第84話 ベリア・マスグレイブの記憶・4
穏やかだった日々は、季節が巡るよりも早く過ぎ去っていった。
地下の隠れ家には、再び重苦しい空気が沈殿し始めている。
原因は、膠着する戦況と、開発の行き詰まりだった。
政府軍の包囲網は日に日に狭まり、壊滅に追いやられたレジスタンスの拠点は既に二桁に達する。
頼みの綱である対抗プログラム『S.E.R.V.A.N.T』の開発も、決定的な壁にぶつかっていた。
深夜のラボ。
モニターの青白い光に照らされたヴェルトが、画面を見つめたまま乾いた声を出す。
「……ダメだね。これじゃ、ただの狂戦士だ」
画面上のシミュレーションでは、仮想S.E.R.V.A.N.Tが神具管理システムに侵入し――
その直後、周囲にいる『神具を持つ人間』を無差別に攻撃し始めていた。
敵も、味方も関係なく。
「対象の識別信号を無視しておるな。『神具=エラー』という定義に従い、所有者ごと排除しようとしている」
シュタイン教授が深い皺を刻んで唸る。
今回テストしたのは、ヴェルトたちが急造したダミー人格AIだ。
論理的には十分かのうと思われていたが、結果はただの殺戮プログラムにしかならなかった。
「やはり、疑似人格では限界か……」
ジンが眼鏡を外し、疲れたように目元を揉む。
「『論理』しか知らぬ知性に、世界の命運など任せられん。これではワクチンではなく、ただの劇薬だ」
老体の身を削りながら実装を進めてきたシュタインでさえも、失敗を認めざるを得ないほどの結果だった。
システムに介入し、複雑に絡み合った因果を解きほぐすには、0か1かの論理だけでは足りない。
必要なのは、人間の倫理観。すなわち『魂』だ。
彼らは改めて、残酷な結論と向き合わざるを得なかった。
*
翌日、幹部と各班の代表者が会議室に集められた。
その中には、先日壊滅した第3支部から合流した男、ジーゴの姿もあった。
迷彩服の下から覗く包帯が、彼の潜り抜けてきた環境の過酷さを物語っている。
「……現状は説明した通りだ」
ジンが淡々と告げる。
「S.E.R.V.A.N.Tシステムを完成させるには、人間の人格データをOSとして組み込むしかない。……だが、これは倫理的に大きな問題を孕んでいる」
沈黙が落ちる。
自分と同じ思考を持つコピーを生み出し、永遠にシステムの中で戦い続ける運命を背負わせる。それを誰に強要できるというのか。
「……だったらよ」
沈黙を破ったのはジーゴだった。
彼はテーブルをコツコツと叩きながら、濁った目でジンを見る。
「どうせ人間を材料にするなら、もっと手っ取り早い方法があるぜ。……ウェイザントの研究施設じゃ、『想具』ってのを開発してたらしいじゃねえか」
想具。
その単語が出た瞬間、ベリアの眉がピクリと動いた。
神都の遥か西にあるレジスタンスの研究施設で開発されたという、忌むべき兵器。
PM技術を悪用し、人間の精神と心の波長信号、つまりは『魂』をそのまま兵器に転用するという仕様を聞いた時、正気を疑った。
しかし、それが実戦で目覚ましい成果を上げたということもあって、一部では『戦術』の一つとして数えられるまでになってしまっている。
「魂そのものを引っこ抜いてサーバーに送り、粘土みたいにこねくり回して、最強の『武器』に作り変えちまう……。そっちのほうが話が早い。ワクチンなんてまどろっこしいモンより、政府軍を物理的に叩き潰す『力』が欲しいんだよ」
彼の言葉に、ジンが表情を凍らせた。
「……君は根本的に勘違いをしているな」
「あ?」
「人間を『モノ』に加工しろと言うのか。それは科学じゃない、冒涜だ。我々の目的は破壊や殺戮ではない。世界をあるべき姿に戻すことだ」
「何を、この青二才がっ……! 現場の痛みも知らねえくせに……!」
ジーゴが立ち上がろうとするのを、同席していた仲間が止める。
彼らにとってはS.E.R.V.A.N.Tも、崇高な理念の結晶ではなく、単なる『兵器の一つ』でしかないのだろう。
「……適合率上位者のリストだ」
ジンが場を制し、モニターに名前を表示させた。
ランディ、ベリア、アントニオ、シャディア……。
開発の中核を担うエンジニアたちの名前が並ぶ。
分かっていたことだ。
ベリアは自分の名前を見ても、心を動かさなかった。
システムを理解し、その負荷に耐えられるのは、作り手である自分たちしかいない。
「まずはこの中から選ぶことになるのだが……」
ジンが言葉を詰まらせる。
誰かを指名することなど、できるはずがなかった。
「……ジン」
重苦しい沈黙を破ったのは、ランディだった。
彼はリストを見つめたまま、静かに、けれどはっきりとした声で言う。
「このリストにはないが……推薦したい人間がいる」
「……誰のことだ」
「ジェーンだ」
ベリアは顔を上げた。
ジンが眉をひそめ、シュタイン教授が眼鏡の位置を直す。
「ジェーン君を? いや、しかし……言いたくはないが――」
「――わかっている」
シュタインの言葉に対し、ランディは淡々と言葉を継ぐ。
「あいつの体じゃ、もう現場は無理だ」
「ランディ、君は……」
