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『弱』属性、後宮スパイとして抜擢される ~いやいや、普通の女官志望なんですけど~

作者: 無表情

 下唇を噛み、両の手に力を込める。


 彼からの信じられない発言に、私は間の抜けた声を出して聞き返しそうになった。


「返事はどうした、マリアベル」


 横柄な態度で急かされる。


 初対面のときの紳士的な雰囲気は何だったのだろうか。


「マリアベル」


 私はもう一度名前を呼ばれ、ふうと息を吐いた。


「つまり……この後宮で、スパイの真似事をせよ、と?」


「真似事ではなく、スパイをしろと命じている」


 そうですか、と私は頷き、一礼した。


「謹んで、お断りいたします」


「ではよろしく……え?」


「え?」



 ***



 森の国の第四王女、シャルロット様が砂の国の大王ハン・エリティトゥヤ様の七番目の妃として迎えられたのは、二週間ほど前のことだ。


 輿入れのタイミングでシャルロット様の侍女として雇われた私は、そのまま隣国でもある砂の国へとやってくることになった。


 絶世の美女で、伝説にある聖女の生まれ変わりとも噂されるシャルロット様。


 そんな方が嫁いでいくというので、豪華絢爛な披露宴はなんと三日三晩も続いた。


 しかし、古くから側仕えしていた者の胸中は不安でいっぱいだっただろう。


 実際、この結婚が政略的であることは誰の目にも明らかだ。


 魔石の取引は一向に進まず、他国の魔導具の発展にさえついていけない森の国は、もはや衰退するばかりである。


 シャルロット様の置かれた立場もかなり弱く、外交道具として差し出されたと考えるのが一般的だ。


 文句一つ言わず、この決定を受け入れてしまったシャルロット様のこれからが心配でならない。


 私は用意された狭い自室の窓を開け、埃っぽい土壁を軽く拭いたり、わずかばかりの日用品を引き出しにひとつひとつ仕舞って、気持ちを落ち着ける。


 侍女にはもちろん古参組も何人かいるが、やはりそれだけでは数が足りなかったのだろう。


 私のように急遽集められた弱小貴族の娘や、他の妃や派閥の思惑によって編入するよう要請された者たちまでいるらしい。


 気がつけば辺りが暗くなっていたので、私はほうっと小さな明かりを灯した。


 私の魔力属性である弱属性の魔法の火だ。


 かなり特殊な部類の属性だが、かといって重宝がられるわけではない。


 手のひらの上で揺れる青い火の玉は、森の国では魔法とすら見做されないような拙い代物だった。


 事実、あまりにか弱いそれは、同じく単体ではいまいち効果が弱い『暗視・弱』の魔法と併用して、ようやく光源として機能する有様だ。


 ちなみに、後宮では個人で魔法を使うこと自体が禁じられている。


 だがこれは魔導具の類だといえば信じてもらえるほどに微弱な力だ。


 ほんの少し使うだけなら、誰にも気づかれないだろう。


 実家のある森の国の東地方は特に魔法の発展した土地だったため、私は実質無能力者と同じ扱いだった。


 だから、両親なりに将来を憂いて私をシャルロット様の元へ送り込んだのだろう。


「わかっていますね、マリアベル」


「勿論です。お母様」


「とにかく堅実に、堅実にいくのです。目標は――」


「「宮廷女官」」


「結構。異国の地です。飲み水には気を遣って。体を壊さないようにするのですよ」


 国を発つ前の母とのやり取りを思い出しながら掃除を続けていく。


 侍女から女官への登用はちょっとした抜擢だが、夢物語というほどではない。


 無能力者なりに両親の想いに報いるには最適な目標と言えた。



 ***



 ふと、人の気配を感じて振り返る。手に持った青い火の玉は、すぐに吹き消した。


「誰かいるのですか?」


 返事はない。


 私は自室の扉へと近づき、キィ、と音をさせながらそれを開いた。


 廊下の先に立っていたのは”男”だ。


