第61話 音のない会話、指先の約束
呼吸をするたびに、肺が焼け付くように熱い。
足の感覚はもうない。ただ、前へ出すという意志だけで動いている。
ドラゴンの頭蓋骨が飾られた巨大な門をくぐり、僕は冒険者ギルドのロビーへと雪崩れ込んだ。
喧噪に包まれるホール。
僕はふらつく足で、昨日と同じ受付カウンターへと向かった。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
カウンターに辿り着き、僕は天板に手をついて体を支える。
受付嬢が、怪訝な顔でこちらを見た。
「……お客様? 昨日の……」
彼女は僕のことを覚えていたようだ。
無理もない。昨日、『金貨10枚』と言われてすごすごと引き下がった田舎者だ。
きっと、また無駄な嘆願に来たのだと思っているのだろう。
「申し訳ありませんが、一般面会の予約は3年後と決まっておりまして――」
彼女が断りの言葉を口にし掛けた、その時。
ドサッ!
僕は革袋をカウンターに置いた。
重厚な音が響き、周囲の視線が集まる。
「……これで、足りますか」
僕は革袋の紐を緩め、中身を見せた。
黄金の輝きが、受付嬢の瞳に反射する。
「こ、これは……!?」
「金貨50枚です。『特別優先枠』への寄付金として」
さらに、襟に付けた。エドール侯爵家の紋章を見せ付ける。
「これは、エドール家からの依頼です。……まだ、3年待てと言いますか?」
受付嬢の顔色が変わった。
彼女は慌てて立ち上がり、奥へと走っていく。
数分後、戻ってきた彼女の後ろには、身なりの良いギルド職員が控えていた。
「……確認させていただきました。ロイド様ですね」
職員が慇懃に頭を下げる。
金と権力。王都を動かす二つの鍵を手にした途端、閉ざされていた扉はいとも簡単に開いた。
「ただちにアミリー様との面会を手配いたします。こちらへ」
*
案内されたのは、ギルドの奥にある『特別応接室』だった。
重厚な扉に、防音のための分厚い壁。
中に入ると、そこは窓のない殺風景な部屋だった。
中央にテーブルと、向かい合った椅子が二つあるだけだ。
「面会時間は10分間となります」
職員が事務的に告げる。
「なお、保安上の理由により、会話の内容は全て別室にて記録・監視させていただきます」
職員が天井の隅に埋め込まれた、青白く光る水晶のような石を指し示す。
「『遠聴の水晶』が作動しております。不審な言動やがあった場合は、即座に中止となりますのでご注意ください」
つまり、会話は全て聞かれているということだ。
僕が彼女を連れ出そうとしたり、余計な情報を吹き込もうとすれば、すぐに衛兵が飛び込んでくる手筈なのだろう。
「……分かりました」
僕は短く答え、椅子に座った。
職員が退室し、静寂が訪れる。
ドクン、ドクンと心臓がうるさい。
筋肉痛の痛みさえ、今は遠くに感じる。
3年ぶりの再会。
何を話せばいい。何を伝えればいい。
頭の中で想像上での手順を繰り返すが、どれもしっくりこない。
ガチャリ。
反対側のドアノブが回る音がした。
僕は息を止め、その瞬間を待つ。
扉が開き、一人の女性が入ってきた。
「……失礼します」
透き通るような銀色の髪。
洗練された装備に身を包み、背筋を伸ばして歩く姿は、国一番の英雄としての風格を漂わせている。
3年前のあどけなさは消え、息を呑むほど美しい大人の女性。
でも、すぐに分かった。
――アミリーだ。
彼女はゆっくりと顔を上げ、僕を見た。
