87話 ネゴシエーター・アーチェ
「これは……」
あまりの急展開に言葉に詰まる。
メッセージアプリに表示されたその文面を、僕は何度も目でなぞった。
文字としては読める。意味も分かる。
けれど、脳がその事実を拒絶しているかのように、すぐには現実として理解できなかった。
「つまり、誘拐……ってことにゃ?」
覗き込んだアーチェが、尻尾を逆立てて低い声を出す。
その言葉が引き金になったのか、シスター姿になったベルの顔は青ざめ、全身が小刻みに震え出した。
視線は虚空を彷徨い、心ここにあらずといった様子で、うわ言のように何かを呟いている。
「……なんてことだ……なんてことだ……」
「ベル――」
僕が声をかけようとした瞬間、ベルは何かを決意したかのようにカッと目を見開き、そして孤児院の出口に向かって走り出した。
「――ちょっ!」
僕は懸命に手を伸ばし、彼女の腕を掴もうとする――が、彼女の勢いに押されて指がするりと抜けてしまい、間に合わない。
「ミア!」
「あいよ!」
僕の呼びかけに素早く反応したミアが、床を蹴って飛び出す。
小柄な体躯を弾丸のように放ち、ベルに後ろから抱きつくようにしてその動きを止めた。
「離せっ! 離してくれっ!」
「うわった、っと! 大人しくしろって!」
僕らを引き剥がそうと暴れるベル。
でも、小柄なミアを振りほどくどころかホールドされた腕を緩めることすらできていない。
『第2位階』を自称していたけど、身体能力とは無関係ということなのだろうか。
「落ち着きなさい! シェリー!」
それでも、なおもミアを引き剥がそうと暴れるベルに、パウロの鋭い声が飛ぶ。
先程までの穏やかな彼からは想像もつかない、芯の通った叱責だった。
「うううう……でもぉ」
パウロの言葉でベルの抵抗は一気に弱まっていく。
張り詰めていた糸が切れたように力が抜け、彼女はへなへなと床に座り込んでしまった。
「気持ちは分かります、シェリー。ですが、あなた一人が駆けつけてどうにかなるような状況ではないのでしょう?」
パウロは膝をつき、ベルの肩に手を置いて子供を諭すように優しく言葉を掛ける。
「うん……」
「ならば、いつものあなたらしく、冷静に考えましょう。温かいカフィーでも飲みながら、ね」
「……うん」
ベルが小さく頷くのを見て、パウロは僕たちの方を向いた。
「みなさんも、夜通し起きていてお疲れでしょう。この辺りで一息いれませんか?」
「ちょっと待ってくれ神父さん。あんたは何をノンキなことを言ってるんだ! 子供たちがさらわれたんだぞ!?」
モーレッドが信じられないといった顔で声を荒げる。
彼の正義感からすれば、お茶を飲んで休憩するなど論外なのだろう。
「だったら、すぐにでも行って助け出さないと!」
「ええと、あなたは……」
「モーレッドだ。このパーティーの『正義』を担当している」
知らない間に担当制ができていた。
ミアも「正義?」を首をひねっているが、今は突っ込んでいる場合じゃない。
「……モーレッドさん、私も子供たちを取り返したい気持ちは同じです」
パウロは静かに、けれど痛切な響きを含んだ声で言った。
パウロのほうが長く過ごしている分、情も移っているだろうし助けたい気持ちも強いはずなのに。
それでも彼が、懸命に冷静さを保とうとしているのが伝わってくる。
「ですが、彼らの要求は引き換えにシェリーとロイドさんを差し出せ、というものです。とても応じられるものではありません」
「しかも、二人だけで来いって書いてあるし、全員で押しかけたら却ってみんなが危ないかも……」
と、ミアも悔しそうに唇を噛む。人質を取られた状況での強行突破がどれほど危険か、彼女も分かっているのだ。
「くっ……悪者め、なんてヒキョーなマネを……」
拳を握りしめるモーレッド。
行き場のない怒りが、その場の空気を重くする。
「どっちにしても、時間は必要よねー」
その重苦しい沈黙を破ったのは、ベルだった。
