第72話 消えた囚人と、西への馬車
「……はい! お嬢様!」
ミアの力強い返事が、部屋に響いた。
新たな仲間の加入、そしてセルフィナからの心強い後押し。
僕たちの間には、これから始まる困難な任務への覚悟と、それを乗り越えようという結束が生まれ始めていた。
――だが。
その空気は、唐突に打ち砕かれた。
バンッ!
待機室の扉が、乱暴に開け放たれたのだ。
飛び込んできたのは、顔面を蒼白にした衛兵だった。
息を切らし、立っているのもやっとという様子だ。
「ほ、報告しますっ!」
「なんだ、騒々しい」
アズライトが不快げに眉をひそめる。
だが、衛兵の次の言葉を聞いた瞬間、その表情は凍り付いた。
「ち、地下牢の囚人が……消えました!」
「……なんだと!?」
アズライトの声が裏返る。
僕たちは顔を見合わせ、弾かれたように走り出した。
*
案内されたのは、王宮の地下深くに設けられた特別独房だった。
分厚い石の壁に囲まれ、入口には鋼鉄の扉。
窓など一つもない、完全な密室だ。
「……馬鹿な」
アズライトが呻く。
牢の中には、破壊された跡も、争った形跡もない。
ただ、そこにいたはずのヘクターとミュズガルが、煙のように消え失せているだけだ。
さらに、別室に厳重に保管されていたはずの証拠品――ミュズガルの『黒い板』や、ヘクターの想具までもが、跡形もなく消えていた。
「貴様ら! 一体何をしていた!」
アズライトが、見張りの衛兵たちを怒鳴りつける。
「も、申し訳ありません! ですが、本当に誰も通っていないのです!」
「我々は一瞬たりとも目を離しておりません! 鍵も掛かったままでした!」
衛兵たちが必死に弁明する。
アズライトは懐から『虚言の縄』を取り出し、彼らに向けた。
「……私の眼を見て答えろ。貴様らは、何者かに買収されたか? あるいは、居眠りをしていたか?」
「していません! 神に誓って!」
衛兵が叫ぶ。
だが、『虚言の縄』は反応しない。彼らの体は動くままだ。
つまり――彼らは嘘をついていない。
「……嘘ではない、か」
アズライトが苦々しげに神具を収める。
「だが、物理的にあり得ない。壁を壊した形跡もなく、鍵を開けた痕跡もない。……王宮の厳重な警戒網を、音もなくすり抜けたというのか?」
監査官として、説明のつかない事態への戦慄が彼女の顔を覆う。
「……犯行時刻は?」
僕が尋ねると、衛兵の一人が答えた。
「は、はい。夕刻の見回りまでは異常ありませんでした。ですが、……昨夜の深夜帯に一度だけ奇妙な異音があったとの報告が……」
「昨夜の、深夜……」
「その時は鍵の確認はしたのですが、中までは……」
記憶が蘇ってくる。
窓枠に腰掛け、月を背にしていた男。
……そうか。そういうことか。
「……エディミルだ」
「なに?」
「昨夜、あいつは僕のところに来ました。……たぶん、仲間の救出という『仕事』を終えた後に」
僕の思考が、急速に事実を繋ぎ合わせていく。
エディミルにとって、捕らえられた仲間と、情報の詰まった神具を回収することは最優先事項だったはずだ。
王宮という、国の中枢への侵入。
それは本来、命がけの作戦であるはずだ。
だが、あいつはそれを苦もなく完遂した。
そして、その帰りに――まるで道端の石ころを蹴るような気軽さで、僕の元へ立ち寄ったのだ。
「……あいつにとって、僕の勧誘なんて……『ついで』だったんだ」
自分たちが脅威とすら思われていない。
その圧倒的な格差と、手玉に取られた屈辱。
それでも、やるしか無い。あいつを何とかしないと、アミリーを救えないんだ。
「……奴は、既に目的を果たして去ったということか」
アズライトが悔しげに壁を叩く。
「……失態だ。だが、これで奴らを追う理由がまた一つ増えた」
ここに留まっていても、もう何も得られない。
ガランドに何があるかは分からない。もしかしたら、罠かも知れない。
でも、『敵』とすら思われていない現状ではその可能性は低いだろう。
きっとあの男は、僕を試しているんだ。
「バカじゃないなら、このくらい気づくよね?」、と。
ならば、行かなければ。
「出発しましょう。……今すぐに」
