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エントランスから、ロッカーが並ぶ廊下を越えてすぐ、音楽室がある。そこは広く、オーケストラ楽器が中心に並ぶ部屋だが、それに加えて、バンドセットもしっかり揃っている。
部屋の中央辺りまで引き出されたドラムセットは、主がいるものの、静かに佇んでいた。
ここでは10時から、数組のバンドの楽曲提出を控えている。それまでは教師も時間が空いており、今や外部の人間になった元生徒を前に、コーヒーを飲みながら過ごしていた。
「表紙のドラマーも随分な歳なのに、若いな」
教師の呟きに、雑誌を読む元生徒が、ゆるい笑い声を返す。
朝陽を微かに受けるシンバルの光が、目深に被る黒キャップの鍔に、程よく遮られていた。その下でページを捲る彼は、眼鏡越しに、詰まった文字を読み進める。
定期購読するドラム雑誌には、昨今のニュースも掲載されていた。大統領選の話題は、相変わらず沸騰している。投票日が迫るとまた、デモ行進や、ボランティア活動に加わる生徒も増えるだろう。いつかの社会の時間では、立候補者側の視点を考えるという目的のもと、スローガンや動画を用意し、演説をしてみるという時間があった。政治に深い関心がある生徒の出来栄えは、まさに、テレビを見ている様だった。実際に投票も行い、当選したグループには、教師に菓子を奢られた事もある。
彼はそんな事を思い出している内に、近頃の話題である、猟師が襲撃されるという事件の記事に、瞬きを忘れていた。
“何かに感染し、狂暴化している様にも見える生物の捕獲は、叶っていない。各地域には、山を散策しないよう警告が出されているが、未だ規則違反者が後を絶たない。彼等をその気にさせるのは、危険生物の他、「正体不明とされる人影」の情報だ。
被害者の発言である「当時、迫り来る生物以外にも、人と思しき影が周辺を走った」という情報が、新たに世間を騒がせている。その何らかの影の正体が、今年に入ってすぐに失踪した男性医師ではないか。そんな噂が影響しているようだ。しかし、そこに信憑性はない――”
真剣に文字を追う目元には、薄い皺と、影ができていた。瞼が重いせいで、瞬きも半端になる。
彼は、スネアの上に雑誌を置くと、タンブラーのブラックコーヒーを流し込んだ。
「その反面、君は僕よりも老け込んでるようだが、それは職場で上手くいってるって事でいいのか。僕がそんな顔になる時と言えば、週末に子どもの相手をした時くらいだが」
「前夜にステージがあるってのに、呼び出しを喰らったもんで」
その返しに、教師は可愛がる様な笑みを浮かべる。
「そいつは気の毒だ。卒業した君は、レベルチェックなんて無関係なのに」
笑われる彼は、つい零れたあくびを覆うと、仕方なく生やしたままの髭に触れた。
疲労が解消し切れていないのは当然だった。メンバーで唯一の卒業生であり、地域で最も大きなライブハウスのエキストラドラマーとして働きながら、バンド活動をしているのだから。
「性格からして、自分のバンドなんて持たないと思ってたけど?」
「メジャーデビューで返せって、言ってありますよ」
彼は掠れた声で答えて咳払いしながら、グレーのスウェットシャツの裾で眼鏡を磨いた。その姿に、教師はまた笑う。
一時的に老けて見える彼の物静かな笑い声もまた、履き込んだスニーカーに落ちていく。笑みが増えたのは、何だかんだ、メンバーのお陰だった。
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サスペンスダークファンタジー
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