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第68話 旅立ちの宴と、月下の語らい


 夜のとばりが下りると同時に、エドール家別邸のホールには明かりが灯され、ささやかだが温かい宴が始まった。


 僕が配置した丸テーブルには、カーラたちが腕を振るった料理が大皿で並べられ、食欲をそそる香りを漂わせている。

 そして、ホールの一角に鎮座するのは、今朝方屋根裏から救出された銀のワインクーラーだ。

 磨き上げられた銀の肌がシャンデリアの光を反射し、中には氷と共に年代物のワインや果実酒が冷やされている。


「――では。我らが友、ディートリッヒ様、リーゼロッテ様の無事の帰還と、これからの旅路に」


 グラスを手にしたセルフィナが、凛とした声で音頭を取る。


「乾杯!」


 チン、とグラスが触れ合う軽やかな音が響いた。


「いやあ、生き返るねえ! こんな上等な酒、王宮の夜会でもなきゃ飲めないよ!」


 ディートが琥珀色の液体を喉に流し込み、感嘆かんたんの声を上げる。


「ほんとほんと! ご飯もすっごく美味しい!」


 リゼは既に料理に夢中で、皿いっぱいに盛られたローストビーフを頬張っている。

 明日には北へ発つ二人だ。今のうちに英気を養ってもらわないと。


「……ちぇっ。なんでアタシだけブドウジュースなんだよ」


 そんな中、一人だけ唇を尖らせているのがミアだった。

 彼女の手にあるグラスの中身は、鮮やかな紫色。間違いなくジュースだ。


「仕方ありませんわ。我が国ではお酒は16歳からと決まっていますもの」


 カーラが苦笑しながらさとす。


「あと1年じゃんかよー。ケチー」


「ふふ。来年のお楽しみにとっておきなさいな。その時は、私がとびっきり美味しいお酒を教えてあげるわ」


「……絶対だぞ、カー姉!」


「そのときにはみんな一緒だといいわね」


 そういったカーラの視線の先にはドレスに着替え、椅子に体を預けたミネルバの姿があった。


「うん。でも、ミナ姉はお酒弱いからなあ」


「あら。そこが可愛いのよ」


「そうなの?」


 そんなやり取りを、バルガスが目を細めて見守っている。

 普段は厳格な彼も、今日ばかりは表情が緩んでいるようだ。


 ふと視線を向けると、壁際でグラスを傾けているアズライトと目が合った。

 彼女は仕事中という建前上、一口つけただけで飲んでいないようだが、その表情は心なしか柔らかい。

 旧友が開いた、ささやかな宴を静かに楽しんでいるのかもしれない。


 宴は進み、ホールは笑い声と熱気に包まれていく。

 ディートが冒険譚ぼうけんたんを語り、リゼがツッコミを入れ、ミアが茶々を入れる。

 それは、一ヶ月前の僕には想像もできなかった、賑やかで、幸福な光景だった。


「ふう」


 ……少し、酔ったかな。

 お酒のせいか、それともこの温かい空気のせいか。

 僕は熱くなった頬を冷ますため、そっとホールの喧騒を抜け出し、テラスへと向かった。


 *


 ガラス戸を開けると、ひんやりとした夜風が頬を撫でた。

 頭上の空には、欠けた月が白く輝いている。

 庭園の木々がざわめき、虫の声が静かに響いていた。


 手すりに寄りかかり、夜空を見上げる。

 明日はディートたちが発つ。

 僕も、国からの待機命令が解ければ、すぐにでも動くつもりだ。

 この穏やかな時間は、きっと長くは続かない。


「……抜け駆けはいけませんわよ?」


 そんな事を考えていたら、背後からもうすっかり聞き慣れてしまった声がした。

 振り返ると――


「セルフィナ」


 そこにいたのは、青いドレスに身を包んだ金髪の女性だった。

 月明かりに照らされたその姿は、初めてあった日のあの夜と同じように美しく、儚げに見えた。


「セルフィナ。……ごめん、少し酔い覚ましに」


「ふふ。奇遇ですわね。私も、少し熱気に当てられてしまいましたの」


 彼女は僕の隣に来て、同じように手すりに寄りかかった。

