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第83話 ベリア・マスグレイブの記憶・3


 地下に潜って数ヶ月。

 『自由の翼』の拠点である地下データセンターは、ついこの間まで混沌の象徴のような場所だった。

 研究機材と生活ゴミとストレスと怒号が混在する、無機質で殺伐とした空間。

 それが、たったの二人増えただけでここまで変わるとは、誰が予想しただろうか。



「……いやー、エグいす」


 ベリアは呆れと尊敬と羨望と、ほんの少しの嫉妬が入り混じった笑顔を浮かべていた。


 彼女の視線の先には、整然と片付けられた共有スペース。

 飲みかけのコーヒーカップや、いつ誰が食べたか分からない即席食品レトルトの残骸が散乱していたはずのテーブルにはもはやチリ一つ落ちていない。


 続いて、自分の周りに視線を向ける。

 床に直置きされていた資料や本やストレージデバイスなど諸々の山々は、キャビネットに分類され、必要なものがすぐに取り出せるようになっていた。


 そして、何と言っても空気が違う。

 澱んでいた地下特有のカビ臭い匂いに代わり、今では食事時になると胃袋を優しく刺激する、()()()()料理の香りが漂うようになったのだ。


「ベルちゃん、お疲れ様。休憩?」


 声をかけてきたのは、エプロン姿の女性――サラだった。

 ジンの妻であり、このどうしようもない技術者集団の中に飛び込んできた、有能過ぎる常識人。


「あ、サラさん。……いやー、なんか、すいません。あーしらの散らかしたの、全部片付けさせちゃって」


 ベリアは頭を掻きながら、素直に礼を言った。

 彼女たちが研究に没頭している間、サラは一人でこの広い拠点の家事を一手に引き受けていたのだ。


「ううん、気にしないで。私には難しい計算やプログラムは分からないから。せめて、皆さんが気持ちよくお仕事できるように環境を整えるくらいしかできないもの」


 サラはエプロンで手を拭きながら、柔らかく微笑んだ。

 その笑顔には、疲れよりも充実感が滲んでいる。


「それに、散らかった部屋じゃ良いアイディアも浮かばないでしょう? ジンさんも、昔から片付けが苦手だったから」


「あー、先輩も昔からそうすねー。机の上、雪崩なだれが起きる寸前でしたしー」


「ふふ、そうでしょ? だから、これが私の『仕事』なの。……あ、いけない。鍋が吹いてるわ。じゃ、また後でね」


 去っていくその背中を見ながら、ベリアは小さく息を吐いた。

 優秀な研究者や工作員が集まったこの場所で、誰も気にも留めなかった『生活』という基盤。

 それを支える彼女は、Sランクの戦闘能力やAランクの頭脳よりも、今のこの場所には必要不可欠なものに思えた。


 *


「みなさーん! ごはんですよー!」


 研究室ラボの入口から、明るい声が響いた。

 ジンの娘、メルエルだ。

 11歳になったばかりの彼女は、母親とお揃いのエプロンをつけ、人数分のパンとシチューが乗った大きなお盆を持ってみんなの席を回っている。


「はい、シュタインおじさま! ごはんです!」


「む……。ああ、すまないね」


 普段は眉間に深い皺を刻み、誰彼構わず当たり散らしているシュタイン教授が、メルエルの前では毒気を抜かれたような顔をしている。

 彼は慌てて机の上の図面を端に寄せ、メルエルが食事を置くスペースを作った。


「ありがとう。……君は本当に良い子だ」


「えへへ。お仕事、がんばってくださいね!」


 メルエルはにっこりと笑うと、次は隣の席へ向かう。

 そこには、Fランクの天才少年、ヴェルトが猫背で画面を睨んでいた。


「ヴェルトお兄ちゃん、ごはんだよ! 熱いから気をつけてね」


「……ん。そこに置いといて」


 ヴェルトは視線も合わせずにぶっきらぼうに答える。

 だが、メルエルがいなくなった途端にシチュー皿を引っ掴んで、スプーンを忙しなく動かし始めた。

 以前は『食事なんて時間の無駄』などとうそぶいていた少年が、画面も見ずに、食べることだけに夢中になっている。