その瞳は、どこか虚ろで、光を失っていた。
まるで、感情を殺して任務をこなす機械のように。
だが。
目の前に座っているのが誰なのか、認識した瞬間。
「…………え?」
彼女の目が、限界まで見開かれた。
虚無の瞳に、一瞬で光が戻る。
驚き、喜び、戸惑い。様々な感情が渦巻いて、その唇が震えた。
「ロ、イ……?」
彼女が僕の名前を呼びかけ、駆け寄ろうとした。
その瞬間、僕は右手を上げ、人差し指を唇に当てた。
『シーッ』。
そして、パチンとウインクをしてみせる。
昔、村でイタズラを仕掛ける前によくやった、合図だ。
アミリーの足が止まる。
彼女はハッとして周囲を見渡し、壁に埋め込まれた魔道具の存在を思い出したようだ。
そして、溢れ出しそうな涙を必死にこらえながら、うん、うん、と何度も頷いた。
僕は笑顔のまま手招きをする。
彼女が向かいの席に座るのを待って、僕はテーブルの上にタブレットを置いた。
画面には、あらかじめ起動しておいたアプリが表示されている。
『メモ帳』。
ただ文字を入力し、表示するだけの、戦闘にも冒険にも役に立たない地味な機能。
でも、今この瞬間において、これ以上の武器はない。
僕は彼女に見えるように、ゆっくりと文字盤をタップした。
『アミリー』
画面に表示された文字を見て、アミリーが息を呑む。
僕は立ち上がり、テーブル越しに彼女の右手を取った。
白く、細い指。
かつては畑仕事で泥だらけだったその手は、今は魔導書を扱う高潔な魔術師の手になっていた。
その人差し指を導き、画面のキーボードへと誘う。
「……こうやって、使うんだ」
僕は独り言のように呟きながら、彼女の指で文字を入力させた。
『ロイド』
黒い画面に並んだ、二人の名前。
アミリーの顔が、一気にほころんだ。
僕が何をしようとしているのか。
この冷たい監視部屋で、どうやって心を繋ぐのか。
彼女はすぐに理解してくれた。
僕は席に戻り、口を開いた。
ここからは、二つの会話が同時に進行する。
口では、監視者を欺くための無意味な世間話を。
指先では、3年分の想いを込めた真実の言葉を。
「アミリーさんは、どこのご出身で?」
他人行儀な口調で問いかけながら、指先を走らせる。
――話は全部聞いたよ――
「……メムの村、です」
アミリーが答える。その声は震えているが、懸命に平静を装っている。
彼女もまた、手元の画面に文字を打ち込む。
――ごめんなさい――
「ああ、あそこはとても良いところですよね。僕も一度、行ってみたいものです」
――アミリーのせいじゃないよ――
「……ロイド様は、どちらから?」
――でも、わたしのせいでトラセンドさんたちも――
「オーギルからなんですよ」
僕は明るく振る舞いながら、確信を込めて打ち込む。
――うん。だから、僕が皆を助けるよ――
「随分遠くからいらしたんですね」
――むりだよ、そんなこと――
「いやあ、『金獅子の誇り』のアミリーさんに、どうしても一目会いたくてねえ」
――むりじゃないよ――
「……っ。そ、それは……光栄ですわ。お仕事は、何を?」
――いやだ、ロイドまで――
アミリーの声が湿り気を帯びる。
まずい、涙声になっている。監視役に感づかれるかもしれない。
僕は会話の脈絡を無視して、一番伝えたかったことを急いで入力した。
――泣かないで、アミリー。いつだって僕がついてる――
「……!?」
その文字を見た瞬間。
アミリーの中で、何かが決壊した。
ガタンッ!