 ふわりと、甘い香水の匂いが漂う。


「……賑やかですわね」


 ガラス戸の向こう、明るいホールを眺めて彼女が言う。


「うん。本当に、良いパーティーだよ」


「バルガスも、カーラも、あんなに楽しそうな顔をするのは久しぶりですわ。……全て、貴方のおかげね」


「僕は何もしてないよ。ちょっと手伝っただけ」


「いいえ」


 セルフィナは首を横に振った。


「貴方がここに来てくれたから、止まっていた時間が動き出したのです。……この屋敷も、そして私も」


 彼女は夜空を見上げ、独り言のように呟く。


「……不思議なものですわね。つい先日、オーギルのダンスホールで出会った時は、こんな日が来るなんて、想像もしませんでしたわ」


「僕もだよ。雲の上の人だと思ってたし」


「ふふ。今では、貴方の方がよほど高い場所を見ている気がしますわ」


 セルフィナはグラスを揺らし、赤い液体に月を映す。

 そして、ふと寂しげな笑みを浮かべた。


「……ねえ、ロイド」


「はい」


「もしも……もう少し、早く貴方に出会えていれば……」


 彼女の言葉が途切れる。

 その横顔には、言い知れぬ切なさがにじんでいた。

 僕は次の言葉を待ったが、彼女は小さく首を振って、微笑み直した。


「……いいえ、何でもありませんわ。タラレバを語るのは、商人のすることですものね」


 彼女は誤魔化すようにワインを一口飲む。

 そして、ぽつりと漏らした。


「本当に……アミリーさんが、うらやましいですわね」


 その言葉に、僕は少し驚いて彼女を見た。


「アミリーが? どうして?」


「……鈍感なところは、相変わらずですわね」


 セルフィナは呆れたように、けれど慈愛に満ちた目で僕を見た。


「彼女は、貴方にこれほどまでに想われている。命を懸けて、国を敵に回してでも救い出そうとする、貴方という『英雄』がいる。……それは、どんな宝石よりも得難えがたい、女性としての幸福ですわ」


 彼女の言葉の裏にある、本当の意味。

 僕はそれを察するには、あまりにも未熟だったのかもしれない。

 ただ、彼女が僕を認めてくれていることだけは、痛いほど伝わってきた。


「……僕は、英雄なんかじゃない。ただの、諦めの悪い幼馴染なだけだよ」


「ふふ。そういうところも含めて、ですわ」


 セルフィナは体を起こし、僕に向き直った。

 僕もたたずまいを直し、セルフィナに向き合う。まっすぐに。


「ロイド。貴方は私の誇りです。貴方と友人になれたこと、心から感謝していますわ」


「……僕もです。セルフィナ様。君がいなければ、僕はここまで来られなかった」


 僕は素直な気持ちを伝えた。

 彼女は満足そうに頷き、グラスを掲げた。


「では、改めて乾杯しましょうか。……我々の、未来に」


「乾杯」


 月明かりの下、グラスが澄んだ音を立てて重なる。

 それは、別れの予感をはらんだ、静かな誓いの音だった。


 *


 宴は深夜まで続き、やがてお開きとなった。

 ディートたちは千鳥足で客室へ戻り、ミアも遊び疲れた子供のように目をこすりながら部屋へ引き上げていく。

 後片付けは明日頑張ろう、と僕も自室に戻り、ベッドに潜り込む。


 長い一日だった。

 色々なことがありすぎたけれど、今は心地よい疲れが体を包んでいる。

 明日からのことは、また明日考えよう。


 僕は目を閉じ、眠りの淵へと沈んでいった。


 ……まさか、その数時間後に、招かれざる客が訪れるとも知らずに。

このあと、一段落したあたりで幕間のエピソードか別キャラクター視点でのミニエピソードを書いてみたいと思っています。

もし、もし、「このキャラの話がみたいなあ~」というリクエストが有ればコメントまたはそのキャラクターが登場したエピソードにグッドボタンなどをお願いします。

頂いたリアクションはよく参考にさせていただきますので、よろしくお願いします。

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