「……空気って、ここまで変わるもんなんだー」


 ベリアは椅子に寄りかかりながら、その光景を眺めていた。

 地下に潜伏し、いつ捕まるか分からない恐怖と、終わりの見えない開発作業。

 張り詰めていた糸が、彼女の笑顔一つで解けていくようだ。


「ベルちー! はい、どうぞ!」


 メルエルがベリアの元へとやってきた。

 お盆には、湯気を立てる具だくさんのシチューと、焼きたてのパン。


「ありがとー、メルちゃん。……偉いねー、ちゃんとお手伝いして」


「うん! お母様やお父様のお手伝いができるの、たのしいから!」


 メルエルは胸を張って答える。

 『お父様』『お母様』。

 その育ちの良さを感じさせる呼び方は、この殺伐としたアジトには不釣り合いなほど上品で、それがまた皆の保護欲をそそるのかもしれない。


「さあ、さめないうちに食べてね! ベルちー、いつもお仕事おつかれさま!」


 メルエルはぺこりと頭を下げると、タタタッと簡易キッチンのサラの元へ戻っていった。

 ベリアは受け取ったシチューを一匙ひとさじすくい、舌に染み込ませる。

 誇張抜きで、涙が出そうな味だった。


 *


 数日後、PMプログラマブル・マター班から連絡を受けたベリアはラボの一角にある『テストエリア』へと足を運んだ。


「ああ、ベリアさん。これはいいところに」


「あ、ども」


 ベリアに声を掛けてきたのはPMプログラマブル・マター班に所属する技術者、マズールだった。


「急で申し訳ないんですが、ちょっと立て込んでまして。少しの間、テスト対象の経過観察をお願いできませんか?」


「えー? あーしがー?」


「ええ。じゃあ、頼みましたよ」


「あ、ちょ」


 よほど忙しかったのか、それとも横柄で生意気なAIの相手などゴメンだ、とも思っていたのか。

 男は返事も聞かずに部屋を出ていってしまう。

 バタン、と閉じたドアに向けて伸ばす手が空振りに終わったベリアが、『仕事を押し付けられた』と理解するまでにはさほど時間を必要としなかった。


『ケケケ、ボサッとしてるからそうなンだよ』


 ベリアの背後から声がする。

 気を取り直した彼女が振り向くと、そこには逆さまの格好で胡座あぐらをかいているミニチュアサイズの悪魔が浮かんでいた。


「いやー、あれはいきなりすぎて無理でしょー」


『ま、俺様としてもオメーのほうがほんのちょーっとだけマシだけどな』


「それはどーも」


『あのジジイ、俺様の話を聞きやがらねえんだ』


 ベリアはデビーの愚痴を聞き流しつつ、改めて彼の姿を凝視する。

 ホログラムやARではなく、間違いなく実体としてのデビーがそこにいる。

 ジンによって確立された技術――空気中に漂う魔力をプログラム制御によって固着させ、質量を持たせるPMプログラマブル・マターによって実体化した、『デビー』が。


「経過観察、って何すればいーんだろ」


 ベリアが近づくと、空中に浮かんでいた小悪魔――デビーが、180度回転して向き直った。


『ケッ。んなもん知るかよ。さっきのジジイは接触テストがどうのこうの言ってたぜ』


 相変わらず憎まれ口ばかりなその声は、スピーカーからではなく、実体化した喉から直接響いてくる。

 質感も、動きも、本物の生物と見紛うほどの完成度。


「へー。接触テスト、ねー」


 ベリアの人差し指がデビーの頬をつつく。


『あ、コラ、やめろ』


「えー、じゃー、くすぐっちゃおうかなー」


 指をそのまま脇の下へと持っていき、こちょこちょこちょ~と撫で回す。


『ぎゃ、ぎゃはははは、や、やめ、コラ。ぎゃはは』


 初めての『接触テスト』に、デビーはあっさりと過剰エラー反応を出してしまった。

 あらら、これでは『不可』だよね、と更なる追加テストを実施するベリア。


「ほれほれー」


『あひゃ、あひゃ、ぐひゃひゃひゃ!』


 なんて無駄な機能を……とベリアは自分たちのしたことに戦慄しつつも、いつもの毒舌に対するささやかな仕返しを堪能する。

