第82話 ベリア・マスグレイブの記憶・2
体制に反抗する。
理想を求めて現実と戦う。
文字だけ見ればとても刺激的で、無為に過ごす毎日を変えてくれる魅力的な言葉に聞こえるだろう。
でも、やっぱり現実というものはどうしても強くて、大きくて、抗うことすら多大な犠牲を求められるものである。
あの平穏だった『選定の日』から1年――
その間、レジスタンス側から見た状況は悪化する一方だった。
目に見えて取り締まりが強化され始めたのは夏が過ぎる頃。
秋が深まる頃にはついにテロリストグループの拠点の一つが摘発されたというニュースが流れる。
そして、ジンたちの研究室に当局の捜査の手が伸び、彼らが地下に潜ることを決めたのは年が明ける頃だった。
なんとか監視の目を掻い潜りながら春を迎え、そして今年も『選定の日』がやってくる。
国民にとって羽目を外せる数少ない1日。
そんな日も、『自由の翼・技術開発局本部』では薄ぼんやりとした壁面照明の中、キーボードをタイプする音が響き渡っていた。
「ベル、顔色悪いぞ。少し休んだらどうだ」
「あーしは平気す。ここ、暗いすからねー」
そう言う彼女の目の下のクマはファンデーションでは隠しきれないほどになっている。
それを照明のせいにして誤魔化す彼女に、すっかり白髪と苦労ジワの増えたランディは「なら良いんだが」とだけ返した。
体制側にテロリストと呼ばれ、指名手配犯として追われる身となって数ヶ月。
最終的に彼らが潜伏先として選んだのは神都の地下、神都に暮らす数百万人分のクラウドデータを記録する巨大データセンターの一角だった。
今では勝手に配線をつなぎ、ターミナルをクラッキングし、操作ログを常にダミーのものとすり替えるバッチを流すなど、あらゆる手口を使って巨大なリソースを我が物顔で使い倒している。
「ちっ」
持ち上げたマグカップが空になっていたことに気づき、ベルは舌打ちしつつ立ち上がる。
その時、搬入口の方から歓声が聞こえた。
「何でしょーね」
「ああ、おそらく調達部隊が帰ってきたんだろうな」
「へー。何狙ってたんでしたっけ」
今回の『調達』は彼らの命運を決めるほどに重要な作戦のはずだった。
それでも、自分のタスク以外にあまり関心が向かないベルの反応は実に薄い。
「いや、ジンも言ってただろ。政府が開発した最新型情報端末だよ」
「あー。あのスマートフォン、ってやつっすかー」
コーヒーを淹れながら会話を続けるベルだったが、それでもやはり興味は無さそうだった。
「でも、別に今のでも良くないすかー。あーしらは政府のサーバーに繋げないんだし」
もし政府のサーバーなんかに接続したら速攻で接続先がバレて、その日のうちに全員もれなく檻の中に行くことになるだろう。
今のPDAよりたしかに便利なのだろうけど、最新のセキュリティを攻略するなら何ヶ月も掛かる。
一刻も早く『作戦』を実行したいベルたちにとって、それは時間の無駄としか思えなかった。
「あれは『S.E.R.V.A.N.T』の依代として使うんだ」
研究所――といっても勝手に壁などを作ったバラック小屋のようなものだが――の入り口から声がした。
聞き慣れた低くて落ち着いた声。声の元にベルは全力で振り向き――そうになったけど、すぐに自分のひどい顔を思い出したようで、伏し目がちに顔を向けるのが精一杯だった。
「やはり、そこまでのスペックが?」
「ああ。想像以上だよ。人格データを丸ごと入れてもまだ余裕があるくらいさ」
「それは……凄いな。ジンのそいつよりも上なのか?」
ランディはジンが小脇に抱える『漆黒の板』を指差す。
「はは、まさか。コイツと比べちゃ向こうが可愛そうだ」
無精髭の青年は得意気な笑顔を浮かべながら拳で表面をコン、コンと叩く。
「まだまだ、コイツのほうが10倍……いや、20倍は上だろうな」
天才科学者の名を恣にしているジンが10年もの月日と多大な費用をかけて開発した、究極の情報処理用機器『タブレット』。
シンプルな名前のくせに、この世のあらゆる演算装置よりも上回る速度を弾き出し、現状の人工知能を遥かに超える推論能力を持つ、究極の情報処理用人具なのである。
「そこに先輩の『空想描筆』ですもんねー」
「いつも言ってるが、何でもありだよな、それ」
ジンのSSランク神具、『空想描筆』の能力は『書いたものを短時間だけ具現化』するというものだった。
でも、SSというランクとしては自由度と汎用性以外は取りたてて優れたところがない、どちらかと言えば地味な神具、という評価に落ち着いてしまっていた。
書いたものを自由に出力できたくらいで1000度を超える熱線や、半径50メートルの爆発を使う相手にして何が出来るのか、と。
しかし、天才の考えることはやはり違っていた。
彼が思いついたのは、『空想描筆』を使ってプログラムコードを書くという離れ業。
屁理屈としか言えないような話だが、ジンはそのためにタブレットを開発したのだ。
たとえ最後には自分の作ったワクチンによって、神具を失うことになると分かっていても、彼に迷いはなかった。
そこから生まれたのは対象の時間を停止させるカメラアプリ、対象の魔力波形パターンを推定して方向を導くナビアプリなどなど。そして――
「おーいリーダー! これ出すの手伝ってくれよ!」
