
「お疲れ、愛さん」
「よろしくお願いします」
「最近はどうだったかな?」
麻生愛先生は、京平をマジマジと見つめる。
「仕事に対する責任感からだと思うけど、ほら、この前鈴木先生が居なかった時。それが終わった次の日の休みで、鬱症状が出て。その前の日、手術中だったんだけど、最後まで立ち会わせて貰えなかったのが悔しくて、情けなくて」
「ありゃ。タイミング悪かったね。デートしたかったでしょうに」
「ずっと亜美は傍にいてくれたんだ」
「そっか。時任さん、優しいね」
「私も、傍に居たかったんです」
それは本当のことだよ。ずっと京平の傍にいたいから。
「俺の性格は変えられないから、せめて残業だけでも許して貰えないかなあって」
「私からもお願いします。京平は誰よりも責任感があるから」
「もう、しょうがないわね。残業だけよ。無理はしないでね?」
「有難うございます!」
良かった。これで京平が悩み苦しむ時間も減らせるね。
「深川くんの責任感あるとこ、私も嫌いじゃないしね。他に何か、悩みとかは無いかな?」
「打たれ弱い自分が嫌で、苦しいくらい」
そっか。気にしてたんだ、京平。
「それは京平の性格なんだから、無理しないで」
「少しは打たれ強くありたいし」
「そっか。悲観的にならないように、かな。相手が悪いことも全然あるしさ。自分が全部悪いって思わないでね」
確かに京平は優しいが故に、全部を受け止めてしまう。
だから棚宮のジジイとの関係も、かなり苦労していたもんね。
どう考えたって、あれは棚宮のジジイが悪かったのにさ。
「難しいけれど、少しずつ考え方を変えてみるよ」
「深川くんが悪いことは滅多にないし、仮にあっても時任さんがいるし、どっしり構えてなさい」
「いつでも頼ってね、京平」
京平の全部を受け止めるからね。安心してね。
「ありがとな、亜美」
京平は、優しく笑ってくれた。
「はい、診察は終わり。深川くんはしっかり休むのよ」
「愛さんもな」
「もち。この後風ちゃんとご飯いくもん」
「亜美もこの後仕事だけど、無理すんなよ」
「ありがとね」
「内科まで送ってくよ」
京平、自分のお昼もまだなのに送ってくれるんだ。
やっぱり優しいし、私との時間を大切にしてくれてるな。
「ありがとな亜美、フォローしてくれて」
「すごい思い悩んで泣いてたもんね」
「あの時は、自分が許せなくてさ。亜美のおかげで素直に泣けたよ」
「私が京平の傍にいたかっただけだよ」
これからもいろんな困難が待ち受けてるだろうけど、一緒に乗り越えていこうね。
「じゃあ、頑張れよ」
「ありがとね、京平」
京平は私の頭をクシャっとすると、更衣室に歩いて行った。
よし、私は仕事頑張るぞ!
◇
今日の私の仕事は巡回。新しい患者様も増えたし、サポート頑張らなくちゃ。
今から巡回する患者様は異能の患者様。
信次と同じように覚醒しちゃって、入院が決まったみたい。
カルテを見ると、午前中に京平が回診した時は少し落ち着いてたみたいだけど、今はどうかな?