ジンが痛ましげな目で友人を見る。
「だったら、なにか一つでも役に立たせてやりたいんだ」
「気持ちはわかる。だが、これはそんな高尚な話じゃない。彼女のコピーを作り、終わりのない戦いに巻き込むということだぞ」
「分かってるよ」
「なら、なぜだ。……僕が言うのもなんだが、今ならまだ間に合う。投降して、正規の病院で治療を受けさせれば――」
「無理だ」
ランディは、ジンの言葉を遮った。
感情的になるでもなく、ただ事実として否定した。
「俺たちの『反抗ポイント』を知ってるだろ。推奨された職を蹴り、住居を拒否し、パートナーのマッチングを破棄し続けた。……もう、レッドゾーンなんてとっくに超えてるんだよ」
彼は乾いた笑いを漏らした。
「今さらおめおめと出て行っても、待ってるのは一生出られない収容所送りだ。二度と会えない場所に引き離されて、あいつは一人で死んでいく。……そんな最期を、あいつにさせろって言うのか?」
誰も何も言えなかった。
ここにいるメンバーの大半が、似たような境遇だ。
社会のレールから外れ、戻る場所を自ら焼き払ってここまで来た。
「昨日、話したんだ」
ランディの声が、少しだけ震えた。
「あいつが言ったんだよ。『ただベッドの上で終わるのは嫌だ』って。『エンジニアとして、最後まであなたたちの役に立ちたい。未来に繋がるナニカになりたい』って」
彼はテーブルの上で組んだ手に、ぐっと力を込めた。
「俺のエゴだとは分かってる。でも……二人で決めたんだ。あいつの命を、無駄にしたくない。頼む、ジン」
頭を下げることはしなかった。
ただ、その瞳が、悲痛なほどの決意を訴えていた。
ジンは天を仰ぎ、長く息を吐き出した。
眼鏡を外し、掌で顔を覆う。
数秒の後、彼は眼鏡を掛け直し、冷徹なリーダーの顔に戻っていた。
「……シュタイン教授。ジェーンの最新の数値を」
「……適合率B。基準値はクリアしている。……理論上は最適解に近い」
「決まりだ」
ジンの声が、会議室に響いた。
「S.E.R.V.A.N.T計画、第1号被験者は……ジェーンとする」
ベリアは、それを俯いたまま聞くことしかできなかった。
人格データをOSとして使うことへの葛藤。
それが自分の中で消化しきれていなかった彼女は、この場で何かを発言することにすら、腰が引けてしまっていたのだ。
*
会議の後、ベリアが足を運んだのは医療区画だった。
倉庫の一角をカーテンで区切っただけの、簡素な病室。
そこにあるのは、ほんの少しだけ上等なベッドと、旧式のモニタリング装置だけだ。
ベッドの上で、ジェーンは携帯端末を操作していた。
ふくよかだった体型は枯れ木のように細くなり、肌にはあちこち黄疸が浮かんでいる。
ベリアが入室すると、彼女は端末から顔を上げたジェーンは柔らかな笑みを見せた。
「……あら。お疲れ様」
「……あーす。調子、どーすか」
ベリアは努めていつも通りの調子で、ベッドの脇まで近づく。
「ほら、ベルちゃん」
ジェーンはだらしない後輩の姿を見て苦笑すると、もう少し近寄りなさい、と手招きをする。
「またヨレてるわよ。……女の子なんだから、もう少し気を使いなさいな」
そう言いながら、後輩の白衣の崩れた襟元を慣れた手つきで直してあげた。
「……あー、ちょっと忙しくてー。たはは」
いつもの、何気ないやり取り。
この数年、二人の間で繰り返されてきた日常の一コマ。
その変わらない温かさが、今のベルの胸には鋭く、深く突き刺さった。
「……あー。そのー」
「ふふ、例の件でしょ?」
「まー、そーすね」
「あなたも止めに来たのかしら? それとも、励ましに?」
「いや。なんてーか……怖くないのかなー、て」
ベルがここへ着た理由。
もちろん彼女の見舞いというのが第一ではあったが、それと同じくらいジェーンに聞きたいことがあったのだ。
いくら自問自答しても出せなかった問いの答え。
自分以外の何かが自分と同じ思考を持って動くことに恐怖を感じないのか、と。
「ねえ、ベルちゃん。私ね、嬉しいの」
「……嬉しい、すか」
「だって、私、エンジニアだもの。この体が動かなくなっても、データになって……みんなの役に立てるのよ?」
彼女の言葉には、狂信的な響きはない。
ただ、あまりにも穏やかで、透き通っていて、それに触れただけでも壊れてしまいそうな――そんな危うさも同居しているようで。
「ただ壊れていくのを待つより、新しい形になって……ランディやみんなの夢を、一番近くで支えられるのよ? システムの中なんて、エンジニアにとっては特等席じゃない」
「あーしもそう考えようとしました。でも――」
「――そうね。ベルちゃんの言う通りよ。怖くないと言えば、嘘になる」
ジェーンは剥き出しの配管が走る天井を見つめた。
「でも、何もしないまま、ただの『死体』になるほうが、ずっと怖いわ」
彼女はベリアの方を向き、悪戯っぽく笑った。
「それにね。私が上手くいけば、みんなも後に続きやすくなるでしょう? 最初の実験台くらい、先輩に任せなさい」
――例えば、自分が全く同じ立場になったとして、今の彼女と同じ顔ができるだろうか?