「ああ。だがその前に、屋敷に戻らねばな」
アズライトの言葉に、僕は頷く。
丸腰で追いかけるわけにはいかない。旅の装備も、そして何より、部屋に置いてきたルミルを連れて行かなくちゃいけない。
それに、ミアだって最後に挨拶しておきたい人がいるはずだ。
僕たちは足早に王宮を後にし、エドール家の別邸へと戻った。
*
屋敷に戻ると、空気は一変していた。
華やかなパーティーの余韻は消え、慌ただしく出立の準備が進められている。
僕は自室でリュックに荷物を詰め込み、最後にベッドの上で丸まっていたルミルを抱き上げた。
「きゅ?」
「ごめんな、ルミル。長旅になるけど、ついてきてくれるか?」
「きゅう!」
ルミルは元気よく鳴いて、いつもの定位置――リュックのサイドポケットに潜り込んだ。
よし、準備完了だ。
廊下に出ると、ちょうどミアがミネルバの部屋から出てくるところだった。
目は少し赤いが、その表情は晴れやかだ。
「……ちゃんと、言えた?」
「おう。行ってくる、ってな」
ミアは鼻をすすり、腰の双剣を叩いた。
「絶対に治す方法を見つけて帰ってくる。それまで待っててくれって、約束してきたよ」
「そっか。……じゃあ、行こうか」
エントランスへ降りると、そこには見送りの人々が集まっていた。
バルガスが、僕の前に立つ。
「ロイド。……お前さんの選んだ道だ。ワシがとやかく言うことはない」
彼は無骨な手で、僕の肩をガシッと掴んだ。
「だが、生きて帰れよ。この屋敷の扉は、いつでもお前さんのために開けておく」
「……はい! ありがとうございます、バルガスさん」
その隣では、カーラがミアの服の襟を直していた。
「ミア。ロイド様のこと、頼みましたよ?」
「分かってるよ、カー姉。……カー姉も、ミナ姉のこと頼むな」
「ええ。任せてくださいな」
カーラは優しく微笑み、ミアを抱きしめた。
そして僕の方を向き、深々と頭を下げる。
「ロイド様も、どうかご無事で。……また、デートの続きをいたしましょうね?」
「あはは。楽しみにしてます」
最後に、セルフィナが前に進み出た。
その瞳は、真っ直ぐに僕たちを見据えている。
「ご武運を。ロイド、そして皆様」
彼女の声は凛としていて、迷いがない。
「私はここから、貴方たちの道を照らし続けますわ。……必ず、良い報告を持ち帰ってくださいまし」
「約束するよ。……行ってきます、セルフィナ」
僕は友人に別れを告げ、屋敷を後にした。
*
王都、西門。
そこには、国が用意した一台の馬車が待機していた。
貴族用の煌びやかなものではない。長旅と荒れ地に耐えうる、質実剛健な大型の馬車だ。
御者台には、既にモーレッドが座っている。
「おう! 遅かったじゃねえか! 待ちくたびれて筋肉が冷えちまうところだったぜ!」
彼は頼もしく親指を立てた。
極秘任務だ。御者を雇うわけにはいかない。
自分たちで交代しながら進むことになるが、彼がいれば安心だろう。
馬車の中からは、アーチェのぼやき声が聞こえる。
「この馬車、もちろんタダだよにゃ? 後から請求されてもにゃあは払わんからにゃ?」
「やかましい。さっさと乗れ」
アズライトが呆れたように言いながら、後に続く。
ミアも、振り返ることなく乗り込んだ。
最後に、僕は足をかけた。
振り返ると、夕暮れに染まる王都の街並みが見えた。
つい数日前、緊張しながらくぐった門。
アミリーと再会し、新たな仲間と出会った場所。
滞在期間は短かったけれど、僕の運命を大きく変えた街。
そして今、大切な人たちが待っている場所。
「……行ってきます」
僕は短く告げ、馬車に入った。
「よっしゃあ! 野郎ども、出発だぁッ!」
モーレッドの掛け声と共に、鞭が鳴る。
馬車がガタンと揺れ、ゆっくりと動き出した。
目指すは西。
鉱山都市ガランド。
『神の僕』の影を追い、僕たちの新しい旅が始まった。
3章に突入してから準備&伏線回収パートで盛大に10話以上使ってしまいましたが、やっと新展開です!
王都編は書きやすいタイプのキャラが多くて大いに筆が進みました!
ガランド編もそうだと良いなあ……(願望)




