第69話 深夜の訪問者と、悪魔の勧誘
深い、深い眠りの中だった。
パーティーの熱気も、ワインの酔いも、すべてが遠い彼方へ沈んでいくような、心地よい微睡み。
だけど、その静寂は唐突に破られることになる。
――チリッ。
肌を刺すような、奇妙な感覚。
僕は弾かれたように意識を覚醒させた。
重いまぶたを持ち上げる。
部屋は暗い。カーテンの隙間から、細い月光が差し込んでいるだけだ。
だが、その光の先に、あるはずのない影があった。
「……!」
僕は素早くベッドから起き上がり、枕元に置いてあったケースからタブレットを引き抜く。
冷たい汗が背中を伝う。
閉めておいたはずの窓が大きく開け放たれ、夜風がカーテンを煽っている。
そして、その窓枠に腰掛けるようにして、一人の男が座っていた。
逆光で顔は見えない。
だが、そのシルエットだけで、僕の本能が警鐘を鳴らしていた。
「よく眠っていたようだね。パーティーは楽しかったかい?」
男が口を開く。
その声は、驚くほど軽かった。
男は窓枠に足を組み、夜風を楽しむようにこちらを見ている。
「……誰だ」
僕は警戒心を露わにして問う。
男は「おや」と首を傾げた。
「酷いなあ。ついこの間会ったばかりじゃないか。もしかして、ボクの声を忘れちゃったのかい?」
男が顔を少し傾ける。月光が、その横顔を照らし出した。
灰褐色の肌。真っ白な髪。そして、夜闇の中でも赤く輝く瞳。
「……エディミル」
僕の口から、その名前が漏れる。
オーギルで僕たちを翻弄し、訳の分からない勧誘をしてきた『神の僕』。
そいつが今、僕の部屋にいる。
武器も構えず、まるで友人の家に遊びに来たような気軽さで。
「うんうん。覚えていてくれて嬉しいよ」
エディミルは嬉しそうに目を細める。
「……何しに来た」
僕はタブレットを構え直す。
アイツは反撃プログラムを仕込んでいる可能性が高い。
下手に攻撃をすれば、翌朝僕の死体をみんなに晒すことになる。
ランク2になったけど、今の僕に勝てるのか?
それとも、みんなを呼ぶべきか?
「ふふ、そんなに怖い顔しないでよ」
僕の睨みつける視線にもエディミルは動じることもなく、おどけたように肩をすくめた。
「今日は戦いに来たわけじゃないんだからさ」
「信じるとでも?」
「本当さ。ボクは嘘はつかない主義なんだ」
彼は窓枠からひらりと降り、部屋の中へと足を踏み入れた。
足音がしない。まるで重力がないかのような動きだ。
「今日はね、あの時の続きを聞きに来たんだよ」
「……続き?」
「そう。『ボクたちの仲間にならないか』っていう質問の答えさ。あの時は邪魔が入っちゃったからね」
オーギルでの別れ際、彼は確かにそう言っていた。『次回聞く』と。
本当に、それだけのためにここまで来たというのか。
「断る」
即答する。考える価値もない。
こいつは多くの人を惨殺し、そして僕の元パーティーを破滅させた元凶だ。
「つれないなあ。即答かい?」
「当たり前だ。お前らの仲間なんて絶対になるもんか」
「ふうん。……ロイドの大好きな、えーと」
エディミルはそこで言葉を切り、わざとらしく天井を見上げた。
何かを思い出すような仕草。
「……ああ、そうだ。アミリーちゃんだっけ?」
ドクン、と心臓が跳ねた。
全身の血が逆流するような感覚。
「……貴様」
低い声が、喉の奥から絞り出される。
「彼女に指一本でも触れてみろ。……その時は、僕が必ずお前を殺す」
「おや、怖い怖い。そんなに怒らないでよ」
彼は両手を上げて、降参のポーズをとる。
「早とちりしないでほしいなあ。ボクはただ、彼女を救ってあげたいだけさ」
「……救う?」
「そうだよ。彼女、苦しんでるんでしょう? 『神具』なんていう、重たくて冷たい鎖に縛られてさ」
エディミルの声が、甘く、優しく響く。
「ボクたちの仲間になれば、その鎖を、痛みなく取り去ってあげられるよ? 彼女は自由になれる。ロイドも、それを望んでいるんじゃないのかい?」
「……馬鹿なことを言うな!」
僕は叫んだ。
「アミリーから神具を奪うだって? そんな苦痛を与えられるわけがないだろ! お前たちがライゼルにしたことを、僕が知らないとでも思っているのか!」
セルフィナから聞いた、魂を引き剥がされるときの苦痛。
あんなものを、彼女に味わわせるわけにはいかない。
「いやいや、誤解だよ」
エディミルは困ったように眉を下げた。
「アレは無理やりやったから痛かっただけさ。本人が承諾していれば、痛くもないし、苦しくもないんだよ?」
「嘘だ」
「嘘じゃないさ。……ほら、これ」
エディミルが、何もない空間に手を伸ばす。
ズズッ、と空気が歪み、そこから一本の剣が取り出された。
白銀の輝きを放つ、美しい長剣。
柄には精緻な装飾が施され、刀身は月光を受けて冷ややかに光っている。
見ただけで分かる。これは、国宝級の神具だ。
「……これは」
見覚えが、あるような気がする。
3年前のあの日。神授の儀式で、僕達の前に大きな喝采を浴びていた剣。
「昼間に会っただろう? 彼がくれたんだよ。『もういらない』って」
「昼間……?」
記憶がフラッシュバックする。
広場のベンチ。くたびれた服を着た、手ぶらの少年。
『見たかった景色も見れたし、もう十分さ』。
……そうか。あの手ぶらの少年が、この剣の持ち主だったのか。
3年前、僕の目の前で英雄になったはずの……ケイーク・タイカー。
あの空っぽな笑顔は、魂の一部を失ったからだったのか?
