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手首の圧迫に、アクセルは息を荒げてしまう。相手を蹴り飛ばそうにも足に力が入らず、芝生だけが削がれていった。
「えらく臭うな……幾つ殺った……」
男の目が僅かに痙攣すると、掴む手は更に、アクセルの悲鳴を絞り出す。
「あいにくだがっ、俺等だって生きてんだっ! 食うためにはっ、ハンターだって要るっ!」
言い放つ最中、男の顔色が豹変した。人の形でありながら獣の威嚇を放ち、アクセルの声を払拭した次の瞬間――彼の手首に爪を入れた。
アクセルは激痛に身を捩る。抵抗する度に、男の爪が手首を抉った。まるで罠にかかって焦る小動物の様なアクセルに、男は、彼の手の甲にまで爪を立てていく。
アクセルは視界を遠ざけられ、痛みに声が嗄れていく。男の肩を力無く殴るも、目を疑う現象に、瞼が引き剥がされた。
男は、血に塗れる手も余所に、疲弊と恐怖に震えるアクセルに歯を鳴らす。胸の奥底から熱された感情が湧き上がると、血管を巡りだした。腕から手足、肩、首を流れるにつれ、筋肉が膨張していく。食いしばる歯が僅かに開くと、低い獣の唸り声を漏らした。火が燃え広がるが如く、瞳が灰色に染まると、そこに月を下ろした様に銀の眼光を浮かべ、丸い瞳孔が縦筋に変わった。焦げ茶色をした毛先から、次第に焼かれる様に、体毛が銀に染まりゆく。
アクセルは身動きできないまま、あらぬ現象に喉が締めつけられていた。涙も口も渇き、声を出そうにも、歯の激しい衝突が妨げるのだが、それでも絞り出した。
「よせ……家族がいる……殺すな……」
男の眼光は、ついに、アクセルの目を閉ざしてしまう。
「止めろ……あんたを……待ってんだよ……今でも……」
出血の恐怖と、手が失われる様な感覚に、目を開けられない。全身の力が、地面に吸い取られていく。膝が震え、崩れそうになるところ、男の腕にしがみ付いてしまう。その動きによる激痛に、撃ち抜かれた様に頭が眩んだ。視線が患部に向くと、更なる震えが込み上げる。そこには、溶けた金属がかけられた様な、熱を帯びた液が溢れ、滴っていた。
「はあっ!? 何だ! 何してっ……!?」
アクセルは絶叫した途端、底力が働き、男を身体で打ち払う。
そのまま、赤と銀に塗れた右手を掴むと崩れ落ちた。声も張れず、視界に数えきれない黒いドットが舞っている。そこに、銀の光が射し込んだ。
不意に現れたコヨーテが、芝生に横たわるアクセルを嗅ぎ回る。空腹のあまり荒げる息が、アクセルの耳にかかると、彼の顔を雨粒の様に濡らした。
肌を伝い、目にかかるそれを、アクセルは虫を払う様に乱暴に拭おうとする。銀の雫が、顔を伝って芝生に落ちた。
獲物がくたびれる様を、男は静かに見下ろす。眩い被毛を逆立てるコヨーテは、視線を両者に往復させては舌を出すと、興奮に息を荒げた。
それ以上の行動をしなくなった男は、あっさりと背を向ける。アクセルは透かさず左腕を伸ばすも、男を掴み損ねた。初見よりも一回り大きくなった男は、家の角を曲がると、気配を消してしまった。
そこへ、煙の様な銀の光が、風の如く地面から全身を這った。アクセルはとうとう視界を奪われると、首を落とした。
『連れを増やすとはなぁ……何を言われた……』
コヨーテの声など、男はまるで聞こえていない様だった。
母は、キッチンの窓から息子を呼んだ。しかし、花壇とコンポストの傍を見ても、姿が見当たらない。
「アクセル、早くしなさい。何やってるの?」
その横からソニアが、隣の窓を大きく開いて顔を突き出したのも束の間、悲鳴を上げた。
救急車のサイレンがあまりに大きく、胸が騒いだレイラは、家を飛び出した。反射的に隣の家を見た途端、アクセルの母が泣き喚く声に震え上がると、家に近付いていく。と、庭の影から現れた隊員達の合間から、担架が見えた。
「アックス!?」
横たわる彼の手元は、応急処置をされていながらも、出血が目立っていた。レイラは血の気が引き、救急車の照明に視界が霞められていく。
キャシーは事態に呆然としながらも、泣きじゃくる妹を抱き締めたまま、弟を母に任せた。
彼を遠ざけるサイレンに、その場は凍てついていく。不意に突風を受け、枝に手放された葉が舞う様に、さも当然の如く、日常は狂わされた。
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サスペンスダークファンタジー
COYOTE
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