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Newと題した本章はNew Moonといい、「新月」を意味します。
リセットされた月は、再び満ちていく上での、新しい始まりです。
雨空は、起きたばかりの身体を刺激してきた。夕食が胃に残っていると分かると、それだけで嘔気が込み上げ、アクセルはバスルームに駆け込んだ。
昨晩の部屋での出来事が、夢なのか現実なのかがよく分からないでいる。例え難い細い音が脳を擽ると、そのまま頭痛を起こし、便器に被さらずにはいられなかった。洗面台からの独特な香りが、更なる不調の渦に引き込んでくる。妹と姉が使用するものに、ここまで匂いが強いと感じるのは初めてだった。鼻を突き、今にも捥げそうになる。前まではどうでもよかった事だったというのに、それは目が眩むほどで、苛立ちが込み上げた。そして、下で家族が用意している食事の香りを引き金に、胃が忽ち裏返される様に、全て吐き出してしまった。
顔を上げるのも束の間、タイルの壁に映る自分に一驚を上げてしまう。それと同時に、獣の威嚇する声がし、腰を抜かしては背中から壁にぶつかった。
耳を塞がずにはいられなかった。便器を覗くと、油膜の様に銀の液が浮いている。水銀をひっくり返した様な光景に、事件の記憶が掘り起こされた途端、拭い消さんばかりに洗浄レバーを何度も引いてしまった。
クリアになった景色に困惑が薄れると、大きく項垂れる。恐怖のあまり、証拠を流してしまった。この一瞬の出来事がまた、歪みながら再生されていく。それを振り切る様に、反射的に洗面台へ飛びついた。
蛇口からの流水が不快感を流していく。冷たさを求め、口内の苦みや固形物をゆすぐと、ようやく姿勢が安定した。だが――両眼が視界いっぱいに這い回る。引っぺがされた瞼も余所に、震える両手で鏡に触れた。そこに映る銀髪の自分に、息が上がってしまう。
「何だこれ……どうなってる……」
辺り一帯はモノトーンになり、髪と眼は淡い銀の光を放っているではないか。髪を毟ろうとしても、眼を擦っても、その色は払拭されず、焦ってドアノブに飛び付いた。握った拍子に我に返ると、そのまま鍵をかけ、どうにか情報の整理に努めようとする。
そこへ、妹がドアを叩いてきた。スティックで打ち続ける様に、大声で心臓を突いてくる。
「ちょっと開けてよ、お兄ちゃん! バスルームでボイトレは止めてって言ってるのに!」
だがアクセルは、呼吸に邪魔されて返事ができなかった。鋭く響く妹の声に耳が痛く、先程まで感じなかった途轍もなく熱い何かが、胸の奥から派生していくのを感じた。こんな小さな事で湧き上がる怒りは、まるで熱鉄の流れの様だ。
何か答えろと、己を叩き上げた矢先、荒い呼吸で散った飛沫が銀に光った。それに虫唾が走り、首を激しく左右させては、洗面台で頭から水を被った。
皮膚の上で、冷水と灼熱の争いを感じる。妹の些細な行動が招いた怒りは、度を超えようとしてくる。それを抑えるべく、己を取り戻そうと強く意識し続けた。そうしている内に、冷静さが怒りを呑もうとする。なんとしてでもこの銀の姿を取り払いたく、夢中で洗い倒した。
寒さもそっちのけに、夏の水浴びを彷彿とさせる爽快な気分を取り戻した時、アクセルは勝利を実感する。鏡には、いつもの自分と彩られた景色が映っていた。
呼吸を意識しながら、自分の異変をどう知ってもらうべきかを考える。ところが、ドアノブの忙しない音と妹の囃し立てる声に、どうしても邪魔された。
家族に、先程の姿をさらす気にはなれなかった。吐き出してしまう液体に触れてしまおうものならば、何が起こるのか。アクセルは激しい戦慄を覚えると、手の中に突っ伏した。
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サスペンスダークファンタジー
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