16
*
――アクセルが保護されてから――
20XX年
時は束の間 微笑んだ
ホリーは、ドアのチャイムが鳴ったあの夜を思い出していた。
耳障りなノイズであったその音に、もう耳を塞ぐ事はしなくなっていた。だが、また悪戯だろうかという恐怖心が、ドアの前で足を竦ませ、胸を震わせた。
それでも、何かが違っていた。その時は、恐れながらも、ドアを開けようという力が湧いたのだ。そして、いざノブを引くと、紙屑が舞い込んだ。
細長く折られたそれを広げた途端、声を上げる間も無く崩れ落ちた。
“貴方達の香りだけが頼りです。ステファンは今も貴方を愛し、守りたがってる”
封じていた全ての感情が狂い咲き、途端、桶を返した様に止め処なく涙が溢れた。たったの1行が、骨身を軽くする。
いつか、リスクを背負ってでも自ら森へ向かい、夫を探そうと考えていた。2人の失踪が起きた日のウェブ配信を忘れたことはない。銀の光に染め尽くされていようとも、この目に飛び込んだ映像の様に生きる彼は、夫だとすぐに分かった。
遠くても、近くにいる。それが分かった事こそが、冷静さを取り戻せる大きな良薬になった。
未だ外に出る事は控えていても、再び捜索活動に積極的になっていた。アクセルがもたらした大きなキッカケこそが、最大の後押しになった。
後に、アクセルが、自分の講義の受講生の弟であったと分かると、その家族と連絡を取らずにはいられなかった。世間がくれるものは、温かい眼差しや言葉ばかりではない事を、自分は身に沁みて知っている。だからこそ、いち早く彼の家族に会いたかった。
以前と変わっている夫に、自分と息子の位置を知らせる手段は、いたってシンプルだった。新たな決め事の継続は、毎日だと難しかった。
だが今夜は、不思議な感覚がした。時間だけでなく、気持ちや力にも余裕があるようで、足が軽やかだ。
ホリーはコートを羽織り、バケットハットを目深に被ると、静まった住宅街に忍び出る。今日は長く歩けそうだ――そう、胸を躍らせながら。散歩に出る時は決まって、なかなか生まれようとしない息子は、腹の中で上機嫌に動く。
誰の気配も感じない深夜の散歩が、清々しい朝の様だった。太陽の代わりに見下ろしてくる、少しばかり欠けた月もまた、家族の時間に光のアクセントをくれる。
互いにしか聞こえない、蟻が囁く様な声で、息子が好きな鼻歌をうたった。その日が来るのが待ち遠しいが、夫もまた、慎重になっているのかもしれない。あれからメッセージが届いていないが、きっとどこかで、鼻をひくつかせているのだろうか。と、新鮮な笑みが込み上げる。
「坊や……私達は、幸せよ……」
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サスペンスダークファンタジー
COYOTE
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