 後宮に出入りできる男は、宦官か、大王ハン・エリティトゥヤ様しかいない。


 私が立ち尽くしていると、男が振り返る。


「新しく入ったという、七の妃の侍女ですか?」


「はい。マリアベル・ウィンドピークと申します」


「ジェルード・カリヤハ、宦官です。連絡室長をしています」


 低く、それでいて柔らかな声だった。


 鼻筋は、切り立った山脈のようにまっすぐ通っていて、枯れ葉色の瞳は一層美しく、冬を湛えた秋の朝に似ていると、ふと思った。


「申し訳ありません」


 整った眉尻が、少しだけ下がる。


「この辺りの部屋は、もともと日当たりが悪く、物置のように利用していた場所もあるんです。少し、埃っぽかったでしょう?」


 私は首を横に振り、大丈夫ですと答えた。


「掃除は、私たちの仕事ですから」


「助かります。それでは」


 柔らかな微笑みを見せた後、ジェルード様は忙しそうに踵を返した。


 他の部屋の様子を確認したり、名簿通りに入室があるかどうかを確認しているようだ。


 私は無意識に、眉根を寄せている自分に気がついた。


 なぜだろう、とその部分を指でこすりながら部屋に戻る。


 ハッとするほどの美貌も、高い地位の割にやたらと腰が低く丁寧な口調も、優しそうな笑顔も、その全てが作り物めいていた。


 要は、胡散臭いのだ。


 私は決して人付き合いが得意ではなかったが、それでもなんとか貴族社会でやってこれたのは、この"胡散臭いセンサー"のおかげでもあった。


 ああいうタイプの人間に引っかかり、没落していった貴族を何人も知っている。


 できるだけ関わらないようにしよう。


 そう心に決めた私だったが、翌朝の集まりで彼は早速私の目の前に現れた。


 といっても、今日はいくらか距離がある。


 ジェルード様は壇上のような場所に立ち、七の妃、つまりシャルロッテ様付きの新参者に挨拶を始めたのだ。


 わっと、周囲が沸き立つのを感じた。


「なんてお美しい」


「宦官だなんて、もったいないわね」


 各々、好き勝手なことを言いながら、連絡手続きの説明を始めるジェルード様に頬を染めていた。


 私はやはり、グッと寄ってしまう眉根を指ですりすりと伸ばしながら胡散臭い、という気持ちを抑えきれずにいた。



 ***



「いたいた、マリアベル!」


 パタパタと駆け寄ってきたのは、私と同じくシャルロッテ様の侍女をしているカイーラさんだ。


 年は私より少し上で、いつもどこか忙しなく動き回っている。


「これ、お願いね」


 私は押し付けられた洗濯かごを手に持ち、あの、と声を上げた。


「たしか……今日の洗濯の時間は終わったはずじゃ……」


 砂の国では水が貴重だ。


 正規の水場を使える時間は、毎日きっちり決められている。

 もちろん、それも連絡室長であるジェルード様がはっきりと全員に説明していた。


「仕方ないでしょ、すぐに必要なんだから。それじゃあ頼んだわよ」


 ああ、そうそう。

 と、思い出したように振り返ったカイーラさんが意地悪く目を眇めた。


「時間外に水場を使うと、重たい罰が待ってるらしいわよ。それが嫌なら、他の妃の侍女たちに頭を下げて洗濯に使った後の汚れ水を集めて回るしかないわね」


 堪えきれず笑みをこぼしながら去っていくカイーラさんに、私は大きなため息をこぼした。


 本当に、どこの世界にもこういう人はいるものだ。


 私は社交的ではないし、与えられた仕事を静かにこなすタイプだから、意地悪のターゲットにされてしまったのだろう。


 洗濯かごを抱えながらひと気のない建物の影にやってきた私は、それを地面に置いて『浄化・弱』の魔法を使った。


 別に心に取り憑いた魔物が出ていくとか、呪われた土地が緑豊かに変わっていくとか、そういった類の"浄化"ではない。


 ただ、普通に洗濯した程度の洗浄効果が得られる、というだけの魔法だ。


「土汚れなんかは、よく落ちるのよね」