ベルはこのとき、研究所の頼れる先輩から、何か大事なものを渡された気がした。
「……ガツン、とたのんます」
「ええ。任せておいて」
カーテンの外に出たベリアは、決意を新たにする。
躊躇や迷いなんて、この計画のために犠牲になっていった仲間たちへの冒涜だ、と。
後悔や良心の呵責なんて、全部終わってからすれば良い。
決して『何でもあり』ではないけれど、『やれることは全部やる』。そう決めた。
*
それから更に数日が過ぎた。
ジェーンのデータ抽出準備が進む中、ラボの空気は少しずつ、だが確実に変質し始めていた。
休憩スペースでは、ジーゴたちがにやにやしながら話し込んでいる。
「おい、聞いたか? 例のSSランク、マジで来るらしいぞ」
「へえ、そりゃすげえ。そいつがいりゃあ、政府軍の拠点の二つや三つ、簡単に落とせるんじゃねえか?」
彼らの口から出る言葉は、もはや『世界を変える』といった理想ではない。
自分と反対側に立つ人々を『叩き潰す』といった、原始的で直接的で単純な『力』への信奉。
S.E.R.V.A.N.Tも、彼らにとってはただの『強力な兵器』でしかない。
ベリアはコーヒーを流し込みながら、胃のあたりが重くなるのを感じていた。
何かが、決定的にズレていっている。
その時、エントランスの方からざわめきが聞こえた。
「おい! 戻ってきたぞ!」
「連れてきた! SSランクの亡命者だ!」
ジーゴたちが弾かれたように立ち上がり、出口へと殺到する。
ベリアも、カップを置いてその後を追った。
エントランスホールには、偵察部隊に囲まれて一人の青年が立っていた。
シンプルな黒いシャツに、スラックス。
長くも短くもない特徴のない髪型をした黒髪に、整った顔立ち。
「やあ。君たちが『自由の翼』かい? 歓迎ご苦労様」
彼こそが、SSランク神具持ちの『リムダ』だ。
「お待ちしておりました! あなたの力があれば、我々は百人力です!」
ジーゴが興奮気味に握手を求める。
リムダはにこやかにその手を握り返した。
「僕で良ければ、喜んで力を貸すよ。……この退屈な世界を変えるためなら、ね」
その場が、一気に沸き立つ。
最強のカードを手に入れた高揚感。これで勝てる、という安直な希望。
だが、ベリアだけは、寒気を感じていた。
遠巻きに見るリムダの笑顔。
目じりは下がっているし、口角も上がっている。完璧な笑顔だ。
なのに、どうしてだろう。
まるで、精巧に作られたお面を見ているような、生理的な不気味さがある。
ふと、リムダの視線が巡り、ベリアの方へ向いた。
いや、正確には、ベリアの足元に隠れていたメルエルへ。
「おや。可愛いお嬢さんもいるんだね」
リムダが歩み寄ってくる。
メルエルが、ビクッと体を震わせてベリアの白衣を握りしめた。
「……あ、あのひと……こわい……」
メルエルの小さな呟き。
子供の直感は、時に大人よりも鋭い。
ベリアは無言でメルエルの前に立ち、視線を遮った。
「……何の用っスか」
「いやいや、挨拶だよ。そんなに警戒しないでくれよ」
リムダは両手を上げて、無害さをアピールする。
だが、その瞳の奥は、笑っていなかった。
興味深そうに、あるいは値踏みするように、ベリアたちを観察している。
「……ここは、面白そうだね」
彼が小さく呟いた言葉を、ベリアの耳は拾った。
「壊し甲斐が、ありそうだ」
それは、希望の光などではない。
もっとタチの悪い、混沌そのものが転がり込んできたのだと、ベリアは直感した。
次回もお楽しみに~!
もうちょいで過去編終わります(願望)