多少冷静さを取り戻したらしい彼女が立ち上がり、スマートフォンを操作し始めた。
「今度は何を?」
「んー? ディグニクスにメッセージを送ろうかなーって。少し時間がほしいし」
確かに、時間は欲しい。態勢を立て直し、作戦を練るための時間が。
けど、実際のところそれは難しいんじゃないかと思う。
現状の主導権は完全に相手側にあるわけで、何かを企んで準備できるだけの時間をむこうが与えてくれるとは考えにくい。
「えーと……ちょっと待って、と」
僕がそんなことを考えている間に、ベルは指で画面を擦るように操作し始めた。
スマートフォンはああやって文字を書くらしい。
「ちょ、ちょっーとストップにゃ! おにゃあさん、一体なんて送る気にゃ!?」
考えた文面をぶつぶつと呟くベルに、横から覗き込んでいたアーチェが慌てた様子で『待った』を掛けた。
「え? ちょっと待ってー、って」
そう言って画面をこちらへ向ける。
文面は、ベルの言った通り『ちょっと待って』のままだった。
それを見たアーチェは頭を抱えてよろめく。
「さ、さすがは『災禍を断つもの』にゃ……またしても……。今度はシゴデキ風ポンコツだったにゃ……」
どうやら、ベルの文面は大きく間違っているらしい。
『時間が欲しい』と伝えたいだけなのに、一体何がおかしいというのだろうか――?
*
それから少し時間は進み、僕たちは教会内の談話室に集まっていた。
テーブルを囲み、重苦しい空気の中で作戦会議が始まる。
目下の課題は、『いかにタイムリミットまでの時間を引き延ばすか』。
誘拐された子供たちの救出のために、すぐにでも動きたいのは山々だけど、だからといって僕らの身柄を差し出すわけにもいかない。
廃鉱山へ行き、人質の子供たちを安全に助け出し、神の僕のディグニクスを倒す。
そのためには準備や根回しの時間がどうしても必要だ。
なのでここは、我が『災禍を断つもの』……いや、この国でも屈指の交渉テクニックを持つ猫商人・アーチェにそのミッションを託すことにした。
その彼女が見た、この事件の首謀者、ディグニクスの印象は――
「――にゃあの見た限り、コイツ、交渉事はド素人にゃ」
とのことだった。
予想外の評価に、僕たちは顔を見合わせる。
「え、そうなの!?」
「にゃ。思わせぶりなことを書いているだけで中身はスカスカにゃよ。簡単に言えば、『カッコつけてるだけのバカ』にゃ」
「バカ!?」
思わず、モーレッドの方を見てしまう。
いやいや、あの神の僕だよ?
裏で暗躍する、不気味な謎の集団。そんな組織の一人が、バカだなんて。
そんなこと、あるわけが――。
「バカってことあるかよ! ちゃんと手紙が書けてるじゃねえか!」
うん、流石にうちのはレベルが違った。手紙が書けるだけで賢い判定らしい。
いやまあ、それは置いておいて。
「みんにゃ勝手に焦ってるけど、そもそも時間が書いてないにゃ」
アーチェがスマートフォンの画面を指差す。
「そりゃあそうだけどさ、一刻も早く来い! ってことじゃねえのかよ」
そう、僕もミアと同意見だった。
あえて時間を書かずに、こちらを焦らせる作戦なのかな、と。
「それじゃ意味がないにゃ。何時までに来い、来なければ1時間ごとに子供を一人ずつ……みたいのが普通の『脅迫文』にゃよ。こっちができる限り急いで向かったのに人質が殺されてたりしたらどうなると思うにゃ?」
「それは……まあ、交渉どころじゃないかも」
約束を守る気が失せるというか、破れかぶれで突撃するしかなくなる。
「その通りにゃ。戦闘になって、生け捕りにしたかった対象をうっかり殺しました、なんてなったら無能どころじゃないにゃ」
アーチェは呆れたように肩をすくめる。
なるほど。脅迫というのは、相手に『従えば助かるかもしれない』という希望を与えつつ、恐怖で縛るものなのか。
「確かにねー。あーし、ぜんぜーん思いつかなかったわー」