 私は一人呟いて、思わず自嘲する。


 人力でどうにかなる範囲のことしかできないのが弱属性の大きな特徴だ。


 便利でしょう、と私自身は思ってしまうが、そんなのちゃんと洗濯すれば済むじゃないと言われてしまえば終わりだった。


「カイーラさん」


 私は先程別れたばかりのカイーラさんを追いかけて、すぐに呼び止める。


「なぁに? 泣きついても駄目よ。ちゃんと他の妃のところに――」


 そう言ってまた意地悪く笑おうとしていた口が、ぎゅっと真一文字に結ばれた。


 それから私が持ち上げた洗濯かごの中身を一枚一枚確認すると「はっはーん」と視線をよこしてくる。


「さては、捨てて、入れ替えたわね」


「そう思うなら、もっとよく確認してくださいよ。記名入のものもありましたよ」


 ぐ、と悔しそうに顔を歪めたカイーラさんが、何をしたの!? と詰め寄ってくる。


 私はもちろん「洗濯をしました」とだけ言ってすっとぼける。


 それでもめげずに意地悪をしかけてくるカイーラさんを、私は都度、弱魔法で撃退した。


 温かい飲み物を用意したり、手紙の宛名書きをしたり、服のシワを伸ばしたり。


 何のひねりもない小さな意地悪は、なんと一週間近くも続いた。



 ***



「へぇ。これは驚いた」


 私がいつものように建物の影で弱魔法を使おうとしていたとき、ゾクッとするほど低く、かすれたような声が耳に届いた。


 こんな声の主を、私は知らない。


 慌てて振り返ると、そこには目を細め、眉をつり上げた宦官、ジェルード様が立っていた。


「もう一度見せてくれないか? ほら、さっきの」


 口調も態度も、まるで違う。


 尊大で、横柄で、威圧的だ。


 同じ顔から、全く別の表情が作られているせいで別人にも思えるほどだった。


「あの……私は、ただ、シミを落とそうと……」


「へぇ、魔法でシミが落ちるのか」


 魔法、とはっきり断言されてしまったことに、私は身を固くする。


 相手は連絡室長だ。


 上にどのように報告されるかはわからないが、良くて鞭打ち、悪質と見做されれば極刑もあるだろう。


「他には何ができるんだ?」


「……私には、このくらいしか」


「じゃあ初日に見た、青い炎は?」


 顔が引き攣る。

 あのとき、背後に人の気配を感じたのは、やはり勘違いではなかったのだ。


「申し訳ありません。処分は受けます」


「謝る必要はない。が、処分は受けてもらおう」


「……はい?」


 私が下げていた顔をあげると、そこにはやっぱり、胡散臭いあの笑顔が張り付いていた。



 ***



「弱属性、というのか」


 見たことがないな、と言いながらジェルード様が顔を近づけてくる。


「やっぱりどう見ても魔力で作り出した炎だ」


 私はフッと息を吹きかけ、青い火の玉を消して見せる。


「そもそも後宮というか王宮内では、大王陛下の砂魔法によってごく一部の者以外は魔力が封じられているはずなのだが」


「そうは言われても使えるものは使えるとしか」


「ふむ……」


 ジェルード様は顎に手をやり、難しそうな顔をする。


「お前に言い渡す処分が決定した。先日より後宮内で噂されている幽霊騒ぎの調査だ」


「幽霊騒ぎ……ですか?」


 私は訝しむように眉を顰めた。


「もちろん嫌なら引き受けなくても構わない。代わりの処分を下すまでだ」


 そう言って、ジェルード様は右手をぎゅっと握りしめた。

 誰が見てもわかる、鞭打ちの仕草だ。


「うっ……」


 もちろん、断れるはずもない。


「わかりました。調査はお引き受けします。しかし私なんかの魔法では、大した成果は得られませんよ」


「それは使い方次第だろう。魔力制限のあるこの後宮内においては、特にな」


 自信たっぷりにそう言われ、私は目を丸くする。


 皮肉でもなんでもなく、心から私の能力を信じているといった顔だ。


 初対面のときの胡散臭い気持ちが、少しだけ晴れた瞬間だった。