「ああ、今行くよ」
ジンはそう言いながらタブレットのスリープを解除し、開発アプリを立ち上げる。
「あー。あの小人さんすかー」
「メルエルちゃんの影響とは言え、何でそこだけメルヘンなんだよ」
ここの拠点を作った際にも大活躍だったジンの『オートメーション・ボット』。
こんな場所に不釣り合いな小人がゾロゾロと出てきて働く姿は非常にシュールだった、とメンバーたちが口々に言っていたアプリである。
「う、うるさい。ワーカーボットじゃ可愛くないって言うんだから仕方ないだろ」
そう言いながら顔を赤くして部屋から出ていくジンを見送ったベルは再び椅子に腰掛け、コンソールへ向かう。
「ベル、俺も見てくるよ。人格データの実装部分は俺の担当だしな」
「どーぞ。ジェーンさんとこにも寄ってー、少しゆっくりしてきてくださいーす」
「……悪いな」
やっぱり『最新のスマートフォン』とやらに興味が持てず、部屋に一人残されたベルはいつもの手癖で例の『デビー』を立ち上げる。
「ちゃおー」
『ケッ! オメー仕事中だろ。俺様相手にくっちゃべってて良いのかよ』
「いーのよ、あーしの担当部分はほとんど終わったしー。あとはテスト中心だから」
『オメー、テストに入ってからが本番、って言葉聞いたことねーのか? 後で吠え面かくことになるぜー?』
無駄に実装したアニメーション機能は腹が立つほどに順調で、画面の中のデビーは寝っ転がったり鼻をほじったり、やりたい放題だ。
「ねー、デビー」
『ああん? 何だよ』
「あのさー、デビーは外に出てあーしらと触れ合えるようになりたいって思うー?」
『……何だそりゃ』
「先輩がさー。『S.E.R.V.A.N.T』の具現化処理を実装する前にデビーでテストしたいんだって」
数年掛けて擬似的な人格データを作り込んだデビーは、もはや自我を持った一人の人間と言って差し支えないような個性を持ちはじめていた。
そんな彼が質量を得て、現実世界に顕現する。
デビーを育てた親……というより友人としては是非その光景を見てみたい。
『げっ。じ、人体実験かよ……お前ら、やっぱり悪の組織だったんだな』
「まー、それはそーなんだけど。あーしはデビーに出てきてほしいなー、って思ってる」
『ちっ、どうせ俺様は人間サマに逆らうことなんざできやしねーんだ。好きにしろよ』
「……うん、そうするー」
ベルは久しぶりに、ふにゃりとした彼女本来の笑顔を浮かべることができた。
*
スマートフォン大量盗難事件より1ヶ月ほど経った、ある日。
「突然押しかけてしまい、申し訳ありません。皆様のお邪魔にならないよう気をつけますので……」
「さ、サラさん! 頭上げてくださいよ!」
「そうですよ! 汚い場所ですけど、自分の家だと思って!」
各地の隠れ家を転々とした末、メンバーの説得もあってアジト《ここ》に連れられてきたのは二人の母子だった。
「あー。メルちゃーん、ちゃおー」
ベリアは母親のブラウスの裾を掴み、不安げに隠れていたジンの娘に手のひらをぐーぱーさせてコンタクトを送る。
「あっ! ベルちー!」
大好きな年上のお姉さんを見つけ、ぱああ、と顔をほころばせるメルエル。
母親譲りの綺麗な金髪もすっかり伸びて、もうどこに出しても恥ずかしくない、立派な美少女になっていた。
「こら、メルエル、みなさんにご挨拶は?」
「メ、メルエルです。よろしくお願いしますっ!」
母親に促され、ぺこっ! と頭を下げるメルエル。
その衝撃で、背負っていたバックパックの中身が飛び出した。
「わわわっ!」
「もう、あわてんぼうなんだから」
みんなで足元に転がってきたメルエルのオモチャや筆記用具などを拾い集める。
「みんな、すまない。僕の家族だけ特別扱いだなんて……」
「何だよジン、柄にもない」
「ふん。人質などにされては困るからな」
「シュタインじーさんは相変わらずだね。そんなんだから理論構築が23%も遅れるんだよ?」
「ヴェルト。君は年配者にもっと敬意を払うべきだな。そもそも君はまだここに入って半年だろう」
幼い頃より天才と言われていたにもかかわらず、与えられたランクが【F】だったことに絶望した少年。
逆に、【A】ランクを与えられたばかりに平凡な道を歩めず、人生の大半をコンプレックスへの苦しみで消耗させられた老人。
対象的な二人だけに、どうしてもお互いの言葉に刺が生えてしまう。
「あ、あの」
「あー、サラさん、だいじょーぶっす。あーしらなりの歓迎みたいなもんなんでー」
「ああ、みんなツンデレなんだよ」
「デレても可愛くないのばっかりすけどねー」
「はは、違えねえ!」
誰かの合いの手で、笑いが広がっていく。
「これから僕らは本格的な実装作業に入る。サラにはみんなの生活をサポートをさせるから、遠慮なく使ってやってほしい」
「よろしくお願いいたします」
「おねがいします」
もはや絶望以外の方向へ進むことができなくなってしまったこの場所に、もし『やすらぎ』というものがあったのだとしたら――
ここからの数カ月にはそれが確実にあった、とメンバーみんなが口を揃えて言うだろう。
それくらい、特別な時間だった。
ごめんなさい、過去編4話じゃ終わりそうにないです!
どうしても地の文が増えてしまって……ロイドくんたちの活躍はもう少しお待ち下さい!




