14
アクセルは、地面に滑り落ちるや否や、顔を上げた。そっと目を開いた時、夥しい数の痛みと悲しみが滲むと、灰色の視界が燻みはじめる。1粒が、銀の瞳を洗い流し、目元に目一杯まで溜まって零れた拍子に、色付いた世界が広がった。
土の冷たさや、草木の香りを感じながら、身体を起こしていく。その時、耳を擽る多種多様なメロディーに、はっと振り向かされた。そして
「銃は持つな。抵抗するようなら、眠らせる事に徹しろ」
3人の警官が足早にやってくるのを聞きつけた。その時、彼等よりも先に茂みを掻き分け、木々の合間を縫って現れたのは、細身の女性警官だった。
アクセルは息を殺し、匍匐前進で距離を取る。彼等が先程の騒ぎを聞きつけたとすると、やはりあの事態は現実なのだろうかと、頭で思い返していく。
では、黒い陽炎を纏う男も実在しているという事になる。しかし、その彼は一体どこへ行ってしまったのか。身を潜めながら、視線を這わせる。
自分やステファンの事を気にかけ、クランチを先駆者と呼んで撃ち消してしまった様子から、確実に何かを知っているに違いない。
そしてふと、首を傾げた。どこか苦しそうにしながらも、笑みを絞り出し、懸命に話していた様子が引っ掛かる。
アクセルは、静かに深呼吸を繰り返した。どういう訳か、これまでとは比べ物にならないくらい、身体が軽くなっている。胸の奥から込み上げる熱は、骨や肉を変えようとするものではなく、懐かしいものだった。
数々の懐かしすぎる感覚に対し、どんな表現をしていたか、思い出そうにも追いつけない。だが、咄嗟に口を押さえた手の隙間から、涙と共に零れ出たのは――
「寂……しい……」
錆びてしまっていた表現は、連なる蔦を引く様に、みるみる溢れ出した。忘れ去られた恐怖や悲しみ、孤独に怒り、冷たい、温かいという感情は、最後、“愛おしい”というものに変わった。
アクセルは弾みで立ち上がる。湧き出る記憶は、視界を熱く曇らせていく。もう、そこから匂いなんてしてこなかった。そんなものに縋らなくても、よくなった。
「レイラ……?」
警官達の接近も構わず、アクセルは茂みから飛び出すと、ライブ会場の柵を目指して駆け下りた。
「ブルース! レイデン! ジェイソン!」
もう、忘れてしまっただろうか。自分を恨んでいるだろうか。銀の呪いに侵食されたあまり、いつしか、彼等の事をそんな風に思いながら森で生きるようになった。そのことすら自分は、今この瞬間まで忘れてしまっていた。身体のどこかに閉ざされていた思い出の栓が抜け、末端まで一気に満たされていく。
「父さん、母さん! ソニア! キャシー!」
だけど実際は、誰も忘れてなどいない。自分が託した願いを、皆は受け入れ、実行してくれた。音を送り、探すという事を――
アクセルは柵に飛びかかり、登りかける。獣として生きていた間についた癖は、一向に言う事を聞かず、手足は滑り落ちてしまう。
先行していた女性警官は、茂みから飛び出した巨大な影に肩を弾ませ、足が竦む。まるで熊が現れた様な事態に、みるみる身体が硬直した。見兼ねた背後の警官達は、彼女を追い越していく。
駆けつけた警官達は、柵にしがみつきながら、何やら多くの言葉を喚く人物を取り押さえた。
1人の警官が、アクセルの名を呼んで確認をする。アクセルは、絡みついてくる腕を乱暴に振り解いてでも、ステージ上の彼等から目を離さなかった。
3人の警官は、アクセルの凶暴的な抵抗をどうにか抑える。その時、地面を静かに踏みしめる足音を聞きつけ、アクセルは大きく振り向いた。
「……アックスなの?」
パトカーの照明の点滅が、彼女の姿を微かに引き立てた時、飛び込んだパフォーマンスの爆音に押される様に、アクセルは前傾になった。
「レイラ……!? レイラ、俺だ!」
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サスペンスダークファンタジー
COYOTE
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