「そうそう、七の妃に関する報告も、忘れないように」


「シャルロット様が、幽霊事件に関係しているのですか?」


「さぁて、どうだろうな」


 くくく、と含み笑いをしたジェルード様に、私は首を傾げることしかできなかった。



 ***



「聞いた? あの噂」


 庭先の掃き掃除をしているとき、隣で草むしりをしていた侍女の一人が私に声をかけてきた。


 確か、名前はリリーメリーと言ったか。


「私、そういうのにうとくて」


 誤魔化して笑うと、リリーメリーもくすりと同調して立ち上がり、耳元に顔を寄せてくる。


「ゆ・う・れ・い」


「え!?」


 私は思わず大声を上げてしまい、すぐにシーッと人差し指で諌められてしまった。


「大声出したくなっちゃうのはわかるけどさ、今、仕事中!」


「ご、ごめん」


「いいわよ。でもびっくりよねぇ。幽霊なんて……本当にこの世にいるのかしら。外だったら、誰かが魔法でいたずらしてるのかな? なんて思うけど、ここは後宮だし」


「そ、そうね」


 私は無理に笑みを作る。


 にわかには信じられなかった幽霊調査という処罰、もとい仕事だが、本当にそういった噂が流れ流れてこんなところにまで来ているのだとしたらそれなりに問題だ。


「夜中に足音を聞いたって子もいるし、透明な人影を見ちゃった子は、翌日寝込んじゃったんだって」


 私はごくりと息を呑み、真剣にうなずく。


「聞いた話によると、他の宮の陰謀なんじゃないかって……新しい妃なんて、これまでの妃側からしたら面白くないじゃない? それも、絶世の美女」


 確かに、と私はゆっくりうなずく。


 このまま噂が大きくなれば、無関係な侍女が処罰されたり、国に帰されたりするかもしれない。


 その晩、私は意を決して陽動作戦に出た。


 もちろんジェルード様からも許可が下りた内容だ。


 まず、わざと怪しげな隠し事があるような動きをし続ける。


 侍女たちから午後のお茶に誘われても忙しそうに逃げたり、私物の書物を服の下に隠してみたりした。


 二、三日経った頃だろうか。


 また、背後に気配を感じる。しかし、今度は複数だ。


 作戦は上々のようだ。


 私は後宮のひと気のない一角に敢えて出向くと、集まってきた数人の宦官たちが私を取り囲むのにまかせて身を縮めた。


 瞬間、木々の間に身を潜めていたジェルード様が飛び出してきて、ハァッ!! と気を吐くような声を上げる。


「ぐぁあああ!!」


 次々と凍りつき、固まっていく宦官たち。


 私はすぐに身を翻し、ジェルード様の傍へと逃げ込んだ。


「氷属性の魔法なんて、生まれて初めてです」


「お前ほどではないが、なかなか便利だぞ」


 皮肉を言うジェルード様を睨みつけていた私は、あれ? とすぐに首を傾げた。


「たしか……魔法は使えないはずでは」


「ごく一部の者以外は、だ。そして俺はそのごく一部の者だからな」



 ***



「カイーラさんが、スパイ!?」


「ああ、間違いない。お前を襲った宦官たちを、しっかりいたぶって吐かせたからな」


 何でも無いことのように言うジェルード様だが、きっと恐ろしい拷問にかけたのだろう。


「お前も、色々と意地悪されていただろう」


「知っていたのですか?」


「後宮のことなら、何でもな」


 それも全ては、シャルロット様から侍女を遠ざけるためだったらしい。


 もしかしたら私以外にも、意地悪の被害者がいたのだろうか。


「お前の方は、全容をわかっていたわけではなかったのか?」


「はい、とは言えある程度わかっていたこともあります」


「ほう」


 にやりと口角を上げるジェルード様に対して続ける。


「まず、連絡室長のジェルード様がただの噂話を調べるとは思えないという点が一つ。


 でも、ただの噂話ではない、何かの思惑による仕掛けであるならば、噂を流す理由は?


 隠密裏に思惑を進めれば良いところを、わざわざ目立つ方法で誤魔化す必要があったのは何故か?