彼女は椅子を蹴倒す勢いで立ち上がると、テーブルを回り込み、僕に抱きついてきた。
「……ぅ、うぅっ……!」
僕の胸に顔を埋め、声を押し殺して泣いている。
小さな肩が、激しく震えていた。
3年間、たった一人で背負い続けてきた重圧と孤独。それが今、僕の腕の中で解けていく。
……マズい。
泣き声なんて聞こえたら即終了だ。
僕はとっさに、彼女の背中を抱きしめ返し、大声で話し始めた。
「実はですね、私の仕事というのは少し長い話になるんですが――」
僕は口から出まかせの、適当な作り話を並べ立てる。
今まで出会った人たちの仕事を継ぎ接ぎした、支離滅裂なサクセスストーリー。
「昔、洞窟で卵を見つけましてね。それを売ろうとしたら断られたんですが、なんとそこから希少なトカゲが生まれまして! それを育ててサーカス団を作ったんですよ!」
めちゃくちゃな話だ。
でも、喋り続けなきゃいけない。
彼女の嗚咽を、僕の馬鹿げた話で塗り潰すために。
その間、僕の右手はずっと、アミリーの頭を優しく撫で続けていた。
銀色の髪を梳くように。
大丈夫だよ。一人じゃないよ。
指先から、ありったけの温もりを伝える。
「まあそんなわけで、今はミスリル鉱山の採掘権をですね……」
しばらくして。
腕の中の震えが、少しずつ収まってきた。
アミリーが顔を上げる。
泣き腫らして充血した瞳が、僕を見つめた。
視線が絡み合う。
その距離の近さに、アミリーはハッとしたように顔を赤らめ、パッと僕から離れた。
そして、椅子を直して座ると、急いでタブレットを引き寄せた。
――ごめんなさい――
謝罪の言葉。
服を濡らしてしまったことか、取り乱したことか。
――気にしないで――
僕がそう打ち返したところで、無慈悲な音が響いた。
コンコン。
「そろそろ、お時間です」
係員の事務的な声。
10分間。
あまりにも短い再会。
「……ああ、そうですか。いやあ、まさに夢のような時間でしたよ」
僕は立ち上がりながら、最後のメッセージを打ち込む。
これから戦場へ向かう彼女へ。
そして、彼女を取り戻すために戦う自分自身への、誓いの言葉。
――いつか絶対に迎えに行く。だから、僕を信じて待ってて、アミリー。――
画面を見たアミリーが、息を呑み、そして深く頷いた。
彼女の瞳に、強い光が宿る。
もう、さっきまでの虚ろな人形じゃない。
彼女は震える指で、最後の一行を綴った。
「ええ。……とても楽しいお話、ありがとうございました」
口では淑女らしく礼を述べながら、彼女はタブレットを僕に返した。
そこに書かれていた文字を見て、僕は心臓が止まるかと思った。
――うん。待ってる。ロイド、大好きだよ!――
「えっ……!?」
顔を上げる。
そこには――
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、でも、3年前と変わらない、太陽のような笑顔で。
耳まで真っ赤にしてはにかんでいる、アミリーがいた。
ドクン、と胸が跳ねる。
何か言わなきゃ。僕も、同じ気持ちだと――
ガチャリ。
応接室のドアが開いた。
「お時間です。退室をお願いします」
係員が入ってくる。
もう、言葉も、文字も交わせない。
……でも、十分だった。
僕たちは視線を交わし、小さく頷き合った。
言葉はなくても、伝わったはずだ。
この熱が。この決意が。
アミリーは一礼し、部屋を出て行った。
その背中は、入ってきた時よりもずっと力強く見えた。
彼女は南へ行く。
過酷な戦場が待っているかもしれない。
でも、彼女はもう折れないだろう。
そして僕も、彼女を縛り付ける全てを壊すために動く。
僕はタブレットを抱きしめた。
画面に残された『大好きだよ』の文字。
その淡い光が、僕の胸を焦がすように熱く照らしていた。
*
ギルドを出ると、空は茜色に染まっていた。
筋肉痛の痛みは相変わらずだけど、体は羽が生えたように軽い。
(……へへっ。やったじゃねーか、相棒よぅ)
懐から、アイディの茶化すような声がした。
……ちょっとした違和感があったような気がしたけど、たぶん気のせいだろう。
(ラブラブすぎて、見てるこっちが恥ずかしくなったぜ)
(本当に……良かったです。想いが通じて)
ヘルプの声も弾んでいる。
「……うん。でも」
(ああ。戦いは、これからだぜ)
(ええ。神の僕にこの国のシステム……敵はあまりにも強大です)
「それでも、僕は全てを手に入れるよ。二人とも、最後まで見届けてくれるかい?」
直後に響いた二人の力強い返事を胸にしまい込み、夕日に向かって歩き出す。
たとえ遠回りになったとしても、目的に向かって歩き続けよう。
いつの日か……メムの村で、皆と、アミリーと笑い合う――そんな光景をこの手に掴み取る、その日まで。
これにて第2章終了となります。
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