「長谷部さんこんにちは。お昼担当の時任です」
「こんにちは。よろしくお願いします」
なるほど、オレンジの木を生やす異能かあ。
木が轟々と生い茂り、全ての木に美味しそうなオレンジが実っている。これでも落ち着いたのかあ。
「あ。良かったら、オレンジもいでってください。美味しいですよ」
「え、いいんですか? 有難うございます」
「寧ろもいで欲しいです。重たいんですよ」
長谷部さんは落ち着いた女性で、髪は1束三つ編みにされている。
今は絵を描いて過ごされてるようだ。
「深川先生にも、かなりもいでもらったんだけど、どんどん生えてきちゃうの」
「異能が落ち着くまでは大変ですよね」
そんなことを話しながら、私は長谷部さんから生えて来たオレンジをもいでいく。
確かにこんなにオレンジが実ってたら重たいよなあ。
「オレンジすきだから、便利な異能だと思って治療しなかったんですよ。そしたら、暴走しちゃって」
「強く念じると暴走しやすいらしいですもんね」
「そうなんですよ。お腹空いてたから、オレンジ沢山食べたいなって思ったら、やらかしました」
長谷部さんは画家さんで、普段は絵を描きながら生活をしているみたい。
で、お腹が空いたらオレンジを生やして食べるといった、ある意味自給自足をしているようだ。
私は念の為手を洗った後、長谷部さんの点滴を変えて、検査の為の血液を採取する。
と、オレンジが沢山入った袋を頂いた。もいだものと、新たに貰ったやつ。
流石にオレンジが山のようにあるので、一旦ナースステーションに戻った。
「あら時任さん、それは長谷部さんのオレンジね。まだ沢山実っちゃうみたいね」
看護師長が、まじまじとオレンジを見つめる。
「そうみたいです。長谷部さんから、皆さんで食べてくださいとのことです」
「ナースステーションの机に置いとくわね」
看護師長は小さな袋を持って来て、オレンジを人数分に分けてくださった。
私は検査室に長谷部さんの血液を預けた後、再び巡回を開始する。
オレンジの爽やかな香りが、私を元気付けてくれた。
◇
ふー、ようやく休憩時間だ。
今日の京平のお弁当は何かな?
そんなことを考えながら、休憩室に入ると。
「よ、亜美。お疲れ」
「京平もお疲れ様」
「亜美の顔みたら、なんか安心した」
京平の笑顔に、私も癒されたよ。
「そうだ、長谷部さんのオレンジ、亜美の分も貰っといたけど、なんか食いたいもんあるか?」
京平はオレンジを、私に見せながら呟く。
「ほええ。結構あるねえ。ケーキとママレードジャム食べたいかも!」
「おっけ。帰ったら作っとくよ」
「ふふ、楽しみ」
昨日もケーキ食べたんだけど、やっぱりケーキ大好きだからさ。楽しみ。
「それと、長谷部さんのことありがとな」
「ん、何のこと?」
「長谷部さんのオレンジ、全部もいでくれたんだろ? かなり大量に実ってたらしいのに」
「長谷部さん、辛そうにしてたからさ。少しでも助けになれたらなって」
あれだけ大量のオレンジが身体から生えてたら、そりゃ重たいもんね。
「俺が15時頃回診した時、それを嬉しそうに話してたからさ。流石亜美だな」
「当たり前のことをしただけだよ」
「そっか。亜美が素敵だから、俺の至らなさが際立つよ」
京平、悲しいこと言わないで。
「京平も素敵な人だよ。私、京平がいるから頑張れるんだもん」
私は身を乗り出した。
「亜美、そんな間近で語らなくても」
「語るよ。大事なことだもん」
大切な人が、至らないって歌うとこは聞きたくないもん。自信持って笑っていて欲しいから。
「あはは、ありがとな。元気貰えたよ」
「それなら良かった」
京平は一つ溜息を吐いて。
「俺、亜美に依存してるなあ」
「大丈夫。私が居なくなることはないから」
「うん、知ってる」
京平は優しく笑ってくれた。
ああ、何で今病院に居るんだろう。そうじゃなかったら、京平を抱きしめられるのに。
「帰ったら一緒に眠ろうね」
「風呂も一緒に入ろうな」
京平、愛してるよ。今一緒に居られるこの時が、本当に本当に幸せだよ。
家に帰ったら、沢山抱きしめるんだからね。
すると、京平は私の頭をポンっとして、照れながら喋り始めた。
「バカ、考えてること丸見え。楽しみにしてるけど」
「じゃあ、お風呂でも抱きしめるね」
「だから言わなくても通じてるってば」
亜美「京平、愛してるよ」
京平「ありがとな。俺もだよ」