 ……と考えた時に思いついたのは、急がないといけないから、なのではという理由でした」


「そして急いでいる相手ならば安易な囮にも引っかかってくれる、と考えたわけだ」


 継いだ言葉に頷くと、ジェルード様は続けた。


「実際、幽霊騒動の正体は、雇った宦官たちだった。奴らが動きやすくなるよう、こんな噂を流したようだ」


 私はうつむく。


「そうまでして……一体何を」


「おそらく、急いで七の妃の身辺を探る必要があったのだろう。伝説の聖女の可能性があったからな」


「あ、あれは噂です! そのくらい、お美しいという……」


「だが、火のない所に煙は立たぬとも言う。実際に、聖女が大王の子を懐妊したとなると、国の権力図が激変してしまうからな」


「もしかして、ジェルード様が私に言った"七の妃に関する報告"というのも」


「もちろん、同じ理由だ」


 堂々と言い放つジェルード様に、私は呆れ返ってしまう。

 しかし、以前のように秘密で押し隠した笑顔を見せられるよりは、ずっと良いような気がした。


「しかし、"透明な影"の方はカイーラ達とは無関係のようだぞ。まさか本物の幽霊だと言うことはあるまいが……」


「ああ、そちらについても間もなく解決予定です」


ジェラード様の訝しげな表情を無視して、私は問題を解決するべくその場を去った。



 ***



「聞いた?」


「幽霊の噂でしょう?」


「なんでも、見た者は願いが叶うらしいのよ」


 私は間に入って、人差し指を小さく揺らす。


 できるだけ、得意げな顔を作って。


「まぁ、そうなの!? 素敵ね」


「今夜は見られるかしら」


 キャッキャと騒いでいる侍女たちは、しきりに"透明な影"について話している。


 私はひやりとしつつも、話に耳を傾けていた。


 というのも、その正体は私だったからだ。


『透明化・弱』を使って、夜中にあれこれと調べ物をしたり、勉強をしたりしていたのだ。


 女官を目指すための大変有意義な時間である。


 侍女の身では大手を振って立ち入れない宦官達の資料室なんかにも、透明化を駆使して立ち入ったりした。


 ところがこの透明化、厄介なのは光に照らされた影がしっかり見えてしまうという点だ。


 だから別の足音などのタイミングもあって、妙な噂だけが独り歩きしてしまったのだろう。


「ふあぁ」


 大あくびをした私は、また今夜も勉強をしなければ、と首を振って気持ちを新たにする。


 情報や知識は、魔法よりも強い。


 実家で、お父様に何度も聞かされてきた言葉だった。


 魔力の弱い家系で、どうにか爵位を維持するには、知恵を絞るしか方法がなかったのだろう。


 いつものように建物の影に行くと、これまたいつものようにジェルード様が立っていた。


「噂を上塗りしてどうにかしたから問題ないなどと、まさか思ってはいないだろうな」


「でも私は止めるつもりはありません。ジェルード様だって、幽霊を捕まえろとか、退治しろなどとはおっしゃいませんでした」


 ふっ、と息をついたジェルード様が、くくく、と楽しそうに声を漏らした。


「わかった。ではその幽霊の行動を咎めない代わりに、また別の任務を与えよう」


「……は?」


「后妃派のスパイ役だ。透明な影にはぴったりだろう」


 私は一礼して、しっかりと断った。


 人として当たり前のことだ。


「良いのか? 女官候補を選抜するのは俺の部署だぞ。今後のためにも、覚えを良くして置いた方が身のためだと思うがな」


「はっきり申し上げますが、気に入りません!」


「俺はお前が気に入った。マリアベル」


 伸びてきた手が、くっと私の顎を持ち上げる。


 秋色の瞳が、私の視界を落ち葉の絨毯のように染めてしまった。


「や、やめてください」


「いやだ、と言ったら?」


「宦官でなければ、はっ倒しているところです」


「何を言っている、俺は宦官じゃないぞ」


「は!?」


「王宮の密偵組織の長だ。太守の地位も与えられている」


「う、嘘です……そんな話……」


「じゃあ、確かめてみるか?」


 彼の指が、私の唇に差し掛かろうとしている。私の影に、彼の影が重なるのが見えた。

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