「ね? 彼はとても幸せそうだっただろう?」
エディミルが、同意を求めるように言う。
「重荷を下ろして、ようやく楽になれた顔をしていたじゃないか」
「……ふざけるな」
僕の脳裏に、その後の光景が焼き付いている。
衛兵に腕を掴まれ、引きずられていく彼の姿。
「神具を捨てたって、国は彼を放しはしない。お前がやったのは救済じゃない、ただ絶望を隠しただけだ!」
神具という価値を失った彼を国は許すだろうか?
15歳のあの日を迎える前のような生活に戻してくれるだろうか?
――そんなこと、考えるまでもない。
「ふーん。ロイドがそう思うなら、それでいいよ」
エディミルは、心底どうでも良さそうに言った。
「ま、その後のことはボクの管轄外だからね」
「……お前ッ!」
「やっぱり、君とは平行線かなあ。まあ、また今度、だね」
エディミルは残念そうに肩をすくめ、剣を空間の彼方へと消した。
彼は再び窓枠に足をかけた。帰るつもりらしい。
「待て!」
僕は呼び止める。
「ミネルバの……治療法を教えろ!」
彼女は今も、原因不明の昏睡状態にある。
原因を作ったこいつなら、治し方を知っているはずだ。
「ミネルバ……? 誰、それ」
「お前の作った想具のせいで目覚めなくなった、僕の大事な仲間だ!」
エディミルは立ち止まり、振り返った。
その表情は、聖職者のように慈悲深く、優しげに見えた。
けれど、その瞳だけは笑っていない。
「ああ、そうなのかい……それは実に心が痛いよ」
感情のこもっていない、美しい声。
「でも、残念ながらボクの専門外なんだよね、そういうの」
エディミルは懐から、あの黒い板――スマートフォンを取り出した。
慣れた手つきで画面を操作し、シャカシャカと指を動かす。
「……んー。『ガランドの、ベル』……」
彼は画面を見つめながら、独り言のように呟く。
「……おっと、口が滑っちゃった……なーんてね。ノーヒントじゃロイドも困るもんねえ」
エディミルはわざとらしく口元を押さえた。
でも、その目は楽しそうに歪んでいる。
「未来の同志のためだしね」
彼は僕に向かって、パチンとウィンクをして見せた。
「じゃ、今日はこの辺で。……またね、ロイド」
彼は背中から夜の闇へと倒れ込むようにして――
次の瞬間、その姿は掻き消えていた。
音もなく、風もなく。ただ、存在そのものがそこから消失したかのように。
「……っ」
僕は窓辺に駆け寄る。
下を見下ろしても、誰もいない。
ただ、静まり返った庭園が広がっているだけだ。
残されたのは、開け放たれた窓と、入り込んでくる冷たい夜気。
そして、『ガランドのベル』という言葉。
(相棒、よく我慢したな。もし、仕掛けてたら――)
アイディの声にも、いつもの軽口はない。
もし攻撃プログラムを起動していたら――きっと僕は変わり果てたモノとして発見されていたのだろう。
僕は窓を閉め、鍵を掛けた。
手のひらが、じっとりと汗ばんでいた。
これが、本物の『神の僕』。
「くっそぉ!」
ガシャンッ!
近くにあったテーブルに両の拳を思い切り叩きつける。
目的のわからない不気味さと、圧倒的な力。
ランク2になったからこそわかる、『敵』の底の知れなさ。
――それでも。
僕が、宿敵を目前にして何もできなかった事実は変わらない。
早い話、僕はビビってしまったのだ。
あんなに調子のいいことを言っていたくせに、本物がいざ目の前にやってくるとこのザマ。
ヘクターたちが怖くてへつらっていたときと何が違うっていうんだ。
自分が情けなくて、心底嫌になる。
……。
…………。
………………。
……ガランドのベル。
罠かもしれない。
でも、今の僕には、縋れる糸はそれしかない。
僕はベッドに戻り、タブレットを抱きしめた。
眠気は完全に吹き飛んでいたが、それでも僕は目を閉じた。
明日になれば、また新しい戦いが始まる。
そのために、今は少しでも体を休めなければならない。
長く、重い夜が更けていった。
いつも読んでいただきありがとうございます。
久々登場のエディミル、個人的脳内ボイスは石田彰さんです笑