 そして、デビーが涙を流して痙攣けいれんし始めたところで――


「わあ……! 動いてる! 本当に生きてるみたい!」


 ――と、しゃがみこんでいたベルの肩越しからひょっこりとメルエルが顔を出したのだった。


 メルエルは目を輝かせ、恐る恐るデビーに近づいていく。


『お、おい。な、何だオメー。い、今の俺様に触るんじゃねえぞ。近づいたら、こうだぞ』


 さらに自分を甚振いたぶる加害者が増えたと思ったのか、デビーは息を荒げながらも「シュッシュッ」とシャドーボクシングをして威嚇いかくしていた。


「あ、あの……こんにちは。私、メルエルっていうの」


『あ、ああ。知ってるよ。ジンのガキだろ? 毎日毎日パタパタ走り回りやがってよー。おちおち()()()()もできやしねえっての』


 デビーは腕を組み、ふんぞり返って悪態をつく。

 だが、メルエルはそんな言葉には怯まなかった。

 彼女はずっと、大人ばかりのこの地下で『友達』を求めていたのだから。


「ねえ、デビーくん。……私と、お友達になって?」


 メルエルが、上目遣いでデビーを見つめる。

 純粋で、真っ直ぐな瞳。

 その視線に、さすがの毒舌AIもたじろいだようだ。


『は、はあ!? と、友達だぁ!?』


 デビーは空中で後ずさりし、顔をしかめる。


『おいおい、勘違いすんじゃねーぞ。俺様はな、崇高すうこうな目的のために作られた超高性能AI様だぞ? 人間ごときと馴れ合うつもりはねーよ』


「……ダメ?」


 メルエルの眉がハの字に下がり、瞳が潤む。

 その破壊力は抜群だった。

 デビーの目が泳ぎ、しどろもどろになる。


『う、ぐっ……。だ、ダメとは言ってねーけどよぉ……』


「本当!? じゃあ、なってくれるの!?」


 パァッと表情を輝かせるメルエル。

 デビーはバツが悪そうに頭を掻き、咳払いをした。


『……ちっ。仕方ねえな。だがな! 俺様と友達になりたいなら、条件があるぜ!』


 デビーは人差し指を立て、偉そうに宣言する。


「条件?」


『そうだ。俺様は偉いんだ。だから……そうだな、俺様には敬語を使え!』


「けいご?」


 メルエルが小首を傾げる。

 11歳の彼女には、まだ馴染みのない言葉だったのかもしれない。


「けいごって、何?」


『あ? あー……そうだな、ほら、あれだ。語尾に「です」とか「ます」とか付けるやつだよ!』


 デビーの説明に、後ろで聞いていたベリアは思わず吹き出しそうになった。

 それは敬語というより、ただの丁寧語だ。しかも、かなり雑な。


 だが、メルエルはその言葉を真剣に受け止めた。

 彼女は姿勢を正し、真面目な顔で頷く。


「はい! わかりました、です!」


『……ぶっ』


 今度はデビーが吹き出した。

 『分かりました』に、さらに『です』を付けた奇妙な言葉遣い。

 けれど、メルエル本人の眼差しは至って真剣そのものだ。


「これでいいですか、です?」


『……く、くくく。ま、まあいいだろう! 合格だ!』


 デビーはおかしさを堪えるように震えながら、尊大にうなずいた。


『今日からお前は俺様の子分1号だ! 光栄に思えよ、メルエル!』


「はいっ! よろしくお願いしますです、デビーくん!」


 メルエルは満面の笑みでデビーの手を握りしめ、ぶんぶんと振った。

 デビーは「くん付けすんな!」と文句を言いながらも、その手を振り払おうとはしない。


 ベリアはその様子を眺めながら、自然と口元が緩むのを感じた。

 無機質なプログラムと、純粋な少女。

 奇妙な友情の始まり。なんて、微笑ましい光景だろう。


 その一方で、彼女はこんな事を考えてしまうのだ。

 今の時点で、この状態が続いていくフローチャートは、まだ存在しているのだろうか――と。


 *


次回はいよいよ、S.E.R.V.A.N.T誕生!頑張って更新します!お楽しみに!

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