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長時間の詰め込み練習ができるのは、明日で最後になる。パフォーマンスはどうにか仕上げられ、明日は更に微調整をする予定だ。その打ち合わせを済ませると、スタッフであるジェイソンとレイデンは、週末のイベント出場に、仕事として向かった。
時刻はまだ五時を回っておらず、解散するには早いだろうと、アクセルはブルースの家に共に向かう事になった。
ブルースの家は、アクセルにとって別荘に来た様に心地がいい。プロミュージシャンの父によって、地下にスタジオが設けられており、あらゆるギターに目移りしてしまう。
近くには森林公園が広がり、キャンプにバーベキュー、ドッグラン、ハイキングや狩猟といった、アウトドアを存分に楽しめる人気スポットだ。夜になると、持ち込んだ楽器で歌う声がする事もある。しかし、近頃の事件の影響で、いつもよりかなり静まっていた。
木材建築の一戸建てで、横に広がるテラスには、豆電球が装飾として灯されている。
「“おかえり” ……ああアクセル、久しぶり!」
リビングに来てすぐ、ブルースの母と会った。小柄で、黒いセーターを着た姿は、毛が多いせいでふくよかに見えるだけのミニ兎の様だ。
「“コンニチワ” ……あれ、違うな。夜は何だ…… “コンバンワ” だ!」
ブルースの母は喜んでそれに応えると、ゆっくりするよう言いながら庭に出て行った。そこには、洗濯物を運ぶバスケットが置かれている。
まるで別世界の様な空間に、アクセルの身体は一気に軽くなる。同じ庭でも大自然に囲まれたここは、木造なだけあってコテージとも言える。
「お前、緑茶いけたっけ?」
アクセルは大きく首を縦に振る。ブルースの影響で好物になったそれは、活動で温まったままの身体を冷やしてくれた。庭が見える窓辺に立っていたところ、ブルースは、そのままテラスにアクセルを誘う。
彼は何やら、袋を手にしていた。よく分からない角ばった複雑な文字が書かれており、おそらく日本のお菓子だろうか。
「ったく、甘いもんばっか。たまには“醤油”も食え」
ブルースは言いながら、ハードな音を力強く立てる。醤油に2度漬けされ、味の濃さを増したそれは煎餅で、ここではライスクラッカーと呼ぶものだ。
「……しょっぱ過ぎねぇ?」
アクセルは、驚きの塩味に顔を歪める。だが、出された緑茶で緩和され、口内は一気に爽やかになり、口当たりが癖になってしまった。
歌うのでもなく、演奏するのでもなく、自然の空気を吸いながら、ただ夕方を楽しむ時間になった。遠くから、肉や野菜の香りを絡めた炭の匂いがする。
「懲りない人達よ。こっちは毎日、震えながら生きてるってのに」
洗濯物を取り込んだブルースの母が、遠くのキャンパー達に小言を漏らす。どうやら、事件がありながらも他人事に捉えている人は、まだまだいる様だ。銃を背負った人までいると聞き、2人は目を見張る。
「狼男を探すって、むしろ盛り上がってるの。痛い目を見ないと分からないなんて、どうかしてるわ。あんた達も気をつけなさい。夜は特に」
※二度漬けの溜まり醬油の煎餅は、私の好物です。
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サスペンスダークファンタジー
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