17
身体から痕跡を消してしまう光の靄。得てしまった新たな身体能力。自分が、ますますステファンに重なる。彼の酷い有様を目にし、最悪な発言を耳にした。想い人の存在を忘れてしまうという未来を、知ってしまった。
このまま警察に行けば、外に出られない。また、守られる保証もないだろう。得てしまった超人的な力は、いつか誰かを傷つけるだけでなく――狩ってしまうかもしれない。
押し寄せる不安の波に、打ちひしがれていく。それでも今は、家に帰りたかった。自宅に呼ばれている様な感覚は、嗅覚のせいだ。ただ自然に鼻をすするだけなのに、濃厚な香りが鼻腔の奥を突いてくる。そのまま身体の一部として染みつき、誘き寄せてくる様だ。
自分は人であり、その家の家族の1人として帰宅する。コヨーテではない。今は、そう言い聞かせながら、心身を居場所まで引き摺った。
*
ステファンは、アクセルから離れても、未だ何かに追われている様だった。何処を踏みしめても、何かを嗅いでも、自分が何を見ようとしているのか分からなかった。
広範囲にわたって森林を彷徨ってきた。聞こえる銃声と、そこに合わさる達成感に満ちた声に、いつからか、自分の方が狩られている様な気分に陥っていた。
忘れていた何かが、アクセルの発言と行動によって、引き出されていく。不意に脳内に蘇った当時の争いに困惑すると、瞬きで掻き消してしまう。
どのくらい走ったのだろうか。湿った黒い森を見回しては、漸く幹に背を預けた。空を仰いだ時、嵩張る枝の隙間から霧雨が落ちるのも余所に、見開く目に戸惑いが滲む。
鼻と肌を刺激する柔らかな雨風が、僅かな慰めをくれた。厚い雨雲は、今宵、月を見せるつもりはない。唯一の大きな灯がないという現実が、不安を一層掻き立てる。
アクセルに聞かされた何かの声は、よく通り、明るく、透けたものだった。動物達の声や匂いとは違い、別の刺激を持つそれは、勇ましく、胸を射抜かれた様だった。もっと思い出そうにも、失われていく。近頃感じたものよりも美しかったそれは、呆気なく消えてしまう。しかし、矢が刺さったままの様な感覚は、心に何かを残していた。
その不可解さが焦燥と震えになり、やがて怒号になった。頭部、胴体を木に打ちつけ、樹皮が削れるほどに足蹴を繰り返した。硬くなり果てた爪で、幾多もの痕を刻み続けた。
飛散する汗水に混ざる血の臭いよりも、覆い込んでくる痛みよりも、身体の深部から抉られる様な激痛に耐え切れず、吠え声や唸り声を上げた。
苦痛を聞きつけた銀のコヨーテが、何処からともなく現れると、ステファンに近付いていく。
ステファンは腰を抜かし、全身を震わせながらも、目は宙のどこか一点を見つめていた。視界の縁に、仄かな銀の光が見えると、それは身体を包む様に這い、傷や汚れを綺麗にしてしまう。
次第に身体が銀に染められようとも、心に刺さったままの何かは、喰い込んで外れなかった。銀の光に拭われずに留まった、身体のどこか隅にあるぼやけた声は、やっと瞬きを思い出させた。
「……ホリー?」
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サスペンスダークファンタジー
COYOTE
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