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僅か数秒が経ち、30メートルほど先の一戸建ての屋根の上に、クランチが湯気の如く現れた。涼しい顔で座り、鋭い眼差しで急かしてくる。
人の気配がない住宅街は、見るからに時が止まっている様で、歪な空気が漂っていた。
防犯カメラに映らないようにと頼みはしたが、周囲で何が起きているのか、アクセルは見当もつかなかった。
先に進めば進むほど、周りの家から漏れる灯の温かさや、食事の香りがした。森林で感じるところの、生き物達の息吹きと同じに思えた。
だが、歩いていて何となく気づいた。自分やクランチの存在感は、きっと、ここにはないのだろうと――
ドアの前までやって来ると、アクセルは深呼吸した。この決断を信じ、頼るしかないと、息を呑む。ポケットから、辛うじてスペースが残されていた手帳のページの端を取り出すと、細長く折り畳み、玄関下の隙間に差し込んだ。そして、呼び鈴を鳴らしてすぐ、その場から駆けた。
元居た公園の茂みを通過するのも束の間、クランチが既に先を歩いていた。
『向こうがドアから出た瞬間、腹ごしらえじゃねぇのか。宝庫はてっきり、あん中だと思った。あそこからは、もっと美味い匂いがした。こちらに似て癖の強ぇ、よくできた肉の匂いだ』
「……それは、お前のじゃない。宝庫はその道を下って出た、街の最初に見えるアイスクリームの店。裏口に、サンデーで使う大量のコーンフレークがある」
クランチは眼を輝かせ、足を止めると、舌を垂らして息を荒げた。
『お前はいらないのか?』
「暇じゃねぇんだよ。次の宝庫を探す身にもなれ」
アクセルがクランチに流し眼を向けた頃にはもう、そこには何の姿形もなかった。
溜め息を吐くと、また、手帳を開いた。それに目を通すと、心が和らぐようだった。時と場合に応じて身体を変えるのにも慣れた今、文章を読むのも流れる様になっている。だが、コヨーテの姿から戻り、姿を水面越しに見た時は、混乱するようになった。先程向かった住宅街や、一戸建てのドアを前にしても、そこに住む人間と自分が同じだった事を疑ってしまう。それでも、手帳が示す言葉に籠められた感情が、道標になった。
今は、心に湧き上がる熱のままに動くしかない。険しい顔で瞼を閉じると、手帳を仕舞った。そして、すっかり石の様になってしまった2種類の機器に触れた。それらが何で、どの様なものだったかは、分からない。だからといって、捨てられなかった。それらにこそ、濃く付着している匂いがあるからだ。いつか、次の行動に繋がるかもしれないような気がしていた。
フードを目深に被ると、アクセルは再び、深い森の奥へ姿を消した――
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サスペンスダークファンタジー
COYOTE
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