ベルは「元が陰キャだったしなー、あーし」とかよく分からない事を言ってるけど、どうやら彼女はあまり人と関わるのが得意ではないらしい。
「要求に逆らったらとんでもないデメリットがある、と相手に伝わって初めて『脅迫』は意味があるのにゃ」
「まあ、あーしたちのコピー元が生きてた時代はそーゆー犯罪を連想させるよーなコンテンツは規制されてたからねー。できなくても無理はないかもー」
たぶん、僕も含めて脅迫文なんて書いたことも受け取ったことも無い人ばかりだろう。
ベルたちの『元』が生きていた時代もあまり見ることの無いものだったみたいだ。
「それで、そのスマートフォンって人具はこっちからも文字を送れるんにゃ?」
「うん。できるよ」
「じゃあ、今から言う内容で送るにゃ」
アーチェの目が、商談モードの鋭い光を帯びる。
「……言ってみて」
「『取引に応じる。ただし、時間についての指定が無いため期限は3日後とされたし』……とにゃ」
「3日って……! いくら何でも無理だろ!」
すかさず、ミアのツッコミが入る。
僕も、相手を怒らせてしまうだけのような気がするけど……。
「これは向こうのミスにゃ。相手のミスは徹底的に突くのが交渉にゃあよ」
「送ってみる」
ベルは忙しなく指を動かし、文字を入力していき、最後に勢いをつけてターン! と叩いた。
その後、わずか数秒で――
「――わ。もー返ってきた。『3日後はだめだ』、だって」
「今度はこう返すにゃ。『それなら、いつまでなら待てる?』とにゃ」
アーチェはニヤリと笑った。
なるほど、これが『交渉』なのか……。
相手に主導権があるようでいて、実は選択肢を絞り込ませている。
この手練手管を見て、「やっぱり僕には商売とかはできそうに無いなあ」と改めて思ってしまったのだった。
*
交渉の結果、タイムリミットは明朝6:00まで、ということになった。
アーチェの活躍によって丸一日の猶予を得たことになる。
「これで『向こうが決めた条件』に時間がセットされたことになるにゃ」
「その時間までは絶対に子供たちには手出しできないってことか」
「驚いたよー、アーチェさん。本当に大したものだねー」
ベルが感心したように言う。
これだけの時間を稼げれば、できることは大幅に増える。
「こんなの、大した事ないにゃ。それより、他にも考えることが山積みにゃ。ここから先は隊長に任せるにゃあよ?」
そう言って、アーチェが僕に指揮権を返してきた。
ここからは僕の仕事。どうやって廃鉱山を攻略し、みんなを助け出すか。
「ありがとう、アーチェ。じゃあ次は――」
僕が廃鉱山の地図を広げようとした、その時だった。
「――ちょ、ちょっと待ってくれないか、ロイド殿」
次の議題に移ろうとする僕を止めたのは、おずおずと右手を挙げるアズライトだった。
ああ――そういえば、すっかり忘れていた。
客間でスヤスヤ寝ていた彼女をベッドから引っ張り出し、ろくに理由も話さないまま「ここにいて」と椅子に座らせていたんだっけ。
案の定、話についていけなかった彼女はきょとんとした顔をして人形のようにずっと座っていた。
「戦いで足を引っ張った上に、今まで眠りこけていた私が言えた話では無いのだろうが……一体、何が起きているのだ」
ガランドの人たちを巻き込むわけには行かないこの作戦。
作戦終了までは近辺を立ち入り禁止にするなど、役場を動かせる権限を持つ彼女の協力はどうしても不可欠だ。
しかし、あのアズライトに、神の僕の一人であるベルについて一体どう説明すれば良いものか――
この話は実はメチャクチャ難産で、何度も書き直したせいで毎日投稿が途絶えてしまいました……。
貯め込んでいたプロットや原稿のラフ版を正月期間で使い果たしてしまったので、今後はちょくちょく投稿できない日が増えてくる可能性があります。
なので、更新を知ることができる便利なブックマーク機能をそろそろご検討いただいたほうが良いかもしれません。
では、次回もお楽しみに!




